第29話 記憶と金曜日とココア☆後編
翌日、ココアは再び公園に向かった。
公園自体はこじんまりとしており、ある遊具は寂しいもので滑り台が1つ、後は細長いベンチ2脚ほどだ。
けれど、ココアはここで本を読んだり、絵を描いたり、時にはシャボン玉を吹くことが好きだった。
公園に着くと、今日は1脚のベンチに2人の先客がいた。
「ココア!今日は誰かおるの?」
「うん、別にいいよ。今日は絵を描こうと思ったから、ここで夏休みの宿題を少しでも終わらせようと思って!」
ココアは〝ぴぴ〟に少し微笑み掛けると、先客があったベンチの真向かいにあるもう一脚のベンチに腰を下ろした。
持ってきたスケッチブックを広げると、「ココア!ココア!」と〝ぴぴ〟の呼び掛けに顔を上げた。
「何?〝ぴぴ〟?」
〝ぴぴ〟が見ている先に視線を向けると、そこには昨日、ここに来る途中に会った夫婦が正面のベンチに座っていた。
昨日の殺伐とした雰囲気とは違い、お爺さんの話にお婆さんはニコニコと笑い、お婆さんの仕草に顔をほころばせるお爺さんの間には和やかな雰囲気が漂っていた。
「あっ!」
ココアのその声に目の前の2人が同時にココアのほうに視線を移す。
ココアは2人の雰囲気を壊してしまったことに気付き、とっさに口を塞ぐ。
「君は昨日のお嬢さんだね?」
「はい……ごめんなさい。邪魔をするつもりはなかったんです……」
「お嬢さんはまだ若いのだから、気にする必要はないよ」
ココアはお爺さんの言葉にぺこりと頭を下げる。
「お嬢さんはここらへんの子ではないのかな?」
「はい!夏休みでおじいちゃんとおばあちゃんの家に遊びに来てるの」
「そうかそうか!ここら辺も少子化なのか、時代が変わってしまったのか、こういう公園で遊ぶ子は少なくなってしまってね。少し寂しかったんだ。よかったら、少し話し相手になってくれないか? いいよね、お婆さん?」
「えぇ、もちろん、いいですよ」
ココアは嬉しい反面、違和感を覚えた。
優しい笑顔でココアに笑い掛けるお婆さんの顔は紛れもなく、昨日ココアにぶつかった、あのお婆さんで間違いなかった。あの時はこの世の絶望に苛まれた、いや、それすらも感じることができないような無表情だったのに、今日は愛らしくコロコロと表情を変え、ココアとの会話もすごく弾んでいた。
お爺さんとお婆さんと話しをするのはとて楽しい。
でも昨日のことがひっかかっていたココアは悩んだ挙句、聞いてみることにした。
「あの、昨日初めて会った時、具合が悪かったの?」
どちらがとは聞かずに……
「あ……あぁ……そうだね……」
お爺さんが言葉を濁したことで、聞いてはいけないことだったのだと、後悔してもそれはもう遅かった。
その場から逃げるようにココアは帰る時間だとお爺さんとお婆さんに告げあの公園を後した。
お婆さんは「また、明日いらっしゃい」と言ってお爺さんも同意をしてくれたのだが、そのお爺さんの顔は何かを隠した子供のような表情だった。
「ただいま〜」
縁側でサンダルを脱ぎ捨て、家に入ると丁度、夕飯の準備に取り掛かっているらしく、温められた醤油の匂いと少し甘ったるい匂いが合わさった香ばしい香りがココアの鼻をくすぐる。
「わぁ!おばあちゃんの煮物!もう、そんな時間なんだ!」
ココアはおじいちゃんのいる居間を早々に台所へと向かう。
台所では、お母さんとおばあちゃんがせっせと体を動かしていた。
「おばあちゃん、お母さん!ただいま!」
「おかえり」
「ココアちゃん、おかえり!」
「私何か手伝うよ!」
「ありがとう!じゃあ、そこの食器棚から、これくらいの小皿とこれくらいの取り皿、とってくれる?」
「うん!」
ココアは台所の真横に取付けられた食器棚から、今しがた、おばあちゃんが手で大きさを教えてくれた皿を探す。
すると、台所で準備をする2人の会話が聞こえてきた。
ココアが聞いていないとでも思ったのだろうか、それとも、子供にはわからないと思ったのだろうか。
おばあちゃんから出た言葉からして、きっと後者なのだろう。
「そういえば、昔よくご挨拶に来てくれた、下川さんって覚えてる?ほらあの、姉さん女房のところの……あそこの奥さん、認知症になっちゃったのよ……旦那さんすごく大変そうでね。私も出来ることなら、人に迷惑を掛けずに死にたいわ。でもね、今日、買い物してたら、下川さんご夫妻にお会いしたのよ。そしたらね、下川の奥さん、人が変わったように元気そうで……、前に会った時は表情がなくなって、挨拶をしても私のことなんて忘れちゃっていたのよ。それが、今日はニコニコと笑っているし、お話もできたりして、込み入ったことは聞けないけれど、何かあったのかしらね〜、ほら、認知症ってたまに思いだすんでしょう?よく知らないけれど。でも懐かしかったわ……前はこんな風にお話してたんだって」
ココアのお母さんは他人の家庭のことを噂話にするなと言いたげに、ふーん、ふーんと聞いている。
でも、ココアは嫌なくらい、その2人の顔が思い浮かび、そして振り払ってもこびりついたように離れない。
時に子供は大人以上に勘が働く、そして大人が思っている以上に広い世界を過ごしていたりする。
(あのお爺さんとお婆さん……。昨日のお婆さんから一変して今日のお婆さんの態度……。ううん……。私が見たのはどっちも一瞬の出来事のようなもの。私の知らない一面があっても不思議じゃないもん)
「ココア、何を考えているのじゃ?」
「えっ?」
ココアは我に返り、考え込んでいた顔を上げる。
ココアは何んでもないよと〝ぴぴ〟に微笑み掛けると、手伝いの準備に戻った。
「ココア、何か引っかかっているんじゃないか?」
ココアより先に一番に入ったお風呂の中で〝ぴぴ〟が尋ねた。〝ぴぴ〟は器用にその小さな体を湯船に浮かべている。
ココアも次いで白い煙がふわふわと上がる、湯船に入ると、ぽちゃんとぽちゃんと、小さな揺れを作りながら、ココアを向かい入れてくれる。
「うん……」
「どうしたんじゃ?」
「今日、おばあちゃんが話していたの聞いた?近所の認知症の人の話……」
「聞いてなかったじゃ……。そもそも認知症とはなんじゃ?」
「私も上手くは説明できないし、そこまでよくは知らないんだけど……どんどん忘れていっちゃうんだよ。私達なら、忘れても頑張れば思い出せることがほとんどだし、ふとした瞬間に思い出すでしょ。でも、忘れたら忘れたままになっちゃうことがほとんどみたい。進行していくと、今の自分の年齢だったり、家族のことだったり、自分のことを忘れちゃったりするの。家族も本人もとても、とーっても、私達には想像できないくらい、悲しくて辛いことなの」
「ワンダーラビリットには……ないのじゃ。多分」
「それがないことでも幸せなのかもしれないね。でもいずれ、私もなるかもしれない。この世界に生きている人はね、将来、認知症になるかもしれないという恐怖を感じながら暮らしている人がほとんどだと思う。ならないかもしれないし、なるかもしれない。誰だって、大切な人や物、思い出も忘れてさよならはしたくないでしょ……」
「……そうじゃな」
〝ぴぴ〟はココアから目を逸らす。
「今日、お話したお爺さんとお婆さんといるでしょ? もしかしたら、お婆さんが認知症かもしれない……」
「何を言っているんじゃ!ココア、今のココアの話からすれば、忘れてしまうんじゃろう?お婆さんはお爺さんのことを忘れてはなかったし、それに過去の話もしてくれたではないか!自分の娘と息子は都会に出て働いていて、娘さんのほうは一昨年、子供を生んで、また1人、孫が出来たって、喜んでおったじゃろう。それに編み物が好きで、明日はココアに髪飾りをプレゼントするって言っておったじゃないか!」
「ううん。今日の話をしているんじゃないの。昨日あのお婆さんとぶつかったの覚えてる? お爺さんは必死にお婆さんの後を追いかけていた。お婆さんがね……認知症かもしれないって仮定しちゃうと、説明ついちゃうの」
「なんでじゃ?」
「ウロウロしちゃうことがあるみたいなんだって。いろんな理由だったり原因があるみたいだけど、そしたら、お爺さんが必死で追いかけていたのもわかる気がするの。それも走りにくいサンダルで……」
「でも、それだけで決めつけるのは……」
「じゃあ、〝ぴぴ〟、なんで、お盆のこの時期にあの2人は公園に居たのかな? 一昨年生まれたばかりのお孫さんだったら、家に顔を見せに帰ってきてたりするんじゃない?」
「それは別にお盆だから帰る家ばかりではないと思うのじゃ……」
「それはそうだね……。でも、昨日の今日でお婆さんの様子は変わっている気がする……。だから私は明日聞いてみたいと思ってるんだ。最近変わった玉もしくは水晶みたいのを拾ったり、見たりしなかったですかって……」
「……ココアは、カラットが原因かと考えているんじゃな?」
「うん……、私の周りで起こる不思議な出来事はカラットでしか説明が出来ない……。でも、どうか、私の憶測が外れて欲しいなとも思ってる。あの2人に何を言っているんだって、笑い飛ばして欲しい。。だって、本当にカラットだったら……私がカラットを浄化しても誰も幸せにならない……」
湯船が1つ2つと水紋を作る。
「ココア、泣くにはまだ早いのじゃ。きっと、ココアの憶測が外れるのじゃ。2人に笑い飛ばしてもらうのじゃ。じゃから、明日カラットを見なかったか聞いてみるのじゃ。きっと、大丈夫じゃ!あの夫婦はこれからも笑って、幸せに暮らしていくのじゃ」
「うん……。そうだね……それに〝ぴぴ〟私泣いてないよ!これは汗だよ!汗! ……少しのぼせちゃった」
〝ぴぴ〟は湯船から上がる、ココアの背中を見つめた。
「ココア……」
次の日、ココアは再び小さな公園へと足を運んだ。
昨日仲良くなった2人の友人にある事を確かめるために。
「あっ!ココアちゃん!おはよう」
お婆さんがココアに気付き、手を振る。お爺さんも一緒に手を振っている。
「おはよう……ございます」
「おはよう」
「あの……」
「どうしたの、ココアちゃん!昨日より顔がスッキリしてないわ……」
「大丈夫だよ」
ココアは緊張と不安で笑おうと思っても顔がひくつき上手く笑えない。それを隠すことはできなかったようだ。
「あっ!ココアちゃん、昨日言っていた髪飾り、作ってきたの。久しぶりすぎて、少し時間かかっちゃったけど、納得ができる出来になったわ。はい!」
お婆さんはそれをココアに手渡す。
それを受け取ったココアは手の中のそれを見る。
「わぁ……」
「ココアちゃん、可愛い三つ編みだから2つ作ったの」
小さい花が2つ手の中で生きていた。
綺麗に編まれた毛糸で花びらが一枚一枚丁寧に作られている。
ゴムの部分はただ輪っかにしただけではなくって、ビーズが1つ通されていた。
ビーズは陽の光を受けキラキラと輝いている。
そして、花もビーズもーーー
「水色だ……」
「うん。ココアちゃん、今つけている、髪のゴムも昨日のお洋服も水色だったから、好きなのかと思って」
「お婆さん、ありがとう。大切にする」
「すごいもんだろう? この婆さんは特技がこれしかないんだ!」
「まぁ、今まで、家事全般をやってきた妻に対して言う言葉ですか!?もう!」
その瞬間、ココアの後押しをするように、はたまた、ココアの次の言葉を押し留めようとしていたのか、公園を通りすぎた風は近くの木と草花の声を誘うように音を立ててを揺らす。
「あのぉ……、最近何か見たりしなかったですか? このくらいの玉みたいのとか……」
ココアは手で形を作ろとして、その動揺を見てしまった。隠そうとしても隠しきれていないお爺さんの狼狽えた様子を……
「あっ……」
次の言葉が出てこない。ココアは聞くことしか考えてなかった。
しかし、それを助けてくれたのは、誰でもないお爺さんだった。
「婆さん、先に家に帰ってくれないか? すぐに追いつくと思うから」
「何でですの?私はココアちゃんと、まだ話が……」
「いいから、ココアちゃんにはまた、明日来てもらえばいいだろう。ねっ?」
突然、振られたその言葉にココアは頷くことしかできなかった。
「もう!勝手なんですから! じゃあ、ココアちゃん、また明日ね」
そう言って、公園を出ていくお婆さんをココアは呼び止める。
これだけは伝えなければと……
「お婆さん!髪飾りありがとう。本当に本当にありがとう。大切にする。それから……ごめんなさい……」
最後の言葉は届いただろうか……お婆さんはそのまま手を振って笑って歩き始めた。また、明日と言う笑顔を残して。
「やっぱり、人間隠し事をして生きていくのは、できないんだな。神様はちゃんと見ているんだなぁ……」
そう言って、お爺さんは隣に置いていた紙袋の中から、手ぬぐいをそっと取り出した。手ぬぐいは丸い何かを大切に包んでいる。お爺さんが1つ1つ、花びらを扱うように丁寧に手ぬぐいを開いていく。
「カラット……」
ココアの望まなかった結果がはっきりと姿を表して、そのお爺さんの手の中で光を放っていた。
「一昨日、ここで拾ったんだ。妻が家を出て探している時にね。あまりに綺麗すぎて拾ってしまった。お嬢ちゃんと会った後、妻を捕まえると認知症が治っていた。でも、これを離すと元の妻に戻ってしまうんだよ。だから早く追いかけてあげないとなぁ……」
「っ……」
ココアはぎゅっと手を握る。
「ココア!早くカラットを回収するのじゃ!」
「でも、それじゃあ、誰も幸せにならない!!」
「ココアちゃん、どうしたんんだ?」
「ココア!カラットはもっと力をつけて暴走してしまうかもしれないのじゃ!このまま、この夫婦のもとに置くわけにはいかないのじゃ!幸せに見えるのは今だけじゃ」
「でも……」
お爺さんはココアにニッコリと笑いかけて、覗き込む。
「ココアちゃん!君は不思議な子だなぁ、このガラス玉と同じくらいに現れて、妻を笑顔にしてくれた上、私の悪事を暴いてしまった。これは君の物なのかな?そしたら、君にちゃんとお返ししなきゃだね」
「でも……でも……、これを私に返しちゃったら……」
「今の生活が終わってしまうと、君はそう思っているんだね? ……でも、違うよ。終わるんじゃない、元に戻るんだよ。この2日間本当にいい夢を見せてもらった…… まるで、昔に戻ったようで本当に楽しかった。しばらく……違うな……ここ数年間は本当に本当に……辛かった。朝から晩まで妻、妻、妻の毎日だった。目の前の事に必死で、過去を振り返る余裕もなかった……。あっ!ごめんね。ココアちゃんにこんな話をしたかった訳じゃないんだよ。ふぅ……これはきっと神様がくれた一時のご褒美だったのかもしれん。私はこの人を愛していたんだと実感できた。この2日間の思い出だけで、また、頑張れる……、また、妻と一緒に歩いていけるよ……」
「でも、私がこれを返してもらって、その2日間の記憶が残らないとしたら……どうする?」
「ココア!」
「はははは!君は面白いね。私も記憶がなくなってしまうと言うのか!」
お爺さんは膝を叩いて笑った。
「うん……」
お爺さんは打って変わって、過去を思い出すように言葉を続けた。
「大丈夫だよ。私は君の何十倍も生きてきて、忘れたことの方が遥かに多いんだろうなぁ……。でもね、大切なことは頭が忘れても絶対に忘れない」
その言葉にココアは首を傾げる。
「心が覚えているんだ」
お爺さんは自分の心臓のところを指を差して言った。
「心が覚えてる……」
「だから、これはココアちゃんにお返しするよ」
「でも……」
お爺さんは手ぬぐいごとカラットをココア差し出すが、受け取らないココアに「じゃあ、ここに置いていくね」とそっとベンチに置く。
「妻を追いかけないと、どっか行ってしまうからね。ココアちゃん……またね」
そう言って、お爺さんは公園を走って出て行った。
「ココア!しっかりするんじゃ!カラットを浄化するんじゃ」
「う、うん……」
ココアは周りを確認し木の陰で変身をすると、カラットに向かって、「ピュリフィケーション」を唱えた。
カラットを手に取り、見つめる。
透明なガラス玉の中には宝石でできたようなハート型の石が見る角度によって赤やオレンジ、黄色、ピンクといった色に変えてキラキラと輝いていた。
ブローチになった〝ぴぴ〟のところにカラットを持っていく。
「愛のカラットじゃな」
「愛の……?記憶のカラットかと思った。また偽物かなって……」
「きっと、あの2人の愛に答えたかったんじゃろうな、このカラットも」
「優しいようで、ちょっと残酷なカラットだね……」
「愛とはそう言うものじゃないのかの?」
「…………。〝ぴぴ〟ちょっと、いいこと言ったって思ってる?」
「何を言う!先に言ったのはそっちじゃないか!」
「えぇ〜? 私のせい?私のせいにしないでよ!」
「ココアのせいじゃ、ココアのせいじゃ!」
「ねぇ、〝ぴぴ〟」
ココアがワントーン下げた声で〝ぴぴ〟に問いかけを続ける。
「私も長い長い人生を歩んで行ったら、今日の出来事を忘れちゃうと思う?」
ココアの胸のところにいる〝ぴぴ〟の表情はわからない。でも、その声はココアと同じく低い。
「……さぁな……、でも……大切なことだったら心が覚えているんじゃないか?」
「そうだね……」
ココアは目を閉じる。今日の出来事を忘れたくないと、思い出にしたいと
頭と心にしっかりと刻みつけるように……。
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