皇帝、夢見の魔女に謝罪する

 リリアナの部屋の家具の新調のため、侍女達は朝から引っ切り無しに動き回っていた。古くなった前皇帝時代からの家具を取り外すため、中に仕舞ったリリアナの私物を一度全て外に出す必要があるのだ。リリアナはサジャール国から持参したもの以外はドレスなどを少し新調しただけだが、それでも用意した箱が高く積まれる程の量はある。


 ドレス、靴、宝石、化粧品、髪飾り、本……次々に運び出されるそれらを、リリアナは刺繍していた手を休めてただただ眺めていた。


「リリアナさま、中のものは全て運び出しました。荷物は隣の部屋に一時的に置いておくので、整理してきますわ」

「わかったわ、ありがとう」


 リリアナが笑顔でナエラ達にお礼を言うと、ナエラ達は荷物の整理のために一時的に部屋から退室した。


 リリアナは広い部屋を見渡す。家具の中身が出されただけなのでぱっと見は今までと変わらない。立ち上がってクローゼットを開けると、ナエラが言ったとおり中には何も入っていなかった。

 リリアナは忘れものが無いかの確認も込めて一つ一つそれらの家具を開けては中を確認してゆく。ティーヌが言っていた通り、クローゼットは開けると錆び付いた蝶番がギギギッと嫌な音を立てた。


 クローゼットを見て、サイドボードを見て、最後にライティングデスクの中身を確認しようとしたリリアナはそこで手を止めた。引き出しが開かないのだ。


「あら? 本当に開かないわ」


 そこは手紙に使う上質紙とペンを入れている。そういえばティーヌが毎日のように引き出しが開きにくいとおかんむりだった気がする。少し上に持ち上げたり、引っ張ってみたりと四苦八苦してみたもののやはり開かない。リリアナはいつもナエラがしているように開放の魔法を掛けてやっと机の引き出しを開ける事に成功した。


 リリアナが開いた引き出しの中を覗くと、そこは他の場所と同じく空っぽだった。側面を見ても特に突起などもない。


「なんでここの段だけ開かないのかしら?」


 リリアナは更にその引き出しをライティングデスクから完全に引き出してみた。ひっくり返してもやはり何も無い。理由はよくわからないけれど、経年劣化でデスクの軸が歪んでいるのかもしれないと考えたリリアナはそれを再び元の位置に戻そうとした時、あることに気付いた。引き出しを嵌めていたライティングデスクの本体側に出っ張りがあるのだ。引き出しをはめる内側の壁が一部ズレたように出っ張っている。


「これのせいね」


 リリアナがそこに手を触れると出っ張っていた板はカタンと落ちた。そして、中から滑り出た物にリリアナは目を瞠った。そこから出て来たのは古い日記だった。


「なんでこんなところに日記が?」


 黒い革表紙は日の光を浴びていないせいか劣化は少ない。日付はハイランダ帝国歴二百十五年となっており、今から六年弱前だ。

 こんなところにたまたま日記がはまる筈は無いので、これを書いた人物はわざわざ日記をここに隠した。しかも、完全に隠すのでは無くて探し回れば気付くような隠し方でだ。もしかすると、書くたびに隠していたのかもしれない。


 リリアナが好奇心を感じてその日記を開いたとき、隣室からナエラ達が戻ってきた。


「だいたい整理しておきましたわ。以外と荷物が増えていてびっくりしました」


 うんざりしたような表情を浮かべるナエラが入ってきたのに気付き、リリアナは咄嗟に日記を枕の下に隠した。


「リリアナさま、どうかされましたか?」

「ううん、何でも無いわ。ねえ、気分転換にお散歩に行きたいわ」

「まぁ、いいですわね。早速準備しますわ」


 ナエラが外出準備をしているのを横目に、リリアナは先ほどの日記をもう一度手で確認し、外から見えないように枕の真下まで位置をずらした。




 ♢♢♢




 ベルンハルトは足早に宮殿の中を歩いていた。広い宮殿の中でもごく一部の者しか入れない庭園に差し掛かったとき、コソコソと話し声がして足を止めた。聞き覚えのある若い女の囁き声が聞こえる。鈴を転がすような可愛らしい声だ。


「リリアナ?」


 ベルンハルトは血の気が引くのを感じた。昔の嫌な記憶が否応なしに蘇る。まさか……とは思っても最悪の想像が脳裏によぎり、確認せずにはいられない。


 幸い、ベルンハルトは今、居住地区エリアにいるので鎧を着ていない。そうっと息を殺して庭園の内部を覗いた。最初に見えたのは楽しそうに微笑むリリアナ、次に見えたのはリリアナの護衛騎士の若い男だった。ベルンハルトはリリアナもまた不貞を働くのかと気が遠くなるのを感じた。茫然自失で見つめていると、リリアナがこちらに気付いた。


「まぁ陛下! こんな時間にどうされたのですか?」


 リリアナはいつものように屈託の無い笑顔でベルンハルトに駆け寄ってくる。ベルンハルトに気付いた近衛騎士は慌てて頭を下げた。


「何を……何をしていた!」

 

 カッとして、思わず怒鳴りつけてしまった。ベルンハルトの剣幕に驚いたようで、立ち止まったリリアナはびっくりした顔をしてベルンハルトを見上げた。


「何って、花と鳥を見ていましたが? 部屋で陛下に贈る刺繍をしていたのですが、少し気分を変えたかったので」


 ベルンハルトが視線を移動させると、庭園には近衛騎士が二人おり、更にリリアナ付きの侍女も控えていた。皆ベルンハルトの様子に驚いている。


「……そうか」


 ベルンハルトは自身の額に片手を当てた。前皇后の時に見た忌まわしい記憶が蘇り、咄嗟にリリアナも同じ事をしているのでは無いかと思ったのだ。頭に血が上って周りを確認せずについ怒鳴ってしまった。目眩がしてきて、吐き気が込み上げた。リリアナはベルンハルトの異様な様子に気付き、眉をひそめた。


「陛下、大丈夫ですか? 顔色が悪いです」

「あ、あぁ」

「こちらに座って下さい」


 リリアナはベルンハルトの手をひく。リリアナに座るように促がされたのはかつて母親だと思い慕っていた女が父親以外と親しげにしていたそのガゼボだった。


 ベルンハルトはリリアナがハイランダ帝国に来て以来、皇后として扱い、抱くことはあっても、一貫して心の距離は保ってきたつもりだった。いつかリリアナが前皇后と同じ事をするかも知れないと常に疑って信用し過ぎないようにしていた。

 しかし、いざベルンハルトはその場面に出くわしたと勘違いした時、自分でも信じられ無いほどのショックを受けた。情けないことに、気分が悪くて立っていられない体たらくだ。


「陛下、どうぞ」


 リリアナに無理やり横にさせられて、頭に柔らかい感触がしたときにベルンハルトは自分は膝枕されているのだとわかった。リリアナの白い手が優しく髪を撫でてくる。


「陛下、人払いしたので少し眠って構いませんよ」

「足が痺れるだろう。気分が良くなったらすぐに退く」


 リリアナは困ったように微笑んだ。


「陛下はまた私の心配をしていらっしゃる。陛下はもう少し私を頼って下さい。私にも陛下を甘やかすことは出来ます」

「甘やかす?」

「はい。いつも気を張っていては疲れてしまいます。私は陛下の側近の方々にずっと嫉妬してます」

「……なぜあいつらに嫉妬する?」

「陛下が心を許しているから。安心と信頼は表裏一体です。私はまず陛下から信頼され、陛下が安心できる場を作らなければならないですね」


 リリアナの表情が寂しげに陰ったのをみて、ベルンハルトは今さらながら悟った。自分を慕ってはるばる遠い異国から来たと言った目の前の少女は、いつも自分の前で笑顔でいる。しかし、本当は不安なのだと。


 全く来たことの無い異国の地で知り合いは侍女がたったの一人だけ。国の盤石さも生活レベルも遥かに魔法の国であった祖国の方が上。しかも、十年に亘り慕い続け、やっと見つけたという夫である自分は、会って早々にリリアナのことを愛することも信頼する事もないと宣言した。こんな状況で不安にならない方がおかしい。


 それでもリリアナは今日まで欠かさずにベルンハルトに愛情を示し続ける。一方的に伝え続けるそれがどんなにむなしい行為であるかは、想像に難くない。しかし、リリアナは一度たりともベルンハルトにそのことについて文句を言わなかった。

 リリアナと出会って圧倒的に助けられたのはどう考えてもベルンハルトの方だ。安心の場と言うならば、ベルンハルトにとってリリアナの隣ほど安心して眠れる場所は無い。


「……済まなかった」

「誰でも体調が悪いときはあります。気が付いたのが私で良かった。気にせずお休み下さい」


 リリアナはベルンハルトが突然体調を崩したことに対して謝罪したのだと思った。しばらく髪をすいていると、規則正しい寝息が聞こえ始める。


 リリアナは膝の上で無防備な寝顔をさらす四つも年上の皇帝を見て頬を緩めた。こうやって見ると、まるで同年代の少年のようだ。ベルンハルトのおでこにそっと手を当て、今日も悪い夢を見ないようにとおまじないをかけた。

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