第45話 おしまい

 〜3年後〜


 月日はゆっくりと……でいてとても早く時間は過ぎ、ココアは14歳、中学校2年生となっていた。


 今日も力強い日の光が窓をすり抜け、ココアの部屋に朝の色を落としている。

 ココアは顎のあたりで切り揃えられた髪を撫でつけながら鏡の中の少し焼けてきた自分の顔を見ていた。

 しばらく、髪を伸ばしていたのだが、プールの授業も始まり、髪を乾かすのが面倒で切ってしまったのだ。

 慣れない短さに違和感を覚えつつも、鏡に移るシルエットは誰かを連想させた。

(これじゃあ、リサの隣に並んだら、まったく同じ髪型じゃない)

 ココアは腕に通していた、毛糸で作られた水色の花が咲く髪飾りを見つめると、ササッと上の髪だけを掬い、髪飾りを使ってハーフアップに結んだ。

 ココアは鏡の前で「よし!」と小さく微笑むと、テニスバッグの隣に置いていたピンクベージュ色の丸っこいキーホルダーが付いた学校指定の鞄を背負い部屋を出た。


 玄関でココアは黒いローファーに足を通すと、お母さんが台所のほうから見送りにひょこっと出て来る。

「ココア、部活ある日よね?」

「今日はなくなったの」

「あらそうなの?」

「顧問の先生が、研修?わかんないけど、勉強するんだって」

「そうなの」

 お母さんはあまり興味なく呟くと、先を続けた。

「じゃあ、今日は早く帰ってくるのね」

「わからない。リサと奈々ちゃんと遊ぶかも」

「もう!たまには、家でゆっくりした方がいいんじゃない?」

「お母さんが心配するのもわかるけど、もう治ったんだし」

「それはそうだけど……」

 不服そうな顔をするお母さんの顔を見ながら、これは早く家を出た方がいいと確信を持ち「じゃあ、行ってきます」と玄関のドアを閉めた。

「もう。心配症なんだから」

 ココアは気持ちを切り替え、空を見上げると、少し前まで降っていた雨が綺麗に上がっていた。傘は必要なしと決め、まだ、水が残る玄関アプローチを歩くと、家の前で微かに動く二人の後ろ姿に向かって「おはよう」と声を掛ける。セーラー服の姿の2人がココアの声で振り向く。

「ごめんね!待った?」

「ううん。大丈夫だよ。おはよう、ココアちゃん」

「おはよう」

 2人はそれぞれ、挨拶を口にすると1人はニッコリと笑い、もう1人は口角だけを上げたが、しばらくすると2人とも少し驚いた表情を見せた。

「ココアちゃん!髪を切ったんだね?」

 奈々は自分の長い髪を指しながら、ココアに聞く。

 彼女は数年で身長もグーンと伸び、それに合わせて、伸ばした髪でココアと同じ時を生きているのかと思うくらいとても大人っぽくなっていた。

「うん。まだ、違和感があって」

「そんなことないよ。可愛いよ!」

 ココアはその言葉に、はにかみながら答える。

「なんか……、私っぽい」とリサが奈々の隣で少し意地悪そうに言った。

 ココアは明後日の方向に目を向けながら、「そうかな……」と言うと、リサは慣れた様子で「ふっ」と笑い、学校に向かって歩き出す。

 その後をココアと奈々が追い掛けた。


 3人は学域内の中学校に進んだ。小学校でも6年生になる頃には次第に自然と3人で集まる事が多くなり、中学校に入学する頃には一緒にいる事が当たり前のようになっていた。3人はそれぞれ、口にすることはないが同じ何かを共有していることを感じ取っていた。

 ある日、3人で話をしていた時、リサが「覚えてはないんだけどさ、一緒にいると心が懐かしさを感じる」と言った言葉が今でもココアの頭の中でふとした瞬間に繰り返していた。


 帰りは別々だが、朝はこうして3人で登校をする。

 中学校は小学校との距離とは違い大分遠くなった。

 その分、学校に着くまでの間は3人で楽しく話をできるのが、ココアはとても嬉しかった。

 話す内容はその時々で違うがもっぱら、学校での出来事か奈々が一年前に飼い始めた猫、『とうふ』の話、もしくはリサが最近読んだ本の話がほとんどだ。

 でも、最近はそう、今丁度ココア達と通り過ぎたサラリーマンの男を気に掛けていた。

「今の……そうだよね?」

 口を開いたのはリサが最初だった。

「うん。嬉しそうだった」

 奈々はそう答えると、3人同時にサラリーマンの後ろ姿を見送る。

 あのサラリーマンは数ヶ月前から大分落ち込んでいたのが目に見えてわかった。

 背中は折れ曲り、前を見ないからか、電柱によく頭をぶつけていた。それが今日はピンと背筋をまっすぐに伸ばし、鼻歌をふんふんと歌いながら歩いていったのだ。

 リサと奈々は「ブラック企業勤めかな?」と呟いていたが、ココアは理由を知っていた。

 奥さんが出産のため里帰りをしてしまって、朝の見送りがパタっとなくなっていまったのだ。

 そして、最近その奥さんが帰ってきたということも。


 というのも、お母さんが夕飯の時に「近所の志村さんのおうち、奥さんが出産のために里帰りして、旦那さん新居の家に1人らしいわよ。近所づき合いもしてくれていた奥さんだから、大変ね」と話していたからだった。ココアとお父さんは「ふ〜ん」と聞いていたが、2人して思っていたのは年々、自分のお母さん、ココアのおばあちゃんに似てきているなという事だった。


 ココア達はまた歩き出すと、少し歩いたところにブラウンに染めた髪を後ろでゆるく結び、ピンクのエプロンをつけ、腕の中にはおくるみに包まれた、赤ちゃんを優しく抱いている女性が新しい外観の家の前に立っていた。

 ココアはどうしようかとも思ったが、「ごめん。先に行ってて」と2人に声を掛けるとパタパタとその女性の方に向かって近付いた。

 リサと奈々は何事かとお互いに顔を合わせたが、なんだかんだで、ココアの後に付いた。

「志村さん!」

 ココアが声を掛けると、数秒で自分の名前が呼ばれたことに気付き、ハッと顔を上げた。

「あぁ!えっと!新道さんの家の……」

「ココアです」

「そうだった。ごめんなさい。まだ覚えられてなくって……」

「全然です。おかえりなさい。赤ちゃん生まれたんですね。おめでとうございます」

「ありがとう」

「顔を見せてもらってもいいですか?」

「えぇ」

 志村さんは顔が見えるようにと赤ちゃんのおくるみを少し広げるとココアに「見える?」と言って、赤ちゃんを少しだけ傾けた。

 リサも奈々も「私も」と言って、ココアを囲むように覗きこむ。

 リサが「名前は?」と聞いたところでココアの中の時が止まった。

 目の前には白い柔らかい布の中にそれ以上にフワフワな赤ちゃんがスヤスヤと寝ている。風になびく薄い毛は一緒に歌っているようだ。優しく握られた手の中には何が詰まっているのだろうか。まるで天使の贈り物だ。

 そして、ココアの口からは一つの言葉が溢れた。


「おかえりなさい」と。



 志村さんもリサも奈々も一瞬固まったが、リサの「また、何を言っているの?」と言う声でココアの意識は元に戻された。

「ごめんなさい」

 慌てて、志村さんに謝ると、優しく「いいのよ〜」と答えてくれる。

「あっ!もう遅刻しちゃうよ!」

 奈々は自分の腕時計をリサとココアに見せると、3人の顔は青ざめる。

「ありがとうございました」とお礼を言い、走り出すココアだが、何か強い力で引っ張られていた。

 振り向くと、先ほどの赤ちゃんがパチっと目を開きココアの学生鞄に付いているキーホルダーを握っている。

(赤ちゃんの力って思っているよりも強いんだな)

「あら、あら、ごめんなさい」

 志村さんが「ダメでしょ」と赤ちゃんの手を解こうとするが中々、力強く離れない。

 ココアは背負っていた学生鞄を体から離すと、キーホルダーの金具を学生鞄から離した。自然とキーホルダーは赤ちゃんの手の中に渡る。

「あげる。大切にしてね」と、赤ちゃんに声を掛けると、志村さんは「でも……」と渋った。

 キーホルダーを手にした赤ちゃんはキャッキャッと嬉しそうだ。

「私はこのキーホルダーを気に入ってくれたことが嬉しいんです。では」

 ココアは志村さんにペコっと頭を下げると「早く〜」と急かすリサと奈々の元に向かって走り出した。

「ココアちゃん、よかったの?大切にしていたじゃない。あの、うさぎさんのキーホルダー」

「うん!あの子の所にあるほうが、なんか変なんだけど、元あるべき場所に戻ったというか、綺麗に思えたから」

「そっか」

「うん」


 ココアとリサと奈々は走り出す。

 足音がリズム良く鳴っていく。


 これから、もし別の世界を見ることがあったら、それは不思議に満ちた、小さな住人達が暮らす希望にあふれる世界かもしれない。

 でも、ここはココアが暮らす人間の世界。


 3人の頭上には7色の虹が鮮やかに、美しく掛かっていた。




『ワンダーラビリットココア』おしまい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ワンダーラビリットココア ちょこ @chocolate1225

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ