皇帝は隣国の王子と狩りに行く

 ベルンハルトは森の中でふと足を止めた。嫌な空気だ。何が嫌かと言われるとうまく表現出来ないが、とにかく嫌な空気を感じた。


「デニス、フリージ。何か感じないか?」

「いえ、特には何も」


 フリージはベルンハルトの質問に首をかしげ、デニスの方を見た。デニスも首をかしげている。


「気のせいか?」


 ベルンハルトは眉をひそめて辺りを見渡した。

 森の中は一見すると何も変わりない。木々の隙間から日の光が差し込み、小鳥の囀りが聞こえる。足下の低い草には小さな虫たちが飛び交っている。しかし、ベルンハルトは重苦しいような何とも言えない嫌な空気が纏わり付くのを感じた。絶対に気のせいではないと思った。


「戻ろう。もうかなり仕留めた」


 ベルンハルトの声掛けにフリージとデニスも頷いた。今回の狩りではハイランダ帝国、リナト国、セドナ国で仕留めた獲物の重量を競うことになっていた。狩りを始めて一時間、既に食用にもなる小型の獣を二頭と大型獣を一頭仕留めた。

 この嫌な空気の中、リリアナを待機場所に残してきたのこともベルンハルトは心配だった。


 森の中を待機場所に向かって足早に進む。その途中、視界の端に白いものが映りベルンハルト達は足を止めた。視線の先の木々の合間から見えたのはセドナ国第一王子のケベックと従者二人だった。ケベックは弓で何かに狙いを定めている。少し上向きに構えているので鳥かも知れない。しかし、そんなことよりも、ベルンハルトはその光景に我が目を疑った。


「ケベック殿! 危ない!!」


 咄嗟に叫んだベルンハルトの大声にケベックは驚いたように振り返った。次の瞬間、カキンカキンと剣の打ち合いが始まった。ケベックを守るべき立場の従者が背中からケベックを狙おうとしていたのだ。遠目で見ても二対一でケベックが劣勢なのは明らかだった。


「どうなっている! 助けに行くぞ」

「「はいっ!」」


 走りだしたベルンハルトをフリージとデニスも追う。ベルンハルト達が加勢したことで四対二になると、従者は劣勢に苦しげに顔を歪めた。


 一人の手から長剣が滑り落ちたとき、その従者は素早く身を翻してケベックにドシンと勢いよくがぶつかった。手には護身用の短剣が握られている。


「ケベック殿!」


 ケベックの体が従者と共に倒れる。刺されたと思いベルンハルトはサッと血の気が引くのを感じた。目の前で滞在先の国の王太子が従者に刺されたのだ。冷静でいられる筈もない。


「デニス! フリージ!」

「お任せ下さい」


 デニスとフリージが狩猟の獲物を縛るための麻紐で従者二人をあっという間に縛り上げる。ベルンハルトは倒れたケベックに駆け寄った。


「大丈夫か! ケベック殿!」

「っく! げほっ! ……だい…じょうぶだ」

「刺されたところを見せてみろ」


 ベルンハルトはケベックの腹部を見た。白い衣服に刃物で開けられた穴があき、中の皮膚が見えている。しかし、血が出た様子はない。


「?? 刺されてないのか?」

「いや、刺された感触はあった。だが、痛みはなかった」


 ケベックは刺されて服がざっくりと切れた部分を手で擦った。自分でも訳がわからないようでしきりに首をかしげている。ベルンハルトはその様子にハッとした。


「もしかして、リリアナか?」


 リリアナはリナト国第一王子のケベックにも防護の術を掛けると言っていた。刺されたはずなのに刺されていないこの不思議な現象も、リリアナの魔法だと思えば合点がいった。


「戻るぞ!」


 ベルンハルトはデニスとフリージ、そしてケベックに叫ぶと走り出した。森は走りにくくて時間がかかるのがもどかしい。この間にリリアナに何かがあったらと思うと、心配で居ても立ってもいられない。


『ガレン! 来い!』


 走りながら叫んだベルンハルトの呼びかけで、すぐさま一匹のワイバーンが頭上に現れた。ベルンハルトの使い魔のガレンだ。ベルンハルトは素早くそれに跳び乗ると、リリアナの待つ場所へと飛び立った。



 ♢♢♢



 森の待機所では、リリアナを始めとする各国の姫や護衛の騎士、侍女達が狩りに向かった男性陣が戻ってくるのは今か今かと待ち侘びていた。待ち時間が長いので休めるように厚手の敷物が広げられ、そこにお茶も用意された。


「狩りの間って女性は意外と暇なのね」


 リリアナはリナト国の侍女が煎れてくれた紅茶を飲みながら独り言ちた。リリアナはベルンハルト達がきっと一番大きな獣を仕留めてくるに違いないと信じてその帰りを待っている。しかし、今のところまだ戻ってこない。待ち時間が暇なのでこうしてお茶をしているのだ。


「狩猟は男性のたしなみですからね。でも、私はここで待つ事が出来てよかったと思いますわ。だって、いくら毎日の食事に出ているものだとはいえ、動物を殺める現場を見るのは怖いですわ」


 ルリエーヌは動物を殺める現場を想像したのか、両腕で自分を包み込むようにして身震いした。リリアナもそれには同意した。


 お茶を飲んでいたルリエーヌはふと思い出したようにシェリーの方を向いた。


「ねえ、シェリーさま。体調はもうよろしいの?」

「はい。体調不良はリリアナ様に癒して頂きました。ご迷惑をおかけしましたわ」

「ふーん、リリアナ様ってお医者みたいのこともできるのね。魔女って凄いわね。それはそうと、御兄様の第一印象はどうでした?」

「ケベック様の? とても素敵な方だと思いますわ」

「まあ、本当に!? お兄様ったら、今日シェリーさまが来るって決まったら物凄くやる気出してたのよ。婚約者にいいところ見せたいみたいで」


 ルリエーヌはようやく会えたシェリーが兄に好意的なのを確認して目を輝かせた。自分が両想いになったかのようにとても喜んでいる。


 暫く他愛も無い世間話をして、リリアナはベルンハルト達が中に入った森を見つめた。特に何も変化はないが、僅かな魔力の流れを感じる。何かあるならそろそろだと思った。ゲイリーを見ると、さっきと変わらない様子でシェリーの近くに控えていた。


「そろそろかしら?」


 眉を寄せて森を睨みつけるリリアナにつられてルリエーヌも森を見た。


「もう少し掛かると思いますよ? リリアナ様ったらそんなに怖いお顔で睨みつけても結果は変わりませんわ」

「来たわ!」

「え!?」


 急に立ち上がったリリアナに驚いてルリエーヌは森に目を凝らした。特に人影は何も見えない。ただならぬリリアナの様子に一人オロオロとしていると、今度はシェリーが悲鳴を上げた。


「誰か! ゲイリーの様子がおかしいわ!」


 真っ青な顔で立ち尽くすシェリーの横でうずくまるゲイリーの腹からは、ポタポタと真っ赤な血が滴り落ちていた。

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