第36話 水のカラットとココア☆

 ココアはどのくらい歩き周っただろうか。

 時間のわからないこの場所ではどれだけ時が経ったのか、わからない。

 鏡が埋め尽くす、この迷路の中で今自分はどこを歩いているのか、それとも、同じところを歩いているのか、先に進んでいるのか、そんな感覚はすでになくなっていた。

 しばらく歩くと、ココアは水溜まりを踏んだ。飛んだ雫がココアのふくらはぎを濡らし、ココアはそれを気にするでもなく、目の前の鏡を見た。ここで行き止まりだ。

 覗き込むと闇を孕んだ鏡の中ではしとしとと雨が降っている。

 ココアは静かに鏡に触れた。

 変わらず、ひんやりとした感触だ。

(ここだけ……、この鏡だけ、雨が降っている)

 しばらく、その前で足を止めていたココアだが、何も起こる気配がない。

 引き返そう、そう思った時だった。

 ココアは再び、その前の鏡を対峙した。

 何かを思い出すようにココアは一つの言葉を絞り出した。

「……水……」

 すると、目の前の鏡は白い文字を浮かび上がらせた。

 自分の持っていた記憶通りの展開にココアは息を呑む。

『あなたにとって水のカラットとは……?』

(私にとっての水のカラット……?一年前は何て答えたんだっけ……? ううん。一年前を考えてちゃダメだ……)

 ココアはこれまでの記憶を辿る。

(水のカラット……、水のカラット……。一年前の水のカラットは先生達が大変だったな。学校の蛇口の水が止まらなくなっちゃって……。で、〝ぴぴ〟が見つけてくれたんだよね。カラットを回収するにもカラスの巣にあって……。あの後の掃除大変だったなぁ。後から聞いた話だと〝ぴぴ〟とカラスは闘ってたって……)

「ふふっ」

 ココアは溢れた笑いに口元を抑える。

(ダメ、ダメ!集中しないと……。私にとっての水のカラット……)

 ココアは目を閉じる。

(水は多いと大変……でも、なくてはならないもので……。でも単純になくてはならないものじゃない。喉が乾いたら水は必要。でも、何かを思い立った時に海を見て心を浄化する人達もいるわけで……。受け入れたり、受け止めてくれたりする。そう、水は変幻自在にその姿をその時によって変えるんだ。私にとって……)

「水のカラットは冷たいようでいて、包み込んでくれるような暖かいもの……かな……」

 目の前の鏡には今のところ、変化はない。

 ココアはゴクリと唾を飲み込む。

 しばらくすると、鏡の中に降っていた雨は少しずつ、上がっていき、黒い鏡は普通の鏡へとその姿を変えた。

 ココアは「ふぅ」と安堵の溜息を付くと、鏡の中へと歩みを進めた。



 今までの徐々に思い出してきた記憶とは違い。

 無理やりに押し込めるようにココアの頭に映像が流れる。それは自分の記憶ではなかった。


 薄暗い中で誰かが話している。部屋の中にいるようだが、ハッキリとはわからない。

「あの少女、ココアと言ったかな? あの少女はさっさと、自分の願いを叶えていったのに、お前はまだ、決まらないのだな……」

「女王様……」

 女王様と答えたその相手はココアのよく知るうさぎのぬいぐるみだ。

「あの少女の願いは1人の将来を大きく変えてしまった。あの少女も他の人間と同じ……自分の欲に忠実だったということだ。初めて来た時に……」

「少年を助けたあの少女に期待していたのだかな」とボソッと呟いた声は〝ぴぴ〟には届かなかったようだ。

「ココアはそんなやつではない!! 自分の周りにいる人が自分と同じくらい大切にできるやつなんじゃ……」

「ほう。それで、お主の願いはどうする? 元々、お主の願いはワンダーラビリットの女王になるということだったじゃないか。 私もこの数百年、女王を務めて飽き飽きしてきたところだ。お主が望むなら、玉座をすぐにでも与えよう」

「ワシは……ワシの願いは……」

「何を迷っている。あの少女の影響か?お主がそこまで決められないとは……まぁ、ゆっくりと考えるといい。私達の寿命は人間より遥かに長いのだから」

「女王様……」

 〝ぴぴ〟の目は遥か遠くを見ていた。

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