第十五話 予期せぬ見舞客
「まあ、貴方がここへ来て下さるなんて……王都に戻られてその足でこちらへ?」
病室前に立つベンジャミンは何と旅装のままで、髭も伸び放題である。王都を出てから一度も剃っていないのだろう。休暇中羽をゆっくり伸ばしてきたというよりも、旅の疲れが溜まっているように見えた。
「先程着いたばかりだから。ルイからの文で御母上のことを知って、用事を急いで済ませて帰ってきた」
彼の手には菓子の包みらしき箱があった。ソニアは病室から出て後ろ手に扉をそっと閉める。会話の内容によっては母親には絶対に聞かれたくない。
「お帰りなさい、モルターニュさん。お疲れでしょう、わざわざお見舞いありがとうございます」
「御母上の具合は?」
「一週間前にこちらに運び込まれた時はどうなることやら、と思いましたが……今はもう安定してきて回復に向かっています」
「そう、良かった……」
「ソニア、どなたなの?」
病室から母親の声がした。
「失礼しますモルターニュさん、少々お待ち下さい」
ソニアは部屋に入り、母親に見舞客のことを告げた。
「お母さま、職場の……先輩がお見舞いに来て下さったのです」
「まあ、入っていただきなさい。何ですか貴女は、お客さまを廊下に立たせっぱなしだなんて失礼な」
病気の母親が病室で横になっている姿を他人に見られたくないのかもしれないとソニアは考慮していたのだった。
ベンジャミンのことを職場の先輩とだけ言ったソニアだったが、彼が男性であることは声で母親に分かってしまっているかもしれない。
今までカトリーヌ以外、ソニアの知り合いがお見舞いに来ることなどなかったのを母親はどう捉えただろうか。
「お母さまがよろしいのでしたら、入っていただきましょうか」
そこでソニアはベンジャミンを部屋に迎え入れた。
「モルターニュさん、申し訳ありませんでした。あの、母が入ってくださいと申しておりますのでよろしかったら……」
「もちろん。ご挨拶させてもらうよ」
ベンジャミンは自らソニアの母親に自己紹介していた。
「ベンジャミン・モルターニュと申します。ソニアさんと同じ魔術院勤務です。実は数日間王都を離れておりまして、こんな格好で失礼いたします。ソニアさんにはいつもお世話になっております」
「まあまあ、お疲れのところわざわざありがとうございます。お世話になっているのは新人のソニアの方でしょうに……」
母親は体を起こそうとしているが、ベンに止められている。
「御母上、無理をなさらないで下さい。急に押し掛けてきたのは私の方ですので」
伯爵夫人と呼べばいいものを、ベンジャミンが御母上などと呼ぶのでソニアはギクッとした。
「いいえ、大丈夫です。ずっと横になっているのも良くないから時々は体も起こさないといけないとお医者さまにも言われているのです」
「少しずつ回復されているとソニアさんから聞きました。旅先で連絡を受けた時には心が痛みました。ソニアさんもお一人で心細かったことでしょう。私に出来ることはあまりありませんでしたが、文を送るよりも自分がなるべく早く王都に戻らないと、と居ても立ってもいられませんでした」
たかが職場の後輩に対してここまで心配するのも不自然ではないか、とソニアは気が気ではなかった。母親が妙な誤解をするのだけは避けたかった。
「ソニアはまだ就職したばかりで、魔術師としても半人前で、職場の皆さんにご迷惑をお掛けしているのではないかといつも心配しているのですよ。この子は何を聞いても皆さん親切にしてくれる、としか言わないものですから」
母親の笑顔から、ソニアは絶対に自分とベンジャミンの仲を疑われていると確信した。
「ソニアさんは努力家でいらっしゃいますから、職場でも皆彼女の勤務態度や姿勢を買っているのですよ。実は私、
ソニアは頭を抱えたくなった。入室させる前に口止めしておくべきだったのだが、もう遅すぎた。
「あら、まあ……ソニア、何をしているの貴女は! モルターニュさんのような素敵な殿方に望まれているというのに、大体貴女は選り好み出来る立場でもないでしょう?」
母親は
「でもお母さま、モルターニュさんみたいに立派なお方が私と、だなんてまだ信じられないのです。私が相手では彼に貴族社会で恥をかかせるのではないかと思うとどうしても尻込みしてしまいます」
「ソニア……」
母親もモルターニュ姓と聞いてベンジャミンのことは少なからず知っているようである。ベンジャミンは王宮魔術師であり、モルターニュ家の財産に、次期ポワリエ侯爵の肩書はソニアの過去を考えると分不相応なのは明らかだった。
「ソニアさんにハイと言っていただけるまで、私は諦めませんよ。彼女が就職されて以来ずっと先輩として見守ってきたのです。彼女が熱心に仕事に取り組む姿とか、真摯な態度、誠実さ、もちろんその正直なところも、可愛らしい容貌も全てが好きなのです。少し私の方が強引すぎて彼女にひかれてしまったかな、と……」
よくもそう口から出まかせを言えるものだ、とソニアはベンジャミンの言葉に眉をしかめた。
「まあ、ソニアはそこまでモルターニュさんに想われて……果報者ですわ」
「交際申し込みの返事の如何にかかわらず、ベンと呼んで下さいとお願いしているのに、未だにモルターニュさんとしか言ってくれないのです。職場ではけじめをつけないといけないから、と。ソニアさんのそんな職業意識の高いところも好きなのですけれど、彼女に恋をする一人の男としては何とも寂しいのです」
あることないことをつらつらと述べるベンジャミンに対してソニアは開いた口が塞がらなかった。口達者な彼に母親はうっとりとした視線を向けている。
「この子が貴方さまのような素晴らしい方に見染められるとは……私も母親としてしっかりしなければいけませんわね。ソニア、良かったわね」
ベンジャミンの熱弁は意外にも、病に倒れて塞いでいた母親の気分を上昇させたようである。ソニアもそこまでは考えていなかった。
「あまりお邪魔をしてもお疲れになるでしょうから、私はそろそろ失礼致します。御母上、またお見舞いに来てもよろしいでしょうか? ソニアさんは中々話してくれない彼女の子供時代のお話なども是非お聞きしたいのです」
「モルターニュさんの方こそお疲れでしょうに、今日はどうもありがとうございました。それから珍しいお菓子も」
「いいえ。ほんのささやかなものです。ソニアさんにも旅の土産は色々あるのですよ」
そしてベンジャミンは立ち上がってソニアの母親に深く頭を下げ、病室を後にした。
***ひとこと***
ソニアにとっては予期せぬ見舞客でしたが、読者の皆様には予想通りでした。
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