4.浮島編

 

「――早久間さん…、た、大変! 警察!警察に連絡しなきゃ…!」


 六十代程の中年女性、大家さんの後ろ姿が見える。その大家さんが立ち尽くしている室内は、あまりにも見覚えがある部屋だった。私物が少ない部屋には使い古された机に戦友のデスクトップパソコン、くたくたなリュックや小物、更にその奥には万年布団が見えた。俺の借りている賃貸部屋だ。

 そして、万年布団の上に横たわるのは――元「俺」の姿。

 なんとも言えない気持ち悪い色に変色した肌になり果てている。死んでからかなり日にちが経っているのだろう。家賃も音沙汰もない住人の様子を見に来た大家さんが俺を発見してくれた、という流れだろうか。


(…布団にブルーシート、広げて寝ておけばよかったなぁ…)


 以前から突然死する前に何をどうすべきかと考えていた。それでなくとも人と接触も少ない独身生活だ。何があっても不思議ではないし、徐々に体調が悪くなっていく自身におぼろげな「死」を予感していたのかもしれない。

 自分だった肉体からはヤバ目な液体が垂れ流れ、それが渇いて飛んでもない色彩を描いている。事故物件にしてしまった、大家さんすみません。真冬で多少の冷凍保存されているのが不幸中の幸いだっただろうか。


(ああ…遺書も書いとけばよかった)


 病院以外の所で死亡したら自然死以外は変死とされてしまい解剖コース確定となる、だったか。親が知ったらなんて顔するだろう。できれば無縁仏として集合墓地に埋葬してほしい。お金がかかるだろうから葬儀はしなくていいですと遺書でも残しておけばよかった。


(友達と仕事でお世話になった人にも…連絡できればなぁ…)


 作家先生なんて俺から連絡もメールにも返信がなかったら途方に暮れるだろうか。あの先生、俺だけで連載回してたから今から新人アシ入れるとなると大変だろう。信用がものを言う業界だが、きちんと期間内に仕上げてくれるアシスタントを捜すのも一苦労するのだと作家がこぼしていたことがある。だが、


(…俺の代わりなら探そうと思えば探せるか。編集部や担当にお願いすればどこからかアシスタントを引っ張ってこれるだろうし。あの作家先生、編集部に期待されてるから融通は利くはずだ)


 そして、北海道から遠くの大阪にいる長年の友人。俺から一週間以上も連絡やスカイポにログインしていないのを疑問に思うだろう。厳しめなツッコミと面白い着眼点を持つ同年代の友人だ。思っていることをはっきり言ってくれる良い奴で、俺みたいなバカで臆病で神経質な男のよもやま話を真剣に聞いてくれる友人だった。


(最後まで肝心なこと喋れてなかったなぁ)


 そんな友人には体調が悪いことをギリギリまで伏せていた。心配をかけるとおもって。そんな友人が俺が孤独死したと知ったら――意外に繊細な面もある友人だ、トラウマを植え付けてしまうかもしれない。


(…今更、後悔しても、遅いか…)


 気を付けてなかった自分が最大に悪い。身体の異常を無視し、いつまでたっても健康を省みなかった生活をし続けた当然の結果だ。どこかで、それを望んでいたのかもしれないが。


 死んだら、それでお終いなのだ。


 死んだらどこへいくのだろう、幾度となく考えてきた。考えても答えが出た試しはないが、これ以上ないってほどに己の人生は無様な最期を迎えた。

 これで満足だろう?早久間 功。

 世話になった人たちへの後悔と謝罪、何故か、どこかで安堵を感じた。

 

 やっと、何もかも放り出して休めるのだと。











「地獄にしちゃ綺麗だよな、ここ」


 あの世があるというなら俺は地獄行き決定のはずだ。なのに見上げた先に見えるのは、暖炉の明かりでキラキラと反射するシャンデリアと優しい色合いの天井だった。


「…あのシャンデリア、高そう…」


 この家にあるもの全部高そうに見えるのは貧乏ジリ貧低所得者の性なのかもしれない。真横に視線を向ければ赤々と燃える暖炉が温い。窓の外を見れば真っ暗だった。室内も暖炉周辺以外は薄暗くなっている。


「…無事に死んだっていうのに、なんでぬくぬくと暖炉の前で寝てんだ…?」


 俺は死んだのだ。確実に布団の上で孤独に死んだ。

 それは確信であったし納得がいくものだった。なんとも惨めで悲しい最後であり、自分に相応しい最後でもあった。後始末させられる人達に土下座をせざるを得ない。

 そして、にわかに信じられないが細い手足、だ。色白で細い手足、白髪の髪の毛、高い声、俺が知っている俺の身体とはまったく別物。訳がわからない。

 更に訳がわからないのは、頭痛を引き起こす謎の知識、情報だ。

 まさか生きてる他人の体に憑依してしまったのだろうか。知らない記憶はこの体の記憶か? いつから俺は悪霊になってしまったんだ、わざわざ異世界で他人の体を奪うなんて。それとも中身が早久間 功と思い込んでる頭ぶっ飛んだ奴か? それなんてサイコパス…いや、それはないと思いたい。

 三十五年やって来たこと、楽しかったことや嫌な思い出も、あまりの羞恥にのたうちまわりたくなることも覚えてる、思い出せる。


「――……くせぇ」


 台詞が臭い訳ではない。 …俺が入ってるこの体が臭いのだ。

 ため息混じりで体に巻きつけた毛布に鼻先を突っ込んで空気を吸い込んだ瞬間、石鹸の匂いとカビ臭い香りが鼻を刺激した。あの水槽に満たされていた謎の液体が乾いて悪臭を放っている気がした。ああ、お風呂に入りたい。


「…まだ見ぬこの家の主さん、浴室を使わせてもらいます…」


 一階にお風呂があるのだから有りがたく使わせてもらおう。暖炉の前から暗がりにある廊下を抜けてお風呂場へと踏み込んだ。が、小さな窓があるものの浴室が暗くて全体が見えない。


「…照明は…?」


 たしか、壁伝いに照明がいくつかあったはずだと意識を向けた瞬間、脳内に閃く文字。


【点灯】※【光源】※※※【維持】※※


 そして、身体の奥底から僅かな「魔力」が抜けるのを感じた途端、 壁に取り付けてある照明が赤々と光を灯した。


「…念じるだけでつくのか…」


 照明のまぶしさに目を細め、茫然と立ちつくす。

 頭に浮かぶ文字と、何度か感じている何かの「熱」が走る感覚が「魔力」なのだろう。それが発動条件か。先ほどとは違い、吐くような頭痛はしなかったがこめかみが少し痛んだ。

 例の謎情報はまるでいつもお世話になっているウェブ辞書とかウ○キさんのようだ。今後は脳内辞書と呼ぼう。

 暖かな光で照らされた浴室は十畳ぐらいの広さがあった。奥には映画でよく見る猫足バスタブがどんと置かれ、バスタブの横には小さなサイドテーブル、小瓶が数種類と石鹸らしい白い塊が見える。そして、壁伝いに置かれているのは洗面台に棚、籠や筒状の家具らしき「何か」、雰囲気的に洗濯機だろうか?

 手早くローブを脱ぎ捨てるといそいそと猫足バスタブへ直行した。付属してあるシャワーノズルとヘッドを持ち上げる。これ使えるだろうか?お湯は出るのか?

 シャワーノズルの根本をみると蛇口の取っ手付近に魔石が数個組み込まれてあった。これはどんな効果があるんだ?


 ――水流の魔術式が付与加工されている魔石。そして、熱源を発生、維持させる魔術式の付与加工されている魔石だ。お湯は出るだろう。


 脳内辞書が教えくれるまま、魔石に付与されている魔術文字をなぞるように魔術式を動かす。


(【水】※【熱】※※【水流】※【放出】※【維持】※)


 指先から僅かな魔力が放出される感覚がした途端、魔石が輝き暖かいお湯がシャワーヘッドの先端から放出される。まごうことなき俺が知る「シャワー」だった。


「…あ~~…あったかい…」


 ガラスで切った手や膝の切り傷が沁みるがなんてことはない。脳内辞書の恩恵でシャワーが浴びれるという奇跡。 頭痛がするのは面倒だし違和感を感じて仕方がないが、使いようによってはかなり便利なのではないだろうか。なにしろ異世界の魔道具の使用法を思い出すかのように情報が浮かぶのだ。神様もオぺレーターも答えてくれなかったが、脳内に取扱説明書があったということか。できれば日本語で書かれた紙媒体がよかったとは贅沢な願いだろうか。


「…うう~~…あったかいお湯最高…」


 戸惑うこともあるが便利な道具ぞろいで不便は感じない。ダバダバと暖かいお湯が排水口に流れているのを見届けながら、サイドテーブルに備えてある石鹸やハーブっぽい香りの液体シャンプー(仮)でわっしわっしと全身を丸洗いした。腰近くまで伸びている長い髪を洗うのが面倒だったが致し方がない。

 数分後、俺の全身からは悪臭が消えてスッキリほかほかとなった。全身からは程よくいい香りがする。手作り感満載の石鹸に手作りシャンプーを使ったせいだろう。

 壁伝いにある棚にはタオルが収納されてあるのを見つけて容赦なく使った。

 全身すっきりした所で腰布代わりにタオルを巻き、洗濯機のような物を覗き込む。背は大体胸下ぐらいまでの縦に長い筒状型だ。上部側面に蓋のような物があり、その蓋を空けて覗いてみると内部側面には小粒の魔石が十個ほど円を描くように連なっていた。外側の側面には複雑な魔術文字が刻まれてある。

 物は試しにと、タオルと悪臭が移ってしまった白いマントを入れ、洗濯機(仮)へと微量の魔力を流し込んで起動させてみる。


(【水】※【放出】※【貯水】※【攪拌】※【洗浄】※【浄化】=----※【水】※【排出】※【乾燥】※※=)


「…おお、洗濯機だ」


 複雑な術式が起動するのを肌で感じた。どばどばと水が湧き上がり筒状の空洞を満たし、数十秒後マントを巻き込みながら水は渦を巻くように回転し始めた。動きが洗濯機の動きそのものだ。

 キッチンやリビングの照明設備、浴室内にある小物や家具は地球の家電機器と似た雰囲気を感じる。建物はヨーロッパの伝統的な建築物に似通っているが、文明利器はかなり発達しているのかもしれない。それにしても、


「…つか、なんで風呂に鏡ないんだ…? 洗面台にすらないぞ…身だしなみは気にしない奴かぁ?」


 家の主がいないことを良い事に言いたい放題だ。思い返してみると、玄関やリビング、寝室にも鏡がなかったような気がした。もしかして鏡は貴重な品なのだろうか?ガラス製品や貴金属はそこかしこの道具に使われているし、鏡も普及してそうな雰囲気だと思うが…それとも、何等かの理由でここの主は鏡を置いていないのだろうか。


(吸血鬼じゃあるまいに)


 異世界だ、もしかしたら有り得るかもしれない。どうしよう、唐突に帰ってきた家の主に「お前が今日の晩飯だ」とか言われたら。浮島から遥か下にある大海原へダイブして逃げなければならない。 その前に海面に叩きつけられて即死だが。

 ちょいちょいガラスや反射を利用して顔を確認しようとしているが、何故かぼやけて思うようはっきり見えないのだ。何かないのか、何か! タオル一枚で浴室の棚という棚をごそごそと探る俺。


「あ、なんだ、あるじゃん鏡!」


 洗面台の横にある家具、棚の奥を捜している視界にきらりと反射する物を見つけてテンションが上がった。床に膝をついて奥に押し込むように隠されている物を引っ張りだす。小さいがこのつるりとした表面は鏡だろう。これでやっとこの身体のご尊顔を確認できると面前へと持ち上げ――


「――……は?」


 美少女が見えた。


 ???????


 美少女。が、写っていた。


「……洋ロリ…美少女……」


 鏡に映る美少女は緋色の大きな瞳を見開き桜色の唇をポカンとさせていた。その小さな顔を色素が抜け落ちている白髪がゆるりと靡く。肌色や髪の色からアルビノのようにも白色人種のようにもみえ、まったく違う人種の容貌をしているような気もした。

 見目は十歳前後だろうか、まつ毛すら長くて色素が薄い。そして、朱色に黄金色が混じる瞳、こんな色彩の瞳は見たことが無かった。


「…めっちゃ美少女ですやん…」


 なのに、中身が三十五歳(童貞、独身男♂)という悲劇。

 なんでだ。なんで中身が「俺」なのだ。とうとう童貞を拗らせすぎて女体化した俺。という文字が脳内でテロップで流れ始める。

 違う、間違いだ!これは何かの間違いだ!身長170㎝超えの細マッチョ体系にあこがれて筋トレし始めた一日目にハード内容すぎてなかったことにした駄目な男だが、一度たりとも美少女になりたいなど望んではいない!

 色白だがお風呂上りでピンクに染まった頬を指先で撫でてみる。鏡の中の美少女も同じような動作をした。鏡に見えてその実、ビデオ通信なのではと確かめたがやはり鏡だった。俺だった。マジか、冗談キツイ。

 色素の薄い人形のような顔は人外じみた美しさを感じる。白髪というには輝くような髪でコスプレでみかけるような安っぽい色合いではない。不思議な光沢がある髪だった。

 これは人外美少女…天使とかエルフとか言われたら納得せざる得ない。だが、耳を確かめてみたが尖ってはいなかった。三十五歳童貞孤独死野郎が美少女に。ビフォーアフターも仰天…


「…美少女???」


 不意によぎる疑問。…俺、何度か美少女に似合わないを股座で見かけた気がする。床にへたり込んでいる俺の下半身のタオルをそろりとめくった。

 小さい息子さんがぶら下がっていた。色白な肌のせいか、作り物のような綺麗な息子(小)さんだった。ブツ♂まで綺麗ってどういうこった。


「……まさかの美少年かよ」


 美少女♀ではなく美少年♂

 良かった、女体化ではなかった、男としての矜持は保たれた。いや、良かったのか?これ??美少女じみた洋ショタになってしまった三十五歳独身男。字面がヒドイ。


「…まずは、フルチンを阻止したい…」


 覚醒直後も似たような事を言っていた気がする。

 借りていた真っ白なローブは洗濯中だ、タオル一枚だけでは心もとない。次に代わりになる服を捜さねば、二階の寝室を捜せばこの家の主の服は出てくるだろう。フルチンでお出迎えだけは避けなければならない。見目が綺麗な股間だとしても恥部は隠すべきだ。


 二階の寝室も暗闇に閉ざされていたが、照明へと意識を飛ばすとすぐに明かりが灯り部屋を一望できた。クローゼットを発見して中身を確認すると地味目だが小奇麗なローブが数着、シンプルなワイシャツが数枚に細見のズボンがあった。クローゼットのオシャレな取っ手がついた引き出しには下着らしい布地と靴下も見える。流石に下着を借りるのは気がすすまないがやむをえないだろう。

 ブカブカな下着とブカブカなYシャツを身につけ、足の長さが圧倒的に足りないズボンを身につけた。裾を何回か折る悲しみ。主人殿は身長が高そうだ。


「美少年ボディーかぁ…美少年…」


 元の俺との顔面偏差値の差を見せつけられて思考がまとまらない。元の俺顔面偏差値は普通、中の下ぐらいだろう。…すまん、見栄を張ったわ。

 死んだ魚のような目と万年消えることがない色濃い隈、不健康そうな肌にカサカサの唇が脳裏によみがえる。仕事明けは五歳は老けて見えた。疲労が抜けきらない俺の顔。近所の人からはいつだって部屋に引きこもっているニート疑惑がある変人認定だった。買い出しに行けば時々すれ違う小学生が怯えた顔で挨拶をしてくるのが悲しくて傷ついた。声は返さずにお辞儀だけをして足早に去る不審人物。そんな俺が、


 美少女のような美少年に。


 違和感が凄まじい。鏡を見るたびにお前は誰だと語りかけて人格崩壊起こしそう。

 別方面の混乱をおこしながらリビングへ舞い戻ると腹がなった。こんな時でもお腹が減るようだ。あの水槽から這い出てから何も口にいれていのだ、仕方がない、勝手に食料を頂いてしまおう。

 キッチンにある木製の丈夫な棚…冷蔵庫っぽい箱の中にはひんやりと冷えた食材が納められていた。作り置きのようなシチューが入った器も見える。食材を使って調理する気力も湧かないからこれをいただいてしまおうか。

 シチューの匂いを嗅いで確かめたが日にちが経ってないように感じた。異臭もしないしカビも見えない、口にいれても大丈夫そうだ。腹を壊した時はその時でどうにかしよう。空腹には抗えないのだ。


「シチュー、頂きます!!」


 返事は返ってこないだろうが、一言声をあげて罪悪感を軽減する。

 暖炉の時と同じようにコンロに火が着いたので、鍋で温めてから暖炉の前でシチューを頬張った。


「……おいしい」


 暖かい食事は久しぶりだ。修羅場の時はコーヒーとインスタントの味気ない食事ばかりだったからか、とても美味しく感じた。地球人にとって馴染深いまごうことなきホワイトシチュー。

 ふと、窓の外を見ると夜空に浮かぶ大きな満月と小さな月が見えた。なのに、この家の主人の姿はまだない。

 多分だが、全て真相はこの家の主人が知っているだろう。この美少女のような美少年のことも、何故この美少年ボディは研究室のようなところで謎の液体にプカプカ浮かんでいたのかも。

 失敗作だと、時間が足りないと呟いていた男。言いたいこと質問は山程あるが、


「…シチューうまいっす。」


 ごろごろと大きくカットされた野菜たちはバターと牛乳でゆっくり煮たてたのだろう、玉ねぎはくたくたでジャガイモと人参はホクホク。よくよくみると、ホワイトシチューには珍しい紫色のサツマイモっぽい食材も入っていた。人様の家のシチューとかカレーって謎の食材が入ってたりするよな。甘味の強いサツマイモはホワイトシチューに以外にも合ってとても美味しかった。



 

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