13.ドミナシオン編

 

「は、ひ、フィエルさんっ、驚かさないでくださいっ…!」

「ふふ、声は掛けたのよ? でもサクマ集中してたみたいだから…見張り交代するわ」


 フィエルさんは申し訳なさそうに微笑んで焚き火の近くに座り込んだ。

 不意打ちには弱いのだ、心臓バクバクしてしまう。


「はーっ…ちゃんと寝れましたか?」

「ええ、うっかり四時間寝ちゃった。明け方まで三時間しかないわよ? サクマも少しは寝たほうがいい、昼間歩く時に辛くなるわ」

「うわ…もうそんなに経ってたんですね…。あ、移動については問題解決しそうなので大丈夫です」

「解決?…サクマ、何をしているの?移動の準備がって言ってたけど…」


 まだ未完成の道具や魔術式の見本羊皮紙をフィエルさんに見せると青い瞳が魔術式をじっと見つめた。


「…んー、結界の魔術文字ならわかるわ。あと…これは浮遊の文字かしら…?」


 フィエルさんは魔術文字を多少読めるようだ。ということは、直筆魔術式は扱えるのかもしれない。フィエルさんの魔力量なら短縮術式も出来そうだが。

 試し書きした羊皮紙を持ち上げて魔術式に指を指した。若干ドヤ顔の俺。


「空飛ぶ絨毯を作ってます」

「???」


 ん?とばかりにフィエルさんの顔にクエッションが浮かんでいる。やはり某ランプを擦って魔神を呼び出す系の話は通じないか。


「…この毛皮の敷物が浮遊する魔道具と思ってください。即席の魔道具ですが、これを使えば徒歩より数倍早く移動出来ます」

「即席で作れちゃうものなの?」


 若干キラキラとした眼差しで俺の手元を見つめるフィエルさん。オネットさんなら胡散臭そうに見つめられそうだ。


「初心者みたいなものですが、やり方だけはに教え込まれたので」


 知らんうちにな。と心の中で付け足しつつ、大きな灰色の毛皮二枚を地面へと裏地が見えるように並べた。そして毛皮の上に中心と四方に五つの魔石を乗せて中心に円を描くように燃料用の魔石を十個並べる。

 魔石に魔術式効果付与を刻み込むには短縮術式でしか出来ない。効果付与をする際の魔力消費は大きいものとなる。

 チート大賢者のクデウさんのお陰で俺には魔力量はこの身にたっぷりとある訳で。

 両手を四方に置いた魔石へとかざして慎重に魔術式を綴った。 途端、身体の奥にある魔力が熱く駆け巡り、両手へと流れ出す。


(浮遊、平行移動、重力緩和、簡易結界、認識阻害…燃料魔石同士の連結…)


 繊細な魔術文字を魔石の内部に丁寧に綴る。ものの数秒で魔術文字が定着し、全ての魔術式が繋がった感覚がした。


(…よし、無事に魔石へ効果付与が出来た。最後に、加工済みの魔石を毛皮の片面に接着…さらに残りの毛皮二枚を裏地を合わせて結合…)


 魔力が思うように渦巻き、術式の効果が発動して毛皮同士が繋がった。

 三人余裕で座れる空飛ぶラグマットの完成だ。しかし、真っ直ぐな長方形ではない上に毛皮素材そのままな不恰好さがある。見目はダサいが致し方がないだろう。


「よし、次は初試し乗りだ」


 空飛ぶラグマットの上に座り込み、中地に埋め込んだ魔石へと魔力を流して魔術式を発動させればすぐにふわりと空中へ浮き上がった。


(結界もちゃんとドーム型になってる。認識阻害の術式も発動してるし、高度もよし…こんなもんか)


 浮かぶラグマットから地上にいるフィエルさんをみると、ポカンとした表情になっていた。

 認識阻害の術式を切りながら地上すれすれまで高度を落とす。ちゃんと細かく操作できてるようだ。


「フィエルさん、飛んでる間は私ごと消えてましたか?」

「え、ええ…消えてたわ…凄い…サクマのやる事全部に驚きっぱなしよ…」

「…私よりも父の魔道具の方が凄いんですよ」

「そうなの?」

「はい、それはもう頭が痛くなるほど複雑な術式を組み上げるんです」


 なんだか褒められる事に抵抗を感じ、今は亡き孤独死仲間のクデウさんに全振りした。

 何しろ大賢者の魔道具は全部えげつない量の術式の濃さなのだ。この知識も技術も元を正せばクデウさんが培ってきたものなのだから。


「…それにしても…サクマ、魔術式を刻んでた時、サクマの…髪が…」

「はい?」

「……っ、…いえ、なんでもないわ」

「?」


 髪?突発的にハゲになったか? 他者からは黒髪に見える筈の白銀の髪を反射で触ったが、変わらずしっかり生えてた。首から下げている魔道具も認識阻害の術式は発動してる。何も問題がないとは思うが…?

 しかし、あんまり髪の毛を括ってばかりだと生え際後退するという話は本当だろうか、心配になる。一時期、病院通いの時に髪の毛が抜けに抜けたのだ。抜け毛には神経質になる三十五歳俺。このボディになってからは抜け毛に悩まされることは無くなったけどもだ。

 髪の毛を弄っている俺をみてフィエルさんが吹き出すように笑った。笑顔が眩しいですね。


 初乗り実験は終わりとばかりにヒョイと空飛ぶラグマットから飛び降り、広げてある道具を鞄へと片付け始める。フィエルさんがさりげなく道具を手渡ししてくれた。


「これで移動が楽になるのね。オネが見たらとっても驚くわよ」

「だと良いですが…」

「…サクマは、オネのこと苦手?」


 ふと、フィエルさんが首を傾げて聞いてきた。 鮮やかな青い瞳が焚き火の明かりにを受けて淡い色合いになっている。

うーん、苦手というかなんというか。


「どこか警戒されてるっていうのはわかります。仕方がないことなんでしょうが」

「…オネのこと、許してあげてね。全部私のせいなの。オネは私を生かそうと必死で…サクマのことも巻き込んでしまった…」


 青い瞳が焚き火へと向いた。羽織っている外套を握りしめる両手が微かに震えるのを見てしまう。


「元々は私だけの問題だったの。なのに、オネも私の問題に巻き込んでしまった…こんな、治癒の力があるから…」


 振っていい話題なのかはわからないが…質問してもいいのだろうか。


「……フィエルさんは、いつから治癒の力を?」

「ええと…七才の時だったかしら。…私、孤児でね。気付いた時には北のノルトエッケっていう村の孤児院にいたの」


 予想外に重い話が始まって俺はぐっと胃が痛むのを感じた。

 フィエルさんが静かに続ける。彼女の出自はどこかの貴族と侍女との間に生まれたお落し子なのだと、孤児院の先生に聞いたが結局は分からず終いだったと話してくれた。


「孤児院には八人ぐらいの子供達がいたの。小さい頃から村の畑の仕事を手伝ったり、自分たちのご飯代を稼ごうと必死で…同じ事の繰り返しだったけど、今思うと充実して幸せだったなって」


 懐かしむ彼女の顔は赤々と燃える炎の先、どこか遠くを見つめている。


「三歳年下の妹みたいに可愛がってた子がいてね。その子がある日、鍬で大怪我をしてしまったの。慌てたわ、だって医者に治してもらえる大金なんてなかったし、傷薬を買うお金すら無かったから。真っ赤な血を止めようと両手で抑えたの。泣いて震える妹を助けたくて…神様、女神様がいるならこの子を助けてって」


 彼女の白髪まじりの長い髪が頬に流れ落ち、それを細い指がするりと耳へかけた。その姿に思わず見つめてしまう。


「気付いたら、抑えていた傷口が治ってたの」

「その治癒の力を…誰かに話してしまったんですか」

「暫くは上手く隠してたのよ。…大人にバレてたら帝都に連れて行かれるって知ってたから。大人たちは光栄な事だって言ってたけど、大好きな家族や友達と離れる子供達は皆寂しそうで泣いていた。 私も孤児院のみんなと離れたくなくて内緒にしてたの…けど」

「……もしかして…治癒の力が必要になった…?」

「その通りよ。私が十歳になった時にね、孤児院の先生が荷馬車から落ちた荷物の下敷きになって大怪我してしまったの。先生に懐いてた妹が泣いて「先生おかあさんを助けて」って。 私も先生が苦しむのは見たく無かったし、先生なら内緒にしてくれるって思った。ここから離れたくないから誰にも言わないっていう約束で、先生の両足の怪我を治したの。けど…」


 一瞬だけ、声が詰まったかのようにフィエルさんの言葉が途切れた。

 ぱちりと、焚き火の明かりに誘われて小さな羽虫が燃えて消える。


「…翌日の朝、憲兵が孤児院に来たわ。奇跡の力を隠すなんて勿体無いって。先生の両手には見たことがない小金貨が何枚も握られてた」

「…そのあと帝都に?」

「ええ、言われるまま城で勉学に励んだわ。文字の読み書き、魔術文字も少しね。そして同時に治癒の力も伸ばすように使い始めたの。最初は必要とされてるんだって思えて頑張ったけど…傷を癒すのは貴族や位が高い騎士の怪我や病気を治すだけ」


(貴重な治癒の力だ、王族や貴族が独占したがっただろうな)


 それこそ治癒が効かなくなる人体側の制限回数もない、どんな傷すら治せるデメリットのない治癒の力だ、だが。


「私の魔力量だと日に二、三人ぐらいしか治癒の力は使えないの。怪我の大きさや欠損があれば魔力量の消費はとても大きくなって直ぐに魔力枯渇を起こしてしまう。…けど、毎日五人もの人々を治すことを強制されたわ。毎日毎日、魔力が枯渇して身体が震えだして身動き出来なくなった」

「………」


 魔力枯渇。俺自身はまだ体験した事がないが、初期症状は倦怠感や身体のだるさ、集中力の低下から始まる。 魔力枯渇状態が続けば手足の震えや痺れ、激しい目眩や頭痛を起こし気絶する。

 無理やり魔力消費を続ければ全身の血液が沸騰するように目や耳、鼻、口、穴という穴から出血が始まり激痛に襲われる。

 その後に待っているのは肉体的な死だ。

 魔力枯渇に陥ったら対処法はあると言えばあるが、かなり技術力を必要とされる方法になる。それをこの国が知っているとも、それを行える人物がいるとも思えない。


(…ただの奴隷扱いだ。それこそ死んだって構わないような…使い潰すためだけの…)


 フィエルさんの淡々とした言葉を聞きながら、俺は唖然とするしかなかった。 だが、声に感情の温度を感じたのは次の言葉だった。


「オネとは十二歳の頃に出会ったわ。 王宮の庭園の隅っこに壊れた道具みたいに捨てられてたの。大怪我を負って血まみれで…いつか私もそうなるんだって思ったらなんだかほっとけなくって…命令外で治癒の力を使うことを禁じられたけど治しちゃった。 多分、オネはその時のことを恩に思ってくれているのかもね。気づけばオネが私の身の回りの世話をしてくれるようになって…それからずっと、オネは私の側で支えてくれたの」


 くすりと穏やかで嬉しそうに、少し申し訳なさそうに彼女は微笑んでいた。


「あの冷たいお城の中で餓える事もなく綺麗な服も着れたけど。私はいつだって王族や貴族の傷を癒すだけの道具で。そんな私の唯一の味方がオネだけだった」


 彼女の柔らかな声が、耳に響いて仕方がない。


(…聞くんじゃ、なかった)


 今更後悔しても遅いけれど。

 彼女の話を一言も聞き逃さないよう俺は静かに聞いていた。ざわざわと鳩尾あたりが落ち着かなくなる。これ以上、聞いてしまったら、


「オネの話じゃ治癒する側の私が病人みたいだったって。 毎日毎日魔力枯渇を起こして身体に負担を掛かっていたから髪の毛も真っ白になって…亡者みたいに成り果ててた」


 その時の影響なのか、彼女の榛色の髪の毛はたしかに白髪混じりだった。


「一度、魔力枯渇のしすぎて死にかけたの。その後に待遇が良くなったわ。魔力枯渇が起きないように治癒の力の使用回数も減ったおかげで私の体調はゆっくり良くなっていった」

「…、それって…」

「使い潰す前に子供を産ませようって、健康的な身体にしようと考えてたらしいの。…私はまだいい方」

「…いい方って…そんな…」

「ほんとうよ。だって、相手が決まる前に…身体が元気になったタイミングでオネと一緒に城を抜け出せたから。 私のほかにも魔力量が高い女の子は何人かいたのよ。…その女の子たち、どんな扱い受けてたとおもう?」


 ふと、青い瞳がこちらを見つめてた。その瞳は平然と笑おうとして――失敗したようにぐにゃりと歪んだ。


「…それこそ、家畜みたいに扱われてた。…何度も、孕まされて、産んで、孕まされて、魔力持ちの男の子達にも無理やり薬を使ってまで、捕まった子たち同士で、何人も、何人も、中には産後に身体を壊して亡くなった子だって、いたの。私より年下の女の子が、ゴミみたいに、捨てられて、そん、な、っ」

「…フィエルさ、」

「私、あんな目に合うのは絶対に嫌」


 膝を抱えて顔を伏せてしまったフィエルさんの両肩は震えていた。外套を握りしめる細い指が力を込めすぎて真っ白になっている。

 もう、喋らなくていい。

 その言葉が言えなくて、その震える肩に手を触れていいのかわからなくて浮かせた右手がふらふらと彷徨った。


「私ね、その女の子たちの体調や病気を治してた事があるの。今にも死にそうな子…名前すらわからない同い年の女の子がね。私が治癒の力で治そうとしたら、やめてって拒絶したわ。このまま死んだほうがマシって」

「フィエルさ、」

「私、その子を見殺しにしたの」


 心臓が、一瞬止まったかのような感覚がした。


「だから、サクマ。もし、どうしようもないって時は私達を見捨てて」


 どんな顔でその言葉を言ったのか。彼女は膝を抱えて顔を隠してしまっていて俺にはわからなかった。


「…サクマは、サクマ自身のことを一番に考えて。 自分のことを一番に考えるのは悪い事じゃない…そうでしょう? 私達も、自分の事を一番に考えるから、だから…」

「……。…わかり、ました」

「…うん、話、聞いてくれてありがとう、サクマ」

「……っ」


 俺に切り捨てていいのだと、責任を感じなくていいのだと。彼女はそう言いたいのだろうか。

 それ以上、俺にはなんて言葉をかければいいのかわからなかった。

 わからなくてどうしようもなくて、逃げ出すように鞄を抱えて立ち上がった。


「…見張り、お願いしますね。少し、寝ておきます」

「ええ、そうした方がいいわ。…おやすみなさい、サクマ」


 のろのろとテントへともぐりこむと左端にオネットさんが毛布にくるまって背を向けて横になっていた。その反対の右側の端っこに音をたてないように毛布にもぐりこむと、


「(…フィーだけは見捨てるなよ、森人族の魔術士さん)」

「(…っ…!?)」


 びっくりした。二人して不意打ちびっくりすんのはやめて。

 毛布から顔だすと、オネットさんがじと目でこちらを見つめていた。


「(……起きてるんなら側に行ってあげたらどうなんですか)」

「(言われなくとも)」


 そうするさと、オネットさんが静かに毛布を巻きつけて外へと出て行った。

 外の様子をテントから伺うと、フィエルさんの側に寄り添うようにオネットさんが身を寄せている。俺が何か言うよりオネットさんの方が断然説得力があるだろう。


(…オネットさんとフィエルさんは)


 あんな風に側に寄り添って支え合ってきたのだろうか。道具扱いされながらも、二人きりで。









「…ねむいです」

「私もねむいわ」

「あたしもねむい」


 三人の心は一つとなった。

 午前中のまぶしい朝日が目にとても刺さる。

 メガトン級の重い話を聞いてから三時間後、日の出と共に朝飯を食べ、目の下に隅をこさえながら俺たち三人は即席空飛ぶラグマットで移動を開始した。


 改めて考えると昨日の出来事は濃厚だった。

 早朝にフィエルさんとオネットさん達と出会い、その日の夕方には南のオルディナ領へ亡命を決意、果ては帝国の騎士とエンカウント。

 逃亡の末に徒歩で夜間移動から野宿だ。しかも即席魔道具も作ってヘビーな話も聞いた。正直寝ても寝足りない感覚がする。


 ちなみに即席魔道具を見たオネットさんは「大陸外はこんな便利なもん使ってんのかよ、ずりぃな!」と若干切れてた。

 即席で作ったラグマットの乗り心地はなかなかに快適で、移動中の追手への警戒や魔物への警戒も認識阻害の術式で解消され、乗ってるだけだととてもねむくなって仕方がなかった。


「ほんとに便利ね。これがあればすぐに国境門へ着くんじゃないかしら」


 目元を少し赤くしたフィエルさんが笑顔でしゃべっている。その顔を見てちょっと安心した。


「大体、馬を走らせた速度ぐらいか? サクマ、この空飛ぶらぐまっとはどれぐらいの時間飛ばせられるんだ」

「…ええと…やろうと思えば一日飛びっぱなしもできるかと思うんですが…できればどこかで休憩したいです」

「じゃ、一日八時間移動として…明日の夜には国境門に着きそうだな」

「オネットさん、地図を見せてもらえますか?」

「よそ見して大丈夫なのか」

「ここら辺は平原が続いてるようなので、大きな障害物さえなければ大丈夫です」


 するすると平原と左手に森が流れていくのを横目で意識しながら、オネットさんが鞄から出した地図を確認する。

 ゲシュンク大陸の中央右端から中心へ伸びるように続くカエルレルス山脈、そして、中央左端はしから中央へと向かうパウルム小山脈。その大小の山脈の間に国境門があった。


「国境門の手前にあるのがオースの街ですね」

「ああ、南のオルディナ領からやってくる品とか、逆にドミナシオン領から運ばれる品とか溢れてる街だ。一旦、そこで国境門を通る人や物の検査が入る」

「…検査、一体なんの検査を?」

「魔術関連の魔道具を持ち込んだり、逆に南に持ち出そうって言うやつを捕まえるためにな」


 この国にとっちゃ魔道具や魔術札は貴重品で国家の財産だと、オネットさんが苛立ちげに説明してくれた。


「オースの検査は特に問題はない。通り過ぎるだけの街だ。その次、国境門の北門が一番の難所だな」


 するりとオースの街の南側にある国境門、北門を指差した。


「憲兵が一日に三度の検査、身元の検査、調査記録を照らし合わせる場所で厳重な警備が敷かれてる。今はいつもの警備の二倍以上と考えていいかもしれない」


 厳重な警備体制の国境門か。長めの前髪がふわりと靡いて頬をくすぐるのを片手で避けながらふと思った。


「国境門を通らなきゃダメなんですか?カエルレルス山脈かパウルム小山脈を迂回するように越えて南に逃れる針路は…」

「無理だ」


 ざっくり切られた。


「国境門以外から南へ行くことは絶対にできない。不可能よ」


 フィエルさんがオネットさんのバトンタッチを受けるように説明してくれた。


「森人と山人が作った結界魔道具…不可侵結界が大陸を両断しているの。その結界も島を覆うように囲ってるから、海からも山脈からも迂回は一切できない。 国境門以外から南のオルディナ領へは何人たりとも入れないわ」


 スコンフィッタから南側のオルディナ王国と北側の旧エマナスタ王国へ別れた後の話になる。

 人族の国が二つに分かれてから百五十五年後の星歴二千二百四年、ゲシュンク大陸を二分する魔道具結界が作られた。それと同時に、国境門の北門と南門が建造されたらしい。

 不可侵魔道具の術式効果はとても強力で、七百八十四年経った今でも強固な結界として起動し続けている。


「今でこそ北と南は交易を続けているけど、国境門が作られた時代はドミナシオンとオルディナは冷戦状態だったの」


 北側の人族達は、獣人や竜人への憎悪が激しく、森人や竜人、獣人に付き随う南側の人族を討ち滅ぼそうと考えるぐらいには血気盛んだったらしい。


「危険思考の人族は北側に押し込めて囲ってしまおうっていう考えだったのかもね」

「大規模でざっくりとした考えですね…」


 大陸を魔道具で半分に分けてしまったのか。規模のでかい臭いものには蓋しろ思考。


「まぁ、魔道具がなくとも山脈越えなんて考えるバカはいない。大陸中央部の山脈は高度が高い上に強い魔物や魔力溜まりがあって危険な山脈なんだ。今の装備と手持ちじゃ山脈越えは到底無理な話だ」

「なるほど…」


 一瞬行けるのではと考えだったバカはここにいる訳だけども。オネットさんの揶揄うような目線はスルー。


「どうにかこうにか北門を越えたとして。南のオルディナ領に亡命した途端、不法入国で捕まってしまうのでは?」

「捕まるな」

「えっ」

「不法入国でオルディナ王国に捕まって保護下に入る手筈だ」


 ということは。


「オルディナ王国に伝手があるんですね」

「ああ、数年掛かったが…オルディナ王国の上層部と内密にやり取りして来たんだ。亡命する時はかなり助言も貰った」

「…変な条件とか出されてません?」


 うまい話には裏があるものだ。心配げにオネットさんを見つめると、緑色の瞳がきょとりとしてすぐに細められた。


「お前慎重派だな。安心しろ、大したことは要求されてないさ。ドミナシオンの国家機密に関わる情報提供ぐらいだ」

「そうなんですか、ぅわっ頭撫でないでくださいっ」


 ちょっとカサカサしている指先が俺の頭皮と頭髪を荒らしていく。おいやめろ、髪の毛抜ける抜けちゃうから抜けたら痛いから。針を刺される以上に痛覚感じるから!このボディ繊細なんだよ!

 戦い慣れしている手から逃れるように頭を避けると、オネットさんがニヤニヤとした顔になった。


「なんだよ、子供は黙って撫でられてろ。可愛くないぞ」

「可愛くなくて問題ありません」

「っ、ふふ、オネもサクマもなんだかんだ仲良くなって来たわね?」

「どこが」

「全く身に覚えがありませんね」


 ワザとらしくオネットさんと俺の視線が反対方向へと逸らすとくすくすとフィエルさんが笑ってくれた。まだまだ若い彼女には笑顔が一番似合う。


 国境門の話を聞くと、オースでの第一検査を通過後、さらに北門の国境門を通る手前で第二検査が行われる。それを終えてようやく北門の扉をくぐり、不可侵結界の中心地へと進むことを許されるのだ。

 北門と南門の距離は一キロ、徒歩で十二分、走って六分程。その北門と南門の間は森人族の土地とされ、ゲシュンク大陸唯一の治外法権たる場所だ。


 その治外法権のど真ん中に大陸を横断するほど大きな不可侵結界の魔道具が地中に設置されているらしい。

 魔道具の効果は北と南を分け隔てる不可侵の結界。全ての隠蔽系の魔術式を無効化する術式が仕組まれ、一切の偽造行為、殺傷能力のある魔道具武器の持ち込みを拒絶する土地となった。

 特に魔道具や魔術札に関しては厳しい。殺傷能力があると判断された物を持ち込んだ者は瞬く間に手荷物もろとも弾かれる仕様だ。

 不可侵結界の内部では魔術式の発動ができなく、魔道具の使用も強制的に無効化されているとのこと。


「では、その不可侵結界を通過する時うっかり魔術式を刻んだ強化ナイフや人体に影響がある魔術札を所持していたら強制的に弾き返されるってことですか」

「そういうことになるな」

「…確実に私は弾かれる対象に入ると思います」

「一体、何を持ち歩いてるの…」

「自作した魔術札を大量に持ってます」

「お前は歩く魔術札屋か」

「まるで歩く兵器ね」


 散々な言われようである。


「殺傷能力がある兵器魔道具は所持していません。もちろん、大量殺戮するような強力な魔術札も作成していませんが…自衛目的の足止め魔術札を作り貯めしてあるんです。エーベネの街から脱出した時に使った物だったり…一時的に寝てしまったり、目眩しとか…」

「うーん、そこらの判定は割と曖昧な所があるからな…。術式の効果で殺せるか否か、人体に大きな影響があるかどうかって所が重要だと聞いている」


 だとすると。目眩しは視界、つまりは眼球に影響を及ぼすものだからアウトかもしれない。寝てしまう系も精神に作用するものだからアウト判定になる可能性大か?


「ま、そこら辺は抜け穴があるんだよな」

「へ?抜け穴って…魔道具判定を誤魔化せる方法があるんですか?」

「実はあるんだよ。ドミナシオンがどうやって領土内に魔道具関連の知識や道具を持ちこんでると思う?」

「…かき集めてるって言ってましたけど、領土外から持ち込んでるってことですか?」

「その通り。その方法こそがドミナシオンの国家機密にかかわる事でね、オルディナ王国に持ってく手土産だ」


 国家機密を手土産にするとかオネットさんのメンタルすごい。ズペイっていう口ぶりは暗部の野良犬と揶揄ってたが、彼女は中枢にかかわる裏側に身を置いていたのかもしれない。


「魔道具を抜ける方法はいくつか確認されているんだが…割と判定が甘い所があるんだよ。殺傷能力がある術式が「使えない」と判断されたら物事態は通過できるようになる。たとえば、術式の一部を破損させたら判定をすり抜けられるんだ」

「…それは…予想外に甘い判定では…」

「そうなるな。 ドミナシオンは昔はそうやって壊した魔道具を領土内に持ちこんで、魔術式の複製や修理をしたりしてたみたいなんだ」


 たしかに、魔術式や魔道具の魔石に刻まれた魔術文字は繊細で破損しようと思えば容易い。壊した魔術式の復元や修理にはかなり手間暇がかかる筈だが、いい見本にはなるのだろう。


「昔はってことは、今は違う方法を?」

「ああ、オルディナの方も抜け道があるって気づいたんだよ。術式が破損されてようが、術式が施された武器の魔道具を持ちこんでも駄目になるようオルディナ側が結界魔道具を調整をした。まぁ、そこから北と南のイタチごっこだな」


 切りが無さそうな話だ。


「何度かそういう事を繰り返したここ数十年、ドミナシオン側は高度な偽装工作をし始めたんだ。オルディナ王国がいくら調べようとしてもわからなかったぐらいにね」

「…それが、ドミナシオンの国家機密と?」

「そう、手土産だな。ドミナシオンへの嫌がらせだよ」


 そういって、オネットさんは鞄から陶器の瓶と布に包まれた何かを取り出した。


「これがドミナシオンの国家機密、ナダフロス花だ」


 布の中には鮮やかな紫色の花が包まれていた。







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