第五章 心の拠り所

48.魔物狩り

 


「ん゛~…くあっ……う~…いま…なんじ…」


 緩やかな目覚めの中、俺はあくびをしながら窓辺を見つめた。 早朝五、六時ぐらいだろうか。 窓から覗く空の色は日の出前の淡い明るさだった。 起きるには少し早い。


 隣を見ると、フィエルさんがすぴ~と静かな寝息で眠っている。

 そして反対側のベッドの上には、赤毛頭のオネットさんの姿がなかった。


(…あれ…深夜の魔物狩りは休むって言ってなかったっけ…)


 ぼんやりしている脳みそ叩き起こすように就寝前の記憶を巻き戻す。

 昨日は狩人デビュー日だったり、密偵に攫われたり、宰相様と対談だったり、帝国がドミニス公爵の手腕により引っ繰り返ったとか、イベント盛りだくさんな日だった。

 そして、東地区の寄宿舎へと帰った後に己がやらかした所業と職業詐称の説明会が開かれた訳だが。


(………、…といれ…)


 ふと、下半身の生理現象の訪れを脳みそが感知。 いくら人外ボディとはいえ、飲み食いしていれば出るものも出るものだ。

 俺はフィエルさんを起こさないよう、静かにベッドから這い出て一階の共用トイレへ向かった。


 朝の寄宿舎は空気が涼しく、他の狩人達も早朝の魔物狩りに出かけていて静かだ。

 食堂からは美味しそうな匂いが漂ってきている。 ミテラさん達が新人狩人達への朝食や昼食に向けて仕込みをしているのだろう。

 そんな微かな人の気配の他に、ヒュンヒュンと空気を切るような音が耳に届いた。


「――はっ、ふっ」


 青白く見える中庭で、鮮やかな赤毛が踊っている。


(……軽やかだなぁ…)


 オネットさんが双剣を両手に持ち、素振りをしていた。 素人目で言うのもおこがましいが、流れるような剣捌きは剣舞にも見えてくる。

 短剣の軌跡が空を切り、後からすらりとした長い手足が踊るように動く。 額から流れる汗が朝日を受けて輝いていた。

 彼女が剣を構えて動いているのを見たのは二回程。 改めて思うが、あんな重そうな短剣を二本持って、軽々と動けるものだ。


「…おう、はよ、サクマ」

「お、おはようございます、オネットさん」


 ぼんやりと眺めていたら、剣先がぴたりと止まって緑色の瞳がこちらを見つめ返してきた。 稽古の邪魔をしてしまっただろうか。 俺の心配をよそに、オネットさんは腰にある鞘に剣を収め、タオルで汗を拭きながら寄ってきた。


「こんな時間に起きてるなんて、珍しいな」

「目が覚めてしまって…。 …オネットさん、いつも剣の稽古してるんですか?」

「そりゃあ、感覚が鈍るからな。 いつもは二人が寝てる時間帯にやってて……サクマ?」

「はい?」


 するりとオネットさんの手が伸びてくる。


「お前、寝ぐせがひっどいことになってるぞ」

「!」


 俺の長い白い髪があっちこっちにうねっていたのだろう。 オネットさんは意外に優しい手つきで俺の髪を撫でて整えてくれた。

 オネットさんめ…乙女系イケメンがやりそうなムーブをナチュラルに実行するとは…! 流石イケメン女子、俺がやるとセクハラで社会的に死ぬやつ。


「ぼけっとした面してないで、顔でも洗ってすっきりしとけ」

「い、いえっさー…」


 かっこいいで競ったら、確実にイケメン女子に軍配が上がるだろう。 非モテうん十年の俺には敵わぬよ…。

 いそいそと洗面所、ではなくトイレへ向かおうとした時、オネットさんが何か言いたそうにじっと見つめていることに気づいた。


「?…どうしたんですか?」

「……サクマは…今日も魔物狩り…するのか?」

「ええっと…はい、そうですね…。 そのつもりではいます」

「……そうか」


 いつもの彼女としては、歯に物が挟まったような物言いだった。 だが、これは今に始まった事ではない。 多分、昨日の――。


「サクマには…、……」

「オネットさん…?」

「……いや、全部昨日言ったとおりだ。 あたしは風呂に入ってくる」


 そう言うと、オネットさんは足早に屋内へと引っ込んでしまった。


(……うーん、やっぱり…俺が狩人職をやることに賛成してない…よな)


 オネットさんの言葉の続きは、なんとなくだが予想できていた。


 それは昨晩の、俺の所業と職業詐称の説明会に遡る。


 国境門でドミニス公爵とのやり取りの事。 そして、俺が狩人になった事を全てげろっと話した。

 やはりと言えばいいのか、フィエルさんもオネットさんも目を真ん丸にして絶句。

 そんな彼女達の一声が、オルディナ王国には絶対に話しちゃダメ!であった。

 オルディナ国民として認められている以上、ドミニス公爵との事を話せば反逆罪やら契約違反やらで首をはねられるぞと言われてしまったのだ。 俺は、デスヨネ~と頷くしかない。


『…嫌がらせだとか言ってたけど…とんでもない事するな、サクマ』

『あの時にやれる精いっぱいの小細工というか…ああすれば、刺客とか追手とか来ないんじゃないかと…』

『何が小細工だよ、お前の考えは斜め方向にぶっ飛びすぎ。 …それに、こんな大事おおごとをあたしたちに隠しやがって…』

『だっ、黙っててすみません…!うまくいくか半信半疑だったんで…言うにも信ぴょう性とか説得力がないというか…』


 ごちゃごちゃと言い訳じみた言葉をひねり出しながら、俺は床の木目を視線でなぞった。 と、わしっと頭を撫でられる感触に見上げると、緑色の瞳と視線が合う。


『…頼むから、あんま無茶なことするなよ』

『…は、はい…』


 オネットさんは眉毛を八の字にして心配気に俺を覗き込んでいた。 あ、悲しませたかなと、胸が少しざわつく。


『…ともあれ、暫くはドミナシオンの動向を見守らないとな。 ドミナシオンとオルディナは色々あったから交渉は長引きそうだけど』

『けど、サクマのおかげでドミナシオンは変わるわよね…』

『そりゃ…あの糞皇帝が強制的に改心したんだ。 嫌でも変わる。 …まさか、こんなちびっこに政権ひっくり返されるなんてな』

『…おれは小さなきっかけを作ったにすぎません。 全てドミニス公爵の功績ですよ』


 何しろ全振りで丸投げしたのだから。

 それに、ドミナシオンがどう変わっていくかはドミニス公爵の手腕にかかっている。


『けど、サクマがドミニス公爵の洗脳術式を解かなければオルディナ王国と同盟なんて話は出なかったわ。 それに…ドミニス公爵なら…城の地下にいるあの子達も悪いようにしないと思うの。 …小さなきっかけだとしても、サクマが動いてなければ何も変わらなかった…』

『わぶっ』


 唐突に、フィエルさんにぎゅむりと抱きしめられた。 耳元で小さく、ありがとうと囁く声がした。 正直、隠していた事を怒られるのではと思っていたから反応に困る。


『それはそれとしてだ…。 よくもまあ、あたし達を騙してくれたよなあ~?』

『は、はい!?』


 オネットさんの声がワンオクターブ低くなって俺は硬直した。


『サクマ、時々そういう所あるよなぁ? …あれこれ考えて黙って突っ走る傾向が。なあ、新人狩人さん?』

『あ~…いやあ、それには色々考えがありまし、あただっ、あだだだっ!』


 これは狩人職になったのを予想外に怒っておりますねぇ~!? 頬をつねっている指の力が割と強、痛い!


『あっ、オネっ!そんなに引っ張ったらサクマの頬っぺた伸びちゃう!』

『フィーはサクマに甘すぎ!よりにもよって狩人職だぞ!』

『サクマだって、色々考えた結果の行動なんでしょう? たしかに、私達に黙ってたのは少し悲しいけど…』


 それは申し訳なく候。

 あえて言うと、二人とも俺に甘いと思いますよ。 片方が可愛がりすぎで、もう片方が過保護な感じに。


『……サクマ。狩人職は…やめた方がいいとおもう』


 大真面目な声でオネットさんが呟く。その言葉にズガンと衝撃が走った。


『…で、ですが…狩人職にはもう受かってまして…!それに稼ぐんだったら狩人職の方が手っ取り早いじゃないですか…!』

『いや、そういう話じゃなくて…。 サクマは血の契約とかで大半の魔術封じられてるだろ? どうやって魔物を狩るんだ』

『…へっ!?…あ、魔物相手に関しては契約適用外なのでバシバシ魔術を使用できます! それに、大体は応用系の簡易的な魔術で狩ってるので!』


 ドヤという顔で言うと、オネットさんの目がじとりと半眼になって眉間に皺が寄る。 あ、これ納得してない顔だ。


『…狩人職なんて血の気の多い奴らが大半なんだぞ。 お前、厄介な奴に絡まれて良いカモになるのが目に見えて…』

『もう喧嘩売られて目立ちました』

『ほら見たことかぁー!どこのどいつだよ、あたしが…』

『たしかに多少の難癖は付けられましたけど、特別狩人試験で合格したら納得してくれましたよ』

『…特別ってなんだ…一体どんな戦い方したんだよ…』


 上級狩人吹っ飛ばしただけですけどね。 それでも、納得いかないのか、オネットさんは頭を抱えてぼそり。


『……だとしても…サクマは狩人職、合わないよ』


 小さく呻くような声に、俺はなんて返したらいいかわからなかった。






「…うーん、オネは心配してるんだと思うの」

「心配、ですか?」


 いつものように洗面台前で髪の毛を梳かされている俺は、さりげなくフィエルさんにオネットさんの事を聞いてみた。 すると、そんな答えが返ってきた。


「サクマが危険なことをしないか、怪我しないかって心配なのよ。 もちろん、私も同じように心配なんだけどね」


 するりと俺の髪に櫛を入れ、梳く彼女の手と声はとても優しい。


「…ですが、おれには魔術がありますし…。 そこまで頼りないんでしょうか…」

「そういう事じゃないのよ! 頼りないんじゃなくて……ただ、心配なだけ。 オネはね、私にもああいう風に心配する時があるわ。 …あ、これ、サクマも時々してるわよ?」

「えっ!?」

「私が狩人行けるかもって言った時、オネもサクマもしれっと流してたでしょ?」


 フィエルさんの言葉に俺はぎょっとする。 あれ、そんな事言ってたっけ? …ああ、オルディナ王国に向かう道中でそんな話題をしてたっけ。 だって、それは仕方がないじゃないか!


「…だって、フィエルさんこそ狩人は向かないですよ…」

「サクマより剣も使えるのに?」

「そういう訳じゃなくて…ええと…」

「――ほら、そんな感じでオネも心配してるの!サクマはまだ私達より、こーんなに小さい成人前の子供なのよ。 だから、年上のお姉ちゃんは嫌でも心配しちゃうものなの」

「……はあ…」


 フィエルさんは女の子で指も腕だって細くって。 剣を振り回して魔物を狩る血なまぐさい職業には向いていないと、俺はごく自然に思ってしまう。

 つまり、オネットさんも同様に似たようなことを考えているらしい。

 見目はクソガキだろうが、中身は三十五歳なんですぅ!と言っても笑えないギャグにしかならないのは理解している。 やはりというか見目も中身も頼りない、これに尽きるのだろう。


「…ふふふ、仕方がないわよね。 オネ、そういう所頑固だから。 ドミナシオンに居た頃、命令外で治癒の力を使おうとした時とか、オネはすごく心配して止めたの。 けど、どうしても…仲間の怪我を治したくて…大喧嘩したわ」

「へ、オネットさんとフィエルさんが、ですか?」

「ええ、そうよ!」


 フィエルさんは楽しそうに語る。 いつもは仲がいい二人だ。 そんな二人が喧嘩する様は想像できない。


 フィエルさん曰く、ある時、顔を見合わせる魔力持ちの子が怪我をして、フィエルさんは治癒の力を使って治そうとしたらしい。 けど、オネットさんはそれを許さずに止めた。

 理由は単純明快。 フィエルさんが常に魔力欠乏症を起こしていたからだ。 それ以上は体に負担がかかると、オネットさんは止めに入ったのだという。 逆にフィエルさんが倒れることになると。


「……それでも、その子が目の前で苦しむのを見たくなくて強引に力を使って治したの」

「フィエルさん…」


 無理にでも強行し、フィエルさんは案の定倒れた。 それはそれはオネットさんは怒って、無茶な力の使い方はしないでくれと言った。


「けどね。 誰かが怪我をしていたら私――使っちゃうだろうなって。 だから、それだけは譲れないって。私もオネも泣いて喚いて怒鳴っての大喧嘩!」


 ぎゃんぎゃん怒って、泣いて――末に話し合って、最後はオネットさんが折れたのだという。


「治癒に関して口出すことはしないって、オネは約束をしてくれたの。 …けど、私が治癒の力を使う時…オネはいつも苦しそうな顔してる」

「……」


 たしかに、デウチ村で怪我をした村人を癒すフィエルさんを、オネットさんは何か言いたげに、心配そうな顔で見ていたのを思い出す。


「私が一番頼りなくて足手まといだから…オネに心配させちゃってるんだけどね」

「!そ、そんなこと…!」

「だってそうじゃない? 治す力は今、使っちゃダメって言われてるし…。 だからね、私、今必死に魔術の勉強をしてるの」


 実はフィエルさんは今、オルディナの生活でお願い事がされている。

 それは、女神の祝福の力である「癒しの力」を極力使わないでくれ、というものだった。

 何しろ欠損した手足も元に戻せる強力な治癒の力だ。 その力が知られてしまえば市井に混乱を招くので、人目がある所ではできる限り使わないでね、というオルディナ王宮側のお願いなのだ。 書類が絡むような契約書ではない分、という言葉が使われているらしいが。


「何かあれば、私はいつも置いてけぼりでしょ? …本当は…私だって魔物相手でも戦えるようになりたい。 自分の身は自分で守りたいし、オネとサクマの力になりたいもの」


 国境門や黒猪に襲われた時、密偵に攫われた時も彼女は俺達を待っていてくれた。 フィエルさんにとって、待っている間はとても無力で不安で、怖いのだと。

 だからこそ彼女は力をつけたいらしく、ケット先生様の元で薬学や魔術を勉強に励んでいる。


「…そっか。 オネットに納得してもらえればいいんだわ!」

「へ?」


 鏡越しにフィエルさんがひらめいたと言わんばかりに笑った。






「…一緒に狩りに出ようって?」

「は、はい。 ダメ…ですか?」


 久々に三人そろっての朝食。

 今日のメニューはチーズが挟まったさくさくのパイに、真っ赤なトマトとオリーブが混ざったサラダ、蜂蜜とシナモンっぽい粉がかかったヨーグルト、デザートにイチジクっぽいフルーツがついていた。

 独身男にゃ考えられないオシャンなメニューである。

 ちなみに、俺の今日の髪型はおさげです。 左右にゆれる三つ編みがこそばゆい。


「いや、…ダメじゃないけど…」


 もごもごと、真っ赤なトマトをフォークで突きながらオネットさんが言う。


 フィエルさん曰く、実践で見せて納得してもらおうではないか作戦! であった。


 オネットさんもフィエルさんも同様、俺が戦うのを見たのは国境門や出会った最初の僅かな回数だけ。 それゆえに、俺自身の戦闘力がイマイチ理解できていないのではないかという話だった。

 つまりは恒例の力を見せたまえ、である。

 たしかに国境門では魔術札を使用していたし、それ以外では地味~な魔術ばかり使っていた。 あれだけでは俺の戦闘力はわかりにくいのかもしれない。


「フィエルさんを送り届けた後、一緒に東南側とかどうですか?」

「……、…わかった、準備しとく」


 オネットさんがオリーブを口に放り込みながら頷く。

 よし、昼の魔物狩りは少々難航するが、同行許可が下りた。 これで俺の魔物狩りの様を見てもらえればオネットさんの心配事もどこかへ吹っ飛び、狩人職をすることを認めてもらえるだろう。 …多分。


「二人とも狩り頑張ってね! よーし、私も助手業と勉強頑張る!」

「あんま無茶するなよ、フィー」

「応援してますね、フィエルさん。たしか…魔術の習得試験って来年の緑秀月三月でしたっけ?」

「そう! 年に一回で、今年はもう終わっちゃったらしいの、次の試験は来年だって。 他にも覚えることが沢山あって本の虫になりそうよ」


 フィエルさんは魔術試験が控えているから大変そうだ。

 オルディナ王国では魔術を一種習得するにも、条件やら試験やらと面倒な決まり事や契約が絡んでるのだという。 だが、フィエルさんはケット先生の元で黙々とこなしているのだ。

 俺自身、彼女に魔術式関連で助言することは契約違反なのでNGになる。 ほんと、あれやこれやと契約に雁字搦めで面倒だ。


 さて、俺も狩りに行く前に準備をしなくちゃな。 そう考えて、サックサクのパイを口の中に押し込んだ。








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