16.ドミナシオン編
「ドミニス!早くその小娘を殺して聖女を…!」
「ズペイさんでしたっけ。貴方の一存で決めていいんですか? あと、おれは小娘じゃないです」
門をふさぐように壁を再構築した上から眼下を覗き込むと、ズペイが狼狽した顔を見せた。
目線が泳ぎぶつぶつと独り言をこぼす様はなんとも小物臭満載だ。
「…他種族を殺すのは…、国とっては…いや、皇帝はどうお考えなさるか…」
「……っ」
ズペイが魔道具を起動させながら迷いのある言葉を発している。
不明瞭な命令はドミニスに対して混乱を招くだけだ。事実、ドミニスは頭を押さえながら微動だにしない。
俺は重力緩和の短縮術式を靴底にかけ、地面へと着地した。
声を震わせるな、ビビるなよ、強気で行け!
長身のドミニスを見上げてにやりと口の端を持ち上げて笑った。
「ご主人様には決断力がありませんね。どちらかというと貴方の方が主人なのでは?」
「……っ」
「何も答えられませんか? 自身の感情を制限されているのなら仕方がありませんが」
「…黙れっ…」
ドミニスが苦痛に顔をゆがませた。彼には洗脳術式の顕著な症状が出ているようだった。
洗脳術式をかけられた対象者は「命令者」への反逆を禁じられている。 その自我すら強制する洗脳術式の副作用が、思考力の低下や頭痛、耳鳴り。長期にわたれば症状も悪化する。彼はどれほどの間、苦痛に苛まれ続けているのだろうか。
「もういい!許可なくドミナシオンの領地にいる他種族など殺されて当然です!その小娘を殺して聖女を連れ戻しなさい!」
「…っ承知した…」
ズペイが設置してある魔道具を起動させて明白な命令を口にした途端、ドミニスが腰の剣を鞘から抜いてこちらに刃先を向けた。
がきんと鈍い音が耳に届き、衝撃はびりびり肌に伝わる。
「っ!」
「……っ、防御壁、か…!」
剣の柄にドミニスの手が伸びた瞬間、俺は浮島で練習した防御壁を短縮術式で発動して防いだのだ。 ナイス俺、ナイス特訓。 おかげで真っ二つにされてしまいそうな剣を止めることができた。
「…っ、は、その付与効果がついている剣でも防御壁は壊せませんよ」
ドヤ顔しようとしたが失敗しているかもしれない。口がひくりと痙攣してしまっている。
「ならば、防御壁ごと、断つ…!」
「ぅ、わっ」
途端にドミニスの周囲の魔力がざわつき、剣に施された魔石の効果付与が発動した。俺に向かって周囲の地面から数十本の氷のトゲが伸びる!
俺は即座に魔術札を発動させた。 カマイタチの術式効果がある札だ。
俺がしこんでおいた術式は、数本の氷のトゲを切断して粉砕する。
「当たらなければ何てことは無いんですよ…っ!」
鋭い氷の牙だとしても、俺が組み上げた鉄壁の防御壁があれば何てことはない、ないんだが、
「…小癪な…!」
ドミニスの魔力が高まり、斬撃と氷の刃が絶え間なく俺を襲う。だが、片っ端から防御壁で防いだり短縮術式で砕いた。
しかして、とにかく怖い。今まで味わった事が無い気迫を全身で感じた。ドミニスの気迫が防御壁越に伝わってくるのがマジで怖い。
(本気で、俺を、殺しにかかっている)
ドミニスの目はうつろだが、全身から放たれている殺気は突き刺す程の強さだった。
平和な日本、社会勤めではない引きこもり在宅ワーク一本でやってきた俺としては刺激が強すぎる。こんな命のやり取りなんぞ、長丁場耐えられる訳がない。今はまだ手の震えもないが、緊張感と集中が途切れたらどうなるか。
「…どうした、反撃しないのか?」
「は、反撃っ、されたいん、ですかっ」
斬撃と氷の刃を防御壁で防ぎながら魔術札をばら撒いて発動させた。 なのに、瞬時にドミニスが紙を剣で真っ二つにされてしまう。
くぅ~っ丹精込めて作った魔術札が無駄に!
剣の合間を抜けた魔術札がドミニスの身の動きを封じる土の鎖を出現させるが、斬撃の手を邪魔する程度しかならなかった。
じりじりと後退させながら攻撃を防ぎ、合間に魔術札を放つという動作を何度か繰り返したその時、
「何をしているのです! 小娘一人殺せないのですか、この死にぞこないめ!その子供は明らかに戦い慣れていないでしょう!素人相手に何を手をこまねいているのです!」
ズペイが俺らの攻防を眺めてギャンギャンと喚いていた。
「その小娘は人の
「あーもーっ、小娘じゃないって言ってるじゃないですか!」
色々とバレていらっしゃる。
そう、俺はドミニスを殺すつもりはないし殺傷能力の高い攻撃をするつもりもないのだ。
ただ動きを止めれればそれでいい。だが、その隙を作ろうとしているがなかなか出来ないでいる。こうも外野がうるさいと集中出来ないじゃないか!
苛立ちをぶつけるようにズペイに向けて魔術札を発動し、ズペイごと魔道具を空中へと押し上げた。ドミニスが間に入ろうとしたがそれでは遅い。俺は魔道具にだけ短縮術式をぶち当てたのだ。結果、
「ああっ!?魔道具がっ!?」
北門に設置してある三つの魔道具を復元不可能なまでにバラバラに壊してやった!
ズペイが真っ青な顔で地面に転がる。ざまあみろだ!
「く、国の宝がっ…!何年もかけて作った魔道具が…!!」
「貴方も大人しく眠っててくださいっ」
粉砕された魔道具に縋りつくズペイに強制快眠の術式をぶつけた途端、小物臭満載の男は大の字で就寝なさってくださった。洗脳魔道具はこれでこの場には一つたりとも無くなった、よっしゃ!
「ド、ドミニス公爵、洗脳術式はこれで…っ、ひぇ!」
「…このっ、国の為に…っ死んでもらうっ…!」
ドミニスの方を振り向いた瞬間、剣の斬撃が襲ってきた! 俺はどうにか防御壁で防ぎ、ドミニスから慌てて距離をとって離れる。
(くそっ、やっぱりダメか…!)
洗脳術式の命令を飛ばす魔道具を壊したとしても、すでに出された「命令」は中断しないらしい。ズペイが言い放った俺を「殺せ」という命令は継続している。
やはり、ドミニス自身の洗脳術式をどうにかしないと彼は命令に従い続けるようだった。
(ドミニスを身動きできないように止めれば…!…そろそろ、いいか!?)
執拗に繰り出される斬撃を防ぎながら後退していくと同時に、視線を忙しなく辺りを見渡した。
あれの
「う、わっ!?」
石畳の破片に足元を掬われた。周囲の地面の石畳は俺が打ち捨てたストックがばら撒かれ、氷のトゲや術式ではちゃめちゃになっている。
防ぐことや仕掛ける事に集中しすぎて足元を疎かにしていたのが原因か。
俺の失敗の隙を見逃す程、目の前の男は甘くはなかった。 防御壁が揺らいだ刹那に強靭な片腕が俺の首をつかんだ。
「ぐっ、うっ!」
「これで、っ、終わりだ…っ」
ぎりぎりと大きな手が俺の首を締め上げてくる。
ドミニスが淀んだ目で剣を掲げ――何故かそのまま動かなくなった。
「っ、国、の、為に、殺すんじゃ、ないん、ですか、」
「……、………国の、為…」
首を締め上げられながら彼に問いかけた。
淀んだ灰色の目には意思のようなものが揺らいで見える。ドミニスが洗脳術式に抗おうとしている様が見えた。
その抗う様、かっこいいと思うよ。
俺は一気に周囲へ魔力を飛ばした。刹那、
「…っ!?」
「油断、しましたね、ドミニス公爵…!」
ばら撒いておいた魔術札が一斉に再発動し――じゃらじゃらと耳障りな音を立ててドミニス公爵は
彼の斬撃を防ぐため使った魔術札は一発限りのものではなく、
数がほどよく集まった頃合いに、散らばった周囲の魔術札へ魔力を飛ばして一斉に発動。 魔術札は命令どおりに土を強固な物質へと変え、鎖束となってドミニス公爵の身体に巻き動きを封じることに成功したのだ。 再構築した鎖は俺でなければちょっとやそっとじゃ壊せない代物にしてある。さすがに凶悪パワー特価型ゴリラじゃないと抜け出せないだろう。
そんな無数の鎖に絡めとられたドミニスがこちらを睨みつけてきた。
「…私を…捕えてどうするつもりだ…」
「貴方に、お伺いしたいことが、あるんです」
少し緩まった片手をどうにか外そうとするが、強靭な片手は俺の首から外れてくれない。 ドミニスより短いリーチの片腕を伸ばし、彼の鎧に指先を触れた。
(【鎧】※【破壊】※※)
「…!」
強固な鎧が短縮術式で破壊され、がしゃりと地面へと残骸が転がり落ちる。むき出しになったドミニスの背が鎖の合間から覗いて見えた。
更にと、短縮術式で片腕の力を奪い男の片腕から逃れる。
「ぐはーっ…は、く、首の骨おられるかとおもった…」
首を手でさすりながらドミニスの背へと回り込むと、むき出しの背には黒々とした術式の入れ墨が施されてあった。
オネットさんとフィエルさんの身にも刻まれている洗脳術式だ。そのまがまがしい術式は背筋中心に施され、首筋へと延びている。
「…何を…」
「伺いたい事があるんです。
そっと背の首筋、背筋に沿ってある洗脳術式に手を合わせた。
「この洗脳術式、邪魔だから書き換えさせてもらいますね」
「っ!?」
術式の書き換えは難しい。それをフィエルさん達は自力でやってのけた。
俺にだって方法はすでに脳みそにインプットされているのだ、やれなくはない。
術式を上書きする為、丁寧に魔力を練り上げた。
「ぐっ、ガッ、」
書き換えの余波なのか、痛みがあるのかもしれない。ドミニスさんの何ともいえない苦痛の声が耳に刺さる。
「少し、我慢、してくださいっ…!」
大きな背を小さな両手で抑え込んだ。じりじりと肌を焼くように術式が形を変えていく。
集中しすぎて気づくのに遅れたが、夜空には輝く花火が上がっていた。
花火をゆったりと眺める余裕すらない俺は、ドミニスさんの背を押さえながらにやりと笑うしかなかった。
(フィエルさんとオネットさん。無事に、南門にたどり着いたんだ…!)
こちらも最後の詰めだ。慎重にしなければならない。
※※※※※
「サクマ、大丈夫かしら?」
「…アイツなら大丈夫だろ」
「でも…遅いわ。合図も上がらないし…」
全速力で不可侵結界の中を駆け抜けたあたし達は無事にオルディナ領の南門へとたどり着いた。
内密にやり取りしていたおかげか、オルディナ領へと続く国境の門はあっさりと開かれ、あたし達は中へと招き入れられた。
南門の隊長の男と何度か言葉を交わした後、南門の内部は静かにどこか緊迫したような雰囲気へと変わった。先ほどからオルディナの兵達が北門を警戒するような動きをしている。
本来ならすぐにでも更に南へと下り、オルディナのお偉い様と顔を合わせる手筈になっていたのだが、暫く時間をくれとわがままを通し北門を覗き見える場所であたし達は身を潜めていた。
先ほどまでいた不可侵領域の向こう側、北門の方角からは何度か光り輝くのが目で確認できた。
「…サクマ、用があるっていってたけど」
「ああ…多分、ドミニスの洗脳術を解こうとしているのかもな」
彼は言葉をぼかしていたが、事前に洗脳術の事や術式を無効化した時の事を詳しく知りたがっていた。少し考えれば彼が何をしようとしているのかは安易に分かる。
情でも湧いたのか、それとも正義感なのか。なんにせよ、
(…バカなやつ。こうも容易く利用されるなんて)
『南門へ無事に到着したら、これを夜空に向けて放ってください』
北門へ突入する前に手渡された物。小さな白い手には真四角に切られた羊皮紙があった。
『花火…えっと、夜空に火が無数に炸裂する術式が書かれてあります。普通はお祭りの時に上げるものなんですが…。おれも同じものを持っておきますね。もし、俺自身が身の危険を感じたらゲシュンク大陸から緊急脱出します。その時にこれを使って合図しますから。 そうすれば離れていても互いの状況がわかるでしょう?』
通信魔石が結界に阻まれて使えない時の対処として考えた物らしい。見目は幼いが、サクマは先のことをよく考える子供だった。
『…何を企んでるんだ?サクマ』
『まあ、ちょっとした嫌がらせです』
嫌がらせであり、ちょっとした投資だとサクマは呟く。
『こればかりは賭けというか。…それは追々、成功しそうだったらお二人に話します』
『…ふうん?』
『それよりも、お二人は優先すべき事は南門へたどり着くことです。それ以外の事は気にしてはダメですよ』
『…でも、サクマ。何をするのかはわからないけど危険よ?一人残るなんて』
フィエルが心配そうにしているが、サクマの言っている事はこちらにとっては得なだけの話だった。あたし達を先に逃がし、南門へたどり着くまでサクマが時間稼ぎをしてくれると言っているのだから。
『大丈夫です。お二人が協力して憲兵の数を減らしてくれるならどうにかなりますし、危ない時は一瞬で脱出する方法もあります。…そもそも、最初からそういう
サクマの大きな瞳が挑戦的に見上げてきた。こちらの思惑はわかってますよといわんばかりに。
『…意地悪だな』
『なんとでもおっしゃってください。お礼は後できっちり頂きますからね』
そういいながら笑うサクマの顔はぎこちないものだった。
あたし達がオルディナへ逃れる為に、サクマを利用しようとしていたことは察知していた筈だ。だというのに、サクマはそれをわかっていながら利用されることを良しとした。
「…サクマは戦い慣れてないのでしょう?」
「言われなくとも、みてりゃわかる」
あの子供は随分と穏やかな所から来たのだろう。
魔術札の効果も他者を傷つけるような殺傷力の高いものではなかった。出来る限り人を殺さない方法を意図的にしているようだった。
北門へ突入する時も、サクマは少女のような相貌を緊張でこわばらせ、魔術札を握る小さな両手は真っ白になっていた。
「サクマは、とても優しい子よ」
「…わかってるよ、フィー」
出会ってほんの数日。だが、その数日でわかったこともある。
サクマは大人のような達観した面があれば、野宿にキラキラした目で楽しんだり、即席の料理を美味しそうに頬張ったりしていた。
こちらに気づかせないようにしていたが、サクマは血なまぐさい話を怖がってる節もある。そんな臆病な所も持ち合わせたつかみどころがない子供だった。
そんなサクマを、あたしは利用したのだ。
「サクマは、たとえ花火が上がらなくても南門へこなくとも心配はするなと言っていたが…」
随分ときっぱり突き放されたのだ。『合図が上がらなくとも、おれを助けようなどと行動しないでください。 南門から北門に戻ってくるっていうことだけは絶対に考えないでくださいね。こちらの計画が狂うだけです』と。そこまで言われてしまえばこちらは何も言い返せれなかった。
改めて考えてみれば、明らかにあたし達を気遣っての言葉だとわかる。
「あと二十分。合図が無くてサクマが姿を見せなければ…あたしが様子を見に行く」
「…怒られるわよ、サクマに」
言うと思ったとばかりにフィエルが困り顔で笑った。
「北門には近づかないし、結界内から様子を伺うだけだ。サクマとの約束は破ったことにはならないだろ?」
「ふふ、わかったわ。…私は足手まといだから…ここで二人を待ってる。無茶はしないでね」
フィエルの手が私の手を優しく握りしめた。その細い手を握り返し、北門へと視線を戻す。
あの輝く白銀の髪をなびかせ、サクマは命を奪わない戦いをしているのだろうか。
※※※※※
「どうですか。調子は」
「――……」
幼い声が耳に届く。だが、私の喉は声がかすれて返事にもならなかった。
「聞こえてます?…洗脳術式は完全に解けた筈で…」
「…
耳鳴りがしない、頭痛も綺麗さっぱりと消えた。 吐き気もぐらぐらと揺れるような感覚もしない。思考がはっきりとしている。
洗脳術式が解けたのだ。この白銀の髪の小さな子供の手で。
いや、それだけではない。激痛を伴う程に魔力枯渇を常に起こしていた我が身の魔力が正常に体内を巡るのを感じ取れた。
「…洗脳術式が解けた程度でこの体調の良さはありえない。…他に何をした?」
「貴方の魔力が正常値になるように魔石の魔力を送り込んでます、身体に異常を感じたら言ってください」
聖女すらなしえない魔力の譲渡方法を知っているのかと、小さな身体の魔術士の動向を見守った。子供の周囲からは感じたこともない膨大な魔力の波動を感じる。人族ではありえない魔力量だ。
時間にして数分、ほどなくしてその子供は白銀の髪をなびかせて私の身体を捉えている鎖の術を解いた。
「…いいのか、こんなに容易く…私はお前に剣を向けるやもしれないのに」
「もう、おれを殺せという命令は無効化しているでしょう? 貴方の身に施された洗脳術式は書き換えました。洗脳術式無効化として」
「…無効化…そんな高度な術式を…?」
洗脳されていた間の事はおぼろげな所もあるがはっきりと思い出せる。
聖女と元暗部が魔道具の洗脳術式を跳ね返した術式なのだろう。その術式を我が身にも施したというのか。
「何故…そんなものを…」
「まあ、嫌がらせみたいなものだと思ってください」
首をかしげると、白銀の髪が徐々に黒髪へと染まっていく様が見て取れた。
白銀の髪と朱色と黄金の瞳をその身に宿していたらドミナシオン領土では殊更目立つだろう。それを隠す為に偽装系の魔道具を身に着けているのかもしれない。
ただこの子供の場合、短縮術式を使う度に膨大な魔力を抑えられず、術式を扱っている間は効果を打ち消してしまっているようだった。
「多少は顔色もよくなりましたね」
「…助かった、感謝する」
素直にその言葉を口にすると、目の前の子供は身体を地面へとしゃがみ込み、赤が混じる黒い瞳を私に向けてきた。
「スッキリした所でドミニス公爵様に少しご質問があります」
「…なんだ」
「この国の
「何を…」
「答えて頂けたら幸いです」
鎖から解き放たれた身体を起こして石畳の上に腰を下ろした。
なんとも稀な経験だ。辺りを見渡せば大の男どもが大の字で眠りこけ、私を使い潰そうとしていたズペイも魔道具の残骸にしがみついて眠っている。
(…どうなることやら)
この目の前の子供は私を殺すつもりはないらしい。私は切り殺そうとしたというのに。
大陸外からやってきたであろう子供は報復もせず、こちらの身を捕えた末に洗脳術式を書き換えた。 何やら嫌がらせといっていたが悪い話でもないように思える。
赤が混じる黒の瞳は穏やかに見えて真剣な色を帯びていた。ここは素直に真情を吐露すべきか。
「は、…最悪だな。国の上が腐ってるのだから、愚劣極まりない行為を尊いことだと信じて民を消耗し続けている。…皇帝は、この国が他種族を負かし勝利をつかめるなどと…数百年前の皇帝の妄執に憑りつかれているのだ」
その狂った妄執を捨てられない限り、この大陸に我々は閉じ込められる続けるだろう。国力を省みず、ひとたび大陸外へ剣を向ければどうなるか。結果は火を見るより明らかだ。
「この国はいずれ滅ぶ」
「……」
その言葉を口にした途端、ひやりとしたものが胸に落ちる。
「愚かな皇帝は遅かれ早かれ戦争を起こし、南のオルディナ王国や竜人や獣人に叩き潰されるだろう。…大昔に起こった戦争のように」
「貴方は、止めないのですか」
幼い声が静かに言葉を発した。その言葉にぐつぐつと血が渦巻くような、久しい感覚がよみがえった。怒り、嘆き、諦めといった感情だ。
「…止めようとした」
滅ばぬ道を進まぬよう、父上と共に裏で画策していた。
だが、それも数年で皇帝に見破られ一族共々その身を奴隷へと落とした。
「…私は、私達には止められる力が足りなかったのだ。僅かなミスで全て失敗に終わってしまった。それから私達はただの操り人形に……また、愚かな行為にこの身を落すのならば」
一族は奴隷へと落ち、命を落とした者も数多くいる。そんな中で私は魔力が高く見せしめとして騎士の真似事を強制させられた。
守ろうとした魔力持ちの民を、逃げ出した者たちをこの手にかけたことも幾度もある。いくら洗脳をされていたとはいえ、許されない行為だ。
「力が欲しいか?」
「……なんだと?」
ふと目の前にしゃがみ込む子供を見つめると、こほりと目を泳がせながら懐を小さな手がごそりと動いた。腰に下げている鞄から出てきたのは収納袋。
「…それは…魔石…か」
「まあ、見様見真似で付与効果を付けただけの魔石ですが…貴方にお貸し致します」
収納袋に入っていたのは大きな純魔石が数十個程だった。小さな手が袋の中にある魔石を拾い上げ、私にしっかり見えるよう手の平に乗せた。
膨大な魔力が秘められた純魔石には、見慣れない術式が施されているのが目に見える。
「この魔石には《魔力感知遮断》、《認識阻害》、《拘束無効化》、《洗脳無効化》の術式を刻んであります。ええっと…こちらの小粒の魔石には治癒を…重度の魔力枯渇を起こした人に使ってあげてください。症状が緩和されるはずです。もちろん、貴方自身も定期的に使用してくださいね。今は楽でしょうが完全に完治した訳ではないので」
「な、」
唖然とする。これらは国宝級レベルの代物だ。それを即席で複雑な術式を刻んだというのか?しかも、金貨何百枚分も価値がある純魔石で。
「…何を企んでいる、何故、私を…助けるような真似を…」
「ああ、助けるとは程遠いですよ。嫌がらせですから。今から話す内容はおれの独り言です、あ~あ~っ」
演技力も無さそうな声色で子供ははっきりと言い放った。
「妄執に取りつかれた皇帝を洗脳術式で操ってしまえばいいのになぁ。洗脳術式をかけられた子供たちを解放できるのになぁ。この魔石を使えば国を変えれる切っ掛けになるだろうなぁ~!」
「……っ!」
なんと、今、この子供はなんといった?
「…これがあればどこにでも忍びこめるし後ろからなんとでもできます。洗脳術式はお得意なんでしょう? それに、貴方には洗脳術式は一切効かない身体になりました。もう操られる心配はありません」
「………」
「それとも、これは受け取れませんか」
子供の瞳は、国を助けようとする意思はなくなったのかと私に問うていた。
あまりのことに言葉が出ない。ただただ、唖然としてしまう。十歳かそこらの幼い子供が考える内容ではなかった。
「…何故、どうしてそこまで…」
「ドミニス公爵に
静かに淡々とした声色。この目の前の子供は失敗した私に、もう一度、国の為に戦えと言っているのか。
「…それが…嫌がらせだと…?」
あまりにも悪魔の囁きにも等しい魅力的な話だった。
私が私達一族に足りなかった力がそこにある。これさえあれば、国内の暗雲と立ち込めた影を一掃できる足掛かりになるだろう。
それらに手を伸ばしそうになり、寸前で引き留める。
この目の前の子供の思惑が未だわからない。
「…貴方達が裏で国を変えようとしていたと聞きました。その話を聞いておもったんです。貴方のような人がいればこの国はまだ終わってないって。それに…」
細い首に細い指が触れる。真っ白な肌には赤く私が掴んだ手の跡がくっきりと残っていた。
「…殺そうと思えば殺せましたよね。 おれの首を捕まえた時に。でも、貴方はしなかった。洗脳術式に抗ってくれました」
さらに確信しました。貴方ならやれるのではないかと、その強い意思に投資したい訳です。と十歳程の子供が言う。
「おれみたいなよそ者でも安心して買い物ができる国になってくれれば嬉しいんですが。 まあ、貴方が嫌なら受け取らなくても構いません。 おれにはまったく関係のない事です。この国が衰えていくのを安全な所から眺めてますよ。…誰も動かなければどうなるかなんて貴方が一番ずっとよくわかっている筈ですよね?」
「………」
「もちろん、その魔石を貴方が…おれが考えている悪い方へ使わないと思ってお貸しするんです。もし、その道具を使ってこの国が戦争を起こすまでに悪化するのなら」
「…私を殺しにくるか?」
大きな瞳を丸くし、子供は心外そうに苦笑した。
見目は子供だが、その身にまとう雰囲気はまるで大人のようだった。なんてチグハグな子供なのだろう。
「そんな物騒なことはしたくないですよ。でも、せっせと回収しには来ます」
「…お前は、一体何者なんだ。こんな、複雑で強固な術式などをいとも簡単に…」
大陸外の他種族ならば、森人族だろうか、それとも竜人族だろうか? なんにせよ、人族の身では到底及ばない寿命と魔力を秘めた子供だ。
「ただの一庶民、通りすがりの他大陸にいる民草ですよ」
「そんな話を信じるとでも?」
「信じる信じないもお好きにどうぞ。 革命を起こすなら国の中枢に関わるような…それこそ国のことを熟知している貴方のような人じゃないと無理な話でしょう? おれにはそこまでの学と能力はありません。だからこそ」
小さな両手が魔石が入った袋を持ち上げ、私に差し出してきた。
「私に…託すというのか」
「全投げです。まるっとぶん投げで南オルディナへ観光を楽しんできます」
「…ははっ、ここまでしておいて放置か」
「ええ、他人ですから。 貴方の
「…それは国ごと消える未来が見えるな」
小さな白い手が抱える数十個の魔石。これを受け取れば波乱の日々へと身を置くことになるだろう。国の未来の為、民の為に身を粉にする日々だ。
(…だとしても、構わない。この国を救えるのならば、民を救えるのならば)
血と罪に穢れた我が身を、国と民の為にまだ使えるというのなら、
「望むところだ」
小さな手からずしりとした袋を受け取ると、安心したかのように子供の両肩から力が抜けたのが見てとれた。
「…そなたの名は?」
「サクマ、です。応援はしてますよ、ドミニス公爵様」
そう呟き、白い小さな魔術士は外套をなびかせて高い壁をふわりと飛び上がる。
振り返り様、辺りに散らばった魔術札を一つ残らず燃やし尽くし、白銀の長い髪をゆらして視界からふわりと消えていった。
「…嫌がらせとは程遠い」
私にとっては最大級の好機だ。
片手に残った国宝級とも言っていいほどの魔石を握りしめる。
両足はしっかりと地面を踏みしめられた。思考も混濁していない。はっきりと次どうすべきか答えは出ていた。
「この機を逃すつもりはない」
これから忙しくなるだろう。
国の上層部を一掃するにはまず、身の回りを固めなければ。油断を誘う奴隷の身ならば動きやすい。慎重にやり遂げなければならないだろう。
私がやるべき道筋は見えている。
その数年後、ドミナシオン帝国には新しい皇帝が即位し、内政が様変わりしていくと後の歴史に記されてあった。
※※※※※
(あ~、緊張した。言葉がどもったりつっかえたりしなくてよかった…)
この少年ボディは滑舌筋は衰えていないようでありがたい。
積み上げた高い壁から地面へと着地した途端、べしゃりと尻もちをついてしまった。
「…いって…」
なんだか力が抜ける。緊張しすぎたのだろうか?
よろよろと立ち上がり、夜明け前の真っ暗な不可侵領域である平原を歩き出す。一キロ先に見える炎の明かりが南門だ。迷わずに進めるだろう。
(ドミニス公爵がどう動くか、あとはもう賭けだな。失敗しても成功しても、俺にとってはどちらでもいい)
何故、彼に破格で魔術式を施した魔石を渡したのか。それは聖人君子のような考えからではない。
(この国の根幹から変わればいいのにっていう皇帝への
これは最後の願掛けもいい話だが。
(フィエルさん達の心残りを残さないように、かな)
オネットさんは区切りはついていそうだが、特にフィエルさん。故郷を捨てて亡命するのだ。城に囚われている魔力持ちの
優しい彼女のことだ。その度に自身が見捨てて来たことを後悔し続ける事になるかもしれない。
(ほんの少しでも薄まればいいのにって考えたんだけど…)
国が変わるのだ。どれぐらいの時間がかかるのかはわからない。
ドミニス公爵の思想を利用する形になったが…
(願わくば、ドミニス公爵の革命が上手くいきますよう)
オネットさんとフィエルさんといい、ドミニス公爵といい。主人公属性の奴ら多すぎだろ。
今後、ドミナシオンの国内動向には気を使って様子を見なければならない。魔石を渡した手前それぐらいはしとかないとな。
(……?)
尻の土を叩き落とし、悠々と一歩大地を踏みしめた所で違和感を感じた。
(…身体が…重い…?)
どこか怪我をしたか? いや、そんな痛みはしない。もしかして魔力枯渇? …多分違う。
妙に「外」から圧力を感じる。身体の根幹に働きかけるような、そんな術式を強く感じた。
(…本格的にやばくないか…?これ…)
じりじりと心臓が不規則な鼓動を響かせる。 血が沸騰するかのように何かに抗い、額から冷たい汗が流れだした。
(苦しい、何が起こってるんだ?何を見落としている?)
一歩一歩進むごとに身体の変調が悪化していくようだった。何かが身体の自由を、奪おうとしている。そこでふと思い出した。
不可侵領域には結界の大本である大型の魔道具あり、その他の魔道具は一切使えなくなるということを。
(…俺、ちゃんとすべての魔道具にナダフロス花の液体を塗りつけたよな…?)
何一つ失う訳にもいかないので念入りにナダフロスを塗りつけた。効果時間だってまだ余裕がある筈なのに。
そこで唯一、結界すり抜けの液体を塗りつけていないモノを思い出した。
(
浮島で気づいた筈だ。俺自身の身体は術式の塊だという事を。すっかり忘れていた。
身体が術式の塊の俺=大型の魔道具と同一ということになるのではなかろうか?
(俺の身体が、もし、魔道具と
パキリ
何かが砕ける音がした。
足元の地面から輝く光があふれる。丁度、北門と南門の中間地点、魔道具が設置してあるという真上からだ。
(――あ、やば、)
輝く光は魔力波動だろう。蓄えられた魔石の魔力が霧散するかのような輝き。体外的な術式の強制力が、術式と反発し合い何かが弾け飛ぶ感覚がした。
危険信号がちかちかと頭で鳴り響く。指ひとつ動かすこともできなくなり、俺の身体はよろめいて重力に従って傾いた。
結界魔道具の術式に負けて、俺の身体が強制的に停止させられるのだろう。
失敗した。
そう、思った瞬間、視界が一気に歪んで暗転していった。一瞬見えた視界の向こうに、赤い何かが過ったような気がしたがよくわからなかった。
最後に感じたのは誰かが俺を抱え込む感触だけ。それが誰なのか、確かめる前に俺の意識は闇の中へ溶けていった。
調子こいて暴れまわった罰が当たったのかもしれない。
凪歴二千九百八十八年、夏初月の二十八、大地の日。
早朝四時、オルディナ南国境門にて三名の亡命者を確保。
内一名、意識不明。
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