3.浮島編

 

 落ち着くためにも俺の半生を振り返ろう。


 俺、早久間 功 (三十五歳)。成人男性、独身彼女無し。

 職業は漫画家アシスタント。低身長、低収入、童貞。


 異性と手を握ったことがない立派な童貞である。

 童貞のまま三十歳になると魔法使いになれるとか言い出したやつは誰だろうか。臆病で変なところが神経質でコミュ障気味のおっさんに成り果てていた。

 二次元の嫁は恥ずかしがってモニターの中から出てこない。むしろ出てこなくて安心だ。コミュ力を必要としない二次元相手に夢中になるのは楽だった。こちらを認識しないし期待もされないし、こちらを嫌うことも怒り散らして手酷い罵詈雑言を吐くこともない。眺めるだけで日々の潤いとなった。

 

 リアル恋愛には夢を持てない方なのだ。

 幼少期から夫婦男女の仲などろくなものではないと、どこか冷めた目線で見ていたせいなのかもしれない。要因は物心つく頃に父と母が離婚したことが根っこのような気がする。まあ良くある話だ。

 一歳違いの姉は父の元へ、弟の俺は何故か母方の祖父母の家に引き取られた。離婚の原因は借金だの浮気だのと祖母が俺に愚痴を吐いていたことがある。離婚も浮気もよくわからない幼児に言う話ではない。

 気づけば苗字が祖父母の苗字と同じになった七歳の頃、母親は遠くの土地で再婚し、父親違いの妹を生んだと電話口で俺に報告した。

 

 今でも不意に思い出す言葉がある。

 実質、母親の三度目の再婚相手との結婚式、訳もわからず参加していた六歳の俺に祖母が言った言葉だ。


『皆の前で、恵ちゃんおかあさんのことを「ママ」って呼んだらダメよ』


 お分かり頂けるだろうか、俺は再婚相手の親類に存在を知らされていなかったのだ。


 いまでこそ、結婚、離婚、再婚を数度繰り返していた母親を見て思う所がある。母方の祖父母の家で養子として暮らしていた俺は祖父母の怒鳴り合いの声で目を覚まし、その祖父母の顔色を見ながら暮していた。時々かかってくる母親からの電話を心待ちにしながら、いつか俺を迎えに来てくれるのだと思って待っていた。迎えにはいつまでたっても来てはくれなかったが。


 暖かい家庭、優しい両親、仲がいい祖父母。そんなものはテレビの中、漫画やアニメの中だけだと幼少期から思っていた。今でも人の怒鳴り声にはビクついてしまう。

 

 思い返せば変な所で空気を読み、変な所で空気が読めない奇妙なクソガキだったと思う。

 そんな俺は祖母の致命的なファッションセンスによって学校では浮きに浮きまくり、指をさされては陰口や嫌なあだ名をつけられて笑い者になっていた。ガチのイジメと比べれば可愛いレベルだろう。だが、仲が良かったと思い込んでいた友人が、陰口や根も葉もない中傷じみた噂の根源だったと気づいた時、すべてが嫌になり卒業できるギリギリの日数を保ちながら登校拒否をして過ごした。僅か十一歳から自室に引きこもるという技を覚えたのだ。


 そんなボッチの極みの俺の癒しと言えば、TVアニメや映画、漫画だった。

 まるで誰かの人生を疑似体験、他人の目線でその作品の世界に浸れるのだ。現実の嫌なことから一時でも忘れることができる合法麻薬。小学校の低学年にその世界に魅入られ、僅かなお小遣いで雑誌を買って読んでいた。そんな俺はいつしかノートに枠線を引き、鉛筆で自身で考えた漫画を描き始めたのだ。


 漫画家になりたいと思うまで、そう時間はかからなかった。


 陰口や嘘の噂話に目と耳をつむり、中学校生活も登校拒否をしながら無事に卒業して終わりを迎えた。小学校、中学校で続いたイジメは高校では影を潜め、それなりに落ち着いた高校生活だったと思う。

 そんな十代半ば、馬鹿な俺にはこれしかないと決めつけ一心不乱に絵を描き続けていた。すべての時間を漫画に注ぎ込んだのだ。有名な漫画、好きな漫画を読み込んでは自分のネームの悪い所直し、画力を上げるためにデッサンも独学ながら学んで腕を上げた。


 今思えば、それは間違いだったと思う。


 高校卒業後、投稿作品を描くこと三回目。とある出版社で佳作を受賞したきっかけで編集担当がついた。その一件で、職を探せだの祖父母の世話に集中しろとうるさい親や祖母の小言は止まった。

 元気な祖父母の小間使いをしながらネームを描いてはダメ出しをされ、OKをもらったと思ったらネーム会議で落ち、新しく考えたネームを担当好みに叩き直されるという流れを一年やり続けた末、念願叶ってとある中手の商業雑誌でデビューを果たしたのだ。

 当たり前の結果だとおもった。

 デビュー出来るよう努力したのだ。画力も上げ、担当の言われるまま内容や設定を直し、読者が好きそうな要素、自分が描きたい要素をこっそりと入れた夢を込めた漫画。努力した分だけ評価され、報われる職業だと思い続けて努力したのだ。

 だが、デビューはスタートラインに立てただけのこと。デビューなんぞ、ある程度の画力とネーム力さえあれば割と簡単に取れる。デビュー後こそがデスゲームの始まりだったのだ。

 いかに読者を獲得し、なおかつ編集部とやり取りをし顔を覚えてもらい、担当にゴマをすり、気持ちよく作品の宣伝をしてくれるよう誘導できるかどうか。


 俺にはそれができなかった。上手く立ち回ることができなかったのだ。


 担当や編集に気に入られるようなネームを描き、記載許可が下りれば必死に原稿を描きあげるということに集中しすぎてその他が疎かになってしまった。

 担当の言うまま、ただネームの駄目だしをされるだけの関係が続いた。その担当とは作品の趣向、好みのズレがあるのが響いたとおもう。

 たとえば、担当はスポーツ物の話が好きで、俺は空想ファンタジーのような物語が好きだとする。懸命に考えた冒険物のネームを担当に見せた瞬間、「これでは駄目ですね」と次のスポーツ物の話を進め、新しいネームを催促してくるのだ。

 一番最初についた担当というのはよほどのことが無い限りは変えることができない。微妙なズレを抱えたまま、担当の対応はどんどんおざなりになっていくのを感じていた。読み切り作家という立ち位置にしばらく収まり――暫くして、ようやく手に入れた短期連載枠を獲得した頃、最悪のタイミングで体調を崩した。

 原因は安直な話、負担が大きすぎたからだ。

 ネーム、作画、人物、背景、トーン処理、全て一人でこなしながら次の話の構想を練る。休みも終わりのない作業続きだった。その頃には祖父母の家から近所に引っ越しをしていたが、睡眠を削り食事を削り、三十時間作業しっぱなしの時もあった。

 そんな時、止め一発とばかりに祖父が体調を崩して入院となったのだ。入院手続きや日々の見舞いを黙々とこなしたところで俺の身体は一度目の限界を超えた。

 身体を酷使続けた結果の体調不良。短気連載のアンケート結果も散々で編集部の反応も冷え冷えとしたものへと変わっていった。

 それでも維持で短気連載数回を終えた後、ふと、ネットで自分の作品の感想を検索してしまった。なるべく見ないよう避けていたのだが、体調が崩れればメンタル的にも弱る。縋るおもいで探した、次に繋げる為の力になるのではと思って。

 エゴサーチで行きついた所は僅か数件、マイナーな掲示板でのみつけたのはたった一言。


【あの作家には期待していない】


 僅か13文字。


 感想でも罵詈雑言でも批評でもなかった。その掲示板はマイナーながらも雑誌の読者が集まっているような掲示板で、内部事情に詳しい人物の話だと暇を持て余した編集の溜まり場でもあったそうだ。

 

 誰にも、期待などされていない。


 将来性がない作家だと、編集部や担当に「ゴミ作家」の「烙印」を押されていたと知った瞬間だった。時期にネームが編集部の会議で通らなくなり、担当がOKを出すような話も描けなくなった。気づけば背景アシスタントの仕事を細々とやって日々の生計を立てていた。

 その頃には祖父も病気で亡くなり、祖母は老人ホームへと引っ越した。

 親戚が集まる葬儀中、久しぶりに身内の顔が勢ぞろいで俺は肩身がせまかったが、これで俺の祖父母のパシリ役目も終わりかと肩の荷が下りたような安堵を覚えていた。

 母の代わりに祖父母は俺を育ててくれてというのに、なかなかに俺は冷たい男だと思う。そんな時、親戚の小さい子供が駆け寄ってきた。


『ねぇねぇ、お兄ちゃんはマンガ家さんなんでしょ?絵描いて!』


 身内の誰かに聞いたのだろう。それはそれはキラキラした顔で問いかけられた。無碍にはできないと、いつでも持ち歩いてるスケッチブックに一枚の絵を描いてあげた。よく見るような、だけど小さい女の子が好きそうなお姫様の絵だ。鉛筆描きのラフ絵だが、女の子にその絵を手渡すと喜んで両親の元へとかけて行った。その様子を見ていたであろう、母親が一言。


『親戚の前で恥ずかしい真似はよして』


 何も、言い返せなかった。

 

 商業デビューした時は、自分の息子が漫画を描いているのだと近所の連中にペラペラと自慢げに喋っていたというのに。

 デビューから数年、親は淡々と俺の事を観察していたのだろう。ろくなお金にもならない上、日夜時間パソコンに噛り付いて絵を描き続けている切りがない不毛な職業だと。

 呆れと諦め、親の目が俺をろくでもない息子だと責めていた。ただただ、俺は情けなくて親から目を背け続けた。

 あれだけ夢をみて夢中で描き続けた漫画が描けなくなったことも信じられなかった。それでもとアシスタントの片手間、画力維持の為に絵を描き続けた。いつか調子が戻り、思うように漫画が描ける日がくると信じて。だが、いつまでたっても何かを描こうとしても筆が動かない。夢を描くことができなかったのだ。

 苦痛だった。無理を押してしがみ付いた漫画家の道はあっけないほどに潰えたのを認めたくはなかった。


 デビューしてから三年、五年、十年、気付けば時間がたっていた。


 二十代後半、徐々に思うように動かなくなる体。まだ、二十代前半、半ばであれば余裕でできた事が徐々にできなくなっていく。寝ずの丸二日パソコンと向き合って仕事をした後、まる一日寝ればスッキリした筈の身体が重い。

 あとの若い世代の追い上げ、同期は成功を収めているという話を聞く度に心が固く重くなっていった。何かが狂い始めた三十歳。それから五年は転がり落ちるように体調を崩し、一時期は仕事もまともにできない時もあった。

 貯金を崩し、体調の回復を図ろうとしたが金は飛んでいくだけ。無理矢理にでも仕事を繋ぎ、体調を誤魔化し続けながら日々を過ごした。――末の、あの徹夜明けの体調不良。


 もしかしなくとも、俺は死んでしまったのだろう。


 振り返ると鬱々してきた。

 もっと賢いやり方があっただろうと思う。賢く立ち回ればよかったのだ。無駄だと思っていた学校での勉強、資格、同級生とのやり取り、すべて社会人になってからそれは必要な要素だった。

 結局はどの職業も人とのやり取り、コミュニケーションで成り立っている。それができない人間は社会からも家族からも弾かれるだけ。もっと人との関係を学んでいれば、もっと勉強をしていたら、家族と良好な関係を築けていたらもしくは、


 それこそ都合のいい夢物語だ。

 俺の半生は仕方がない程に間抜けで、惨めなほどに負け組だった。





「…この光景も、都合のいい夢物語なんだろうか」


 心が状況に追いついてくれない。今月中の仕事や来月の仕事はどうなるんだろうか、元の場所には帰れないのだろうか?せめて数少ない友達や手伝ってる作家先生に一言だけでもいい、連絡ができないだろうか、そればかりが心残りだ。


 上空に浮いてる筈の浮島の周囲は強風があらぶっている気配がしたが、俺が立っている位置、草木が生えている場所には影響がないように感じた。見えない壁でもあるのだろうか、ほどよいぐらいのそよ風が濡れた長く白い髪を揺らす。


「――へっぶしっ!」


 くしゃみの声すら違和感。まるで声が子供のそれだ。

 自宅に戻れるかどうかは一旦横においといて、まずは体を温めないと。風は凍える程ではないが確実に体温を奪っていっている。風邪でも引いたらアウトではないだろうか? 近場に病院も薬局も解熱剤もなさそうだし。

 ずるずると抜けた腰を動かし細い手足を動かして建物に近づいた。食べるものがあるかどうかはわからないが、雨風しのげる一軒家があるという点はありがたい。

 赤い屋根の建物の玄関らしき大き目な扉にはやはり、謎の記号文字羅列が刻まれていた。それに触れると文字が輝き、がちゃりと音立てて鍵が開く。触れるだけでセキュリティが解除されるという不思議仕様だ。


「ぅおお邪魔しまーすっ!誰かいませんかっ!?」


 大きめにノックをしてから大声で声掛けをする。住居侵入罪で銃でも打たれたらたまったものではないからだ。だが、やはり反応は一切ない。

 反応を暫く待ち、人の気配がないのをしっかり数秒待ってから恐る恐る中をのぞくと洋風な玄関ホールが見えた。

 右手に二階に続く階段が見え、奥に扉が四つ程見える。更に、玄関から左手には三十畳ほどの広々としたリビングがあり、温暖色に統一されたなんとも洋風でおしゃれなリビングだった。

 大の大人三人が座れそうなソファーに細やかな装飾が洒落てるテーブル、映画でみるようなレンガ作りの暖炉、部屋の四隅には照明器具も見える。派手さは無いが持ち主のセンスが垣間見える家具や小物。どれも真新しくみえるが肝心の人がいない。


こんな浮島にポツンと家を構える人間…いや、人間なのか? 地球人と同じフォルムの人間だろうか? 見た瞬間、あまりの違いにちびって叫んでしまったらどうしよう。

 人気がいない事をいい事に物色を試みる。ここの家の持ち主にしたらとんでもない非礼だろうが、後で全力の謝罪もするし土下座も厭わない。

 リビングには庭先に出る扉が見え、窓の外を確かめると研究室へと続く小道が見えた。もう一つの扉の奥にはゆったりとした広さがあるカントリー風キッチン。大きな煉瓦の釜にコンロと似たような流し台も見える。

 コンロをよくよく見るとフライパンを乗せる五徳、バナーヘッドの箇所には透明な水晶のような鉱物が円状にはめ込まれてあるのが見えた。そして、足の長いテーブルと一脚の椅子、流し台の対面にある棚の中には一人分の皿やコップ、調理器具や調味料、保存食のような物が並んでいる。


「…食糧発見、腹が減って死にそうって時には頂きます…」


 いまだ見ぬ住人に土下座をするイメトレをする。リビングにある暖炉で燃やせるような可燃物はあるだろうかと探したが見当たらない。身も心も寒いままだ。


 両腕で身体を抱きしめながら玄関方面へと移動し、一階には扉が四つあるのを確認した。その内のひとつはキッチンへの扉、次に清潔そうなトイレ、その隣にある扉の先にはバスタブと洗面所がある浴室だった。雰囲気としては洋風な雰囲気の浴室でお洒落な家具や照明がいくつか備え付けられている。

 が、何故か洗面台には鏡が見当たらなかった。顔を確認したかったのになんで鏡がないんだ?


 最後の四つ目の扉の先は地下へ続いてるようだった。地下の暗がりに目を細めると保存食のようなものがたっぷりとみえる。

 新鮮そうな野菜や肉のようなもの、食材を収納している袋や箱、棚や何かの道具のようなものも見えたが目的の可燃物はない。リビングに暖炉があるのだから木炭とか薪があるはずだが…無かった時の為、ジャガイモに似た食材が入っている木箱を燃料に暖炉に火を灯そうという案を立てておく。倉庫の横には小さな斧も発見した。必要とあらば庭先の木を燃料にすればいい。


「ここの住人は一人暮らしかな…ずいぶんと食材買いこんでるみたいだけど…大食漢か?」


 キッチンにあった一人用の椅子や、食器の数を思い浮かべて独り暮らしをしている家だと結論づけた。思い出すのは覚醒前に「失敗作だ」と吐き捨てた人物。おぼろげに見たあの人がこの家や研究室の主だろう、多分。

 更に家探し継続。玄関から見える階段をゆっくりと上がると扉が5つほどあった。一階はリビングにキッチン、トイレ、お風呂、地下には食料庫あと残るは寝室が五つある部屋のどれかだろう。目星をつけて階段近くの扉をノックし大き目に声をかける。


「お、勝手にお邪魔してまーす!誰かいませんか?!」


 帰ってくるのは沈黙のみ。虚しい。

 一週間誰とも口をきかないなんてざらにあったというのに、今はとても侘しく感じた。

 思い切ってドアを開けると予想通りに寝室だった。クイーンサイズぐらいだろうか、独り身としては大きめのベッドに暖かそうな毛布とシーツが見える。サイドテーブルには数冊の本とランプ、壁伝いにクローゼットもあった。

 だが、生活感があるというのに人の気配一つもないことに違和感を覚えた。


「…申し訳ないですが、毛布借りてもいいっすかー!?」


 無意味な声掛けであるが、気持ち的には罪悪感が少なくなる方法である。主人はいないけど。

 ベッドにあった毛布をずるずると体に巻きつけ家探し再開。

 寝室の隣の部屋のドアを開こうとすると、鍵が掛かっていたのか裏口と同じようにドアの表面にある文字が輝き音を立てて開いた。そっと中を覗くと、人の背丈ほど大きさがある透明度の高い鉱物がど真ん中にあった。


「…インテリアか何かか?」


 ぼんやりと発光している水晶の周りには円を囲むように文字が綴られてある。魔法陣のようなそんな雰囲気だ。イメージは某有名RPGに出てくるクリスタルとかセーブポイント的なシンボルにも見えてくる。ゲーム脳ですまんな。しかし、絶対にコレは高いだろ。うっかり蹴飛ばして壊してしまったら切腹所では済まないはずだ。早々に扉を閉めて廊下へと退散する。


 残り三つの部屋は物置のような部屋だった。どの部屋も無造作に家具や道具が置かれていたが、残念ながら木材、木炭はなかった。

 すごすごと地下の食料庫へ忍び込み、そっとジャガイモ袋を取り出して木箱と小さな斧を両手にリビングへ戻る。 木箱を犠牲に俺は身を温めよう。木箱君の犠牲は無駄にしないよと暖炉の手前でしゃがみこみ、ふと、両手が硬直した。


「…火種がない…」


 すっかり忘れていた。キッチンにあるコンロ周辺を探せばワンチャンあるかもと立ち上がろうとして、暖炉の中にあるものに目が止まった。

 炭の合間に透明な水晶がいくつか見える。そういえば、キッチンにあるコンロにも似たようなものがあった。

 先ほど食料庫で見つけた小さな斧で木箱を庭先で板切れにし、暖炉に燃えやすいうように組み込んだ。あとは火種のみ。

 そもそも暖炉の側に木炭とか火石とかおかないのか? 暖炉に綺麗な水晶を放置するのもどうかと思うよ。火が簡単に着けばいいのにと赤い水晶に触れた瞬間、


【点火】※【燃焼】※【持続】※※


 閃くように頭の中で文字が浮かび、指先に熱が走った。


「――あぢっ?!」


 ぼっと音と共に視界が真っ赤に染まる。


「…は? な、んで?」


 思わず後ろへ倒れ込み、茫然と目の前の暖炉を眺めた。そこには、赤々と燃える上がる炎が燃えあがていた。


「…燃えた…」


 火だ。唐突に火がついたように見えた。組み立てた木箱君が炎に呑み込まれていくのを茫然と眺める。


「…あの水晶のせいか? ゲームよろしく魔法の水晶とか…?」


 ――魔法でも水晶ではない、「魔石」だ。「魔素」が凝縮化し結晶化したもの。高濃度の魔力を内包したものが魔石と呼ばれ、その魔石に火の魔術文字を付与加工した物が魔道具の核として使われている。


「…ぅぐ!」


 また、あの頭痛がよみがえる。 鼓動のように響く痛みに嗚咽が漏れた。


 「魔素」…?「魔石」、「魔術」…?「 魔術文字」ってなんだ?


 魔術文字――神から与えられた最古の言葉であり、神の力が込められた文字。その一つ一つの文字には世の理が込められ、この世のあらゆる現象を魔術文字で再現できる。人が魔術を扱うために必要不可欠な媒体文字。


「…うぐっ…うぅ!」


 ――知らない、そんなの知らないぞ!

なのに、浮かぶ、このはなんだ!?


 書斎の本の文字を読んだ時だってドアに描かれた記号だか文字を見た時もおかしかった。知っていることの激しい違和感、頭に心臓があるかのような頭痛に頭を抱え込む。

 暖炉にあった魔石、コンロにもあったものと同じ魔石だ。手をかざし魔術文字を意味を読み解き、魔力を微量送るだけで炎が灯る仕組み。木材や木炭はこの高濃度の魔石には必要ない、ほっといても魔石の魔力が尽きるまで燃え続ける。消したい時は魔石に再度魔力を送り込み、魔術文字を巡る魔力の流れを遮断するのみ。


(…だから、なんで知ってんだよ、そんなこと…!)


 ガンガンと鳴り響く頭痛は耳鳴りすら引き起こし始めた。 なんだか限界だと思った、メンタル的に。

 のろのろと毛布とマントをきつく身に巻き付け、ソファーに縮こまるように横になった。

 

 一旦、現実逃避の為に寝るべきだ。


 案の定、すぐさま瞼が降りて意識が急速に沈み込んだ。






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