5.浮島編
「今日もいい天気だな~、太陽が眩しい!」
洋風窓枠から上半身を乗り出し、眩い午前中の太陽の光を全身に浴びて両腕を伸ばす。 清々しい朝だ、健康的な起床である。
面前に見えるは異世界の大海原と浮かぶ巨大な浮島。日焼けを知らない白い肌に細い手足、美少女のような美少年ボディ。その中身は三十五歳童貞独身野郎の俺です。
さて。この美少年ボディで覚醒し、水槽からはい出た日から二週間と三日がたった。時の流れは残酷なほどに早い。
寝床にしている二階の元物置部屋その二から飛び出し、洗面所で顔や歯を磨いて長い白銀の髪を束ねた。
二週間と三日でこの家での生活にも慣れたが、小さな鏡に写る美少女改め、美少年の姿にはまだ違和感を感じている。
(【点火】※【燃焼】※【中火】※【持続】※※)
フライパンを設置したコンロへと魔力を飛ばせばすぐに赤い火が着いた。
倉庫で見つけたベーコンブロックを手早く包丁でスライスし、卵と一緒に油を薄く引いたフライパンへと落とす。途端、じゅうじゅうと美味しそうな音をあげ始めた。
次に同じく倉庫で見つけた細長いフランスパンのようなに硬いパンを二枚カットし、オーブントースター(仮)の魔道具に入れて起動させる。今日も難なく手をかざしたり、念じるだけで家電に似た魔道具は動いてくれた。
様々な効果を発揮する水晶のような石は「魔石」と呼ばれ、生活に欠かせない家電、調理器具といった魔道具にとても重要な核らしい。万能型電池とも言うべきか、部屋の照明器具や家具にも魔術文字を付与された魔石が施されてある。
ここの家の主は一人暮らしのようで、不便がないように魔石をふんだんに使った何種類もの魔道具が設置してあった。快適すぎて下手をしたら元の俺の自宅よりも便利家具が揃っている。完全にこの浮島で一人暮らしが出来るように設備が整っているのだ。
フライパンの上でじゅうじゅうと焼けていく卵とベーコンを皿に引き上げ、焼いたトーストも一緒にのせる。コップに牛乳を注いだら立派な朝食の完成だ。キッチンのテーブルでもくもくと食べながら今日の予定を思い浮かべる。
「覚悟を決めて
どうにも、あの本に触れるのは気が進まない。
覚醒から五日ほどは大人しく家人を待っていた。家の主へ土下座の練習も忘れてはいない。だが、待てども待てども帰ってくる様子がなく、訪れるのは見たことがない色合いの野鳥のみ。
そして二日後の一週間目。流石にアホ面で待つのにも飽きて家探し第二弾を開催することになった。
まずは食材の在庫の確認をした。ちまちまと消費している分、食べるものが無くなったら待つのは飢えだ。だが、その心配をよそに、倉庫には豊富な量の食糧が収められていた。一人身にしては大量の食材だなと何度か疑問に思った。
腐らせて捨ててしまうことにならないのかと倉庫の内部をよく観察すると、そこかしこに魔術文字と魔石が見えて脳内辞書が説明してくれた。
この食料庫全体や、収納棚、箱、袋、保存用の瓶、冷蔵庫には特殊な付与加工がされている魔石が組み込まれているらしい。総じて「魔道具」と呼ばれ重宝されている道具だ。
その道具の核たる魔石には、魔術文字の術式からなる
大量に買いだめしても腐らせることはない訳か。日本にあったら即買いだ。便利すぎる。
倉庫全体の他、島や家にもなんらかの魔術文字で術式がかけられているのがわかった。
チリやゴミ汚れがつかないように《埃防止》、《老朽化防止》。 さらに、浮き島全体には特定の人物以外は侵入出来ないよう《不可侵》、《認識遮断》、《聴覚遮断》、《嗅覚遮断》、《探知阻害》、といった、結界のようなものに、建物の姿や音、匂い、魔力感知の消す隠蔽術式が念入りに施されてあった。
この家の主は誰かに発見されるのを恐れていたのだろうか。
浮島から見える家も無ければ人っ子一人いない。まさかとは思うが、人がいない訳ではないだろう。 何処かに町があるはずだ。その証拠に、自家栽培とは違う店から買ってきたようなラベルがある食材や調味料があった。ならば浮島の外の町へ行くような移動手段があるはず。なのにソレらしいものが見つからない。
ここから見えるのは世界樹があるどでかい浮島に、その島の周りを小さい浮島がいくつか。中心たる浮島にはファンタジー生物の竜が悠々と空を泳いでいる姿を稀に見るぐらいで、家があるこの浮島から脱出方法がわからなかった。海面まで繋がるようなハシゴも階段もない。お手上げである。俺が知らない移動方があるのかもしれない。と、ここでも脳内辞書の情報が閃く。
寝室の隣、厳重に鍵がかかっていた部屋にあったセーブクリスタルのような物。あれを扱って移動するのだろう。 まさかのポータル、この浮島の唯一の移動方法は転移装置のみらしい。表面に設置してある魔石のカケラが特定された場所へと転移するためのキーで、転移先には似たようなクリスタルがあり、その魔石を使えばこちらに帰ってこれるそうだ。
更には家探しならぬ浮島を探索した結果、家の倉庫や研究室の他にも倉庫ががあるのを発見した。
家の裏手にある大きな開けた場所がある、そこには手入れされた畑があった。俺が見た時は何も植えられていないようだったが、自家栽培でもしていたのか倉庫には随分と野菜が沢山あった。
畑の横にあった倉庫を見れば岩ボディの小さい物体が五体並んでいた。 脳内辞書曰く、自動で畑を耕し、収穫する魔術式人形だという。 魔石と複雑な魔術式をふんだんに使った所謂ゴーレム。動かせば畑仕事は彼らがしてくれるそうだ。
倉庫には豆や種、葉物や根菜の種が豊富に貯蓄されている上、収穫された野菜も大量に収納されていた。
その倉庫にも《時間経過防止》、《腐敗防止》、《冷蔵維持》の付与効果が使われ、収納袋にも見目の何十倍も物が収められるような
お分かり頂けるだろうか、つまり、年単位で引きこもって生活できる貯蓄があったのだ。
過剰なまでの貯蓄量。この豊かな大地が焼野原になったとしても暫くは一人で生きていくだけの飲み水と食べ物、燃料魔石がある訳で。
何十年もおひとり様を極めてきた俺としては心惹かれる環境だ。
しかし、まだこの家主は帰ってこない。どこほっつき歩いてるんだ? 世界一周でもしてるのだろうか。
脳内辞書にネットワークとかそういうの無い?と検索をかける。だが、ヒットするのは特定の誰かと魔道具を解した音声通話、映像付きの通話ができるということだけだった。電話あるんかい!とばかりに倉庫や物置を探したが、それらしいものは家にも倉庫にも無かった。
脳内辞書曰く、遠距離で通話ができる魔道具は探知魔術に引っかかる可能性が高い為、浮島に施してある隠蔽魔術との相性がとても悪いらしい。ゆえに置いてないのかもしれないが。
家の食糧庫と畑の倉庫の調査を終わったあと、ついでとばかりに二階の物置部屋に踏み込んだ。
二階にはポータル部屋、主人の寝室のほかに物置のような部屋が三つ。その三部屋はごちゃごちゃとした魔道具の山で埋められていた。
道具の数が山のようにあったが、使えそうな物もあれば明らかに作りかけの魔道具もある。もしかしたらこ家主は魔道具を作る職人なのかもな。
整理整頓癖がうずいて使えそうな魔道具をリスト化、更にまとめて異空間で空間拡張された収納箱に納め、作りかけの魔道具も別の収納箱に収めていった。
現実逃避よろしく無心に片付けをし続けて数日、気付けば三つの部屋はスッキリとした空き部屋になった。そうして気づいた事がある。
物置部屋その二にはベッドがあったのだ。
家主のベッドよりは若干小さめでクローゼットには十着ほどの服があった。その服のサイズが俺の少年ボディにピッタリだったのだ。
なんだ、ここの主は一人身ではないじゃないかと些かボッチおひとり様を極めし同士のような親近感を感じてのだが。
反面、奇妙なおかしさも感じた。
キッチンやリビング、風呂場や洗面所を見て確信した筈だ。確実に一人暮らしをしている家だと。なのに、用意されている真新しいベッドと服や小物。 それらをまるで押し隠すかのように魔道具が山積みになっている事実。訳が分からない。これには脳内辞書も無反応だった。
一旦それは横に放置し、この少年ボディにぴったり合う部屋を使わせてもらうことにした。いつまでもぶかぶかな服じゃなんとも動きにくいし、リビングで寝起きするのもよかったが、ドアがある部屋の方が気持ち的に安堵できた。
家の地下の食料庫、そして畑、畑脇の収納庫、食材や魔道具のリスト化、片付けを終えるまで一週間は掛かった訳で。こんなに身体を動かしたのはいつぶりだろうか。
「…若い身体ってすげぇな…」
疲れはするが筋肉痛がないのだ。重い物を持っても速攻で息切れも起こさない。 肩こりに悩まされる事も耳鳴り、ドライアイ、果ては油物、牛乳を飲んでも食べても腹を下す事もなかった。なんて素晴らしい!
勿論、この十歳ほどの少年ボディは若々しく元気いっぱいのようだが、半日元気に駆け巡ったら疲れて夜はぐっすり安眠。
安眠!途中で目も覚めない!前の俺は寝つきが最悪なほど悪かったのだ。寝る間際の倦怠感、耳鳴りが鳴り響く布団の中、疲れているのに寝れない苦痛に寝返りをしなくていい事実に感動した。この少年ボディの恩恵が凄まじい。
「ごちそうさまっと」
最後の一欠片のパンを噛み締め、コップに入った牛乳を飲み込み両手を合わせた。使用済みの食器を手早く洗い、布巾で水気をとって食器を戸棚へと納める。
さて、メモを片手に隣の地下にある書斎へ直行だ。
目覚めてから一週間、開き直って家探し調査で一週間。そして三日の間に何をしていたかといえば。
俺が目覚めた研究室の横にある書斎へと突撃したのだ。そこには大量の本がある。何か情報もあるかもしれないと思い調べることにしたのだ。
何しろここは異世界、異世界の共用語を読むなどできない。と言いたいところだが、脳内辞書が俺にはある。当初は情報を引き出すのに鈍痛のような頭痛を感じたのだが、今ではするりと違和感なく情報を引き出せた。
日本語と僅かな英語しかわからない俺だったが、異世界の文字が読めるようになっていたのだ。脳内辞書便利。読めるし意味も理解できたし、実践で試してみると書く事もすんなり出来る。多分、喋れるし聞き取れるのだろう。喋る相手がいないから試す機会がないが、いつ家主が帰ってきても意思疎通ができる筈だ。
地下の研究室へ続く階段を下り書斎へのドアに手をかけるとセキュリティが俺を認証して鍵を開けた。 当初は恐る恐る踏み込んだ書斎だが、片付けたら心地がいい書斎だった。
ドアをくぐれば小難しそうな本がきちんと本棚に収まっている様を一望できる。三日で散らかっていた書斎をロードローラー並みの機動力で片付けたのだ。本が全部本棚に収まっている光景はなかなかに圧巻で清々しい。
自己満足もほどほどに書斎の中央のデスクへと近づくと、そこにはタイトルが書かれていない本が数冊と書類の束が置いてある。
片付けの最中に偶然見つけた本だ。デスクの一番下の棚の奥、まるで隠すかのようにあった本。そして、その隠されていた本の間に挟まっていた書類の束。
(これは明らかに重要な事が書かれている本…!)
ゲームなら大事な物にカテゴリーされるであろう書物。見つけた時に勢い余って読もうと表紙を開いた瞬間、飛び込んできた文字にそっ閉じしたのだ。
タイトルの無い本の表紙をめくった中表紙一ページ目、
『これを偶然にも発見した者がいるのなら、
何も見ずに日記を処分してほしい。
クデウ・ソフォス・ハエレティクス』
勝手に読んだら恨まれそうだった。
(クデウさん、か)
この書斎、家主の名前はクデウ・ソフォス・ハエレティクスさん。クデウが名だろう。
その達筆で神経質そうな綺麗な文字だった。その文字から並々ならぬ切実な感情が出ている気がする。本能的な俺の心がこの本に触れてはならぬと主張していた。だが、だがしかし、
「…これの他に重要そうな事が記されてそうな物ってないんだよなぁ…」
片付ける際、ある程度は書斎の本をざっと調べたのだ。 この書斎にある本はぼぼ特殊魔術についての本が多かった。
脳内辞書のサポート情報によれば複雑で難易度は上級者以上、特級に位置する本らしい。
書いてる文字や内容の意味はわかる。 だが、わかるのに
「この書斎や倉庫の食材を見る分、クデウさんがいなくなってどれぐらいたったのかも見当つかないしな…」
物や家、至る所に魔術文字が刻まれ、《時間経過防止》や《老朽化防止》、果てには《埃防止》の付与加工がされた魔石が施されてある。一年たっても二年たっても綺麗なまま維持されるのだ。
魔術付与効果は魔石の魔力枯渇、魔術文字の欠損さえ起こらなければそれこそ半永久的に維持し続けられるとのことだ。しかも特殊な技術が使われているらしく、魔石の魔力枯渇が起きないような仕組みもされている訳で。ゆえに、いつここの家主が出て行ったのかがわからない。
何故帰ってこないのか、ここで一体何が起こったのか。それとも出かけた先で何か起こって帰ってこれないのだろうか。
もはや考えても切りがない。圧倒的に家主であるクデウさんについての情報が少ないのだ。わかると言えば、極度の引きこもり体質で研究者又は魔道具職人。そしてここの地下研究室では、
(ヤバい研究してたんだろうなぁ…)
書斎にある本をふんわりと調べた末の予想。本の内容は多岐に渡るが、かなり物騒な内容が多いのだ。
古代の創世神のみが扱える創聖法の研究本、神話考察の本から、動物と動物を掛け合わせたり、魔物をキメラ化するという内容や、魂封印、死人を蘇らせる魔術、人工的に人を生み出す魔術考察…etcetc
仮説ばかりの魔術書や、実現不可とされている魔術の考察に、魔術実験過程を記す特殊な本ばかり。それらの本を見るに、クデウさんは神の領域に関わる魔術の研究していたと思う。
便利な魔術文字と便利な魔道具が沢山あるのだが。 脳内辞書さん曰く、それらが束になってもできないことはいくつかあると。
魔術でかすり傷やある程度の外傷を癒すことはできる。だが、脳や神経系の病気、原因が解明されていない病気は治すことができない。
魔術文字を使えば物の時間を止めることは可能だが(正確には物凄く時間を遅らせているだけのようだ)。だが、過去、未来への直接的な干渉は出来ない。
そして、死人を蘇らせることは出来ない。
命の根源、魂の解明、死人を蘇らせるというそれらの行為、時の流れに干渉することは神の領域であり創世神の専売特許。魔術士にとって最大の禁忌にあたる。
姿を現さない家主、クデウさんは何をしようとしていたのか。
「絶対にとんでも無いことが書かれてあるだろ…」
三十五年生きてきた独身男ですら公言できないような、人として人権が死ぬレベルの羞恥体験はある。脱糞したとか、脱糞したとかだ。 脱糞は人生生きていれば一回や二回、三回ぐらいあるだろうと思いたい。
竜が飛んでる辺境の土地に一人住んでる変わり者の魔術士だ。とんでも無い人生を歩んできたのだろう。
ほいほい他人が触れてはならないデリケートな話題だ。読んだら最後、この日記を書いたクデウさんの業を擬似的に味わうことになる。共感性羞恥の気がある俺としてはキツイことこのうえない。が、
「…俺、何があったか知りたいんです、クデウさん」
知らなければならない。
この少年ボディに憑依した以上は知るべきだし、俺は嫌でも知らなきゃいけないことなのだと思う。
決心を固め、分厚くて重いその本を開いた。
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