第三十六話 世代交代

― 王国歴1052年早春-1057年夏


― サンレオナール王都




 ソニアとベンジャミンが長男をルイ=ダニエルと名付けたことについて、ベンジャミンの両親とルイの育ての父親サミュエルは同じような反応を示した。


 ベンジャミンの両親、モルターニュ夫妻はその時点で息子ベンジャミンがポワリエ前侯爵に対して複雑な思いを抱いていることを再確認したようだった。


 サミュエルの方は使用人の立場からは何も言えないようだったが、ルイと夫婦の関係について何か気付いているということはルイ経由で伝わってきていた。




 ポワリエ前侯爵の反応の方があまりにも分かり易かった。待望の跡継ぎの名前がルイ=ダニエルと聞いた途端に目を白黒させて動揺していたのである。体が弱っている為か、付き添っている看護師の方が動揺していた。まるで心臓発作でも起こしそうな勢いだった。


「養父上、私達はこの名前がとても気に入ったから付けたまでですよ」


 ベンジャミンはしれっとそう言い切ったのである。ソニアは何も発言しなかった。




 ルイ=ダニエルが生まれて一か月もすると、王都にも遅い春の訪れがやって来た。彼は中々手のかかる子供だった。周りがそう言っているだけで、ソニアは赤ん坊とは皆こんなものだと思っていた。彼女にとっては第一子なので他に比べようがなかったのである。


 乳母も侍女も居る侯爵夫人のソニアだったが、日中はなるべく赤ん坊の面倒を見るようにしていた。ソニアが仕事に復帰するのはまだ数か月先である。


 そんなある日、ナタニエルから連絡が来た。婚約者エマニュエルを是非とも紹介したいとのことだった。春のうららかな日の当たる居間でルイ=ダニエルを抱っこしていたソニアにルイが来客を迎え入れている声が聞こえてきた。


「ようこそいらっしゃいました。主人のポワリエ侯爵は生憎留守で夫人だけですが、こちらの居間へどうぞ」


 ナタニエルとエマニュエルが到着したようである。


「ソニアさん、こちらが僕の婚約者、エマニュエル・テリオーです。あ、立たなくてもよろしいですよ」


 ナタニエルの婚約者は見事な赤髪の可愛らしい女性だった。数年越しの恋がやっと実った恋人たちはソニアの目にとても微笑ましく映った。


「まあ、いらっしゃいませ。お言葉に甘えて座ったままで失礼致します。お二人とも、ご婚約おめでとうございます」


「お邪魔します。もしかして、貴女さまは……」


「うん。魔術院の後輩でソニア・ポワリエ侯爵夫人とそのお子さんだよ。先月生まれたばかりだ」


「まあ、本当に……まるで天使のように可愛らしいですわ」


 ルイ=ダニエルはソニアの腕の中ですやすやと眠っている。


「私はまだ就職して二年目で、南部遠征という任務に張り切っていたところに妊娠が分かったのです。悩みましたけれど我が子の安全には代えられませんでした。そのお陰でナタニエルさまがエマニュエルさんという生涯の伴侶を得られたのですよね。ダニエルは無事に元気に生まれてきましたし」


「ね、エマ。ガストンよりもダニエル君の方が僕達のキューピッドと呼ぶに相応しいでしょ?」


「ええ、本当ね。うふふ」


 二人は学生時代の付き合いから、ガストンという当時のガキ大将のこと、彼が出会いの理由であり、しかも別れも再会も彼のせいというかお陰だったということをかいつまんでソニアに聞かせてくれた。


 ナタニエルがそのガストンという、いかつい友人のことをキューピッドと言うものだから可笑しくて笑い出したソニアだった。そうしたらダニエルが起きて泣き出してしまう。


 二人は婚約も成立し、挙式はこの秋にするらしい。幸せそうな婚約者二人を見ていると、本当に人と人との出会いは何が切っ掛けになるか分からないものだとつくづくソニアは思った。


 ソニアとルイだってもし彼女がマダム・ラフラムの仮面舞踏会に行かなければ出会っていなかったのである。ソニアとベンジャミンは職場が同じで知り合いだったが、ルイを通じていなければ偽装結婚する仲にはとてもならなかっただろう。




 ポワリエ侯爵夫妻はルイ=ダニエルの誕生の二年後、長女アレクサンドラにも恵まれた。


「この子はアレクサンドラよ、アレックスと呼びましょうね」


 その時点でもうポワリエ前侯爵はベンジャミンの意図を完全に理解できたようだった。前侯爵は昔手を付けた侍女ダニエルが屋敷を追い出される前に残した言葉を決して忘れることが出来なかったのだろう。


『お腹の子が男の子だったらルイ、女の子だったらアレクサンドラと名付けます。神に誓ってこの子はポワリエ侯爵、貴方のお子です』


「貴方の実の父親は丸っきり涙情けのない人間でもないようね、ルイ。良心の呵責にさいなまれているみたいよ」


「そのようですね。しかし私は何だかもうどうでもいいような気がしてきました。貴女との間に素晴らしい子供たちが出来て、彼らがポワリエ家の将来を担っていくのです。それで私は十分幸せ者ですよ」




 それから数年経ったある日のことだった。何とポワリエ前侯爵が養子であるベンジャミンとソニアだけでなく生涯認知をしなかったルイも一緒に屋敷に呼んだのだった。


「今更何を、とお前たちは言うかもしれない……悪かった。妻が亡くなってすぐに、ルイを呼ぶべきだったのに……貴族としての矜持がそれの邪魔をした。それでも死ぬ前に後悔したくなかった」


 ポワリエ前侯爵は自らの死期を悟ったようだった。


「伯母様は長年気の病を負っておられたのですよね」


「ああ。しかし、それは何の言い訳にもならんだろう。ダニエルに、一言謝ってお礼を言いたかった。申し訳なかった、素晴らしい息子を育ててくれたと。もうそれも叶わないな。私は死後、天国には行けないだろうからな……」


「母の墓前で……そう伝えます」


「ああ。サミュエルにも同じことを伝えてくれ……これで少し気が楽になった、安心して地獄に落ちることが出来る」


 帰りの馬車では三人ともほとんど無言だった。


「悲しいわね」


「はい……」




 その数日後、ポワリエ前侯爵は静かに息を引き取った。そして彼の遺言書が公開されたのだが、それは驚きの内容だった。


 ポワリエ侯爵領の全ては養子のベンジャミン、ソニア・ポワリエ侯爵夫妻に、王都の屋敷と土地はルイ・ロベルジュ、そして金貨五百枚がサミュエル・ロベルジュに遺されたのである。それから前侯爵の実の妹、ベンジャミンの母親にもいくばくかの債券が譲られていた。




 ルイは譲られた屋敷の修理改築をし、売却することに決めた。


「こんなボロ屋敷を遺されても私にどうしろと……修理して売れる状態に持っていける前に私の全財産が底をつくではないですか……」


 ルイはソニアとベンジャミンにそうこぼしていたが、彼は彼なりに長年の確執に気持ちのけりがついたのだろう。


 ルイの育ての父親サミュエルは贅沢をしなければ残りの人生を生きていける貯金が出来た。彼は少し早めにモルターニュ家を退職し、王都の小さな一軒屋で静かに老後を過ごすことに決めたようだった。




***ひとこと***

前作「愛の炎」でのナタニエルがエマをソニアに紹介する場面でした。ネタバレを避けるために前作ではベンジャミンがソニアの旦那さまだということを伏せておりました。しかし、ルイはちゃっかりと二人を屋敷に出迎えるために出演しておりました。


さて、三角関係の元々の原因だった老ポワリエ前侯爵が亡くなりました。主人公三人も心新たに生きていけることでしょう。

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