異世界での二度目の人生は孤独死を回避したい。

森山

1.プロローグ


 早久間さくま こう (35歳) 北海道在住、独身。

 職業:漫画家背景アシスタント(フリー)

 臆病で、少し神経質なコミュ障拗らせ男。


 たとえば、とある企業から着信がくるとする。

 対応せざる得ない時に「早久間 功」というおっさんがどんな心境に陥るのか。


 何故、企業が個人に電話をかけてくるのだろうか。しかし何の用事なのか思い当たる節がない。アンケート調査?それとも断るのも面倒な追加有料オプションの押し売りか?

 知らないうちに自分が何かやらかしたのではと不安が頭をよぎり神経が逆立ってくる。相手の顔すら見えないというのに、見知らぬ相手への緊張でストレス値がゴリゴリ上がる気が弱いおっさんだ。

 最初の数秒さえ我慢すれば後は楽になるのに。だからスマホはいつだってマナーモードにしていた。着信の音が怖いのだ。アラームの音すら苦手意識があり、目覚まし代わりのアラームをかければ2時間前には目が覚めるという遅刻や寝坊知らずの体質。その実、アラームに対して極度にストレスを感じるという過緊張という症状らしい。

 いつだって仕事関係の連絡はメール、またはPCのスカイポのチャットを使っていた。よほどの事がなければ電話は使わない生活が常だった。とんだメンタル最弱な男である。


 そんなおっさんの最期は、冬の寒さが肌にささる午前中にやってきた。


 毎月やってくる締め切り間際の修羅場期間。

 パソコンのモニターを睨み両手を酷使続けて20時間。描き上げた背景データを圧縮して作家先生へと送りつけた。メールには時間がかかったことを謝罪する一文と、気になる箇所があればご連絡くださいという言葉も添えてだ。

 すぐさまダウンロード通知が飛んできたが、30分、1時間たっても先方からの返信は無い。これは修正は無いということで大丈夫だろうと思い、パソコンをシャットダウンして布団の上へとダイブした。


「ああ…やっと終わった…」


 何時間ぶりかに発した声はがさがさだった。

 年々、歳をとるごとに疲労度が増していった。蓄積していく疲労に全身は悲鳴を上げ続け、しっかり休んでも消えない疲れに落ちる作画スピード。アシスタントはスピードが命だというのに致命的な問題だった。

 締切はぶっ倒れてでも守らなければならない。

 知らない人間からしてみれば、長時間パソコンを睨らみつけては絵を描いて遊んでいるように見えるかもしれない。だが、これは金銭が絡む仕事なのだ。作家、引いては出版社、さらには読者へと影響が出る職業でもある訳で。広いようで狭い業界、悪い噂が流れれば弱小フリーアシスタントには仕事がこなくなる。体調を崩そうとも締切は絶対に死守し、出来る限り修正がないよう細心の注意を持って描き続けてきた。


 ふいに視界に映る伸びきった前髪の中に白髪が混じっているのに気が付く。最近、白髪が増えたなぁと髪の毛を触れば少し粘っこい髪がペンだこのある指先に絡みついた。あまりの多忙ぶりに何日か風呂に入っていなかったと思いだして顔をしかめる。

 汚れを落としてぐっすり寝たい。なのに、沈み込む身体と意識がうとうとし始めたその時、


《ピロン》

「!」


 聞き覚えのありすぎる音にビクリと体が跳ね上がった。修羅場期間だけは緊急事態に備えて、マナーモードを解除しているスマホからの音だ。メールの着信音だろう。


「…ああ…こんな午前6時に連絡がくるってことは…」


 のろのろとスマホを操作して受信ボックスを覗く。案の定、先方の先生からの修正連絡だった。


「ああ?…23話、7ページ3コマ目…小物のサイズが20話の時と違うだぁ…?昨日送った箇所のデータじゃん…今言うのかよ…」


 疲れた体を無理やり起こしてパソコンの前へと舞い戻る。ゴウゴウとパソコンのファンが悲鳴を上げた。すまんな3年目のパソコンよ、俺も頑張ってるからお前ももう少し頑張ってくれと機械相手につぶやく。

 手早くメールを再度チェックし、更に先月のデータファイルを読み込んだ。メイン人物との比較キャプを画像保存し、修正箇所のページも開いてレイヤーへとカーソルを合わせる。たしかにキャプ画像と比較するとサイズが少し大きい気がした。読者も気づかない差異だろうに、先生上司が修正を望めばそれに従わなければならない、アシスタントがどう思おうともだ。


「はいはい…コレで、いい、でしょーがっ」


 できうる限りの速度でペンタブを走らせて作画の修正を行う。全頁のチェックをしてからデータを圧縮し、若干八つ当たり気味に送信ボタンをクリックしてデータを光回線へと送りだした。

 在宅アシスタントのいい部分は距離が離れても手伝うことができ、作家先生のご尊顔を近場で見ながら作業をしなくていいという所だ。

 すぐさまダウンロード通知が受信ボックスへ届く。これで暫くは連絡がこないだろうと決めつけて風呂場へ向かった。ふらふらとした脚と重みを感じる胸に歳だなと独りごちる。


 あと、何年この仕事を続けられるのだろうか。


 この仕事ができなくなった後は俺はどうすればいいだろう。いい加減に決めなければ、


「…ああ…うまいもん食いてぇわ…」


 思わず、思考が現実逃避しはじめる。

 3年、5年、10年先を考え始めるとお先真っ暗という言葉がデカデカと脳内をよぎった。


 この仕事は不健康に陥りやすい職業だ。

 深夜にまで及ぶ作画作業に不摂生な食事、慢性的な睡眠不足、そして長時間座りっぱなしでパソコンのモニターを見続けるという運動不足の悪循環重ねがけ。寿命を意図的に削っているようなものだ。

 そんな過酷な職業をやりながらも、生活リズムを正しくし、健康を維持している作家陣はいる。

 複数人のアシスタントを雇えるだけの金回りと、不定期な仕事に不定期な生活リズムへ理解を示し、生活の手厚いサポートをしてくれる家族やパートナーがいればの話だ。だが、俺にはどれもありはしなかった。


 漫画アシスタントの大半は、連載作家の手伝いをしながら出版社へ自作品の売り込み、資金稼ぎに同人活動、又はバイトをしながら商業デビューを目指して活動をしている。担当がついていれば連載用の企画ネームを見せてはダメだしを食らうというパターンの人もいるだろう。安定しない職だからこそ皆必死でやっているのだ。だが、俺はそれをしていない。


 できなかったのだ。 


 いつからか、俺は創作漫画が描けなくなってしまった。 描くことが好きで夢中でやり続けていたというのに。俺自身は早い段階で商業デビューを果たしてはいたし、読み切り作家として作品を何本か有名雑誌に載ったこともある。だが、ある時期に体調を崩してあっという間に落ち目となった。

 それでも、漫画の仕事に関われるのならとアシスタントの仕事をし始めた。貯蓄なんて雀の涙程。生活の質を落としてやりくりしてはいるが、連載作品2本のアシスタント給料では少ない。ならばと、掛け持ちでアシスタントの仕事を増やしたかったが、いまだ身体の不調が続き思うように仕事の数を増やすことができないでいた。


 早い話、もう詰んでいるのだ、認めたくないだけで。


 どん詰まりもどん詰まり。負け組、負け犬、ただ使い潰されるだけの名も残らないアシスタントその他大勢。気づけば年齢も35歳、運よくどこか商業誌デビューできたとしても年齢、体力的にもすでにアウト枠だ。


「…ほんと、お先真っ暗…」


 排水溝に流れていく何十本かの抜け毛に別れを告げて浴室を出た。シャワーを浴びて気分爽快、というには程遠いほどの怠さと重さを増やした体を動かし、Tシャツとパンツ姿で布団に倒れ込んだ。


「…はあ…しんど…」


 あまりの疲労になんだか胸が締め付けるような重さを感じた。機械音とノイズ音が混じった耳鳴りがザアザアガンガンと響き、頭がぐらぐらとし始め呼吸も荒くなる。また、が上がったのだろう。疲れるすぎると風邪もひいていないのに熱が出るのだ。20代の頃はそうでもなかったのに。

 やることはやった、データも無事に送った。後は惰眠を貪れば体調も少しはマシになるだろう。

 病院へ行くという案はそっと思考の奥に押し込んだ。 確信を持って言える。病院へ行ったら最後、即検査入院まっしぐらだ。そして財布の中身がごっそり消えていく未来が見える。


 ゆっくりと視界がぼやけ、上まぶたと下まぶたが溶けるようにひっついた。そういえば冷蔵庫の中身なんもはいってない。起きたら食材買いに行かないと食べる物がない。


 胸の苦しさが衝撃と痛みに変わった瞬間、耳鳴りも頭痛も息切れする呼吸音も、鼓動もゆっくりと遠ざかり、溶ける意識の先は――暗闇だった。


 早久間 功 (35歳独身)

 自宅の寝室にて死亡。布団の上でひっそりと孤独死。

 

 らしいといえば俺らしい最後だった。












※※※※※



 こぽり、こぽり、


(……、……?)


 浮き上がった意識に、飛び込んできた感覚を感じたのは「音」だった。


(…水? 近場に水なんて置いてないのに…)


 耳の近くでごぽりという音と、何かが触れるような感触がした。水の中で気泡が水面へ上がるような音のような、


(…床上浸水、か?)


 台風による災害のニュースを思い出す。近年、稀にみる台風による災害が日本各地を襲ったのは記憶に新しい。知らない内に台風が地元を襲い、近場の川が増水して床上浸水にでもなったのだろうか?

 パソコンがやばい!と意識が焦るが体はぴくりとも動かない。

 たしかに「水」だった。暖かい水の中に俺の体は沈んでいるようだ。ごぽりごぽりと空気を含んだ泡が俺の頬や腕を撫でて頭の方へと浮き上がっていく。


(…なんだ?どうなってる? 俺、今どうなってんだ?)


 どんな体制で横になっているんだろう。むしろこれは直立しているのか?どうにか目蓋をこじ開けようと目じりに力を込めたその時、


『――また、失敗作か』


 見知らぬ誰かに粗大ゴミ認定を下された。


 Q.秒で粗大ゴミ認定をされる気分を述べよ。


 A.唐突すぎて即座に反応にできない。


(…誰だ?何勝手に俺の部屋に入ってきてんだ)


『これで最後だというのに…また駄目なのか…どうすれば…やはり…あの方法しかないのか…』


 謎の人物は熱心に何かを呟き続けている。

 近場にいるであろう謎の人物。俺へ向けての言葉なのか、それとも別の人物に言っているのかよくわからなかった。ただ、俺は水の中にいるらしい、なのに息苦しさは一切感じない。むしろ感覚的には穏やかで温かかった。

 日々苦しめられていた耳鳴りや頭痛、胸の苦しさすら一切感じないという奇跡。暖かなぬるま湯の中で揺蕩う浮遊感に安堵した。


『…ああ…時間が足りない…時間さえあれば…』


 絶望感をにじませる男の声。

 何に焦っているのかはわからないが気持ちは少しわかる。締め切り間際、作家やアシスタントが皆思うことだ。いや、謎の男の事情は詳しくは知らんけど。それよりも何よりも――


(…すごく寝たような感覚がするのに、すげぇ眠い…)

 

 まだ、ようだ。


 ふと、頭を過る確信めいた思考。たしかに「何か」が安定しない感覚を覚えた。とにかく惰眠を貪ろうと、俺は素直に意識を手放した。



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