ハイランダ帝国の闘神の憂い
ハイランダ帝国の軍事トップであるラング将軍は代々ハイランダ帝国の軍事力の要を担う名家の出身であり、自身も先代の皇帝の時からハイランダ帝国の将軍を務めている。
平均的なハイランダ帝国の男性に比べても頭一つ大きい恵まれた体躯に厳つい顔付き、抜きん出た武芸の腕前も相まって人々はラング将軍の事を『ハイランダ帝国の闘神』と呼ぶ。
そんなラング将軍にとって、今回の若き皇帝の婚姻の話は寝耳に水だった。
首都トウキにいたワイル副将軍からの報告によると、婚姻の相手はサジャール国の第一王女であるリリアナ姫。白磁の肌にアメジストの瞳を持ち、長く艶やかなシルバーブロンドの髪を靡かせる姿はまさに妖精や天女を思わせる美しさだという。
大袈裟だと半信半疑であったが、先日の婚姻式に参列した際に見たリリアナ姫はまさに妖精のような可憐さだった。婚姻式の時の純白のドレスに空色のサッシュを付けた姿は女神と見紛う程の美しさで、国民は美しい新皇后の誕生にみな熱狂した。
空にはサジャール国から来たワイバーンやドラゴンが飛び、魔導師達が作った祝福の飾りが舞い、花びらが優しく降り注ぐ。夜になれば魔法で作った花火が大空を染め上げた。ハイランダ帝国で生まれ育ったラング将軍には見たことも無いような魔法の世界だった。
皇帝にそのような魔法の国の美姫が嫁ぐとは喜ばしい限りだ。しかし、ラング将軍はどうにも腑に落ちなかった。
サジャール国と言えば今まで国交が無かったような遠方の国、しかも『魔法の国』との異名を持つ、特別な国だ。なぜ国交すら無かった国からハイランダ帝国のような不安定な国にわざわざ王女を嫁がせたいと打診が来たのか? しかも、皇帝は対外的には『黒鋼の死神』と呼ばれる存在だ。王女の婚姻を打診する前にそれくらいサジャール国が調べない訳がない。
「何かの策略でなければ良いのだが……」
無意識に漏れ出たラング将軍の呟きに副将軍のワイルが視線を向ける。
「策略とは?」
「おかしいとは思わないか? なぜサジャール国はこんな遠方の国に美姫と名高い第一王女を嫁がせることを決めたのか。こちらは魔法の国を味方につけたことで助かるが、あちらには何もメリットがない。政略結婚とはお互いの国の損得勘定で成り立つものだ。話が上手すぎる」
「なるほど……。リリアナ姫を密かに監視しましょう。念には念を押した方がいい。前皇后のようなことになっては大変です」
ワイル副将軍は眉をひそめてラング将軍にそう進言した。
──前皇后……
その単語はラング将軍にあの惨劇の日を思い起こさせた。
クーデター発生の報せを受けたあの日、ラング将軍は首都トウキから当時度々小競り合いが発生していたセドナ国の国境沿いへ向かう途中だった。とっくにセドナ国との国境付近に到着しているはずだったが、数日前の大雨で河川が氾濫した事により途中で足止めをくっていたのだ。
もう一度河川の様子を見にいこうと宿から外に出ると、見慣れた軍で訓練された伝書用の鳥が空を周回していた。その鳥が持ってきたのは首都トウキで軍が半分以上寝返り、クーデターが発生したという信じがたい情報。書いた宰相も手負いなのか、紙には所々血が滲んだようた後があり、文字は激しく乱れていた。
「ばかな……」
それしか言葉が出てこないような信じがたい情報だった。首都トウキには副将軍であるワイルが残っていたはずだ。反逆派が多く押されいるのだと悟ったラング将軍はすぐに向かうと返事を書くと首都トウキに自身の軍を率いてトンボ返りした。
混乱した宮殿の中を必死に走り、そこで目にしたのは変わり果てた姿の皇帝陛下。近くには皇后と側近の亡骸もあった。そして、二人の皇子を探し回ってやっとのことで見つけ出した隠し通路の向こうでは、胸に剣を突き立てて事切れた第一皇子が横たわっていた。部屋にいた皇帝の側近の息子達は一様に真っ青になっており、第一皇子の亡骸の前でベルンハルトが無表情に立ち尽くしていた。
「これは……」
息を飲んだラング将軍にベルンハルトがゆっくりと視線を向ける。魂が抜けたような顔で一切の感情が見えず、多くの戦場を駆け抜けたラング将軍ですらゾッとする恐ろしさがあった。
「父上と兄上が居なくなった今、ハイランダ帝国の皇帝は俺だ」
ベルンハルトはあの日、皇室最後の生き残りである自身が皇帝であることを宣言し、その場にいた人間は皆その日見たことについて固く口を閉ざした。後々の調査で、本事件は皇后が皇帝の側近の一人と許されない仲になり、その側近を皇帝にするために皇帝と二人の皇子を殺そうと企んだ結果引き起こされたと言う結論に至った。
その後、若きベルンハルトは黒鋼の鎧を纏い皇帝として君臨している。混乱状態の国を未だ不十分なところはあるものの、何とか平常状態まで回復させつつある。そしてラング将軍はその片腕として国防を支えている。
今回、サジャール国から嫁いできた姫君が腹黒い毒婦でまた前皇后のようなことを企んだら? 皇帝に世継ぎのいないハイランダ帝国では実質的にサジャール国の姫君が皇帝代理となり、サジャール国はハイランダ帝国と言う属領を手にすることになる。わざわざ遠い国から美姫と名高い第一王女を送り込むには十分な理由だ。
「……そうだな。ワイル、頼めるか?」
「お任せ下さい」
ワイル副将軍は胸に手を当てると口の端を持ち上げて一礼した。
♢♢♢
皇帝陛下の謁見の場で、リリアナは緊張の面持ちでベルンハルトの斜め後ろに控えていた。
リリアナとベルンハルトの婚姻式を終わらせ、リリアナは今やハイランダ帝国の皇后である。ハイランダ帝国の各地から領主や領主の名代、貴族の令息、近隣国の使者等がご機嫌伺いに訪れていた。リリアナは顔見せの意味も込めてベルンハルトの隣に座り、謁見に訪れた者達に挨拶をしてゆく。
元々サジャール国で第一王女として王室の公務に当たってきたリリアナだ。初めての場でも凜として佇む可憐な妖精のような皇后の姿に誰もが息を飲んだ。
『おめでとうごさいます』
『心よりお慶び申し上げます』
皆からのお祝いの言葉を聞くたびに、リリアナは改めてベルンハルトの妻になったことを実感して心の底から喜びが湧き起こってきていた。ベルンハルトの横に立っても恥ずかしくないようにしっかりと背筋を伸ばして美しく微笑むように心掛ける。
何人かの挨拶を経て、最後にベルンハルトの前に跪いたのは一際体格の良い男性だった。髪と目は意思の強そうな黒。太く鍛え上げられた身体は軍服の上からでも逞しさが見て取れた。
「ラング将軍です」
斜め後ろに起立して控えるカールがしゃがんでそっとリリアナに耳打ちをする。リリアナは心得たと頷いた。リリアナはラング将軍と婚姻式前に謁見する筈だったが、国境警備の影響でラング将軍の到着が遅れたのでリリアナがラング将軍に直接会うのは今日が初めてだ。
ラング将軍はカールとリリアナが顔を寄せている様子を見てスッと目を細めた。
「この度のご婚姻、おめでとうございます。急なことで誠に驚きました」
「ああ、サジャール国から正式な書簡が届いてすぐにリリアナが来た。サジャール国は魔法の国なんだ。軍馬を遥かに凌ぐスピードの不思議な乗り物がある。ラング将軍も後で見るとよい」
リリアナはベルンハルトの口調がこれまでより砕け、饒舌になったことに気付いた。恐らく、ラング将軍はベルンハルトが信用に値すると判断した数少ない男の一人なのだろうと感じた。
「恐れながら申し上げます」
ラング将軍は意思の強そうな目で真っ直ぐにベルンハルトを見上げる。
「この度の婚姻ですが、少々早急過ぎる感があります。リリアナさまは遠い異国の姫君で、まだこの国に慣れていないでしょう」
「なに?」と、ベルンハルトは眉をひそめた。
「婚約者の姫君が国に入って五十日後に婚姻式を挙げたのはハイランダ帝国の通例に則っている」
「それは承知しております。しかし、リリアナさまはこれまで国交のなかったサジャール国出身。国交すらなかった国の姫君とこのような短期間に婚約を結び、姫君がすぐに相手国入りする事自体が異例です」
「……何が言いたい?」
ベルンハルトの声が一段低いものへと変わる。
「いえ、何でもありません。事実を述べただけです。陛下がお気を悪くされたなら謝罪しましょう」
ラング将軍はベルンハルトが気分を害した事に気づくとすぐに謝罪してスッと頭を下げた。しかし、その場を立ち去りながらも視線はしっかりとリリアナを捉え、観察するように上から下まで嘗め回していた。
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