35.就職活動編

 

「このオルディナ王都にね、ドミナシオンの密偵が潜伏してるかもしれないの」


 第二王子の治癒が終わった数日後。 宮廷からいつ出ようかと相談していた時に、フラーウさんから知らされた話だ。


「密偵って…」


 密偵、諜報員、工作員。 わかりやすく言えばスパイ。

 他国の情報を探ったり盗んだりするダブルでオー・セブンな職業だ。 映画の中で暗躍する姿はかっこいいが、高スペック要求されそうな職に就いてる人物が王都に潜伏していると?


「かもしれない? …いるのかいないのか、はっきりしない物言いだな」


 隣に居るオネットさんがボソリとこぼす。

 豪華なゲストルームには俺とオネットさんにフィエルさん、フラーウさんの三人しかいない。

 護衛の騎士達や侍女達は、フラーウさんが気を利かせて一時的に人払いをしてくれたのだ。


 肌触りのいいソファーに深く座り込み、オネットさんとフィエルさんは神妙そうな顔つきでフラーウさんへと視線を向けている。

 もちろん俺だって大真面目に聞いていた。 ただし、フィエルさんの膝の上でだが。

 宮廷生活でフィエルさんのストレス値が激増した事により、緩和処置として俺が抱っこ人形と化していた。


「ごめんなさい、わたし達も完全に把握してきれてないの。 国内にいる他国の密偵を野放にしたい訳じゃないのだけど…オルディナにとっても長年の問題なのよね」


 フラーウさんが気まずそうな顔で眉を下げている。 早い話が、


「…オルディナが捕まえられないほど巧妙に隠れてるってことですか?」

「面目ない話だけど、そういうことになるわ」


 俺はフィエルさんの膝の上で猛烈に頭を抱えたくなった。


(からいる密偵については一切考えもしなかった…!馬鹿!俺の馬鹿野郎!)


 ドミナシオン帝国のドミニス公爵に、わざわざ効果付与を施した魔石を渡し、煽り立てるような真似をしたのはフィエルさん達へ追手を出させないための策だった。

 ドミニス公爵は帝国の上層部をまるっと改革をしようとしている。 その彼が動けばドミナシオン国内は混乱し始め、国外に逃げたフィエルさん達を追う余力は無くなると考えたのだ。

 実際に、オルディナ王国に到着する道中では暗殺者や刺客やらには襲われることはなかったのだが。

 ドミナシオンは国外から魔道具やら魔術の知識を集めてると聞いたし、よくよく考えればオルディナ領に詳しい仲間やスパイがいる可能性が高いに決まってる。


(からオルディナ領に潜伏してる密偵なんてどう対処すれば……ん?)


 俺の腹にまわっているフィエルさんの両手が、微かに震えていたことに気が付いた。


「…フィエルさん、大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫」


 そっと見上げれば彼女は気丈に微笑んでくれた、が。


(…あ、失敗した。 大丈夫か、なんて聞かれたら…大丈夫しか言えないじゃないか)


 やっと安全な国に来たと思ったのに、ドミナシオンの手先が側にいるかもしれないと聞かされているのだ。 大丈夫な訳がないし、気が休まる所ではないだろう。

 なのに、気の利いた言葉すら出てこない。


「ドミナシオンの密偵が…私たちに何かしてくるかもしれない、その可能性が高いんですか」

「…それは…」


 フィエルさんの固い声に、フラーウさんは言葉を濁らせた。


「…違うわね。 私たちというよりは、聖女わたしに、よね」


 諦めを滲ませた彼女の声に、部屋の空気がずしりと重くなる。

 フラーウさんもオネットさんも、どこか感情を押し殺した表情をしていた。 重い話にメンタルが追いつかない俺は膝の上で視線を漂わせるだけ。


 治癒の力をもった聖女。 国境門でも帝国側であるズペイという男は、常にフィエルさんを連れ戻そうと動いていた。 それが帝国の総意だというなら、しつこく狙ってくることもあり得るということ。


「密偵に見つからないように隠れて暮らさないと…ですよね。変装とか…?」

「…それも手だ。 名前や髪型、服装を変えるだけでも違ってくる」

「なら、人が多い王都は避けた方がいいでしょうか」

「そうだな…密偵みたいな奴らは人が多く情報が集まる場所にいるもんだし。…もっと南の町や村に移るのがいいかもしれないな」


 俺の意見に賛同してくれたのはオネットさんだった。 こちらには大賢者仕込みの変装&隠密特化魔道具もあるし、隠れようと思えば透明人間のようになれるのだ。


「そこで提案なんだけど、このまま王宮で暮らすのも有りだと思わない? 護衛も警護も整っているし、何があってもすぐに対応できるわよ」


 そう言ってくれたのはフラーウさん。 彼女も親身に考えてくれているようで、国王陛下や宰相にも話は通しているんだとか。 しかし、お城暮らしには難点がある。


「とてもありがたいお話ですが…その…二十四時間、護衛とか侍女さんがいる状態って一般庶民にはかなり心の負担というか…」


 特にフィエルさんのストレス値増加が心配なのだ。

 案の定、フィエルさんは俺をぎゅうぎゅう抱きしめて首元に顔をうずめてスンスンしはじめた。 抱っこ人形に成り下がってからというもの、不思議と彼女はこういう動作をする。 俺から石鹸のいい匂いがして落ち着くらしい。 けど、今はやめて嗅がないでくれ。 今日はまだお風呂入ってないから!あーっゾワゾワする!


「お城生活はもう嫌…」

「あたしも反対。 だったら城下町で環境整えて暮らした方がマシ」

「…だ、そうです…」

「ん~…嫌われたわねぇ…」


 そういう訳ではないが、お城の環境はどうにも堅苦しい訳でして。


「オネ、サクマ…あのね」


 どこか決意を秘めたようなフィエルさんの声が上がった。

 俺はフィエルさんの膝から解放され、オネットさん、フラーウさんも黙って彼女の言葉に耳を傾ける。


「…私、国境門を超える時、死ぬ覚悟をしてたの」

「えっ」


 それは鼓動が飛び上がるほどの言葉だった。


「オネの力を信じてなかった訳じゃないわ。 けど、戦えない私を連れて国境を出るなんて…私かオネ、どちらかが捕まったり共倒れする可能性は確実にあった。…だから、考えてたの。 這いずってでも逃げてやる!って思う反面、捕まったらどう死ぬべきかって」


 たしかに、国境門での彼女はそんな覚悟を決めたような顔をしていた。


「…帝都に戻されるだけは絶対に嫌。 もし捕まったら舌を噛み切ってやろうかって――なのに今、私はオルディナ王国で呑気にお茶を飲んでる。 すごいと思わない?」


 ちょっと困ったような、おかしくて仕方がないような笑顔でフィエルさんが笑った。


「何年も準備してオネが私を城から逃がしてくれて、偶然出会ったサクマが手助けしてくれて…何かが欠けていたらできなかったし、オネも私も無傷で国境門を越えれなかった。 …奇跡って、こういうことだと思うの」


 フィエルさんの青い瞳は静かに力強く輝いて見えた。――ああ、彼女は、


「オネット、サクマ、お願いがあるの」

「…ああ」

「は、はい!」


 名前を呼ばれて思わず飛び上がってしまう。 大きな青い瞳が揺れたように見えた。


「サクマとオネがいてくれれば何があっても大丈夫だって思える。 密偵は確かに怖いけど…だからって、王宮で匿ってもらうだけじゃ駄目だと思うの。 私は――堂々と胸を張って生きたい」

「フィー…」

「…私と一緒にいれば、またオネにもサクマにも危険なことや迷惑をかけることになる。 私には戦う力もないし、できるのは傷を癒すことだけ。 …私からこんなお願いするのは我儘だってわかってる、けど、」


 俺とオネットさんへと向かう彼女の瞳はまっすぐで、どこか迷いの感情も見えた。 信頼と同時に、俺達への気遣いや心配も含まれていたのだと思う。


「もう少しだけ、一緒にいてほしい。 …いいえ、こんな言い方じゃダメね。 私を、助けてください」


 そう言って彼女は静かに頭を下げた。

 ああ、だめだ。 フィエルさんに頭を下げさせちゃいけない。

 そんな事をさせたくなくて、おずおずと彼女の手を取った。 気づけばオネットさんもフィエルさんの肩を抱き寄せている。


「少しどころかどこまでも一緒だよ、フィー」


 イケメン発言だー! 俺も便乗してかっこいい事を、なんて言葉は出てこないが。 フィエルさんに向けて言った。


「ここまで一緒に来たんですから、おれの問題でもあるというか…せめて一緒に戦わせてください」

「…っ、ありがとう、オネ、サクマ!」


 顔を上げたフィエルさんの青い瞳には、悲観も絶望もない。 オネットさんと俺をまっすぐに信じている瞳で――


 ちくりと、胸に小さな後ろめたさを感じた。


「これでお別れだ、なんて言うと思ってたのか? フィーが嫌だって言っても一緒だから」

「ふふっ!オネなら絶対に一緒にいてくれるって思ってた!」


 顔を寄せ合うフィエルさんとオネットさん、尊い。じゃなくて、


「ええっと…おれ、お二人の邪魔でなければいいんですが…」

「何言ってるの!サクマはみたいなものよ!それに、サクマだってこの大陸じゃ行く当てもないんでしょ?なら、一緒に暮らした方が何かと協力し合えるし! 点大きな厄介ごとも付いてくるけど…」

「お前ら二人ぐらい養ってやれる腕はあるぞ、厄介事もどうにかする。 だから、サクマはフィーの抱き枕になっとけ」


 養う…だと!?またそうやってイケメン発言するー!俺も言ってみたい言葉…じゃなくて、


「なんで抱き枕なんです」

「サクマは抱き心地いいし」

「からかうと面白…子供体温であったかいしな」


 二人の俺への評価、低くない!?


「うふふっ、ほんと三人とも仲良しねぇ」


 フラーウさんが俺達を眺めながら微笑んでいた。


「なんだか大きな戦前って感じだけど、大群が攻めてくる訳じゃないわ。 ドミナシオンの密偵もすぐにフィエルちゃん達に手を出すことはないとは思うの」

「…そう思う理由はなんだ? 確証はあるのか」


 オネットさんがまたまた訝し気にフラーウさんへ視線を飛ばす。 そんな刺さる視線もゆるりと流し、フラーウさんは優雅に紅茶のカップへと指を滑らして持ち上げた。


「ドミナシオン帝国なら、フィエルちゃんを取り戻す為に脅しをかけてくると構えていたのよ。 …けど、なんだかおかしいのよね、帝国の動きが」

「…どう、おかしいんですか?」


 ドキリ、また俺の心臓が小さく飛び上がった。


「あなた方が国境を越えてもう三週間と数日になるでしょ? なのに、ドミナシオン帝国から声明も公文書が一切来ないの」

「…そういや、密偵がいるなら本国の命令で早々に動き出そうなもんなのに、ここまで何も仕掛けてこなかったな」


 オネットさんが不思議そうに腕を組んで頭を傾けた。

 それはそうだろう。 今やドミナシオン帝国国内は、いや、帝都の上層部は慌ただしいことになっている筈だ。


「それなのよねぇ。 国境門でのドミナシオンの兵との小競り合いや、刺客や密偵を防ぐ為にもイロアスくんの部隊に護衛を任せたんだもの。…まぁ、上司には別の思惑もあったんだけど」


 何か今、さらっと重大なことを言われた気がする。


「それなのにドミナシオン側の反応は今だ無し。 珍しく沈黙し続けてるっていうか…」

「あいつらのことだ、もしかしたらこっちに攻め入る準備してるのかもしれない」

「その可能性も考えてはいるわ。 …そうね、もう少しすればドミナシオン帝都にいるオルディナの隠密達から定期連絡があると思うの。 何かわかり次第、あなた達にも教えるわ」

「オルディナの隠密…あいつらには世話になったな。帝都での騒ぎで無事だといいんだが…」

「そうね…。 オルディナとの連絡をつないでくれたり手助けしてくれたものね」

「………」


 フィエルさんとオネットさん、フラーウさんがあれやこれやと会話を進めている横で、俺はごくりと唾を飲み込んでしまった。


 ドミナシオン国内ではドミニス公爵が上層部改革を進めている筈で。 その事を知っているのは魔石を渡して悪魔の囁きをした俺しかいない。

 フラーウさんの話を聞く限り、ドミニス公爵は派手な動きをしている雰囲気ではなさそうだった。


(俺が渡した魔石、ドミニス公爵はうまく使ってくれてるってことか)


 安心したような不安なような。 何分、俺自身の目で確かめていないから何とも言えない。 あちらの問題は丸っとドミニス公爵に全振りしたからな。 彼には頑張ってほしい。…完全なる他力本願だが。 だが、


(…ドミニス公爵との事…言うべきか…?)

 

 この場で言ったとして。 俺が刺客だとか、それこそスパイだとまた疑われるんじゃないか?

 確実に牢獄直行、または極刑で首と体が離脱の可能性だってある。


(い、今は…まだ言うべきじゃない…けど、フィエルさん達は安心させたい…いや、そもそも安心できる情報か?これ)


 ドミナシオンの国は変わりました!もう安全です!なんていう確定情報ではないし、今はまだ何とも言えないのは確かで。

 ブレーンである帝都の上層部が動かないとしても、密偵がフィエルさん達に絶対に何もしてこないという保証もないのだ。


「…密偵について知っていることはどれぐらいなんですか? あ、えっと、おれ達に教えてもいい範囲で構わないので…」

「ええ、あなたたちに教えてもいいって許可はきちんと貰ったから。あ、本当のことだから安心してね」


 申し訳なさそうにフラーウさんが苦笑する。

 まだどこか、俺を調べるために騙した事を負い目に感じているのかもしれない。


「国王陛下と対談した時にも話したけど。 刺客として国王や王族を狙ってきた者達は、人族と他種族の混血児やオルディナ国民の者も多数いて…その全員に洗脳術式を施されていたわ」

「…使い捨ての駒…のような扱いですね」

「ええ、非道な行いでしかないわ」


 何度聞いても胸糞の悪い話だ。 


「その刺客達はドミナシオンから来てるのではなく、オルディナ領のどこかにいる密偵が洗脳術式を施してるんじゃないかって考えてるの」

「密偵自身が術式を…?」

「ええ、または術式を使える人物を囲ってる、とかね」


 結界の魔道具のおかげで、洗脳術式を施された人間はオルディナ王国に入ることは出来ない。 途中で術式の効果が切れて挙動がおかしくなり、一発で見分けることができるからだ。

 だからこそ、オルディナ領土内で密偵が刺客捨て駒を用意してるのではないかという話だった。


「密偵が隠れ蓑にしそうなのは、ドミナシオンからの移民や商人あたりだと思われてたの」


 フラーウさんの話だと、ドミナシオンからの移民は年に百人前後は入ってくるらしい。 過去五十年分の移民達の情報や素行には目を光らせていたのだとか。

 その成果もあり、二十年前には移民の中から密偵らしき人物を数人捕まえることに成功した。 のだが、取り調べ中に疑惑の人物達が自害し、思うように他の密偵の情報を引き出すことができなかったという。


「それから二十年程は元移民達からは密偵者が出ていないし、怪しい動きをしている者もいないわ。 他のところでそれっぽい人物を捕まえたりはしたけど…わたし達が追ってる密偵の情報には繋がらなかったの」

「…相手も隠れるのが巧くなった、そんな感じでしょうか」

「そりゃそーだろ」


 横に座っているオネットさんが、飲みかけの紅茶をガチャリと机に置いた。


「何年もその土地で住めば馴染むもんだし、やりようによっては知り合いや友人もできる。 もちろん恋人や子供もな。 数十年経てば立派なオルディナ国民だ」


 土地に根付いて身を隠し、目立たないように慎ましく暮らす。 そして、事情を知らない人を利用したり情報を引き出したりと、裏の裏で動くのが密偵のコツだとオネットさんが言う。


「まさにオネットちゃんの言う通りよ。 移民といっても、時がたてばオルディナ国民と変わらないぐらいに溶け込んでしまってるし、大半は平凡で慎ましい良い人々よ。 何より全員が密偵な訳じゃないし、移民周りの関係者も多くいるから…とてもじゃないけど特定し辛いの」


 メルカートルやオルディナ王都、北の大森林のモンテボスケの三つの大きな街は特に人の出入りが多く、術式に関する魔道具や情報も集まる。

 それぞれに出入りできる人物、商人や物流を担う業者、狩人、どれかに、またはすべてに密偵が扮している可能性が高いらしい。

 人の出入りが多いなら紛れ込みやすいだろうし、港町のメルカートルなんて大陸外への玄関口でもある。 情報を集めるにはとてもいい環境だろう。


「だからこそ、城の外で暮らすのなら三人には注意してほしいの」


 フラーウさんの青紫色の瞳が細まった。


「近づいてくる人には気を付けて」


 それは明確な警告だった。











(――近づいてくる人、か)


 とまあ、そんな密偵話をフラーウさんから聞いてから一週間たった訳で。

 俺達はある目的もあって狩人寄宿舎に身を寄せているが、現時点で怪しい人物は見当たらないし、近づいてもこない。

 あえて言えば、俺達が物珍しい目で見られてるぐらいか。

 国王陛下直々にオルディナ国民だと太鼓判を頂いてはいるが、よそ者特有のオーラは隠せないようでどこか悪目立ちしているのだ。


(とはいえ、金を稼げねば生活はできぬ、世界は違えども一緒だよな)


 寄宿舎に身を寄せている目的は、金稼ぎの為、である。


 金が無くては飯が食えないし、服も寝る場所も、スローライフの為に田舎へ引っ越す為にも軍資金が必要なのだ。

 オルディナ王国から援助金を送ると提案されたが、フィエルさんとオネットさんが断固拒否という構えであった。 その様は完全に「あとでどんな要求されるかわからないので借りは作りたくない」と言わんばかりで。 そこは致し方がないだろう、只より高いものはないって言うし。


 一軒家と畑が買えちゃうぐらいには懐は温かいので、俺を頼っていいですよ?と、さりげないドヤ顔で挙手をしたが、


子供ガキから金を毟り取る程、落ちぶれちゃあいないぞ。 お前の金なんだから将来の為にもとっておけ』


 と、真顔で拒否られた。

 オネットさんもフィエルさんも、二人は根っから真面目な子達である。


 フラーウさんと相談した結果は、俺達は王都で軍資金稼ぎをすることになったのだ。

 密偵の件もあるので、オルディナ王宮側が信頼している東地区の寄宿舎や、狩人組合にも繋いでくれた訳で。

 更に、フィエルさんにはオルディナ精鋭の隠密がステルス警護を常に付け、何かあればすぐに隠密の助けや、不審者が近場にいれば安全確保と報告もすると約束をしてくれたのだ。

 オネットさんは信頼できるかどうか審議中の顔をしていたが、戦力は多い方がいいという形で納得してもらった。


(うーん、変装とかした方がいいんだろうけど…フィエルさんは逃げも隠れもしないスタイルというか…。まあ、いざとなれば魔道具で隠れることもできるか)


 カップに残っていた牛乳を一気に飲み干すと甘くて濃い味が喉へと流れていく。 牛乳うめぇな!


「ふふっ、サクマ、口に牛乳がついて髭みたいになってるわよ」

「ぷは、あ、むぐ」

「はい、これで完璧!」

「……ど、どうも」


 フィエルさんが優しく俺の口の周りをハンカチで拭ってくれた。 その姿はまさに弟を構い倒すお姉ちゃんそのものである。

 本人心底楽しそうだからいいけどさ、こちとら中身三十五歳のおっさんだぞ?


「は~、朝からたっぷり食べちゃった、しっかり動かなきゃね!」

「いい食べっぷりだったねぇ、フィエルちゃん!これからお手伝いなんだろう? 気を付けていってきなよ!」

「うん!ミテラさん、ごちそうさま!じゃ、いってきます!」

「ごちそうさまでした!」


 食べ終わった食器を厨房に続くカウンターに乗せ、ミテラさんに見送られながら俺たちは寄宿舎を飛び出した。


「はーー、今日もいい天気ね!」

「そうですね、日に日に暖かくなりますね」

「オルディナは北よりとても暖かいわね、夏はどれぐらい暖かくなるのかしら?」


 空を見上げれば、晴天で午前の太陽は眩しく輝いていた。 多草月五月も、もう少しで終わる。

 夏の気配を感じる陽射しの中、広い畑の合間に伸びる道を足取りも軽くフィエルさんが進んでいく。 その後ろ姿を俺は離されない程度に追いかけた。

 青い空に緑色の畑、その間に揺れるヘーゼルナッツ色の髪はとても鮮やかに目に映える。


 無理をして笑ってないだろうか、そんな余計な心配事を考えてしまう反面、俺の心中は少しざわついていた。


(――いつ、言えばいいんだろうか)


 彼女達に言えないことがいくつかある。


 ドミナシオン帝国のドミニス公爵のこととか、見目は子供でも中身は三十五歳とか、異世界から来たとか、


 俺が、人ではないこととか。


(フィエルさんやオネットさんは…どう思うんだろう)


 嘘をついて誤魔化していたことを怒るだろうか、呆れるだろうか、それとも――気味悪がるだろうか。

 国境門でそれとなく匂わせ申告しているが、彼女達はそれでも構わないと言ってくれた。 けれど、隠している内容が突拍子も無い事だけに、どう反応されるかがわからない。


(何考えてんだ、俺。 言える訳がないだろ)


 特に俺自身のことは余計な混乱を与えるし、不安にさせてしまうかもしれない。言う必要性なんかない筈だ。

 なのに、グルグルと仕方がないことを考えてしまう。


(…ああ、フィエルさんの目だ)


 まっすぐに、信頼してくれたフィエルさんの青い瞳。

 彼女は、全部心情を吐き出して向き合ってくれたのだ。 その彼女の信頼に、俺は答えたくなった。

 危険だとしても構わないと思えるぐらいには。


 彼女達は優しくて、いつだって一生懸命で、まっすぐに前を向いて生きている。

 それなのに、俺は彼女達に隠し事をし続けている。 その事をどこかで後ろめたさを感じているのかもしれない。


(ああ~…しょーもな……忘れてたけど、俺って)


 人と正面から向き合うことが大の苦手だった。

 あんまりにも必死すぎて、一人じゃない環境が長く続いているから忘れていた。


『サクマは家族みたいなものよ!』

『養ってやれる腕はあるぞ』


 オネットさんとフィエルさん、彼女達と一緒にいると楽しい。

 気持ち悪いと言われないし、気味悪がられないし見下されることもない。 存在を無視されないことに安堵感があった。

 名前を呼ばれる事が、こんなに嬉しいものなのかとも知った。

 優しくされたら、優しくしたい。 素直にそう思えたのは何年ぶりだろう。


(…いつまでも一緒にいられる訳じゃない。 それを忘れるな)


 自己暗示のように頭で唱えた。 ここ数日、ずっと考えている事だ。

 人と人との関係は、日々の積み重ねや価値観の違いや勘違いで小さな変化ができる。 互いの環境の違いからでも大きく影響される訳で。

 その先の結果が、関係の破綻だ。 三十五年間何度も味わってきたじゃないか。


 〈一緒に暮らすんだ、家族だと思って〉


 はるか昔に俺が言われた言葉。

 何番目だったか、母の再婚相手の言葉だ。 一時期、一緒に暮らさないかと話しを持ち掛けられたことがあった。 学生の頃だったか――結局は、その再婚相手とも色々あって母は離婚してしまったが。


(…期待をしちゃいけない。…ずっと一緒になんて居られないだろうし)


 期待をすればするほど、何かあった時の反動が、怖い。


「サクマ!ぼんやりしてたら置いてっちゃうわよー!」

「あ、はい!今行きます!」


 ぼんやりとしていたらフィエルさんに笑われてしまった。

 彼女の笑顔がやっぱり眩しくてまっすぐで、俺はごちゃごちゃとした思考に蓋を閉じた。










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