第12話 あふれる水曜日とココア 前編

「ねぇ、〝ぴぴ〟これってカラットかな?」

 ココアは丸いガラス玉のような球体を手に持っていた。

「離すのじゃ、それはさっきまで暴走していたカラットじゃ!気安く触ると……」

「触ると?」

 するとココアが今立っている場所が反転する。ココアは逆立ちをしているように髪の毛から服、脳までもが全部重力に従う。

「言った通りじゃ。穢れを払わないと世界が逆転してしまうのじゃ」

「えぇぇぇぇぇ〜!! 元に戻すにはどうしたらいいの?」

「元には戻らないのじゃ」

「えぇぇぇぇぇ〜!!」

「穢れを払わずに拾ってしまうからじゃ」

「穢れを払わずに拾ってしまったから?」

「そう、穢れを払わずに拾ってしまうからじゃ」

「穢れを?」

「穢れを」

 穢れ、けがれ……ケガレ……穢れ、けが


「はっ!?」

 ココアはうっすらとかいていた汗と共に現実に戻される。

「ゆめ……か。はぁ……」

 隣にはうさぎのぬいぐるみの〝ぴぴ〟が鼻ちょうちんを作って大の字で寝ている。

「!?」

 ココアは何を思ったのか、突然、隣で寝ていた〝ぴぴ〟を揺すり始めた。

「〝ぴぴ〟、〝ぴぴ〟、起きて!」

「むーーん」

「ねぇ、〝ぴぴ〟!」

「うむ……なん……じゃ。寝させて……ぐぅ」

「〝ぴぴ〟起きて!〝ぴぴ〟!!」

「うむ……なんなの……じゃ」

 〝ぴぴ〟がうっすらと目を開ける。

「〝ぴぴ〟、私、最初にカラットを拾ったでしょ?」

「うむぅぅ……水の……カラットだった……かの……すぴー」

「ちょっと、〝ぴぴ〟しっかりして!!」

「むっ!」

「あのカラットさ、穢れを払ってないよね?」

「ココアが拾った時は……暴走してなかったから……の」

「そっか」

「今はワシが持っているし、心配ないじゃろ……すぴー」

「えっ?渡してないよね?」

 その言葉に〝ぴぴ〟の目が徐々に覚めていく。

「!? もらってなかったか?」

「渡してないよ!」

「い、今どこにあるのじゃ?」

「まだ、ランドセルの中に仕舞ったままだった気がする」

「は、早く見るのじゃ」

「う、うん……」

 ココアはベッドから降り、部屋の電気を付けてランドセルの中の荷物を全て出す。

「〝ぴぴ〟……」

「……」

「……」

「……」

「ないよぉ……」

「な、なんじゃと!!」

「ど、どうしよう……」

「どこに落としたとかは分からんのか?」

「うん……全然思いつかない」

「うむ……。こんな夜にあてもなく探してもしょうがないのじゃ」

「だ、大丈夫なの?」

「わ、わからんのじゃ……でも、今は兎に角寝るのじゃ」

「自分が寝たいだけじゃなくって?」

「そ、そんなことないのじゃ!カラット探しは明日じゃ」

「うん……」

 ココアは電気を消して、ベッドに入る。

「ねぇ、〝ぴぴ〟……」

「何じゃ?」

「全然、寝れないよ……」

「……ワシもじゃ……」


 翌朝、目の下にクマを作りながら登校すると、学校内が騒がしくなっていた。

「何かあったのかの?」

 ココアの右肩に乗り平然と学校についてくるようになっている〝ぴぴ〟にココアは首を傾げ、人集りが出来ているところに近付いた。

 確かその先は校庭の水飲み場だったはずだ。

 水飲み場に人が集まるとしたら、何があるだろうかを数秒の間、考えていたココアだが、その考えは一瞬にして聞こえた音によって塗り替えられる。

 〝ザアアアア〟という音がひっきりなしに鳴り響き、この音で水が流れているということはココアにもわかった。

 ただその音は少し大きく、例えるならば小さなダムのようだ。

 ココアは人集りが出来ている間から覗くと、六ヶ所ある全ての蛇口から勢いよく水が流れていた。

 いや、流れているというよりは溢れ出しているといったほうがしっくりくるかもしれない。そのため、水飲み場の周りも水溜りが出来てしまっていた。

(なんで、皆見ているだけなの早く止めないと……)

 ココアは皆がやらないならと人の間を割ろうとした時だった。隣のクラスの女の子がココアに気が付き、近付いてきた。

「ココアちゃん、おはよう」

「あっ!奈々ちゃん、おはよう!」

 セミロングの髪ポニーテールにしている彼女はココアが病気を発病する前まではクラスも一緒でよく遊んでくれた奈々という女の子だった。

 ココアが病気になった後、クラスが別になり、それからは、ココアを気遣ったのか、はたまた、ココアが知らず知らずのうちに距離を取るようになったのを感じとったのか、昔のようにはココアに接することはなくなっていたが、何かあればこのようにココアに話し掛けてくれる数少ないココアの友人でもあった。

「大変なことになってるよね?」

「うん。なんで皆止めないんだろう?」

「それがね、止めるんだけれど、すぐにまた水が流れ出てきちゃうみたいなの。ここだけじゃなくてね、学校の全部の蛇口でそうみたい」

「全部の蛇口で!?」

「うん。さっき、学校の中も見に行ったけど大騒ぎだったよ。ほんと、水道代大変そう。私達には関係ないけどね」

 奈々はそう言って少し笑う。

「そうなんだ……」

「ココア、これは……」

「カラット?」

「そうじゃ、その可能性が高いのじゃ。しかもココアが落とした水のカラットの可能性もある」

「ウソ!?」

「うん?ココアちゃん何か言った?」

「ううん。何でもないよ」

(〝ぴぴ〟は皆には見えないんだから、気を付けないと)

 その時だった山田先生を含めた先生達がガムテープやら紐を持ってこちらに走って来る。

「皆さ〜ん、道、開けて開けて」

 どうやら、それで蛇口を縛るようだった。

「先生達、大変だね」

 先生達が水に濡れながら、作業をしていく様子を見て奈々が言う。

「うん。この間のことと言い、今日といい先生達大変だよね」

「この間のこと?」

「うん。早く帰った時あったでしょ?」

「ん?ココアちゃんが病院行くために早退している日のこと?」

「ううん。違うよ」

 と〝ぴぴ〟がココア頬をペシペシと軽く叩いた。

「ココア、カラットが暴走した事件は浄化をした時点でみんなの記憶からなくなるのじゃ。だから言ったところで覚えてはおらんのじゃ」

「そ、そうなの?」

「ココアちゃん、どうしたの?」

「ううん。何でもない。私の思い違いだったみたい」

「そっか」

「皆さ〜ん!見てないで、教室に戻って1時間目の授業の準備をしてね」

 山田先生が言うのと同時に〝キンコーンカンコーン〟とチャイムが鳴る。

「この調子だと、ホームルーム無くなりそうだね?」

「うん」

 ココアは奈々の言葉に賛同し、自分の教室に向かった。



 先生達は水を止める作業で忙しいためか、1時間目は自習になっていた。

 自習と言っても、本当に勉強をする者は少なく、ほとんどのクラスメイトが近くの子と話したり、絵を描いたりして思い思いのことをしている子がほとんどだ。

 それよりもココアは〝ぴぴ〟が言ったカラットのことが気になって仕方なく、誰も聞いてないのに「トイレ行こう」とボソッと言って、教室を出た。

 この時間に廊下に出ている者はほとんどいないが、念のため、屋上に向かう階段の踊り場に向かう。

 踊り場に着くと肩に乗っていた〝ぴぴ〟を手のひらの上に乗せた。

「ねぇ、〝ぴぴ〟、カラットのせいと言っていたけれど……」

「まだ、、決まったわけではない。その可能性が高いと言っただけじゃ」

「でも、このままじゃ、調べるに調べられない、よ……」

「今、変身したらどうじゃ?」

「やだよ。トイレ長い奴だって思われちゃう。あっ!」

「どうしたのじゃ?」

「私はダメでも、〝ぴぴ〟は自由じゃない!」

「……」

「私以外には見えないんだし、〝ぴぴ〟が調べてよ」

「それがの……ワシはじゃな」

「うん?」

「腰が痛くての……」

「……。それ本当?初めて聞くんだけど」

 ココアはジト目で〝ぴぴ〟を見る。

「そ、そうじゃ」

「昨日の夜、寝る前に腹筋してたじゃない」

「イヤ〜、あれはじゃな……」

「あっ!そろそろ、教室に戻らないと。それじゃ〝ぴぴ〟よろしくね」

 ココアはいかにもな棒読みで言うと手のひらに乗せていた〝ぴぴ〟を足元に下ろした。

「ちょ、ココア!!」

「じゃあ、〝ぴぴ〟また後でね!」

 〝ぴぴ〟に手を振り去って行く。

「ココア〜!!」

 階段の踊場に残された〝ぴぴ〟はベソをかく一歩手前だ。

「心細いから1人は嫌じゃったのじゃ」



 聞き慣れたチャイムの音で2時間目が始まる。これが今日、初めての授業だ。朝着ていた青色のジャージは濡れてしまったのだろう。山田先生は今は色違いの赤色のジャージを着ていた。

「授業遅れちゃってごめんね。さぁ、この間の続きからやりましょうね。では『ごんぎつね』のページ開いてね」

 山田先生がそう言い、皆がペラペラという音と一緒に国語の教科書を開いた時だった。

 教室の外から、〝ざあああああ〟という聞き覚えのある音がクラスメイト全員の耳に届く。山田先生は今、一番聞きたくない音になっているであろう。その音が聞こえた瞬間、ガックリと項垂れていた。

 山田先生のそんな様子を他所にクラスメイト達は次々と立ち上がり、「またか」「嘘でしょ」などと言って音のする方に向かって行った。

 ココアも山田先生が気になりつつも、教室を出て音のする方に向かう。

 やはり、水飲み場の全ての蛇口から水が勢いよく流れ出しており、先生が頑張って止めたであろう、ガムテープや紐やらは水の勢いも相まって無残にも散らばっていた。

 他のクラスからも何事かとバラバラと人が出て来ていたが、先生が静止をしないあたり、山田先生と同じく、途方に暮れているのかもしれない。

 教室から出てきた生徒達は「凄いよね。これ」「怖いよ」「怪奇現象みたい……」と思い思いの言葉を口にしていた。ココアも〝ぴぴ〟から〝カラット〟の言葉がなければ、今頃は震え上がっていたかもしれないと思っていたその時だった。

『先生方、先生方、職員室に至急お集まり下さい。繰り返します。先生方、職員室に至急お集まり下さい』と教頭先生の声で放送が掛かった。

 すると山田先生が教室から出てきて、生徒達を教室の中に誘導して行く。

「皆さん、教室の中でちゃんと待っててね」と次々に声を掛けながら、職員室の方に消えて行った。ココアも教室に戻ろうとした時、後ろから声が掛かった。

「ココアちゃん!」

「奈々ちゃん!」

「この様子だと、早く帰れそうだね?」

「そうかな?」

「だって、こんなんじゃ、皆も授業に集中出来ないし、先生達も授業出来ないだろうし。でもよかった」

「授業がなくなるからね」

「それもあるけど、水曜日って、縦割り班の日でしょ?私凄く嫌い。知らない学年の子と掃除をするのも嫌だけど、3、4年生って上でもないし下でもないし、すごくやりずらいと思わない?」

「う、うん。そうだね……」

「あっ!ごめん……。ココアちゃん、病院に行くのに早退してる日って、確か水曜日だったっけ?」

「うん」

「あまり、深い意味で言ったんじゃないの……ごめんね」

「ううん。全然大丈夫」

「じゃ、じゃあ……またね」

「またね」

(また、変に気を使われちゃったな)


 ココアが教室に戻り、しばらくすると山田先生が職員室から帰ってきて一言、「皆さん、家に帰る準備をして下さい」と言い、そのまま下校となった。

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