28.検査と修理と短期観光編


 黒猪を倒した数分後、オネットさんが魔物の群れを殲滅させたイロアス隊長とフラーウさん達を先導して戻ってきた。

 その直後に何が始まったかというと――悪夢の巨大な黒猪の解体作業だった。


「五番隊アルアクル、いきまーす!」


 陽キャ属性のアルアクル隊員が黒猪の腹を縦一文字に切り裂くと、裂け目からぬらぬらとしたデカイ臓物があふれ出た。 途端に生暖かい湿気を帯びた臭いが辺りを充満する。


 命を奪った時は一瞬だったが、解体処理が一番に手間暇がかかるうえに生々しい作業だった。

 手順としては、血抜きや臓物摘出、毛皮や頭や尾っぽを部位ごとに切り分けるらしい。

 新鮮そうな臓物を目の前に俺はへっぴり腰になってしまった。 しかし、これは俺が狩った黒猪なのだ。 しっかり解体してBBQにするのだと気合で臓物を片手で掴んだ瞬間、触れた臓物の生暖かさと滑る感触に胃と喉が震えた。

 やばい吐きそう。 臓物を掴んでいない片手で口を鼻を抑え込んで後ずさり。


「ちょっと、アンタが狩ったんでしょうが。 もっと真面目に内臓引っ張りなさいよ」

「…う゛ぐぅ…うぅぐぅ…」

「アッハ、何言ってるのかわかんなぁい。 ほら、もっと中に手を突っ込んでよ」

「っ~!~~~!!」

「…おい、サクマいじめんなよ。 こいつナイフすらまともに扱えないんだから、猪の解体なんてできないぞ」


 ミーティ隊員に首根っこを押さえられている俺を哀れに思ったのか、オネットさんが助け舟を出してくれた。 今だとばかりにミーティ隊員の手から逃れてイケメン女子の背に隠れる俺。


「まひゅつ…ま、魔術無しの解体だと…俺にできることはあまり無いかと…」


 押さえていた鼻を解放しながらお手上げポーズ。

 一軒家ほどの大きさがある黒猪の解体は大掛かりになりそうだった。 解体に慣れた大人が数十人必要となるだろう。

 非力な子供握力しかない俺が手伝えたのは、黒猪の全身に含まれる人体に害のある菌と寄生虫の除去や血液を術式で対外へと排出、冷凍して固めて積み上げる作業のみ。 これだけでも結構な働きだと思う。

 中でも寄生虫やダニを除去した時の光景は身の毛のよだつものだった。 寄生虫も特大で大量という地獄絵図。 絶対今夜は悪夢見そう。

 根性で内臓処理もしようと立ち会っていたがリバースしそうで白旗を上げた。 諦めが肝心である。


「あんな大きな魔物を一瞬で倒したっていうのに変な所で臆病ね!…まあいいわ」


 そこでミーティ隊員の声質が変わったことに気が付いた。


「チビのお子様の癖にこんな大きな魔物を一人で倒せたんだもの。……一人前って認めてあげてもいいわよ」

「…はあ…」

「何よその間抜けな顔! さっさとあっち行ってて!解体の邪魔よ!」


 どうたら俺は許されたらしい。魔物を倒せたら一人前みたいな風習でもあるんだろうか。

 少しだけ態度が軟化したミーティ隊員は黒猪の腹わたを豪快に引っ張り出そうとし始めた。グロ耐性力強っ。

 俺はそっと猪から離れつつ、謎の体液で塗れた片手をゴシゴシと布きれでふき取った。 できればアルコール消毒もしたい。


「助かりました…まだちょっと生々しいのは厳しくて…わぶっ」

「助かったのはこっちだ、怪我がなくて何よりだよ。あんなでかい魔物を魔術一つで倒すなんてすごいな!」


 わしゃわしゃとオネットさんに頭を撫でられる。 背の高い彼女を見上げればどこか心配気な緑色の瞳と視線が合った。


「ほんとお前さ…。一人で戦わなくても良かっただろ」

「あ、…ですが、あの時はああした方が早いかなと…」

「たしかに、サクマの魔術があれば早いだろうけどな」


 ふと、俺の目線に合わせてオネットさんがしゃがみ込んだ。 鮮やかな緑色の瞳は真っ直ぐ俺を見捉えている。


「…サクマ。お前は今、魔術の使用を制限させられてるんだぞ? 血の契約書の制約は強いって聞いてる。 いざって時に魔術が使えないってなったらお前は剣もまともに使えないただの非力な子供だ」

「……そう、ですね」


 確かにオネットさんのいう通りだ。 その実、制約は俺にはあまり効いてないが、彼女はその事を知らないのだ。


「だから、あたしを頼れよ」


 俺の頬をオネットさんのかさついた指が触れ、鮮やかな緑色の瞳は優しげに細められていた。


(…心配、してくれてるんだ)


 いやだこのイケメン女子、かっこよ!


「お、…おれ、オネットさんに助けられてますよ。さっきだって馬車に引っ張ってもらえましたし、それに…」


 右も左もわからない異世界だ。 人族の大陸で呑気に観光出来ているのは、目的が似たフィエルさんとオネットさんと一緒に行動しているからという面が大きい。

 あれ、そういえば。


「…フィエルさんは今どこに?」


 きょろりと周りを見渡しても、フィエルさんの姿がない。

 黒猪の周りにはイロアス隊長とミーティ隊員、アルアクル隊員、そして、フラーウさん。

 いつの間に駆けつけていたのか、何やらフラーウさんは興奮してるようで黒猪の頭周辺で女騎士達に指示を飛ばしている。 

 この場にいないレフィナド隊員とキエト隊員、テネル隊員、ネーヴェ隊員、セルペンス隊員の誰かがフィエルさんの護衛にあたっているのだろうか。


「…ああ、フィーならデウチ村でケガ人の治療してる」

「えっ」


 オネットさんが少し困った顔になった。

 それ、フィエルさん魔力枯渇になってない? 大丈夫?







 魔物の群れに襲撃されたデウチ村は、何軒か家が半壊する被害もある様子だった。

 燻る煙が数カ所から上がり、あちらこちらに魔物の死体が転がっている。 それを片付けている兵や怪我人を運んでいる者、手助けし合っている村人の姿も見えた。


「…ふぅ、はい、これで治りました」

「ああ、ありがとうございます、聖女様…!」

「次はこの子を見てやってください! 狼の群れから逃げた時に足を噛み付かれてしまって…!」

「待って!こっちの娘を先に見てくれ! 腕を齧られたんだ…!こんなに血が…!」


 デウチ村の広場へ向かうと魔物の群れに襲われたのだろう人々が横たわっていた。

 その側では女騎士のテネル、セルペンス、ネーヴェ、キエト隊員達がそれぞれ治療にあたっている。 そして、広場の中央に二十人ほどの村人達が群がり、村人の中心地にフィエルさんはいた。

 治癒の能力で重度の怪我人を治しているようだった。 辺り一帯にフィエルさんの輝く魔力が溢れているのは魔力を全開にしている証拠だ。


「そう急かすな! 順番を守れ!治癒できる回数は限られている! 聖女の治癒は重傷者を優先だ!」


 フィエルさんの横にいるレフィナド副隊長が群がっている村人達を落ち着かせようとしていた。 だが、我先にと子の怪我や家族の怪我を治してくれと求める声が上がっている。


 こりゃあかん、暴動起きそう。

 そもそもフィエルさんも治癒できる回数はそんなに多くはなかった筈だ。 下手をしたら魔力枯渇を起こしかねない。


「オネットさん…!フィエルさん止めないと…!」

「…治癒をしたいって言い出したのはフィー自身だ。 ああなったフィーはテコでも動かないぞ。 大体、いつも魔力枯渇起こす寸前で止めてる」


 どこか淡々と言うオネットさんの顔は慣れているような、どこか苦し気な表情をしていた。 過去に似たようなことがあったのかもしれない。 ともあれ、今はあの状況をどうにかせねば。


「…オネットさん、軽傷そうな人達を選別して抑えられませんか?」

「大人しく列ばせろって?」

「はい。あんなに群がられては危険ですし、レフィナド副隊長の言うとおり重傷の人を優先していかないと。 下手をすれば村人が喧嘩したり暴れたりするかもしれません。…おれはフィエルさんが魔力枯渇しないように手伝います」

「…わかった。フィーを頼んだ、サクマ」

「はい。…憎まれ役を任せてすみません、オネットさん」

「そんなこと気にすんなよ」


 早々にオネットさんを頼ることになりなんともお恥ずかしい所だ。 だが、オネットさんはどこか嬉しそうに笑っていた。

 いざ!と気合お入れて群がる村人を掻い潜りフィエルさんの元へと行こうとしたが、身体の質量が小さいせいで弾かれてしまった。 向きになって人込みに突入しようとした途端、ズガンとでかい音とドスの効いた声が広場に響いた。


「いい加減にしやがれ!それ以上喚くなら治療の邪魔だ!ぶん殴って黙らせるぞ!」


 オネットさんが片足を石畳の地面にめり込ませた音だった。 強化術式を使ったのだろう、クレーター地割れが出来ている。 その声と音に驚いたのか村人達が静まり返った。

 俺も一緒になってビビったが、今の隙に人の間をすり抜けてフィエルさんの元へと駆け寄る。


「…サクマ!黒猪を倒したのね、遠くからでも見えてたわよ!」

「フィエルさん、後でお肉祭りですよ」


 人だかりの中心、フィエルさんは地面に膝をついて怪我人の手を握っていた。 その光景はなんともありがたみがある。


「…魔力枯渇は? 今、治療は何度目ですか」

「この人で五人目かしら。 サクマが貸してくれた魔石って凄いわね!まだ余力はあるから大丈夫」


 地面にはおびただしい血が溢れている中、フィエルさんが手を握っている人の怪我はゆっくりとふさがりつつあった。

 純魔石があるとはいえかなり魔力を使ったのだろう、フィエルさんの顔は少し悪い気がする。

 女神に与えられた祝福の力は怪我の大きさで魔力消費が違うのだ、以前に彼女が言っていた筈だ。それに、


「…フィエルさん、治癒を行う時に魔力を全開にしすぎてます。一箇所に魔力集中しないと消費が激しくなりますよ」

「えっ、ほんと?…力みすぎてるってことかしら」

「そんな感じです。魔力の無駄な消費を抑えれば治せる人数は多くなります。…おれも手伝いますから」

「…ええ、わかったわ、サクマ」


 体に力を込め続けているフィエルさんの手を握ると、魔力を一点に集中しやすいように魔力の流れを誘導した。

 途端、フィエルさんの魔力の全開モードから出力が絞られて魔力が安定し始める。

 魔力操作はこの身体に叩き込まれているのだから造作もない。 フィエルさんも懸命に魔力の流れをコントロールしようとしているのがわかった。 暫くすればコツを掴めるようになるだろう。

 集中を邪魔しないよう彼女自身に魔力増幅の術式をかけておく。 そうすれば、魔力枯渇になるのを引き伸ばせるだろう。 もちろん、周囲に術式の光を見えないように認識阻害の魔道具で威力全開で隠しながらだ。

 魔道具の仕様上、俺の目からは術式の光は見えているが第三者からは見えてない筈。 魔術の術式を見せるなっていう制約面倒だなぁ、自動発動するように魔道具を調整しておこう。


「おお…見てみろ…!傷が消えていくぞ…!ああ、聖女様のお力は凄い…!奇跡だ!」


 フィエルさんが治癒をしている人の怪我が目に見える速度で癒えていった途端、周りから歓喜の声が上がった。


「次は息子を…!」

「うちのおっかさんを治してやってくれ…!」

「お願いします!娘の怪我を…!」


 再び村人たちがフィエルさんに群がる前に、俺は大きな声で村人たちへ訴えかけた。


「意識があって動ける方はおれの前に並んでください! おれは軽度の治癒術式が使えます!押さないで!慌てないでください!」


 同時に発動しているのが魔力操作と魔力増強術式、それに魔道具で隠蔽術式になる。 治癒術式を追加すると合計三つになるがどうにかなるだろう。 怪我人の頭数を減らしてフィエルさんの負担を軽くすべきだ。


「おい、群がるな!並べってんだ!ほら、そこの子供は足だな。軽傷のやつはこっち!重い怪我はこっちにならべ!」


 オネットさんが空気を読んで村人たちを整列し始める。 だが、村人たちの反応はまちまち。 子供が魔術を使えるのかと訝しげにだ。

 人垣の一番前、腕に怪我をした若者を見つけて俺は手招きをした。

 尻込みしているその若者は、オネットさんに蹴飛ばされて前にへと押し出される。ナイスアシストです、オネットさん。

 村人たちからの疑い目をスルーし、若者の腕に消毒術式をぶっかけてから治癒の術式をぶちあてた。

 すると、魔物の咬み傷が徐々に治っていく。 祝福の治癒ほど綺麗には治せないが、ゆっくりとした速度で若者の傷口はふさがった。


「…すげぇ!治った!痛くないぞ!嬢ちゃん、ほんとうに魔術士なんだな!ありがとうな!」

「お嬢ちゃんじゃありません、治ったら掃けてください。はい、次の人!」

「む、娘をお願いします…!」

「息子の背の怪我を…!」

「おら!並べ並べ!横入りすんな!」


 オネットさんの協力の元、村人たちの治療はスムーズに進んだ。

 隣のフィエルさんは重傷者を順々に治していくのを横目で確認し、俺自身も軽症者の治療をしていくという流れ作業。

 そんな野外病院よろしくな治療活動を続けて数時間、気付けば魔物の襲撃で怪我を負った人はいなくなっていた。


 夜空に星が輝きだした頃には村人達から感謝の声が上がり、黒猪の解体された新鮮な肉も届いて広場で村人総出のBBQ大会へと変わった。 その頃には村の広場には黒猪の肉が焼かれ、あたりには焼き肉のいい匂いが漂っている。

 腹が満たされれば希望も湧いてくるのだろう。 治療が終わった人々も魔物と戦った兵士達も、皆そろって広場でわいわいと賑やかな雰囲気になっていた。


「フィエルさん、気分悪いとかありますか?くらっとするとか手に力が入らないとか…」

「いいえ、大丈夫。平気よ」


 崇め奉られそうになっていたフィエルさんと俺は村人達から一旦離れ、広場の隅っこへと退避していた。

 フィエルさんに魔力枯渇の症状が出てないかチェックタイム。 疲労しているのは確かだが、枯渇症状は出ていないようでひと安心。


「何十人もの怪我を治せたのは初めて。…サクマのおかげね」

「おれは補助をしただけですよ」

「私が魔力枯渇を起こさないようにしてくれていたでしょ?…簡単にできる事じゃないって私でもわかるわ。…ありがとう、サクマ」


 フィエルさんの細い指先が俺の子供サイズの手を柔く握った。くすぐったいような照れくさい感情が胸を過ぎる。

 素直にお礼が言えるのは素晴らしい事だ。 俺は性格がひねくれているせいでお礼を言うのも言われるのもどこか腰が引けてしまって素直に受け取れなくなってしまった。


「…フィエルさんの努力があってこそです。 …ですが、治癒回数が伸びたとはいえ今回のような場面での治療行為は危険ですよ」


 下手をしたら暴動にもなりかねないし、フィエルさん自身も魔力枯渇を起こして倒れるかもしれないのだ。


「…でも、私…手助けになるのならどうしても力を…使わなきゃいけないと思ったの」


 フィエルさんのどこか不安気な声は使命感というより、義務感のような物を感じた。


「理由を聞いても…?」

「…贖罪、かしら。…私、何人もの同胞の子たちを踏み台にして逃げてきたから」


 許されたい為に、この力を使っているのかもしれない。そう彼女は呟いた。


「人助け、なんて言葉は立派だけど。結局は私自身の為よ」


 この力で辛い目にもあったけれど、自身が犯した罪が贖えるのならば治癒の力を使うと、フィエルさんはそう言った。


(悔やむことはない。誰だって自身が一番なんだ)


 それにドミナシオンはこれから変わる筈だ。ドミニス公爵が動き始めた今、時期に変革が訪れる。

 ――なんて、彼女に言える段階ではないけれど。


(…こういう時、なんて言えばいいんだろう)


 これで高身長バリイケメンが言えば何でもカッコイイこと間違い無しだろうが、生憎と見目十歳前後のチン毛も生えていないボーイである。


「魔石があるとはいえ、おれの目の届かないところで無茶しちゃダメですよ」

「…うん、わかったわ。…ふふ、どちらが年上かわからないわね」


 目尻を下げてフィエルさんが小さく苦笑する。そんな彼女を笑わせたくてイケメン女子の二番煎じを実行した。


「…おれ、実は大人なんで。もっと頼ってくれていいんですよ」


 キリッとした声と顔を作ってフィエルさんを見つめると彼女はくすりと吹き出した。


「またその冗談? ふふふっ、森人も竜人も長寿種族だけど、成人する前後ぐらいまで成長速度は人族と同じって知ってるのよ?」

「ソウデスヨネー」


 混血児摩訶不思議設定で年齢詐称できないかと企んでいたが無理だった。


「…でも、弱気になった時はサクマに甘えようっかな」

「おれの胸板でいいならいつでもお貸しします、…う゛ぇほっ」

「ふふふっ! あははっ、そこで咽せないでっ…!」


 拳で胸をドンと叩いた瞬間におもわず咽た。 かっこつけようとした罰だろうか。 だが、フィエルさんが笑ってくれたから良しとしよう。


「フィエルさん、お腹空きませんか?そろそろ黒猪も…」

「おーい、フィー!サクマー!黒猪が焼けたぞー!飯食おう、飯!」


 薪の近くにいるオネットさんは、いつの間にか村人達に混じってBBQ大会をしていた。

 先ほどまで威圧して村人達から恐れられていたのに、彼女は嬉しそうに焼き色がついた肉をブンブンと降っている。

 久しぶりの動物性タンパク質が嬉しいのかもしれない。肉が食べたいっていってたものな。


「オネットさんがお肉ではしゃいでますよ、おれ達も焼肉大会に参加しましょう」

「ふふふ、ほんと! オネはお肉料理が大好きだから」

「猪のお肉って美味しいんですか? おれ初めて食べます」

「食べたことがないの?下処理さえしっかりしていれば美味しいのよ!」


 フィエルさんが言っていた通り、下処理がうまい人がいたのかまたは女騎士達の手際が良かったのか。 噂に聞くような臭みはなく豚肉に近い上等なお肉だった。

 数時間前まではモ◯ハンよろしく走り回っていたが、解体され細切れにされてしまえばスーパーで売ってある食材そのもの。

 今度魔物を狩る機会があれば真剣に解体の方法を学ぼうと、両手を合わせて黒猪のお肉に舌鼓をうった。





※※※※※






 魔物の群れに襲撃にあったデウチの村の端っこに野営スタイルで一泊することになった。

 デウチ村の宿屋に泊まる事を勧められたが、家を破壊されてしまった人達を尻目に俺達だけ優遇されるのは憚られるので、慎ましくテント就寝一択となったのだ。


「あの黒猪、どうしたい?」

「っ、…なんですか、いきなり」


 テント群の隅っこで血やドロで汚れた上着を洗っていた俺に話しかけてきたのは、正統派王子様なイロアス隊長だった。


「…あの黒猪…夕食でかなりお肉消費したと思ったんですが、まだ沢山残ってるってるんですよね」

「ああ、解体は済んでいるが…アレをどうしたい? 狩った者に所有権があるからな、聞きに来た」

「どうしたいと言われても…」


 イケメンを尻目に、桶に汚れた上着を入れて土や泥を流し落とす。 こういう時に現代文明の神器である洗濯機がほしくなる。


「数日食べれるお肉を少し頂ければ…おれはそれでいいです」

「…黒猪の心臓から取り出した赤魔石や、残りの内臓から血や肉や骨はどうする」

「生々しい素材ですね…俺が持っていても活用方法が思い浮かばないので…うーん…」


 あれだけ大きいのだ、さぞや大量の食糧やら素材やらに使えるだろうが。


「デウチ村の人々に譲ろうと思います」

「…譲るのか?全てを?」


 ふと、イロアス隊長の声が動揺したのを感じ取った。

 振り返ればキリッとした碧眼を少し見開いて俺を見つめている。もしかしたら欲しい素材でもあったのだろうか。


「今回の魔物の群れの襲撃で被害が出た筈です。魔物は何から何まで素材になると聞きました。いい復興支援だと思うんですが…ダメですか?」

「…いや、村人達は大喜びどころか…逆に大儲けだ。 稀に見る大物な上に頭部の中身以外、どの部位も無傷な状態なのだ。 小金貨数枚分の価値になる」

「小金貨…数枚…」


 数千万オーロ、日本円にすると一千万円以上の値段になるのか。ひぇー。


「…なおのこと、デウチ村に譲ります」


 俺の懐には浮島から拝借してきた金貨と小金貨数十枚が手元にある。

 懐が暖かいと割とどうでもよくなるというか、でかいナマモノを直で魔道収納袋や鞄に入れるのも抵抗感があった。例え、時間停止で新鮮なままだとしてもだ。 そもそもデカイ生肉と内臓は何で包めばいいんだよ。

 価値があるというのなら、その価値を知っている人達に譲って有効活用してもらった方が黒猪も報われるだろう。

 俺が持っていてもタンスの肥やし、宝の持ち腐れだ。


「イロアス隊長、もしかして何か欲しいものでもありましたか」

「…魔物の心臓から取り出した赤魔石を買いたい」


 俺の予想があたったらしく、イロアス隊長は明後日の方向へ視線を向けた。 何やら気不味いらしい。

 一軒家サイズぐらいの大きな黒猪だ。相当大きな赤魔石が出てきただろうな、俺見てないけど。


「…別に金銭のやり取りしなくとも勝手に持って行ってください。俺が狩ったとはいえ、解体したのはイロアス隊長達です。何割かはあなた方の取り分として受け取るべきでは?」

「…いや、支払う。本来ならば我々が討伐すべき魔物だった。なのに、警護すべき対象者が魔物を狩ったのだから、実に情けない話だ」


 今回の黒猪の件はイロアス隊長にとって失態案件らしい。


「しかも、我々が守るべき民…村人達の傷まで癒してもらった。…部隊を代表して感謝を」


 そう言うと、イロアス隊長は俺へ向けて頭を下げるように敬礼をした。その様はなんとも道に入っている。


「…感謝を言うべき相手が違いますよ、頑張ったのはフィエルさんです。俺はただ…やれることをしたまでです」

「フィエル嬢やオネット嬢にも感謝は伝えた」

「…そうですか」


 以外な返事が返ってきてちょっと驚いた。 他者に頭を下げなさそうなのに。

 正統派王子様カラーの隊長はいつだって鉄仮面で感情を少しも表に出さないが、根は至って真面目なのだろう。

 その彼が、小銀貨八枚を差し出してきたのを半眼で見つめた。 赤魔石の値段分なのだろうが、それでも多い気がする。


「どうしても払いたいんですか? そんなに護衛対象に借りを作るのはお嫌いですか」

「…素直に受け取ったらどうだ」


 俺の反応が気に食わなかったのかイロアス隊長の眉間が不機嫌そうに皺がぎゅっと寄った。ハイハイ、ワカリマシタ~。


「…では、報酬として受け取ります。赤魔石はお好きにどうぞ」

「ああ、助かる」


 交渉成立。そうして、赤魔石のお代として銀貨五枚が俺の懐に入った。


 大物の黒猪もデウチ村に譲り受けることとなった翌日、村長や何人もの村人から礼や感謝の言葉となって俺達へと降り注いだ。 ちょっと引くぐらいに感謝された。


 黒猪の内臓から血や肉、骨、毛皮、爪や牙はデウチの村人達の手により日持ちする食糧品に加工されたり、素材として選別される。 それから大きな街に運ばれ、魔物専門の商人に売ってお金になるらしい。

 更にそれらの素材を買った商人は別の商人らに売ったり買ったりの取引をし、最終的に黒猪の素材達はオルディナ領の全域に運ばれることになるんだとか。物流の流れって面白いなぁ。


「お前、一攫千金の機会逃したのかよ?」

「なんですか、なんでオネットさんが呆れた顔してるんです」


 デウチ村の村人達に大感謝状態で見送られながら東へと移動を再開したのだが。 馬車の中でイロアス隊長とやり取りを説明し終えると、オネットさんは勿体無いとばかりに半眼で俺を見つめていた。


「…お肉なら何日分か受け取りましたよ?」

「そーゆー事じゃなくてだな…」

「オネットさん、お肉食べないのなら俺とフィエルさんで食べますけど」

「誰が食べないって言ったんだよ。肉なら食べる」


 オネットさんならそう言うと思った。


「猪のお肉、なんの料理が合いますかね」

「塩胡椒で焼肉だろ」

「私は煮込みがいいかしら」

「鍋にするのもいいですね」

「うふふっ、お腹が空くとおもったらもうお昼時だものねぇ」


 フラーウさんが可笑しそうに笑う。 釣られて亡命組三人も吹き出して笑った。


 東に一日掛けて移動するとヘラフィの街がある。 そのヘラフィから三日かけて東へ進み、大きな湖を左手に川を渡ればオルディナ王国へやっと辿り着くのだ。


 短期旅行の終わりは近い。










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