第三十四話 親としての自覚


 ソニアはそれからも悪阻つわりで苦しんでいた。


 二週間の遠征と休暇を終えてナタニエルが職場に戻ってきた時に、彼はテリオー領からの土産物の葡萄酒と綿の組紐をソニアに持ってきてくれた。


 なんでもナタニエルは昔別れた恋人エマニュエルとよりを戻し、彼女をそのまま王都に連れ帰ってきたらしい。


「ソニアさんのお陰もあって、彼女に再会できたよ。あ、彼女の名前はエマニュエルっていうのだけれどね、きちんと話し合って昔のわだかまりはもうなくなった。婚約もすぐ成立する予定なんだ」


 ナタニエルは大層浮かれている。


「えっ、もうそんなに話が進んでいるのですか?」


「だって、六年間もエマを放っておいたのだから、一刻も早く結婚したいもん」


「とにかく、良かったですわ。それを聞いて安心しました。先に王都に戻ってきていたアナさまからは仕事に関する報告しか聞きませんでしたから」


「ごめんね、ソニアさん。ちょっと痩せた? 何だかやつれていない?」


「ナタニエルさまが私に謝る必要はありませんわ。少し体調を崩してしまっただけなのです。けれどもう大丈夫です」




 ソニアはまだ妊娠を両親にも告げていなかった。もう少しして安定期に入るまでは誰にも報告したくなかったのである。


 この子はナタニエルとエマニュエルを結びつけるのに一役買ったでしょう、と彼らに言えるようになる日が待ち遠しかった。


 お互い結婚した後も時々は昼食を一緒にとるカトリーヌにもまだ言えずにいたが、ソニアの妊娠にカトリーヌはうすうす気付いているようだった。特に先日カトリーヌとティエリーの新居に招かれた時、夕食の席でソニアは一滴も酒を飲まなかったのでカトリーヌは確信していた。


 しかしソニアがまだ何も言わないので彼女もその話題には触れなかった。




 ずっと続くように思われた辛い悪阻の日々もそのうち終わり、医師にも胎児の心音がしっかり聞こえると診断された。今まで何もやる気になれなかったソニアは急に目の前の霧が晴れたように元気になったのである。


 食欲も何もかもが元に戻ると同時に少しずつお腹も膨らみ始めた。ベンジャミンもルイも感情的に不安定になるソニアを根気よく支えてくれている。


「私、あまり貴方たち二人に甘やかされると駄目になってしまいそうよ」


「ソニアが出産するまで少しの辛抱だよな、この我儘奥様にしいたげられる日々も」


「何なのよ、ベン」


「私は出産後も変わらずソニアに尽くしますよ」


「ええ、ルイ。愛しているわ」




 安定期に入ると、双方の両親とポワリエ前侯爵にも妊娠を報告した。皆が手放しで喜んでくれた。ソニアは罪悪感にさいなまれるかと思っていたが、意外と開き直っている自分に驚いていた。


「ベンはどう思う? 自分の子でもないのに、父親面することについて」


「別に。抵抗があったら最初から結婚なんてしていないよ。俺は養子でも取らない限り一生親にはなれないと思っていたからね。それについては奥様とその恋人に感謝してもしきれない」


「それを聞いて安心したわ」


「出産まではあまり余計なことは考えるなよ、ソニア」


「いえ。私も案外度胸が座っているみたいよ。だってこの子は正当にポワリエ家の血筋を引いているのよ」


「時々君の前向きな考え方には感心させられるよ。俺は父親として一生懸命頑張るからね」


「ルイは? 自分の血を引いた子供なのに貴方には何の権利も発生しないのよ」


「私は我が子の成長を側で見守ることが出来るだけで十分です」


「本当の父親と名乗れなくてもいいのか?」


「……」


「ルイ、この子には本当の親が誰か知る権利があるわよ」


「うん。君にも自分が親だと知らせる権利があるしね」


「それはそうですが……」


「私たち、遺産の分配については契約書にしたためたけれど、子供の養育やルイとの関係についてはあまり何も話し合っていなかったわね。確かに、子供がすぐにできるという保証もなかったからなのだけど」


「ティエリーを呼んで正式に決めようか」


「ええ。子供の教育についての権利と義務をきちんと決めましょう」


「私はポワリエ侯爵家の執事として若様もしくはお嬢様の躾に関してはこれ以上なく厳しく致しますよ」


「だからそれでは駄目なのよ、ルイ。貴方はいつまでたっても子供にとって鬼執事のままじゃないの?」


「鬼執事は失礼だろ、ソニア」




 そしてカトリーヌとティエリー夫婦がポワリエ家に呼ばれた。夕食に招待という名目だったが、ティエリーは自分がどうして呼ばれたか既に察していたようである。


「甲乙丙三名様の為に筆と紙を用意して来ましたよ」


 彼は挨拶もそこそこに憮然と言い放った。


「ティエリーったらもう……失礼をお許しくださいね、ベンジャミンさん」


「いつものことですよ、カトリーヌさん。それにしても流石ティエリー君は用意周到だね。まあとりあえず食事が先だよ。葡萄酒は赤と白どっちが良いかな?」


「酒を入れるのですか? そうですね、この後の話し合いが泥沼展開にならないとも限りませんからね。酒が入った方がやり易いですね」


 もう夫をたしなめることは諦めたのか、カトリーヌは大きくため息をついている。




 夫婦二組は食卓についた。ソニアはカトリーヌが妊娠に気付いていることは分かっていた。特に今夜のドレスは胸のすぐ下に切り替えがあるもので、少しふっくらしてきたお腹を隠しているのである。


「カトリーヌさんも葡萄酒を飲まれますか?」


「はい。では赤葡萄酒を少しいただきます」


「ソニアはお茶だよね」


 食事が始まってからすぐにソニアは妊娠の報告をした。


「まあ、おめでとう、ソニア! 良かったわね。遠征に行くことを止めた時は詳しく話してくれなかったけれど、もしかしたらそうかなって思っていたのよ」


「ありがとう、カトリーヌ。やっと報告出来て嬉しいわ。遠征に行く直前に気付いたのよ」


「おめでとうございます、ソニアさん。えっと、その……」


 ソニアは給仕係が居ないのを確かめてからティエリーに告げた。


「ええ、ティエリーさん、この子はもちろん甲ではなくて丙の子供よ」


「……分かっていたことですが……食事の後は強い蒸留酒をいただきたいですね」


「今日貴方たち二人をお呼びしたのは私たちの子供に対して、例の契約書に追記をしていただきたいからなのです」


「私は親友としてソニアの選択を尊重していますから、協力は惜しみませんわ」


 夕食後は客間に場所を移動し、ルイも呼んで話し合いをした。子供に対しての権利は三人の関係が続いている間は三人同等とし、子供に本当の父親が誰か告げる時期はその子の成長にも合わせて決めることにした。


「要するに三人の意見が合わなかったり、何か揉め事があったりする度に私が仲介に入らないといけないってことではないですか」


「まあそうとも言える」


「勘弁して下さいよ」


「今のところ関係はすこぶる良好ですわ。私もこんなに上手くいくとは思ってもみなかったのです。結婚して本当に良かったです」


「ソニアがそれで幸せなら私は何も言うことはありません。体を大事にしてね、ソニア」


「ありがとう、カトリーヌ」




***ひとこと***

ティエリーさんもブツブツ文句を言いながらも協力してくれていますね。

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