夢見の魔女と隣国の姫君

「あら、あなた話がわかるわね。所で名前は?」


 リリアナが自分とベルンハルトとの婚姻を断固阻止すると意気込んでいるのを見ると、目の前の少女はとたんに機嫌が良くなった。ここに来てようやく自分が話している相手が誰なのかが気になったようだ。リリアナは問いかけられて、改めて美しい所作でお辞儀をした。


「初にお目にかかります。わたくしはハイランダ帝国から参りましたリリアナと申しますわ。一応、皇后してますの」


「ふーん、リリアナって言うのね。こうごうしてる? こうごう? こうごう……。え? ええーー!!」


 目の前の少女は瞳がこぼれ落ちそうな位に目をまんまるに見開く。慌てた様子で立ち上がって縦巻きカールを揺らしながらお辞儀をしてきた。


「これは失礼しました、リリアナ様。私はリナト国の第二王女のルリエーヌですわ。私の死刑宣告の日が近づいていると思ったらどうにも耐えられず、こうして庭園に隠れて泣いていたのです。お見苦しいところをお見せしました」


 がばっと頭を下げて非礼を詫びようとしたルリエーヌをリリアナは咄嗟に止めた。


「まあ、どうか気になさらないで下さいませ。それよりルリエーヌ様! うちの陛下と政略結婚させられそうだって、一体どういう事ですの!?」


 勢いよく詰め寄るリリアナにルリエーヌは圧倒されながらも、ぽつりぽつりと身の上を話し始めた。


 ルリエーヌによれば、リナト国はセドナ国に第一王子との婚姻を打診した際、同時にハイランダ帝国にも第二王女であるルリエーヌの輿入れを打診することを検討していた。しかし、相手は『黒鋼の死神』と呼ばれる血に塗られた皇帝。国王に近い人間も賛成派と反対派がいて議論が紛糾した。そうこうするうちにハイランダ帝国の皇帝とサジャール国の姫君の婚約の話が洩れ伝わり、その機会を逸していたと言う。


「リナト国は三国の中では最も軍事力が弱く、弱小だわ。だから、うまくセドナ国とハイランダ帝国と友好関係を築きたかったのよ。特に、ハイランダ帝国は三国の中では一番軍事力が強いし国土も広いでしょう? あの有名なハイランダの闘神であるラング将軍もいるし。でも、リリアナ様と皇帝が婚約したとの情報が入ってその話は一度は立ち消えたわ。セドナ国がお兄様との婚姻に乗り気だったし、セドナ国とリナト国の二カ国を合わせればハイランダ帝国の軍事力も怖くはないと考えたのよ」

「では、なぜ今頃になってそんな話が再び湧き上がって来たのです?」


 リリアナは眉をひそめた。ルリエーヌの話からすれば、セドナ国と無事に政略結婚するリナト国はわざわざハイランダ帝国に嫌がる第二王女を嫁がせる必要はないはずだ。


「ここ最近の事なんだけど」とルリエーヌはふるふると肩を震わわせた。

「突然国境沿いに恐ろしい怪物が現れるようになったのらしいのよ。トカゲに羽が生えたような奇妙な出で立ちをした空飛ぶ怪物よ。それに跨がったハイランダ帝国の騎士達が国境沿いで多数目撃されているの。それに、ハイランダ帝国で行われた婚姻式に参列した者達の話では、口から炎を吐く巨大な怪物が宮殿上空を旋回していたとか。そんな恐ろしい怪物に跨がった騎士団が攻めてきたらリナト国は一環の終わりだわ! だから、この私が生贄として黒鋼の死神に捧げられるのよ」


 ルリエーヌは再びわぁっと突っ伏してさめざめと泣き出した。


 トカゲに羽が生えたような空飛ぶ怪物。それは間違いなくワイバーンの事だろうとリリアナは予想がついた。婚姻式に現れた火を吐く巨大な怪物はリリアナの兄のクリスフォードの使い魔のドラゴンだ。

 リリアナの兄のクリスフォードは婚姻式以来、ベルンハルトと手紙で親睦を深めているようで、ワイバーンは今もサジャール国から定期的に送られてくる。国境付近には恐らく百体を超えるワイバーンが配備されているはずだ。


「ルリエーヌ様、気を落とさないで下さいませ。その話を聞くに、ルリエーヌ様が政略結婚されなくてもリナト国とハイランダ帝国が平和条約を結び強い絆を築けば事は足りるように思えますわ。私と頑張りましょう」


 リリアナが元気付けると、ルリエーヌはスンと鼻をならしてリリアナを見返した。


「そんなに上手く行くかしら?」

「なんとしてでも上手く行かせるのです! そもそも、その政略結婚の話は皇后である私が側室をとることに合意しなければ破綻します。最初から無理なのですわ」


 リリアナはしっかりとルリエーヌを見て激励した。かくしてハイランダ帝国皇后リリアナとリナト国第二王女ルリエーヌは固い握手を交わし合ったのである。


「あの……、リリアナ様は大丈夫なのですか?」


 ルリエーヌに心配そうに顔を覗き込まれ、リリアナは小首を傾げた。


「何がですか?」

「だって、あの黒鋼の死神が旦那様なのでしょう? 血を抜かれたり、虐待されたりしませんの?」


 リリアナは驚いて目を丸くした。『黒鋼の死神』という二つ名はどうやらとんでもない位に諸外国に過大な誤解を生んでいるようだ。


「陛下は意味も無くそのような残虐非道な行為をされる方ではありませんわ」

「そうなの? てっきり、私欲のためには残虐さを厭わない恐ろしい人間かと思ってたわ」

「いいえ。そんなことはありませんわ」


 本当はとても優しい人だと教えたかったが、それを教えてルリエーヌが政略結婚に同意しては大変なのでリリアナはぐっと堪えた。代わりに、リリアナは気になっていた別のことを聞いた。


「ところで、ルリエーヌ様。今回の婚姻式ですが、一度延期になっておりますわね。なぜですの?」


 リリアナの質問にルリエーヌは小首を傾げて見せた。


「わかりませんわ。私が知っているのは、セドナ国の都合で一方的に延期の申し入れがされたとか」

「セドナ国の都合で……」


 国家の約束事である王族同士の婚約を四回も解消したリリアナが言えた義理では無いが、国家行事として一度決めた婚姻式の日取りを片方が一方的に延期させるというのは早々ある話ではない。何かしらのどうにもし難い事情があるはずだ。


 考え込むリリアナは『リリアナ妃』と呼びかける声でハッとして顔を上げた。いつの間にか生け垣の通路の先にはデニスが立っており、眉を寄せていた。


「夕食の用意が整ったようです。そろそろお戻り下さい。何も言わずにお姿が見えなくなったので、陛下がとても心配されております」


 リリアナを見つめるデニスの眉間には深い皺が寄り、それはそのまま主であるベルンハルトの心配具合を窺わせた。リリアナは今さらながら、自分がベルンハルトに何も言わずに庭園に来てしまっていた事を思い出した。

 リリアナが寝所にいないので、ベルンハルトは心配したのだろう。皇帝自身が他国の宮殿を無闇矢鱈にうろうろするわけにもいかないので、わざわざデニスや他の騎士が捜していたのだろう。そう言えば、迷路の入口で待つように指示した護衛騎士とティーヌもずっと待ちぼうけしているはずだ。


「あら、ごめんなさいっ。今戻ります」


 リリアナが慌てて立ち上がるとデニスは横に居たルリエーヌに視線を移し、そっと手を差し出した。


「立てますか? お嬢様」

「ええ」


 ルリエーヌはデニスの手をとってよろよろと立ち上がる。しかし、長いこと座り込んでいたルリエーヌは足が痺れており上手く立ち上がれず、体をよろめかした。デニスはその様子を見てルリエーヌに持っていたハンカチを広げて差し出す。ルリエーヌが怪訝な表情でそれを受け取ると、デニスはふわりとその身体を抱き上げた。


「見知らぬ男に抱き上げられるのを他人に見られて在らぬ噂をされるのはお嫌でしょう? それでお顔を隠して下さい」


 デニスは驚くルリエーヌににっこりと頬笑みかけた。

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