夢見の魔女、落馬する
リリアナ付きの侍女であるティーヌは、備え付けの家具の建て付けの悪さに頭を悩ませていた。
一見すると重厚な造りのそれらは、リリアナが入室した時は気にならなかったが、毎日使用していると至る所に経年劣化が見られた。クローゼットの扉の
「もうっ! また開かないわ!!」
ティーヌが怒ったようにライティングデスクの引き出しを引っ張っているのをみて、ナエラは小さく呪文を唱える。するとガタガタして全く開こうとしなかったデスクの引き出しが嘘のようにするりと開いた。
「これではリリアナ様の日常生活に支障がでます。ナエラ様、カールさまにお願いして修理して頂きましょう」
やっと開いたライティングデスクから上質紙とペンを取り出したティーヌは、リリアナ付きの筆頭侍女であるナエラにそう訴える。それを聞いたナエラはあからさまに嫌そうな顔をした。
「カール様にはティーヌからお願いしておいてもらえる?」
「え? でも、カール様は、困ったことがあったらナエラ様経由で連絡するようにと仰っていましたわ」
「本当に忌々しい男ね!」
「はい??」
ナエラらしからぬ強い言い方にティーヌが目を丸くする。ナエラは慌てて咳払いをした。
「あら、何でも無いのよ。カールさまには
何事もなかったように取り繕うと、ナエラは澄まし顔で上質紙とペンをリリアナの元へ運んだ。
カールは先日の乗馬の場以降、何を思ったのか異様にナエラに構ってくる。大した用も無いくせにわざわざ訪ねてきたり、リリアナのことの窓口は全て自分とナエラを通せと言い出したり。挙げ句の果てに顔を合わせれば『可愛い』だとか『今日も綺麗だ』とか余計な一言を付けてくる。きっとあの日ナエラが冷たくあしらったので、カールが何としても自分のことを口説き落とそうとムキになっているのだとナエラは思った。
「リリアナ様、こちらを」
「ありがとう」
リリアナは笑顔で上質紙とペンを受け取るとナエラを見上げた。
「ナエラはカール様がお嫌い?」
「リリアナ様まで何を仰います。あの男、恐らく女性にはすべからく甘い言葉をかけないと気が済まない病に冒されているのですわ」
「そうなの? ナエラがカールさまとくっつけば、ずっと私の近くにいて貰えて心強いと思ったのだけど、残念だわ」
リリアナがとても残念そうに眉尻を下げるのを見て、ナエラはぎゅっと眉を寄せた。
「リリアナ様! 私はいつまででもリリアナ様のおそばにおります」
「でも、ナエラはいつ結婚してもおかしくない歳よ? ナエラが慕う人が出来たら幸せになって欲しいの」
「私はこのまま、リリアナ様のおそばにおります」
力強く言い切るナエラを見てリリアナは困ったような顔をする。
「本当はナエラにいつか生まれる私の子供の乳母になって貰えたらって思ったの。素敵でしょう? だから、ナエラが慕う人が現れたら遠慮なく言って?」
リリアナの言葉にナエラはぐっと言葉に詰まる。ナエラの母親はリリアナの乳母だった。つまり、リリアナとナエラは乳姉妹にあたる。リリアナがナエラのことを大切な存在だと思ってくれているからこそこのような事を言い出したことはナエラにも痛いほどわかった。
リリアナは気を取り直したように上質紙を自身の前に広げると、ペンにインクを浸し、美しい文字でつらつらとメッセージを書き始めた。ハイランダ帝国の皇后となってからも一日も欠かさず、ベルンハルトへのメッセージを書きして溜めているのだ。
「お食事も一緒ですし、陛下は毎晩リリアナさまの元へいらっしゃるのだから、手紙はもう良いのではないですか?」
ナエラは手紙を書くリリアナにそう尋ねた。ベルンハルトはリリアナといつも一緒に夕食をとるし、婚姻式の後は一日たりとも欠かさずに毎晩リリアナの寝所を訪れる。恐らくそれは寝つきがよくなるからの行動なのだろうが、月のもので
「だめよ。これは陛下に私の気持ちが変わらないことを信頼して頂くために書いているのよ。絶対に欠かせないわ」
「そういうものでございますか?」
「そうよ。言葉は聞いたその時は深く心に響くけれど、忘れるのも早い。その点、文字は長く残り、後々読み返せるわ」
リリアナは笑顔で書き終えた手紙をクルクルと丸めると、自身の使い魔である鳥のポウを呼び出す。
「これを陛下に。よろしくね、ポウ」
カラフルな鳥であるポウは脚につけられた筒を眺めてクビを傾げる。目をパチクリと瞬いてから、今日もバサリと大空へ飛び立った。
「それにしても」とリリアナは窓から外を眺める。よく晴れていて絶好の乗馬日よりだ。「陛下ったら心配症だわ。もう大丈夫なのに」
「仕方がありませんわ。私どもも肝を冷やしました」
リリアナの呟きを聞き、ナエラは優しくリリアナを嗜める。
リリアナはつい先日、乗馬の練習中に落馬した。だいぶ慣れてきたので馬丁の用意してくれた小さな馬に一人乗りしていた時、突然馬が暴れ出して転落したのだ。
近くに居た近衛騎士が咄嗟に落ちるリリアナの下に腕を滑り込ませたため大事には至らなかったが、急なことで近衛騎士も完全には受け止めきれなかった。リリアナは落ちた衝撃で肘を擦り剥いて、手首を捻った。
すぐに取り抑えられたリリアナの乗っていた馬は、左足から血を流していた。走っているときに飛んだ小石が自分の足に当たり、驚いて暴れたのではないかということになった。
その事を知った時、ベルンハルトは烈火の如く怒った。リリアナも近衛騎士が処刑されるのではと恐怖するほどの激しい怒りようだった。
結局、近衛騎士は配置換えになっただけだったが、リリアナはベルンハルト不在時の乗馬を禁止されてしまった。傷は魔女であるナエラが治癒魔法をかけたので既に治っているが、ベルンハルトが許可を出さないのでリリアナは今も馬には乗れずに居る。
「先に馬を使い魔にしておけばよかったわ。あ、ナエラ。私、刺繍をしようと思うの。用意してくれる? そうだわ! サリーに散歩に行って貰って、その景色を見たら散歩した気分になるかしら?」
「畏まりました。それ位なら、いいと思いますわ」
ナエラが頷いたので、リリアナは嬉々として早速サリーを呼び出す。
「サリー、適当にお散歩してきて頂戴」
サリーはリリアナの脚にすりすりと身体を擦り付けてると、尻尾を振りながら部屋を出て行った。
♢♢♢
西の都市オウサと首都トウキを結ぶ街道の盗賊団征伐や国境地帯の防衛、首都と地方都市の治安維持……限られた軍隊をどのように配備するかは議論に議論を重ねても中々結論が出ない。今日の御前会議でも、大臣や貴族達の意見は割れて議論は紛糾した。
そんなこともあり、ベルンハルトは今日も難しい顔をして側近達と向き合っていた。
「ラング将軍はいつ来る?」
「前線基地の幹部兵士が訓練を終えたのを見届けた一週間後に現地を発つそうです」
ベルンハルトに尋ねられたレオナルドはすぐに答える。ラング将軍は今、サジャール国から来た魔導師達に武器に魔力を込める訓練を受けている。幹部兵士のそれが終わるのが一週間後ということらしい。
「ラング将軍から直接国境地帯の様子を聞きたい」
ラング将軍は前皇帝時代からハイランダ帝国を護る闘神であり、守護神でもある。ベルンハルトはラング将軍の意見を聞いてから軍配備の方針を正式決定しようと考えた。
「リナト国からの招待は誰を行かせることにしますか? 私でも良いですが」とフリージがベルンハルトに尋ねる。
フリージはベルンハルトの側近の中でも外交をメインに担っている。クーデター事件の時、当時の大臣達も多くがその犠牲となった。他国から舐められない、かつ、国内の不満分子を抑えるために今の大臣は壮年の貴族達が担っているが、実質的にはフリージが外交のナンバーワンだ。通常ならフリージか外交担当大臣が行くのが適任となる。
「そうだな……。少し考えるから時間をくれ」
「承知しました」
ベルンハルトは腕を組むと、目の前の課題を解決しようと考えこんだ。
──…
「陛下、リリアナ妃からお手紙ですよ」
深い思考に耽っているとデニスに声を掛けられて、ベルンハルトはハッとして顔を上げた。いつの間にか結構な時間が経っていたようだ。窓の外には見慣れたカラフルな鳥がとまってこちらを眺めていた。
「二羽居るぞ?」
ベルンハルトが窓を開けるといつものリリアナの鳥はベルンハルトにしきりに足の筒を見ろと伝えてくる。もう一羽の水色の鳥はカールのもとへ飛んだ。
ベルンハルトが手紙を開くと、今日も美しい文字でメッセージが綴られていた。
『刺繍をしようと思います。陛下を想って大切に縫いますね』
水色の鳥から手紙を外しながら、カールがひょいっと覗き込んできた。
「あ、陛下の顔がにやけてる」
「にやけていない!」
「まぁまぁ、照れなくてもいいですよ。こっちはたぶんナエラ嬢からの恋文だな。遂に俺の愛に応える気になったか」
ニヤニヤしながらすかさずツッコんでくるカールに、ベルンハルトはすぐさま言い返す。カールはベルンハルトに構うこと無く嬉々としてもう一通の方を開こうとしていた。
「…………」
「恋文だったのか?」
「えっと、表向きは事務連絡? ナエラ嬢は恥ずかしがり屋なんですね、きっと」
『リリアナさまの部屋の家具を新調して下さい。カールさまは
「……日ごろの行いの悪さのばちが当たったんだな。これは手強そうだ」
周りの四人からの同情を込めた眼差しに、カールはガックリと項垂れたのだった。
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