26.検査と修理と短期観光編


 メルカートルから三日目の昼過ぎ、馬車組の俺達はあることに悩んでいた。


「臀部が、痛いです」

「…私も」

「あたしもだわ」


 腰と尻が限界だった。


 狼型の魔物と遭遇以降、羊型の魔物とエンカウントはしたものの、無事に勝利して素材をしっかり回収。のちにスルスへと到着した。

 メルカトールと比べると小さいが、スルスは穏やかな街だった。 更に東にあるヘラフィや手前にあるデウチ村までの移動に四、五日は掛かるらしく、補給も兼ねてイロアス隊長と女騎士達、フラーウ技師と御者のお兄さん、亡命三人組は鋭気を養う為にスルスの兵士の宿舎に泊まることになったのだ。


「そうねぇ、馬車は座りっぱなしだものねぇ」


 フラーウさんも弱り顔をしてらっしゃるほど。

 馬車での移動は大変に楽だ。だが、馬車内部は快適かどうかと聞かれればあまりよろしくはない。

 現代地球のようなふっかふかクッションはないし、馬車の車輪が回る振動が尻と腰に響く。 動かないゆえに両足や体が固まってくるのだ。 同じ姿勢が長時間続くのは身体的によろしくない。このままではエコノミークラス症候群待った無しである。


「アハッ、軟弱ね!わたし達なんて馬移動なのに。 これだからお子様は足手まといなのよ」


 馬車からヨロヨロと降りた横でミーティ隊員が元気そうに鼻息荒くしてらっしゃった。それ俺に向けて言ってるんだろうけど、他の馬車組三人にも向けてることにもなるぞ。

 キエトお姉様に怒られミーティ隊員は大人しくするかと思えば、キエトさんの目が無いところでチクチクと言葉のナイフを投げてくるようになったのだ。

 たしかに馬移動も大変だろうが。 姿勢が悪ければ腰と内側の両太ももが痛くなると聞いたこともある。 前の三十五歳ボディだったら一時間も持たない筈だ。


「み、ミーティ…またそうやって…」

「セルペンスには関係ないでしょ。 それともわたしを悪者にして偽善者ぶりたいの?」

「ごご、ごめんなさい、ワタシそんなつもりじゃっ…!」


 ミーティ隊員の鬱憤が陰キャ属性のセルペンス隊員に飛び火したようだ。ミーティ隊員が絡んでくる度に俺は無反応を徹底してるのでイライラが溜まっているのかもしれない。

 わちゃわちゃと言い合いしながらも、彼女達の手は荷物を降ろしたりと忙しなく作業を続けていて面白い。息が合ってんだか合ってないんだが。


「じゃ、夕食の前に運動でもしてみるか?」


 腰をトントンと叩いている横で、オネットさんがにかっと笑った。






「~~ふんっ」

「あ、すごい、サクマの身体やわらかい!」

「あら、関節が柔らかいのねぇ」

「フィー、よそ見してないで身体曲げる」

「んん~~ッ、いたい、むりっ!」


 スルスの街のオルディナ兵の宿舎に止まることになった俺達は、兵が訓練する広場の隅で運動することになった。

 馬車四人組は凝り固まった身体をゆるゆると伸ばし始める。


「てっ、手が…っ!届かない!」

「わたしはここが限界かしら…」

「フィー、相変わらず身体堅い…。技師さんは身体柔らかいな」

「ふふ、多少は気を使ってるからかしら」


 フィエルさんが顔を真っ赤にしながら両手を地面へと伸ばして前屈スタイル。だが、無常にも指先はひざ下の脛あたりで止まってしまった。そして胸が腕とお腹に挟まれている。

 フラーウさんは以外にも身体は柔らかく両手はしっかり地面へ触れていた。 ついでにデカパイが両足に押し付けられて変形してしまっている。

 そんな二人の胸に思わず目を奪われたが、俺は何も見ていませんよとばかりに地面を睨みつけた。

 一方、俺の柔らかさはというと。両手の手のひらは地面にぺったりと密着するほどの柔軟さがあった。


「おお…手がついた…」


 自身の少年ボディの柔らかさに驚きの声が漏れた。 前の三十五歳ボディなら確実に腰が死んでいるし、なんならフィエルさんより堅かったかもしれない。


「…両手着きました!すごくないですか!」

「あ?…ああ、すごいすごい。柔らかいな、お前」


 迫真のドヤ顔をオネットさんへ向けてすれば、オネットさんは軽々と地面へ両手を付けて額が両足に着くぐらいに曲がった。やわらかっ!なにそれやわらかっ!


「オネットさんの身体どうなってるんです…」

「やっぱり体が若いからかしらぁ…」

「慣れだ、慣れ。身体うごかしてりゃその内できる」

「うううう~~~指すらつかない~~!」

「フィー、ゆっくり慣らせていけば指ぐらいすぐにつくって、ほら、急にやると痛めるからゆっくりな」

「…ん゛っ!足つった!」


 フィエルさんの哀れな声が上がった。どうやらフィエルさんは身体が固い系女子らしい。胸はあんなに柔らかいのに不思議だなぁ。


「サブラージ技師」

「あら、ミーティ隊員お仕事は終わったの?」


 広場の隅っこで柔軟している集団の横に、気づけばミーティ隊員とセルペンス隊員が立っていた。満面の笑みを浮かべてフラーウさんに笑いかけている。


「はい、補充は滞りなく。…サブラージ技師、イロアス隊長とキエトお姉様があちらでお呼びです」

「あらあら、わかったわ。サクマくん、オネットちゃん、フィエルちゃん、またあとでね」


 フラーウさんが大きな胸と桃色の長い髪を揺らしながら宿舎へと駆けて行った。だが、何故かミーティ隊員とセルペンス隊員は俺達の側から離れない。


「…貴女方は行かないんですか?」

「わたし達の今日の役割はアンタ達の監視なの」

「えっと…そ、そうなの…ご、ごめんなさい…」


 ミーティ隊員はそれはそれはにっこりと営業スマイルで微笑まれた。

 うっすらと気づいてはいたが、俺達の護衛という名の監視はどうやらシフト制らしい。 いや、セルペンス隊員は謝る要素どこにもないですよ。


「そうですか、お勤めご苦労様です」

「お勤めついでに。運動手伝ってあげよっか?」


 営業スマイルがニタリとした笑顔に一変する。 うーん、その生き生きとした笑顔は生命にあふれてますね。キエトお姉様にぜひとも報告したい所です。


「…おれ、剣なんて持ったことが無いんですけど」

「アハッ、うっそぉ!どんな親に育てられたの?」


 ミーティ隊員がおすすめ運動メニューが何故か剣技だった。

 いまだ食器のナイフと包丁、サバイバルナイフ程度の物しか持ったことがない俺としては大物すぎる。

 片手剣、いわゆるブロードソードというメジャーな部類の剣だ。長さは六十cm程で重さは二キロあるかないか、その剣を握るとずっしりと重みを感じた。


 俺の脳内辞書は魔術に関してはガッツリ情報は入っているが、剣に関してはこれっぽっちもインプットされていない。

 それはそうだろう、魔術があるのだから剣術を覚える必要性はないのだから。

 なのに何故、剣術ど素人の元引きこもりの俺がミーティ隊員の誘いに乗ったのか。

 単純に剣への憧れもあって振り回してみたかったのが本音。 俺、護身用の小さな短剣は持っているが片手剣のような武器は持ってないし、ちょっと憧れるじゃん?

 

 広場の隅でセルペンス隊員、オネットさんとフィエルさんが心配そうに見つめている事に気づき、へらっと笑っといた。


「剣の使い方を教わってないとかありえないんだけど! 貴方、ご両親に愛されてなかったのね、かわいそう!」


 ミーティ隊員はとても愉快そうな口ぶりで、腰の鞘からすらりと剣を抜いてこちらに向けてきた。 手入れは行き届いているのか、剣先は太陽の光を浴びてきらりと輝いている。


「ミーティ隊員」

「アハッ、少しやる気になった?」


 彼女の言葉に反応したのが嬉しかったのか、ミーティ隊員の口がにたりと上がった。


「人って、悪口や言葉で傷つけようとすると自身が一番言うんですよ」

「…は?」

「自分がもっとも傷つく言葉が出てしまうのって不思議ですよね。ところで、」


 片手剣を小さい両手で握りしめて見様見真似で構えてみる。うーん、腰は屈むべきなのか真っ直ぐにすべきなのか。


「貴女は、ご両親に愛されていると実感したことはありますか」

「――――」


 ぶわりとミーティ隊員から殺気があふれた。 おっと、また地雷を踏んだようだ。

 ガキンと激しい金属音がしたと思ったら、両手から片手剣が忽然と消えていた。 がらんがらんと重い何かが落ちる音が背後から聞こえてくる。


「あれ?」

「…剣の握りが甘いのよ、お子様」

「ああ…はい、負けました」


 ミーティ隊員に剣を一撃で吹き飛ばされたようだった。 見上げた先には刃先が喉の手前で止まっている。 俺は素直に両手を上げて降参ポーズ。


「…バッカみたい。アンタ相手にして勝っても何にもならないわ」

「どうも、お相手ありがとうございました」

「…感謝なんてこれっぽっちも思ってないでしょ」


 そう言い放ち、ミーティ隊員はイライラした気配を隠さずに広場の隅へと不貞腐れるに座り込んだ。 何故か隣のセルペンス隊員がおどおどしている。


「おう、剣には負けたが言葉では勝ったな」

「あんまり嬉しくないですね」

「言うときは言うな~!感心した、サクマ」

「うぐぅ、ほっぺたツンツンしないでくださぐぅ」


 スカっとしたとばかりにオネットさんに頬をツンツンされた。


(…つい、大人気ないことしたな…)


 爪楊枝程度の反撃をしたつもりだったが、あんな反応が返ってくるとは思わなかったのだ。 悪口は自分に返ってくるというブーメラン使用。


「オネットさん、おれの剣の構えってこれで合ってます?」

「…うーん、下手、ど素人」

「デスヨネー」


 オネットさんに駄目だしを食らい、剣の構え方を少し教わった所で柔軟体操はお開きとなった。


(しっかし、あんまりにもこう突っかかってこられるとなぁ…)


 ミーティ隊員の鋭い目は変わらず、怒りの色が隠しきれていない。どこかで溜まりに溜まった感情が爆発してしまいそうだ。






 ※※※※※






「アーッ! アルルのお肉とらないでよぉ!テネルッ!」

「えへへぇ~残してるからいらないと思ってぇ~」

「ちょっと!好きな物ばっかり先に食べないでよね!偏りが出るじゃない!」

「ネーヴェ、食事中に大声を出さない、イモが飛んだぞ」

「うぐっ、レフィナド副隊長すみません…」

「あ、そ、そこの塩…と、とってもらえますか…」

「はぁいお姉様、お姉様の好物の煮込み料理があるのですよ」

「あらほんと、おいしそうね。頂こうかしら」

「あの…し、塩…」


 日が沈んだ頃、宿舎のそこそこ大きな食堂で夕食となった。

 響く女子の賑やか声に、食堂にいる屈強な兵士の男どもが避けるように隅に固まっている。普段はこうも女子率は高くないのだろう。 華やかさが物珍しいのだろう、兵士達はこちらをチラチラと盗み見しているのがバレバレであった。

 食事をする時に何度か思ったが、女騎士共の食事の量はすごい。

 そっと近場にいるセルペンス隊員に塩が入った調味料ツボを押しのけると、セルペンス隊員の緑黄色の瞳が照れくさそうに細まった。しっかり食べて心根も強く持ってほしい。


「野菜料理が多いようですが、とても美味しいですね」

「スルスは農業の街でもあるから収穫物が多いのよ」


 正面の席にいるフラーウさんが上品な仕草でシチューを口にしてらっしゃった。


「あたし肉が食いたいなぁ…肉…」

「オネ、文句は言わない!ほら、このトマト煮おいしいわよ」

「んん~~うまひへほ…」


 オネットさんが無心で野菜のトマト煮を頬張っている。 野菜は一切食べれないという訳ではないのだろうが、やはり若いゆえに身体と心は肉を求めているのだろう。


「エーベネで買った肉は全部消費しちゃいましたもんね」

「あいつらも遠慮なく食うしな…」

「まあまあいいじゃない。明日の朝にでも市場に行ってみる?」

「うーん、財布も心もとないしな…我慢しとく…」


 旅の旅費はオルディナ王国が負担してはいるが、好きな料理が出るわけでもないので懐から肉が消費される。 この三日間の間で手持ちの肉はものの見事に女騎士達の胃袋にも入り、肉の在庫は空っぽとなった。


「オネットさん、この野菜料理もおいしいですよ」

「お前は大体美味しそうに食うよな、苦手なもんとかないの」

「うーん…特にないですかね…?」


 これでも若い頃は食べず嫌いな偏食を拗らせた時期もあった。

 だが、一人暮らしをしてから自炊するようになり、パソコンを新調するために食費を削ってはパスタ生活や塩や砂糖を舐めて凌いだ時もある。

 パスタは安くて日持ちもするという優秀食材だが、食費を減らせば食材の数は減り栄養も偏る。

 お粗末な食事生活を何年も続けると身体はゆっくりと弱り壊れていくものだ。 はっきりとした目に見える症状も自覚もないから割と深刻な問題である。

 そんな質素な食生活を送っていたせいか、気づけば俺自身はなんでも美味しく食べれるようになったのだ。 一時的にだがクックパッドを先生に、ガチで自炊に挑んでいた時期もあったものだ。

 それに年齢が上がれば上がる程に食べる好みも変わってきたのもあるかもしれないが。 こちらに来てからというもの色んな物が食べれてとても新鮮だった。


「――レフィナド、キエト」


 やけに通る声が耳に届く。 顔を上げると王子様カラーのイロアス隊長殿が食堂入口に立っていた。


「明日からの移動で話がある、食事が終わり次第、一階の会議室に集まれ」

「「はっ、わかりました」」

「…なに?何かあったのか」


 鉄仮面のイロアス隊長の雰囲気がいつもと少し違うのが気になったのか、オネットさんが木製のスプーンをかじりながら問う。


「…お前たちには関係ない」

「関係あるだろうが。 オルディナ王国まで一緒に旅するんだ、何かあるんならこっちにも教えてくれないと余計なことするぞ」

「…………」


 オネットさんがさも当然とばかりに言い放つと、ぴくりとイロアス隊長の眉毛は動いた。


「…ここから北東の方角にあるバオムが魔物の群れに襲われ被害にあったそうだ」

「魔物の群れに…?」

「以前から魔物の被害報告はあちらこちらにあったが…魔物の群れが街を襲うなどというのは稀だ」


 旅人や作物といった面で魔物の被害は出るが、魔物は基本的に人が多い街を避けて通る習性がある。 魔物が群れを成し、街を襲うなんて事例は珍しいという。


「バオムにも兵はいる。すぐに討伐隊が編成され、魔物の群れは退治されたようだ」

「…なんだ、退治されたのか」

「我が国の兵は強いぞ」


 オネットさんのつまらなさそうな声にイロアス隊長が心外そうに言う。


「…だが、退治しきれない魔物の群れが南へ向かったとも報告があった。 今後、バオムの方面…南カタルシルア森林の近場は通らないが、今後どこかの街道で遭遇する可能性もゼロではない」

「ふぅん…警戒を怠るなって?」

「…その通りだ」

「あっそ」


 そこでオネットさんが興味が無くなったようで食べること専念し始めた。なんという自由っぷり。

 女騎士達の視線が痛い。流石に隊長への態度が雑だとイラっとくるものがあるのだろう。


「…今言った通りだ。皆々、いざという時の為に準備をしっかりしておけ、移動の時は注意を怠るな」

「「はっ」」


 イロアス隊長の一声で女騎士達はビシリと敬礼をする。

 個性豊かな子が多いが、こうしてみるとやはりしっかり訓練されているのだろう。

 そう一声かけてイロアス隊長はすたすたと食堂を出て行った。 隊長は隊長でまだ仕事があるようだ。あいつが飯食ってる場面を見たことが無いが、ちゃんと飯食ってるのか?


「最近、魔力溜まりの被害もよく聞くし…やっぱり凪時期だからかしらねぇ」

「…凪時期…?」


 ふと、フラーウさんの独り言が聞こえて来て脳内辞書が検索をし始める。


 凪時期。 世界の魔力の流れを円滑にする精霊王達が長期睡眠する期間のことだ。


 精霊王、星の管理者。神話に出てくる神に近い伝説級の存在。

 一言に「管理者」と言われているが、彼らは世界を流れる魔力を円滑にするという役割がある。

 そんな彼らには寿命はなく肉体もない、いわゆる不老不死。それゆえに周期的に長期睡眠に入ることがあるのだ。

 それは千年単位とも二千年単位とも言われ、それは気まぐれに突然やってきて突然終わる。 彼らが眠っている間の世界はどうなるかと言えば、魔力の流れが滞りあちらこちらに魔力溜まりができるらしい。 その結果、純魔石が多く生み出され、それと同時に魔物も多くなる。


(…ええっと…?…精霊王って、火、水、木、風、土、…光、闇…無、時空…属性別にいる筈…)


 最上位精霊王は属性別で九人。

 彼らは肉体を持たないが、独自の会話方法で時々地上の種族たちと交流することもあれば祝福を与える事もある。 ものすごく稀に子を作ることもあるのだ。

 この俺の少年ボディを作ったクデウさんも、精霊王と竜人族との間にできた黄金の子であり祝福持ちとして生を受けた。生まれながらのSSRチート人種。


「魔力溜まりで純魔石が多く採れるようになるのはいいことだけど、魔物が増えるのは困ったものよねぇ…」

「…どの精霊王が寝てて、どの精霊王が起きてるかってわかるんですか?」

「それは人族にはわからないことよぉ。 もしかしたら、精霊王の加護を受けてる種族ならわかるかもね」


 フラーウさんが遠い目で語る。

 言われてみれば森人族は木の精霊王、竜人族は風の精霊王、山人族には土の精霊王、海人族には水の精霊王と、長寿種族たちには無条件で精霊王の加護が約束されている。

 獣人族も精霊王の加護はないが、竜人族に次ぐ身体能力の高さがあるし。 人族は結構ハブられているのではなかろうか。


(…クデウさんの父親…どの精霊王か日記には名前すらなかったな…。精霊王に名前があるのかもわからないけど)


 クデウさんの祝福の力は「千里眼」、遠くの者を覗き見る能力だ。 それを考えると時空属性あたりの精霊王なのかもしれない。


(…うーん、凪時期で魔物が増えてる…かぁ)


 妙な胸のざわつきを覚えた。






 ※※※※※






 夕食後、宿舎の浴室を借りれると聞いた俺は独りお風呂を久々に堪能した。

 亡命組のオネットさんとフィエルさん達は男だらけの宿舎の浴室を使うのは憚られるらしく、近場にある宿屋のお風呂を借りることになったのだ。

 亡命二人組とフラーウさん、女騎士一団がワイワイとお風呂へ向かう姿を夢うつつな顔で兵達が見送っていた光景はなんとも言えなかった。


(やっぱ風呂に入る時は誰にも邪魔されず自由で…なんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで…)


 孤独なグルメのごろーさんだって言ってた。…違った、あれは食事についてだったわ。

 ふんふんと鼻歌交じりで薄いタオルを首にかけて借りた一室へと向かう。 途中、何人かの兵士とすれ違った瞬間に二度見されたが無視を決め込んだ。


(三日ぶりのお風呂と三日ぶりのベッドか。キャンプ移動も新鮮だけど、やっぱ文化的な生活はいいものだなぁ)


 借りた一室は二階の端っこだ。 足早にその一室へ入ると窓に使い古されたベッドが二つ、サイドテーブルにクローゼットが見えた。 普段は新米兵士の部屋として使われているのだろう。

 オネットさんとフィエルさんが借りている一室は、俺がいる宿舎とは違う区画の部屋らしい。 彼女達はまだ宿屋から戻っては来ていない筈だ。なので、今日は久々に一人寝となる。

これですんなり寝れなかったら末期だ。今後の身の振り方を真剣に考えねばなるまい。


「はーっ…この世界って温泉とかってあるのかな…」


 フラーウさんあたりにさり気なく聞いてみよう。あるのなら是非に浸かりに行きたい。

 ほっかほか気分で窓を開けて身を乗り出すと空は真っ暗で、近場の木々の間からは街の明かりが見えていた。


「ふへー、気持ちいい…」


 涼やかな風が髪を靡かせる。明日も天気がいいだろうかと上を見上げた時、首にかけていたタオルがスルリと空中へ流れてしまった。


「あっ…!浮島からもってきたタオルがっ…!」


 タオルは地面へと落ちてしまったようだ。 暗闇の中ぼんやりと白い布が見える。

 窓辺の下へ行くには一階へと降りて建物をぐるりと半周しなければいけないな、と考えたところで面倒になった。


(ええい、重力緩和ぐらい許されるだろ)


 殺傷能力の高い術式とは違う部類だ。

 ノーカンとばかりに首にかけた魔道具で認識阻害で術式の輝きをぼかし、靴の裏へと重力緩和を掛けて窓辺から地面へとふわりと着地した。

 ちょっとだけ土がついたタオルを回収して部屋へ戻ろう足に力を入れた瞬間、力み過ぎて木々の合間に突っ込んでしまった。


「うわっ」

「ヒャッ?!」


 ぐぇ、大自然の葉っぱが顔面に…!せっかくお風呂に入ったばっかりで…うん?


「…誰?」

「…っ!」


 目の前には女の子がいた。黒い狐っぽいお面をかぶった女の子だ。 まさか木々の合間に人がいるとは思わなかった。

 お面からはみ出ている髪の毛は茶猫を彷彿とさせる明るい茶色で、着ている服は露出が激しめなぴっちり系真っ黒服、覗いている肌は日に焼けて健康的な色をしている。


「なんで、こんな所に、ぅわっ」

「…っ!?」


 密着ゼロ距離なのをどうにかしよう片足を動かした瞬間、踏ん張る地面がなかった。そうだ、俺、木の枝の合間にいるんだった!

 ずるりと重力に従って落下しそうになった刹那、俺の腰に何かが巻きついた。


「うぇ?」

「危ないナァ…キミ、ぽわぽわし過ギィ」


 気づけばお面をかぶった女の子にお姫様抱っこで地面へと降ろされた。なんという失態。


「あ、ありがとう、ございます…」

「…リーと会ったこと、内緒にしててネ」

「へ?あ、はい…?」

「じゃあネ」


 細い指先がひらりと動いたと思ったら、瞬く間に彼女は振り向きざま真上へ飛び上がって消えてしまった。


(…アレって…まさか…)


 振り向きざま彼女のお尻にふわりとした物を目撃した。

 美味しそうなトースト色のふわふわした長い毛。


(尾っぽ…尻尾だ…そういえば、お面でよくわからなかったけど…)


 頭付近に毛の色と同じふわふわした耳が見えたような気がする。いわゆるケモミミ。

 獣人か獣人の混血児だろうか。なんだってそんな子が木に登ってたんだ?


(…あ、監視してるって)


 メルカートルの港で会った、黒髪の白群色の瞳の女の子の言葉が頭を過ぎった。

 俺を監視している二匹の内の一匹は彼女ということ。


(内緒に、か…)


 監視の役目のはずの彼女が監視対象者に見つかってしまった訳だが。 ある意味、彼女が一番の失態をやらかしたということか。


(…もう一人、獣人の子がいるとして…旅のお供多過ぎない?)


 俺は予想外に警戒されているということだろうか?

 心外である、こんなに人畜無害を心掛けて貫いているというのに。






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