第22話 過去とココア
ココアがおそるおそる扉を開けるとその先は真っ暗闇で奥の方にはポツリポツリとろうそくの火が灯っているのが見えた。
リラックス効果があると言われるろうそくの火も今はココアの不安な心をさらに煽る。ココアは一歩後退りし、後ろを振り向く。
(このまま、進まなきゃ、〝ぴぴ〟に怒られるだろうなぁ……)
「何をしているんじゃ!!って……ははは……。ふぅ……、よぉし!!」
ココアは意を決して、中に一歩足を踏み入れる。
何かあった時のため扉を少し開けたまま進んでいたが、しばらくして〝ギィ〟と勝手に閉まった。
「ひぃ!!!??? なんで……? あっ、そうだ!風だよ、風!ははは……」
いまだに〝バクバク〟と音を立てる心臓を深呼吸で落ち着かせ、扉のところに戻り開けようとするが、押しても引いても、鍵が掛かったようにびくりともしない。
「な、なんで……? 嘘……でしょ……。……そうだ、ここはワンダーラビリット、何が起きても不思議じゃないって……ね……ははは」
ココアは理由を付けて誤魔化し、後ろを気にしながらも暗闇を進む。
やっと、この暗闇に慣れてきたところで、ろうそくが灯っている場所まで着き、そこでやっと自分が水の上を歩いていたことに気付く。
ここまで来たら、自分が水の上を歩いていたところで、驚きも何もなかった。
ココアが踏み出す一歩一歩が静かに水紋を作り出している。
小さな明かりと足元の暗闇の中の水とあいまって、ココアは水の中に写し出される自分と目が合う。
そこには紛れもなくうさぎの耳が付いた帽子を被っている自分がいた。
(不思議な感じ……。〝ぴぴ〟と出会って、ワンダーラビリットっていう変……じゃなくて、不思議な世界に来ている。しかも、夢じゃなくって、ちゃんとこの手や足や肌に感覚はあるし、ちゃんと匂いもわかる……。今は水の匂いも……する)
ココアは少し考えた後、自分の頬をつねる。水の中の自分も頰つねったーーーと思ったのも束の間、ココアに向かって手を振る。
「えっ!!??」
水の中のココアは〝にぃー〟と笑い、水の中を走っていく……まるで、ココアに付いて来いと言っているみたいに……
ココアも促されるまま、水の中のココアの後に続く。
自分が前に進んだのか、右に行ったのか、左に行ったのか、それとも来た道を戻っているのかわからないまま、水の中のココアを追いかけるが、突然、水の中のココアは止まり、手を振って消えて行く。
夢中で走っていたせいか気がつかなかったが、近くで〝ざああああ〟と水の流れる音が聞こえココアは下に向けていた顔を少しずつ前に向ける。
ココアの瞳には上から下に向かって、ただ、ただ流れる水が映し出された。
噴水のようにレンガや石で作られた囲いもなければ、どこかの観光名所のように石像などから水が流れているなんてこともなく、何もない場所からただ、ただ、水が流れているだけ。
しばらくその前で立っていたが、何も起こらず、ここに居ても仕方がないと、歩き出そうとした時だった……目の前の流れる水の中で何かがチラチラっと動くのを反射的に捉え、ココアは体の向きを元に戻す。
(今、この中で何かが……)
その瞬間、水の中で1人の女の子が公園で遊んでいる映像が映し出され、ココアはそこから目が離せなくなる。
(これ……私……だ…… この洋服も覚えてる……)
水の中のココアは花柄のパフスリーブのブラウスにジーンズのスカートを履いていた。
(私が小さい時に着ていた服……。そして、この服を着ていた時に病院で病気のことを宣告されたんだっけ……)
しばらく、ブランコに乗っていた水の中のココアは満足すると、走ってどこかに行ってしまう。それと同時に映像からも消えていく。
(この頃は楽しかったなぁ……。私ブランコ好きだったし……。また、乗りたいなぁ……)
間も無くして場面は切り替わり、ココアは学校の先生から親御さんに渡してねと茶封筒を渡されていた。また、すぐに画面が切り替わり、ココアがお母さんに茶封筒を渡し、中を確認すると、お母さんの顔がほんの一瞬だけ深刻な顔をした後、ココアに何かを説明している。水に映し出される映像は出てくる人物が動くだけで、声までは聞こえない。
ココアはその一言一句は記憶していないが、確か、再検査で学校を休むことなることを言われたのを覚えている。
(この時はまだ自分が病気になるとは思わなかったなぁ……。ただ、学校を休んでいいっていうのが嬉しかったんだよね。しかも、休み扱いにならないって言われて……)
また映像が切り替わり、ココアとお母さんが歩き慣れない都内を歩いている。
(そう……、これ、再検査をする場所がなかなか見つからなかったんだよね……。ビルの上の方にあったからなおさら……。お母さんも道に明るいほうじゃないし)
それから、2人はビルを見つけて入って行く。
エレベーターで5階のボタンを押し、その階に着くと、そこで待っていた人は手慣れた様子でさっさと検査を始める。
検査が終わった後で、2人は名前を呼ばれ、個室に入って行く。
そこには、初老の医者が1人病院の診察室のように座っていた。
無表情で語る医者の一言一言をお母さんは余裕のない面持ちで聞いている。
その時のココアの様子はまるで自分に関係ないように回転する椅子を左右に回しながら、何一つ聞いていない。
(自分のことながら恥ずかしい……)
するとまた、映像が切り替わる。
(あっ……、暗くなっちゃった……。あの検査の後、お母さんと近くのファミレスに入って、ミックスグリル食べたんだよね。あれ美味しかったなぁ。今でも味が思い出せるもん)
次に映し出されたのは、近所の町医者で検査をした時の様子だった。
(ここでまた、ひっかかったんだよね……。そして、紹介状を書いてもらったんだ……)
お母さんが頭を下げて、診察室を後にした。
ココアは何食わぬ顔で、待合室の椅子に座り、本棚から漫画本を取り出し読み始めた。
この時のココアはお母さんの顔を見ていなかった。
(お母さん……。こんな顔していたんだ……)
ココアの前では笑顔を絶やさないお母さん。
でも、目の前にいるお母さんはとても辛そうな……。苦しそうな……それでいて不安そうな顔……。
(こんなお母さん、今まで見たことない……)
そんなお母さんを見ていられず、ココアは目をそらすと同時にまた映像が切り替わる。
次は大学病院に来た時の映像だった。
ココアは、最初の映像と同じ花柄のパフスリーブのブラウスにジーンズのスカートを着ており、初めて来た大きな病院にココアは辺りをキョロキョロと見渡している。
(沢山の人がいて、パジャマ姿の人が歩いていたり、いろいろ新鮮だったな……。この後、病気を宣告されるとも知らず、呑気だなぁ。私……)
ひと通り検査が終わり、長い長い待ち時間を経て、診察室に呼ばれる。
診察室を開けて居たのは、今までの男性の医者とは違って、この時初めて見た女性の医者だった。映像の中のココアは食い入るように見ている。年齢は自分のお母さんより少し上くらいだろうか、名前を加藤といい、今なお、ココアの主治医をしてくれている先生だった。
ひと通り話をした後、この日はおそらくの病名を伝えられた。
この時の会話をココアは今でも覚えている。
『昔は亡くなっていた病気ですが、今はちゃんと治りますからね』
現在、それから検査を何回重ねても、薬を飲んでもよくならない……。
(私の病気はいつになったら治るの……)
当時、どこかしら他人事だと思っていた病気の話も、自分の事だと認識するまで時間は掛からなかった。
今思えば、それは時の流れよりトントンと進んでいたようにも思える。
主治医の先生が書いた診断書で体育は見学になり、お菓子類はかなり制限され、家で出るご飯は味の薄い物の変わった。ブランコでも遊べない、ご飯にふりかけもかけられない……そんな日々がどれくらい過ぎただろう。そしてこれからも……
「ーーーっ」
(これが光のカラットの試練……?こんな……)
わざわざ、自分が病気になったことを再認識させるような映像を見せなくても……という思いが頭の中を駆け巡る。
いつの間にか、自分の内側に注意がいっていたココアは目の前の映像が終わっていたことに気付く。
そして、目の前に流れていた水はその動きを少しずつ止めていくーー先に行けと言わんばかりに、止まった水の向こうには道があった。
ココアは迷わずにその先を進んだ。
ココアはまだ知らなかった。
この先にまだ、試練があるということを
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