46.就職活動編
「う゛う゛っ…サクマ…私のサクマが…辱めを…う゛う゛う゛っ」
「いやいや…フィエルさん…ちょっと服破かれて、背中に謎の液体を塗られただけなんで…」
「!!う゛っ、ぐぅう゛う゛っ!…怖かったね…怖かったよね…もう大丈夫だよ゛ォ…!」
「お゛ぶふっ」
フィエルさんの泣き方は割と激しい。
寄宿舎で待っていたフィエルさんは怪我もなく、落ち着いた様子で俺達の帰りを静かに待っていた。
のだが、ミノムシ状態+ダメージ上着の俺を見た瞬間、彼女は顔を真っ青にして嗚咽を漏らし始めてしまったのだ。
心配してもらえるのはありがたいことだが、嬉しいような恥ずかしいような。 反面、申し訳ない気持ちになってしまう。
しかし、彼女の両腕の力が予想外に強く、おっぱい圧で俺は呼吸困難になりそうです。 おっぱいで呼吸困難は男のロマンだけど、 ロマンだけど!
「お゛っ、オネットさ、と、とめ、ぼう゛ぶっ」
「フィーを心配させたんだ、いいだけ抱きしめられとけ」
「ザグマ゛っ!頬っぺたがこん゛なに゛冷え゛て…!」
「む゛ごぐ~っ!」
再びフィエルさんの胸でおぼれる俺。 そんなやり取りをオネットさんは生ぬるい眼差しで眺めていた。 いや、眺めてないで止めたげて!
「ぐすっ…すんっ…んん…?スンスン…」
「!? ぶはっ、ちょ、フィエルさん!? なに嗅いでるんですか!」
「…サクマ、なんか…魔物臭い…?」
「…………」
オネットさんにも言われました。
魔物臭で涙と嗚咽が引っ込んだのか、フィエルさんがスンスン鼻を鳴らして執拗に俺の頭や髪の毛を嗅ぐ。 ええ…やめてぇそんなに嗅がないでくれぇ、ゾワゾワするぅ。
「あ、あの…三人とも、そろそろ…お城に…」
申し訳なさそうに顔を出したのは、灰色と黒色が混じるサバトラ系ケモミミ隠密のシーカーさんだ。
俺が部屋に施した結界のせいで、彼女は部屋に入れない。 だが、フィエルさんが部屋で待っている間、彼女は扉の前で護衛をしてもらっていたようだ。
「し、シーカーさん…!十五分…いえ、十分だけ時間をください…!! 諸事情で汚れてまして…このままでは登城できそうにないです!」
「え、で、でも…ご主人が…」
「お願いしますー!」
催促するシーカーさんに、俺は頭を下げてお風呂の時間を貰うことに成功。
ついでに西地区の部屋へ転移魔術で移動し、置いてきた道具を一式回収。 身綺麗になった所で城へと向かう事になった。
「…うん、いい匂いになったわ!」
「そ…そうですか…」
「…ふっ…」
迎えの馬車に乗り込む頃にはフィエルさんも落ち着いたようで、俺を抱き人形にしてクンカクンカと嗅ぎまくった。 合格点を貰えて安心したが、俺の体臭チェックが習慣になってるのではなかろうか、この子。将来が心配になってくる。
俺達のやり取りを見つめて、オネットさんが小さく肩を震わせて笑っていた。
城へと到着すると、俺達は人気のない裏口から宮廷の一室へと案内された。 不思議と侍女や兵の姿が見えない。 人払いがされているのだろうか?
ロイヤル使用のソファーに腰を落としながらカダム宰相を待っていると、なんだかソワソワしてきた。 小心者の俺のハートが騒ぎ始めている。
宰相は何の話をしたいのだろうか。 ドミナシオンの密偵達が話していたことは、隠密三人組に口頭で伝えてはいるのだが…。
「なんだか緊張しますね…」
「…変な所で気が小さいよな、サクマって」
隣のオネットさんがぼそりと呟く。
落ち着きのない俺とは違い、フィエルさんもオネットさんも堂々としていた。
「オネットさん…わかってませんね…。 おれは根っから気が小さいんですよ」
「やれやれ、みたいな顔で言うな」
「サクマ、不安なら私のお膝に乗る?」
「いえ…流石に今はちょっと…羞恥心が…」
「フィーが抱っこしたいだけだろ?」
「だって、サクマって抱き心地いいんだもの!」
フィエルさんは両手をワキワキさせ、期待に輝く眼差しを俺に向けてきたが、寄宿舎に戻ったらいいだけ抱き枕になるから今は我慢して欲しい。
流石に抱っこされた状態で一国の宰相と対談はしんどい。 俺のメンタル的にも。
「なんというか…今更な話ですが、礼儀作法とかあるじゃないですか。 知らない内に不敬罪とかしてしまいそうで…」
「ほんと今更だな。 いちいち気にしてたら切りが無いぞ? 北と南だけでも色々違うし…堂々としてろよ。 あたしらはしがない庶民なんだ。 恰好をつけてもどこかでボロは出る」
「ふふっ、オネは堂々としすぎよね。 でも、オネのそういう所も好きよ」
「フィーのそういう所、あたしも好き」
「…くぅ~っ、仲良しありがとうございます…」
「今、なんでお礼言われたんだ?」
思わず反射神経でお礼を言うと、オネットさんが首を傾げた。 癖だよ癖、オタクは尊みを感じると全方位に感謝するんだよ。――と、部屋の奥から人の気配がした。
「相変わらず、賑やかな方々だ」
「「「!」」」
奥から姿を現したのは、従者と騎士を連れ添ったカダム宰相だった。
穏やかな表情がデフォルトのイケオジ。 しかし、優しそうな顔のカダム宰相は、腹の中で何を考えているのかが読めないVIPなのである。
いつもより二割増しぐらいカダム宰相は甘い微笑みを浮かべているように見えた。 上機嫌なのだろうか?
宰相様は優雅な動作で正面のソファーへ腰を下ろし、懐から正方形のキューブを取り出してテーブルへと置いた。
見認識阻害の術式が施されている魔道具だろう。 似たものをフラーウさんが使っていた記憶がある。
側仕えの従者や騎士に聞かせたくない話ということか。
「報告はリーウス達から聞きました。御三方も怪我もなく、ご無事で何よりです」
「…まだるっこしい社交辞令はいらない。 一体、何の話だ」
「お、オネットさん…!?」
不敬に取られそうな、喧嘩腰にも取られそうなオネットさんの第一声にギョッとする俺。
魔道具があるからなのか、彼女の言葉使いは警戒心が出ていて鋭い。むしろ威嚇レベル。 オネットさんも、カダム宰相は油断ならない相手だと思っているのかもしれないが…。
「アンタらが腹ん中で望んでることも叶ってご機嫌も麗しいようで? …あたしらは、密偵を誘き出せる都合のいい囮だろうしな」
「オネットさん…囮って…そんな言い方…」
「…サクマ、気づいてなかったのか?」
オネットさんの俺を見る目線が、仕方がないなとばかりに柔らかくなる。
考えてみればたしかに、尾っぽを出さない敵国の密偵を誘い出す為、フィエルさんを囮にすれば捕まえられる可能性も上がる。 実際、密偵はまんまと捕まったのだから、オルディナ王国にとっては良い事尽くめだ。
「それはあなた方も同じ考えだったのでは? この土地で安全に暮らす為に、ドミナシオンの密偵の存在は邪魔になる。 …脅威になる要素は早く取り除きたいと考え、囮になるのを承知の上で市井へ宿を移したのではないのですか」
「…、……」
「お互いに
カダム宰相の穏やかな声に、オネットさんは何か言いたそうにして黙った。
今更なことをそんな言われても無意味だし、邪魔な害は捕まえたんだから不機嫌そうな態度押さえたら?と、そんな言葉の意味が見え隠れしていた。
オネットさんが微かに舌打ちするように顔を背ける。 嫌味の一つ二つぐらい言いたかっただけなのかもしれないが、カダム宰相にあっさり交わされて不発という感じだろうか。
フィエルさんも特に動揺してるような表情は見せず、静かにカダム宰相の言葉に耳を傾けていた。
二人とも、早い段階で囮にされていると薄々気づいていたのかもしれない。
どうりで名前も姿も変えることはしなかった訳だ。 あまりにガチで隠れたら密偵が食いつく可能性は低くなる。
(気づいてなかったのは俺だけか…)
防犯対策、金銭対策、調べ物やらと、よそ事を考えすぎて深く考えてなかった。 頭抱えて床を転がりたい。
「ですが…まさか、貴方も狙われるとは…」
「……おれ、ですか?」
ふと、カダム宰相の若菜色の瞳が俺を捕らえた。
「密偵達も必死に考えた秘策なのでしょうが…愚策でしかない。 魔術を扱える貴殿に手を出すなど」
「……はあ…」
思わず、俺はぽかん。 褒められているのか、それとも恐れられているのだろうか、どちらだろう?
宰相曰く、捕まえた密偵達を尋問している最中なので確かな事はまだ言えない、のだが。 俺が聞いた会話の内容から推察するに、密偵達はかなり焦っていたのだろうと。
密偵というのは情報集めに徹するというのが基本。 誰かを攫うやら、襲撃するような実行側には決して回らないらしい。 切り捨てられる駒を用意し、金で雇った彼らに汚れ仕事をさせるのだという。
なのに、密偵の彼らは徹底的な下調べもろくにせず、上からの指示を待つのに痺れを切らして独断で実行に移した。 彼らにとって、それが最大の失態だった。
「サクマ殿に使われた薬は我が王宮で作られたものです。 国内で大陸外にいる種族が暴れた時にやむなく使う為の薬なのですが…。 先ほど保管してある場所を調べると薬の量が減っていることを確認しました。 彼らはその薬があるからと、貴殿を良いようにできると判断したのでしょう。 …愚かなことです」
宰相の目が細まり笑みが深くなった。 なんだか迫力とか威圧が滲み出て悪い笑顔にも見えてくる。 穏やかな笑顔で誤魔化しているが、宰相も割と苛ついているのかもしれない。
「フィエル嬢に関しては、市井の間で噂になっていますが…。 サクマ殿に関する情報は、宮廷内部でも上層部のごく一部しか知りません。 勿論、イロアス部隊にも箝口令を引いて注意深くしていました。 …ですが、ご存じの通り、宮廷に勤めている侍女の中に密偵と繋がっている者がいた訳です」
要注意人物として扱われているのかはわからないが、俺に関する情報はうまい具合に誤魔化していたらしい。 大陸を覆う結界を飛び越えてきた外界の謎の混血児だものな。 契約と相まって伏せておきたいのだろう。
そして、王宮の使用人の中に
王宮に勤める侍女や従者、いわゆる使用人達は身元がしっかりしている人々であり、斡旋や紹介した人物ですら、それなりの家柄になる。 つまりは、貴族も関わっている可能性が高いという事。
更に王宮にはとどまらず、狩人組合や市井にもドミナシオンの息のかかった者もいたのだから、オルディナ王宮側にとっては頭を抱える大問題だ。
「…以前から、王宮に近しい者がいるのではと疑ってはいました。 ですが、証拠も気配も、我々では掴むことができないままで…。 内政の事は、我々が掌握していなければならぬというのに不徳の致すところです」
宰相の穏やかで怖い笑みが薄れる。 …これは謝罪されているのだろうか。
「あなた方が協力してくれたおかげで密偵が生きて捕まったのは、我々にとっても大きな利になります。 …捕まえた彼らには、生き証人として骨の髄まで最大限活用させてもらいますよ」
処罰や後始末等はこちらにお任せくださいと、宰相は仄かにドス黒い笑顔で微笑んだ。
言葉のオブラートに包まれているが、密偵達を徹底的に尋問するというワードが聞こえてくるようだ。 密偵達よ、アーメン。 牢獄&尋問ライフを満喫してくれ。
「ここからが本題なのですが…」
「「「へ」」」
本題まだあったの!? 思わず、オネットさんとフィエルさん、俺の三人の声が揃う。
「…おや、もったいぶった話し方でしたね、これは失礼を。先ほどの密偵の話にも繋がるのですが…密偵の彼らが焦っていた理由は、ドミナシオンと連絡が取れなくなっていたのが一因のようで…」
密偵に関する話題は極秘の極秘だが、これから話すことは、時期がくれば国民にも噂が流れるという。
「フラーウ技師から聞いていらっしゃるとは思いますが。丁度、あなた方が国境を越えた頃合いからでしょうか、ドミナシオンは不穏なほど動きを見せませんでした」
「…はい、そう聞きました」
「我々はドミナシオンで何かあったと考え、注意深く警戒していたのです」
その何事かのせいで、ドミナシオンの密偵達に連絡がつかなくなったのだと予想できる。
「そして…本題ですが、本日の明朝にドミナシオンから非公式の文が届きました」
「――え」
オネットさんとフィエルさんに緊張が伝わったのが俺にもわかった。
「あいつら…なんて言ってきたんだ? 返答によっちゃ、あたしらは…」
「ご心配なさらずに。 国王陛下もおっしゃってましたが、我々はあなた方をドミナシオンへ受け渡すつもりはありません」
オネットさんの低い声に、カダム宰相がはっきりと意思を示す。 そして、静かに懐から分厚い封書を取り出した。 乳白色色の封書には赤い色の封蝋があり、百合の花の刻印が押されている。
「今の段階ではまだ、あなた方に見せられない文章ですが…国王陛下が許可を出してくださいました」
「……読ませてもらう」
オネットさんが一言そうつぶやくと、カダム宰相の手から分厚い封書を受け取った。 中から折りたたまれた羊皮紙の紙束を手早く開き、緑色の瞳が忙しなく動く。
一行一行進むごとに、オネットさんの瞳が大きく見開かれていった。 一体、何が書かれてあるんだ。
「――…あいつら…本気で…?」
オネットさんの顔が、信じられないとばかりに歪む。
「ドミナシオンは、我がオルディナ王国と改めて、同盟を正式に結び直したいとお考えのようです」
宰相が淡々と説明してくれた。 ドミナシオンからの手紙には、今までの非礼に対しての謝罪と、不可侵条約、同盟等を結びなおしたいという国の意思表明がされてあった。
元々、北と南は戦争、領地の侵略はしてはいけないと他種族からの強制的な不可侵条約が結ばれている。
だが、ドミナシオン側は条約を口で守ると言いつつも、厳密な契約を結んでいない立ち位置にある国だった。 その数百年前のいざこざが近年にまで及んではいるのだが。
そして、ドミナシオンから逃げ出した聖女、フィエルさんやオネットさんに関しても、ドミナシオンが関わることも、危害を加えることも決してしないとも書かれてあった。 念入りに契約書を結んでいいとも書かれてあったそうだ。 これらは全て、現皇帝の名で記されてあった。
「…何を企んでるんだ…こんな…、あの皇帝がこんな話を持ち出す筈がない…!」
オネットさんの声が上がる。 予想外な展開に驚いているようだった。 現皇帝は、かなり頭の固く、人族至上主義の血の気の多い皇帝だと噂を聞いたこともある。
「その皇帝がお望みらしいですよ」
「何か…策略が…裏がある筈だ! …ラウルス陛下はどうお考えなんだ!」
「我が王は、前向きに検討をしようとお考えのようです」
「………っ」
「オネ…」
かなり動揺しているオネットさんを、フィエルさんが宥めるように視線を送っている。
一方、そんな二人の間に挟まりながら、俺は真顔を必死に保っていた。 だって、それって…もしかしてだけど、もしかして!?
俺の脳裏に、顔色が病的に悪い、けど、意志の強い眼差しを宿した公爵の姿がよぎった。
「裏も取れてます。 ドミナシオンに潜んでいる我が国の密偵達からも連絡がありました。 …帝都では表立って騒ぎにはなっていないようですが、内政の変動があるようです」
「…変動って?」
「重要位置にいた貴族、王族、引いては皇帝すら、動きが極端に変わったそうです。 …その中心にいるのが、ドミニス・ドゥクス・ファーナー公爵の姿があるとか」
オルディナ王国の隠密情報によると、ある日を境に、国家中枢にいた貴族たちが次々に代わり、ある者は主張をがらりと変え、皇帝に至っては法を覆すことを口にし始めているらしい。
その動きはまさに静かな革命のごとく、ドミナシオンの内政はひっくり返っているのだという。
(確定だ! ドミニス公爵が動いたんだ! わーっ、あんたが大将で主人公ーーー!)
どんどんパフパフ!真顔のまま脳内ではお祭り騒ぎと化した。 安易に想像するのもおこがましいが、それはそれは映画が一本できそうなぐらいに濃い展開があっただろう。 悪の皇帝は倒れ、嫌、無事に傀儡となったのである。 現場見てないし、全力丸投げの他人任せだけど!
「…ドミニス公爵が…? そんな、まさか…だって…あいつは洗脳術式で宮廷を動かせるはずが……」
ふと、オネットさんがぼそりと呟き――緑色の瞳は俺を見つめた。
(…きっ、気づかれた、かな…!?)
ばくばくと、俺の小さな心臓が暴れだす。 オネットさんの目線は完全に、お前国境門越えの時になんかしたな!?っていう目を向けている…!あああっ言い逃れを考えないと…考えないと…!
そんなオネットさんの視線から逃れるように、素知らぬ顔で視線をカダム宰相へと向けると――カダム宰相も穏やかな笑みを浮かべながら、涼やかな目でオネットさんと俺を見つめていた。
あ、察し、みたいな目をするんじゃあない!顔色読むプロかよ!…一国の宰相だった!プロじゃん!
やめてよして、視線だけで俺の豆腐メンタル攻撃しないでぇ!
「…我々の隠密からの情報は確かです。 ドミナシオンも、オルディナ王国も、暫くは内政で大忙しになるでしょうね」
ふっと、カダム宰相の視線がゆるくなる。 これからの事を思い描いているような、遠くを見据える目だった。
ドミナシオンの手紙には、同盟を結びたいという申し出の他に、重要な情報が記載されてあったという。 それは、ドミナシオンが裏で指示を出していた密偵に関する情報だった。
どういう手順で命令が密偵達へ流れ、密偵同士の連絡網や、組織構成、人数、名前、協力している貴族の名も詳細に記されていたそうだ。
ドミナシオンにとっては裏の裏、懐刀を晒す行為だ。 同盟を結ぶための手土産なのか、今までの行為の詫びなのかは定かではない。
とはいえ、オルディナ宮廷は情報の裏どりやら証拠集めに奮闘せざる得ないという。
「密偵の数は多くはないのですが、何分、間接的に関わっている人間が多いのです。 狩人組合にも市井にも紛れ込んでいるので…。今現在、各地の密偵と思しき人物達は捕縛されているでしょう」
もうすでに指示は飛ばしてるのか、宰相様は仕事がお早い。
「完全に油断はなりませんが……国境を越えたあなた方をどうにかしようという余力は、今のドミナシオンにはないと考えてます」
宰相の言葉には、安心していいという意味が含まれてあった。
※※※※※
「――ドミナシオンは…変わるのかしら」
「………だろうな、正気に戻ったドミニス公爵が動いてるんなら……確実に変わるだろ」
お城での対談後、俺達はこそこそと城の裏手から城下町へと降りた。 馬車の窓から大通りを眺めると、店や家の明るく灯る窓や、酔っ払いの姿が見える。
今だ密偵の全てを捕まえた訳ではないから、周辺の警戒はまだ解くべきではない。 だが、警戒度は落ちるということ。 警護に当たる隠密も数を減らし、領地に潜むドミナシオンの密偵潰しにかかること。
更に、ドミナシオンとの同盟の内容や、ドミナシオンの動きに変化があれば逐一教えてくれるという事を、カダム宰相は約束してくれた。
必要あらば、どこか王都から離れた街や村へ移転しても構わないとも言ってくれたのだ。
オネットさんもフィエルさんも、話し合いが終わってから気が抜けたかのようにぼんやりとしている。
「……これで、私達、自由になった…?…もう、怖がることもない…?」
「…フィー…」
「……あの皇帝が…、私達を手放したなんて……、…嘘みたい」
「ぐぇ」
ぎゅむりと、俺はフィエルさんに抱きしめられた。 ナチュラルに抱っこ人形になっているが、馬車に乗った途端これである。
呆然としているフィエルさんを見上げると、笑っていいのか、泣いていいのかわからないような彼女の表情が見えた。
「…今日は色々なことがありましたね。…寄宿舎に帰ってゆっくりご飯を食べて…お風呂にも入って、がっつり寝ましょう。 …考えることなら、いつでもできますから」
ね?と、フィエルさんの手を握ると、青い瞳が揺れていた。 ああ、いっそ泣ければすっきりするのだろうけど。
「…ふふ、そうね…。今はまだ…頭の中ごっちゃで訳が分からないわ! ミテラさんにいっぱい料理作ってもらって食べましょ!」
「……ははっ、そうだな…。 なんか食わないと頭も回らないしな。肉食おう、肉!」
「オネットさんは肉ばっかですね、野菜も食べましょうよ」
「そうそう!オネは野菜も食べないと!」
「ここぞとばかりに野菜を食わせようとすんなって!」
馬車に揺れながら俺達はいつものように笑った。 どこか、空元気のような表情で。でも、これでいい。
今はまだ、唐突に降ってきた話を飲み込むのは時間がかかるだろうと思う。 ゆっくりと考えて、心に引っかかっている荷を下ろしてほしい。 彼女達を繋ぐ足枷はもう無いし、考える時間は沢山あるのだから。
彼女達はもう、自由なのだ。
――なんて、ポエミーな事を考えていたら、オネットさんの瞳が俺を捉えた。
「さて、サクマ殿?」
「……、お、オネット様…?なんか…すっごい良い笑顔ですねぇ…?」
「ドミニス公爵のこと、あたしらに隠していること。洗いざらい話してくれるよなあ?」
「……………ぷぇ…」
ぶにりと両頬をつままれた俺の口から小動物のような鳴き声が出た。
今日は俺の命日かな。
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