夢見の魔女、皇帝に乗馬を習う

 執務室で仕事をしていたベルンハルトは大きく伸びをした。時計を見るとそろそろ側近達が集まってくる時間だ。きりがよいところ片づけようと、読んでいた報告書や嘆願書類を机の端に寄せる。


 ベルンハルトは最近、すこぶる調子がよかった。これまで常に寝不足だったが、リリアナと伴に寝るようになってからというもの毎日朝までゆっくりと眠ることができる。おかげで頭がすっきりと冴え渡り、仕事の効率も上がった。これまで、睡眠に効果があるとされるあらゆることを試しても一切効果が無かった事を考えると、これがリリアナのおかげであることはほぼ疑いようがない。


 窓の外から宮殿の中庭を眺めると、茶色い馬に跨がるリリアナと手綱を牽く騎士の姿が見えた。中庭をゆっくりと一周し終えると、騎士がリリアナの手を取り、降りるのを手助けする。リリアナは馬に乗れて嬉しいのか、笑顔だった。後ろに一つに纏めた髪の毛は太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。


「俺の可愛い嫁に気安く触るんじゃねーよ。調子に乗ってると配置換えにするぞ」

「リリアナの瞳に映ることが許される男は俺だけだ」

「俺の嫁はどんな髪型でも世界一美しいな」

「むしろ俺はあの馬になりたい……」


 ベルンハルトは顔から表情を消し、ゆっくりと振り返る。案の定、そこにはニヤニヤする側近四人組がいた。


「……何をしている?」

「「「「陛下の心の声を代弁してました!」」」」


 にやつく四人は息をぴったり合わせて返事する。ベルンハルトは忌々しげに彼らを睨みつけた。


「俺はそんなことを思っていない。大体最後の『俺はあの馬になりたい』ってなんだ? 俺にそんな特殊な嗜好はない」

「では前三つは思っていますね」と言うのはにやつくデニス。


「思っていない」

「あんなに射殺しそうな顔で騎士を睨んどいて説得力ゼロですよ。本当に陛下が死神になったかと思いました」と言うのは両手で自分の身体を抱きしめて大袈裟に身を震わせるフリージ。


「睨んでいない。元々この目つきだ」

「どうせ今もリリアナ妃に素っ気なくしてるんでしょ。大体最初にお前を信用する気も愛する気も無いみたいな心にも無いこと言うから拗らせるんですよ。命じられたから教えてあげているだけの騎士を睨むくらいなら、陛下が教えてあげればいいのに」とため息をついてみせるのはカール。


「……」

「お、図星だ!」

「素っ気なくなどしていない!」

「夜だけ優しくしても駄目ですよ。夜ばっかり発情期の猿みたいにがっついてると女性には嫌われますよ」と冷静に諭してくるのはレオナルドだ。


「っつ、うるさいっ! そんなことするか! 誰が猿だ!!」


 ベルンハルトがむきになって言い返すと四人はどっと声をあげて笑った。ぽんぽんとの軽くベルンハルトの肩を叩いて皆ソファーに座ったのでベルンハルトも不服ながら大人しく席に着いた。


 全員が席に着いたのを確認すると、四人の側近の中でも宰相補佐を務めており頭脳派のデニスは先程までと一転して真面目な顔になった。


「セドナ国の第一王女は予想通りリナト国に嫁ぐようですね。輿入れの為のリナト国入りはもう間もなくです」


 リナト国が第一王子の正妻の座をセドナ国の第一王女に打診していることはかなり前から把握していた。予想通りとは言え、リナト国とセドナ国はどちらもハイランダ帝国からすると余り関係がよくない隣国だ。その関係がよくない隣国同士の政略結婚に部屋に緊張が走った。


「さらに良くないことに、婚姻式の際に同盟条約を締結をする可能性が高い」と外交担当のフリージが補足する。


「同盟条約だと? ただの平和条約では無くてか??」


 ベルンハルトは予想外の隣国の動きに驚いた。同盟条約と平和条約は似ているようで完全に非なるものだ。平和条約は互いの国を攻め込まないというよい関係を築く為の約束だが、同盟となるとより強固な関係で結ばれる。例えば、リナト国とハイランダ帝国が戦争した場合、セドナ国はリナト国の味方となりハイランダ帝国に伴に攻め込むことになるのだ。


「リナト国とセドナ国の直近の兵力はどれ程だ?」

「リナト国が四十万、セドナ国が五十万程度です」

「合わせて九十万か……」


 ベルンハルトは低い声で唸る。


 ハイランダ帝国の兵力はおおよそ五十五万程度。今までは三国間の力関係が拮抗していたため揉め事があっても両国がすぐに引き、それ以上の大事にはならなかった。しかし、セドナ国とリナト国の兵力が加算されると考えると明らかにハイランダ帝国が不利だ。結託して攻め込まれれば一溜まりも無い。


「兵士へのサジャール国の魔導師からの指導はどうなっている?」

「近衛騎士は既に訓練済でかなり成果が上がっています。次はワイル副将軍の国内の治安部隊を指導して貰おうかと」


 軍関係の取りまとめをしているレオナルドは手元の書類を捲りながらベルンハルトからの質問に即座に答えた。


 これまでの経過から判断して、ハイランダ帝国でも半数程度の人間には魔法適性はあるようだった。しかし、結局ベルンハルトも含めて誰一人として魔法を上手く使うことは出来なかった。恐らく元々が魔法の無い地域なので、民族的に魔法を使うことに向いていないのでなはいかと言うのがサジャール国の魔導師の見解だ。


そんなハイランダ帝国の人間でも、魔法適正があれば使い魔の契約や武器に魔力を込めることは上手く出来た。魔力を込めた剣や矢は魔力を込めていない時に比べて格段に攻撃力と防御力が上がる。そのため、ベルンハルトは騎士や兵士たちに魔導師の訓練を受けさせることで個々のレベルアップをはかろうとしているのだ。


「いや、こんな状況だ。首都より前線の兵士を先に訓練させよう。ラング将軍に連絡してくれ。サジャール国の魔導師達なら一日で国境まで行けるだろう。それで、問題の結婚式はいつだ?」

「通例に則るならばリナト国入りして三十日前後かと。恐らくこちらに両国間の関係強化を見せつける意味も込めて招待状が来るかと思われます」

「わかった。では、それまでに出来るだけ訓練して兵士の戦力アップをはかろう。準備してくれ」


 ベルンハルトの指示に、四人の側近はそれぞれの分担を確認して頷いた。



 ◇◇◇



 自身の護衛である近衛騎士に教えてもらいながらもくもくと乗馬の練習をしていたリリアナはガシャンという金属のぶつかり合う音に気付いた。そちらの方向に目をやると、側近を従えたベルンハルトが宮殿の方から近づいてくるのが見えた。


「陛下だわ」


 夕焼けに染まる宮殿の中庭を全身に漆黒の鎧をまとった男が近づいてくるさまはまるで亡霊が現れたかのような恐怖心を周囲に与える。その場にいた人間は例外なく、皆震えあがった。そんな中、リリアナだけは平常運転で嬉々としてベルンハルトに近づいていく。


「陛下、ごきげんよう。わたくし、馬の練習をしておりましたの。陛下はなにかありましたか?」


 リリアナは思いがけずベルンハルトに日中会えた喜びで、満面の笑みを浮かべて見上げた。しかし、リリアナを見下ろすベルンハルトは何も答えない。兜の隙間からは青い瞳しか見えず、表情もうかがえなかった。


「陛下?」

「……たまたま通りかかった」

「たまたま、でございますか?」


 リリアナは不思議そうに周囲を見渡す。リリアナが今いる中庭は宮殿のコの字型になった部分の真ん中に位置しており、宮殿内でどこかに行く際にたまたま通りかかるような場所ではない。中庭を通りかかっていくとすれば、宮殿の内壁をでた先の軍や研究所などのエリアだけだ。ハイランダ帝国の宮殿は二つの城壁に囲まれており、皇帝の居住地や内政を行う場所は内壁の中、軍や研究所は外壁エリアに位置している。さらにその外壁を越えると、リリアナの行きたがっている城下になる。


「軍の視察でございますか?」

「まあ、そんなところだ」


 後ろに立つレオナルドとカールが変な顔をしているのはなぜだろう。リリアナは、もしかして自分が足止めしたせいで不快に思っているのかもしれないと思った。


「そうなのですね。では、気を付けて行ってらっしゃいませ」


 忙しいベルンハルトの邪魔をしてはならない。リリアナは気持ちよくベルンハルトを送り出そうと笑顔で一礼する。しかし、目の前のベルンハルトは身動きしない。リリアナが顔を上げると少ししか見えない顔の眉間に不機嫌そうに皺が寄っていた。


「俺がいては邪魔なのか?」

「いいえ、とんでもございません。私はいつだって陛下と一緒にいたいですわ。でも、陛下が忙しいかと」

「少しならよい。馬に乗ってみろ。稽古をつけてやる」


 リリアナは目を真ん丸に見開いた。まさかそんなことをベルンハルトから言われるとは思っていなかったのだ。恐縮して遠慮していると「さっさとしろ」とベルンハルトからせっつかれた。


「では、失礼します」


 リリアナが恐縮しながら馬に近づいた。顔の高さほどある鞍に両手をかけて近衛騎士の助けを借りようと目配せすると、近衛騎士が助けてくれる前に金属と皮に覆われたベルンハルトの腕が伸びてきて、リリアナはギョッとした。馬に乗るときはお尻を押してもらわないとうまく乗れない。まさかそんなことを皇帝であるベルンハルトにさせることになるとは恐縮しきりである。


「毎回こうやって乗っているのか?」


 ベルンハルトの言い方が剣呑さを帯びる。リリアナはうまく乗れないことを責められているのだと思って肩を竦めた。


「はい。少し私には高すぎて」

「専用の踏み台を明日までに作らせよう。明日からはそれを使うんだ。馬は騎士用のものではなくてもっと小さいものがいいな。馬丁に良いものを見繕うように指示しておく」

「ありがとうございます」


 ベルンハルトは馬の手綱を引くとゆっくりと歩きだした。リリアナは馬の上からベルンハルトを見下ろした。見えるのは黒い鎧と赤いマントだけだ。

 ベルンハルトはリリアナの尻を押させるという不敬に対して怒るどころか踏み台と小さな馬を用意してくれると言った。今もリリアナが落ちないようにかなりゆっくりと馬を進めている。リリアナは思わず頬を緩めた。


「陛下はやはりお優しいですね」

「──お前の優しいの基準は少しおかしいのではないか?」 


 ぶっきらぼうに言うベルンハルトの言い方はやはり素っ気ない。


「そんなことはございません。陛下はお優しいです」


 今度はベルンハルトは何も答えなかった。リリアナからはベルンハルトがどんな表情をしているのかもわからない。それでも今日もこの湧き上がる気持ちを伝えておかなければならないとリリアナは思った。


「私は陛下の妻になれて果報者にございます」

「……そうか」


 再び黙り込んだベルンハルトに牽かれ、馬はゆっくりと進む。リリアナは馬に揺られながらこの幸せな時間を胸でしっかりと噛みしめた。


 少し離れた場所では皇帝と皇后の様子を眺めながら側近のカールが地団太踏んでいた。


「あいつ、なんであそこで一緒に相乗りして口説かないんだ。バカなのか!?」

「おい、カール。陛下に対して不敬だ。しかしこれに関して陛下がヘタレであることには同意する」と隣に居たレオナルドも呆れた顔をして頷く。


「こんなに良い夕焼けなのに! ここはひとつ熱い口づけでもする場面だろ!?」


 そのままの流れでレオナルドといかにして女性を口説き、甘やかすべきかについて熱い議論を交わしていたカールは、ふとリリアナの侍女のナエラが自分たちの方を冷ややかな目で眺めていることに気付いた。


 リリアナと一緒にサジャール国から来たという侍女と、カールは殆ど話したことがない。リリアナがあまりに美しいのでこれまで霞んでいたが、改めて見ると艶やかな茶色い髪にぱっちりとした瞳、健康的な肌色の滑らかな肌。ぷるんとした唇は吸いつきたくなるような魅力があり、なかなかカール好みの美女である。


 カールは持ち前の美貌を前面に押し出してにっこりと微笑むとナエラに手を差し出した。


「ナエラ嬢。リリアナ妃が馬に乗るならあなたも乗れた方がいいのでは? 私がお教えしましょう」

「いいえ、結構にございます。カールさまの沢山いらっしゃる恋人のどなたかにでもお教えしたらよろしいのでは?」


 ナエラは完全に感情を消した冷ややかな目でカールを見上げると、ピシャリとその提案を拒絶したのだった。  

 

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