夢見の魔女、皇帝に見得を切る

───

──────


 普段は静かな宮殿内が騒がしい。聞こえてくるのは悲鳴、怒声、剣のぶつかり合う音……


「殿下! こちらに! お前たちも早く!!」


 隠し通路に入るように促す宰相の普段は白い服は血で染まり赤くなっていた。自分の血か、他人の血か、そんなこともわからない。必死に走った。息が切れて足がもつれそうになるのを叱咤して走った。

 隠し通路の先にあるのは秘密の部屋。王族とごく限られた側近以外にはその存在は知られておらず、石の壁に囲まれた部屋には通気口代わりの小さな小窓が一つあるだけ。


「ここまで来れば大丈夫だ。黒幕の二人はやったから、あとは残党だけ。ラング将軍が戻ってくれば安心だ」


 一緒に逃げてきた幼馴染は息を切らせながらそう言い、今さっき入ってきた扉の方を見つめる。


 なぜこんなことになったのか、訳が分からない。昨日まで平和だったのに、笑って剣の練習をしていたのに、この状況は一体何なんだ。


 それまで黙って自分の手を握りしめていた兄上がそっと手を離す。


「一つやり残していることがある。ラング将軍が戻るまでに終わらせなければならないことだ」


 兄上はにっこりと微笑んで俺を見つめる。俺は兄上の手元にキラリと光るものをみてギクリと顔をこわばらせた。その手に握られたのは、俺の護身用の短剣だった。


「兄上? 何を?」


 兄上がゆっくりと剣を振り上げる。こちらを見つめる兄上は満面に笑みを浮かべて笑っていた。


「兄上! おやめください!! 兄上!!」


 まわりの人間は凍り付いたように動けずにいた。

 やめてくれ、何でこんな事になっているんだ。なんで……


「兄上ー!!!!!!」













───

──────





 悪夢にうなされて目覚めると、まだ真夜中だった。窓の外が暗いのを見てベルンハルトは「くそっ!」と一つ悪態をつく。


 着ているシルクの寝間着は冷や汗でびしょびしょになっていた。喉もカラカラだ。


 普段から悪夢にうなされることが多いベルンハントのために、枕元には水差しとグラスが置かれている。ベルンハルトはグラスに水を注ぐと一気に飲み干した。


 クーデター未遂の事件の後からベルンハルトは頻繁に悪夢を見る。それは、大抵が当時皇帝であった父親や皇后であった母親、皇太子だった兄の最期にまつわるものだ。眠りに良いという薬草から得体のしれない民間療法まで色々と試したが、全く無駄だった。


「くそっ! 何でこんな事になっているんだ……」


 ベルンハルトはグッと拳を握りしめる。クーデター未遂から既に五年も経つのに未だに国の政治基盤は脆弱のまま。隣国との関係も良くなく、冷血な皇帝を演じて何とか国内の反逆分子を睨みつけ綱渡り状態で国を治める日々。


 気を抜いたら気が狂いそうだ。いや、いっそのことあの時に狂ってしまえば楽だったのに……


 そんなことを思い、ベルンハルトは自らをせせら笑った。


 それでも狂わなかった自分は立たなければならない。この国を守るために、黒鋼の鎧をまとい、死神の仮面を被り、残虐非道で絶対的な威厳をもつ皇帝を演じるのだ。


「まるでピエロだな」


 自嘲に満ちた呟きはシンと静まり返った寝室にかき消えた。




 ♢♢♢ 




 リリアナは思わずにやけてしまいそうな表情筋に気合を入れ、真面目腐った顔を作り出した。なんといっても目の前に愛しのベルンハルトがいるのだ。これがにやけずにいられようか? いや、いられない!


 正確にはベルンハルトの側近達やサジャール国の魔導師達、ナエラもいる。しかし、リリアナにはベルンハルトしか見えていない。


 ベルンハントがワイバーンに興味を示したのは、リリアナにとってまさに棚からぼた餅だった。いかに自然に西門に待機するかを考えに考えた結果がワイバーンの散歩という言い訳だった。なので、まさかこれがベルンハント陛下とリリアナの一緒にいる時間を作るきっかけになるとは思ってもいなかった。


「リリアナ姫、頼むぞ」


 リリアナを見下ろすベルンハルトは今日も漆黒の鎧に身を包んでいる。しかし、今日の鎧は胴体部分を覆うだけの簡易的なものだ。ワイバーンを使い魔にするには術者の顔と声と魔力を覚えさせる必要がある。そのため、魔法の練習は最初から顔と手は出すようにとリリアナが昨日指示していたのだ。


 リリアナは前に立つベルンハルトをチラリと見上げた。


 黒い髪は短く切られてさらりとしている。髪と同じく黒い眉は意思の強そうな上がり眉で切れ長の目は透き通るような青。筋の通った鼻筋と薄い唇はベルンハルトをより凛々しく、しかし冷たい印象にみせていた。


 十年もの時が経っているものの、どことなく当時の面影が残っている。リリアナはやっぱりベルンハルトがあの時の少年に違いないと確信した。


「魔法使いの適性とはどのようにしたらわかる?」

「魔力というものは基本的には万人に存在しています。魔法が使えるかどうかはその魔力をうまく放出出来るかどうかによるのです。例えば、陛下はこれまでに激しい怒りや恐怖、悲しみを感じた時になにか不思議な事が起きたことはありませんか?」


 リリアナはベルンハルトを見上げて説明する。『激しい怒りや恐怖、悲しみを感じた時……』と言ったときに一瞬ベルンハルトの顔が強張ったように見えた。しかし、それは一瞬のことでベルンハルトは涼やかな目元で何事も無かったようにリリアナを見返す。


「いや、そのような事はないな」

「そうですか。わたくしが見る限り、陛下には人並み以上の魔力があるように見えます。上手く放出することさえ出来れば使い魔を数匹使うことも、ちょっとした魔法を使うことも可能だと思いますわ」


 リリアナと魔導師達の指導のもと、ベルンハルト達は早速手のひらに魔力を貯める魔法使いの最初歩の練習に取り掛かる。意識を集中させて手のひらに魔力を貯めるだけの単純な練習だ。しかし、この単純な作業で魔法使いの適性のない多くの者が脱落する。

 リリアナの見立て通りベルンハルトはものの一時間でコツを掴んでしまった。側近達も概ね上手くやっている。


「お上手ですわ。来週にはワイバーンがサジャールから届きます。そうしたら使い魔の契約を試しましょう。明日はもう少し魔力をコントロールする練習をしましょう」


 リリアナはベルンハルトの手元を見て微笑んだ。愛しのベルンハルトに自分が魔法を教えて魔法が使えるようになる。こんなに嬉しいことはリリアナにとってない。ベルンハルトは相変わらずの無表情でリリアナを見下ろした。


「使い魔とはどのようなものなのだ?」

「使い魔には色々な生き物を使います。よくあるのはワイバーンと鳥です。あとは、猫や犬、豹、人によってはドラゴンを使い魔にする人もいますわ。普通のペットと違うのは魔法による主従関係を結んでいることです。使い魔の契約を結んだ双方は絶対的な信頼関係で結ばれるのです」


 ベルンハルトは「なるほど」と頷いた。「つまり、絶対に裏切らない仲間と言うことだな?」

「その通りです」


 リリアナはいつも真っ直ぐにベルンハルトを見つめている。だから、リリアナの使い魔のワイバーン、『ジーク』を見るベルンハルトの目が一瞬優しくなったのを見逃さなかった。リリアナが昔見た、目尻が下がるあの優しい目だ。


「それはいいな。人は簡単に裏切る」


 リリアナはベルンハルトが一瞬なにを言ったのかが理解できず、訝しげに眉をひそめた。人は簡単に裏切る?


わたくしは裏切りませんわ」

「何?」

わたくしは陛下を裏切ったりしません」


 リリアナは強い意志を持ってベルンハルトを真っ直ぐに見上げた。そんなリリアナのアメジストの瞳をベルンハルトは冷ややかに見下ろし、首を横に振る。


「どうだかな。口ではなんとでも言える」


 そして、思い出したかのように付け加えた。


「あのような演出は不要だ。国同士で約束したからには貴女のことはきちんと皇后として扱う」

「演出とは何のことでしょう?」

「毎日送ってくる手紙だ。我々は政略結婚であり、あのようなことをする必要はない」


 リリアナは頭を殴られたかのような衝撃を受けた。つまり、ベルンハルトはリリアナのことは皇后として扱うが、心からの信用することもなければ、そこには愛の欠片も無い、と宣言したようなものだ。

 初めてベルンハルトと二人で過ごせて浮ついていた気持ちも一気に凍り付いた。周りにいた側近や魔導師達もベルンハルトとリリアナの様子に静まり返る。


「ワイバーンがサジャール国から届くのは来週だったな? 楽しみにしておこう。では、明日も頼むぞ。今日はご苦労だった」


 ベルンハルトが用は済んだとばかりに踵を返そうとしたその時、リリアナの中で何かがキレた。


「お待ち下さい。陛下」

「なんだ?」


 リリアナのいつにない低い声にベルンハルトは怪訝な表情で振り返る。


「人は裏切る? あのようなものは必要ない? なぜわたくしが裏切るかどうかを陛下がわかるのですか? それに、あの手紙はわたくしが送りたいから送っているのですわ」


 口答えされたのが予想外だったのか、ベルンハルトの眉間のしわが深いものになる。リリアナ様、とまわりの人々が嗜めようとしたが、リリアナは構うこと無くベルンハルトににじり寄ると不敵に微笑んだ。


「よいですか? 人が裏切るかどうかはその人によります。けれど、わたくしは違う。その事を一生かけて証明して見せましょう。そして、陛下への手紙はわたくしが書きたいからこれからも書き続けるまでです。わたくしは毎日、陛下への愛を囁き続けますわ。最初は政略結婚でも、いつか必ず陛下を私に夢中にさせます」


 ベルンハルトは目を大きく見開いたが、すぐに冷ややかないつもの表情に戻る。少し片眉を持ち上げてリリアナを見下ろした。


「おもしろい。好きにしろ」


 そして赤いマントを翻すとリリアナに背を向け、一度も振り返ることなく宮殿へと戻っていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る