夢見の魔女、皇帝と食事を共にする

 ハイランダ帝国の宮殿の一室。皇帝の婚約者であるリリアナに宛がわれた部屋で、リリアナはナエラにこっぴどくお説教を食らっていた。


「リリアナ様! なんてことを仰ったのですか! 相手は死神なんですよ? わたくしはもう、リリアナ様が殺されるかと思いましたわ!」

「殺されなかったからいいじゃない」

「そういう問題ではありません!」


 凄い剣幕で顔を真っ赤にするナエラにリリアナは肩を竦める。


 リリアナは先ほどのベルンハルトとのやり取りを思い返した。あの時、ベルンハルトは『人は裏切る』と言った。あの言い方は、まるで自らにそう言い聞かせているかのようにも見えた。

 そしてベルンハルトは明確にリリアナと一線をひいて深く関わるのを避けようとしていた。他人が自分に近づいてくるのを恐れているかのような素振りすらあった。


「昔、なにかあったのかしら?」

「知りません。死神と言うくらいだからきっと自分が人を裏切ってばかりだったのですわ。だから他人も裏切ると思って恐れているのです。自業自得ですわ。それをリリアナ様にまで当てはめようとするなんて!」


 ナエラはまたベルンハルトの言動を思い出したのか怒りで顔が赤くなってきている。ハンカチをキーッと食い千切らんばかりの剣幕だ。


「リリアナ様。こんな婚約は解消しましょう。魔法だってリリアナ様のご厚意で教えて差し上げてるのに! リリアナ様がこの婚約を解消されてもサジャール国にはなにも不利益はありませんわ。むしろ困るのはハイランダ帝国側です。それなのに、なんたる言い草!」


 それを聞いて慌てたのはリリアナだ。「いやよ!」とリリアナは悲鳴に近い声を上げた。


「やっと見つけたのよ。婚約解消なんて絶対に嫌! それにわたくし、さっき陛下に『絶対に裏切らない』と約束したばかりだわ。あの石の扉のように固く閉ざした心を開いてさしあげるの」

「石は石でも一枚岩の岩盤です。開くとは思えませんわ。それに、リリアナ様のこともずっと冷ややかな目で見ていらして思いやりの欠片も感じられませんでした。リリアナ様だって気付いていらしたでしょう?」

「それは……」


 リリアナは言葉にぐっと詰まる。ナエラの言うとおり、ベルンハルトのリリアナを見る目は一貫して冷ややかなものだった。今日近くにいる間にベルンハルトの視線が和らいだのはリリアナのワイバーンである『ジーク』を見つめた一瞬だけだ。それでもリリアナはベルンハルトを十年間探し続けた魂の伴侶であると確信していて、見捨てることなどできなかった。


 ここへ来てからの数日間、リリアナは皇后教育としてこの国の歴史や周辺環境を勉強してきた。周辺国との関係は良いとは言えず、国際情勢もあまり安定していない。

 遥か遠方とは言え、サジャール国は『魔法の国』と呼ばれるほど魔法が普及した国。リリアナと婚約したことで、ハイランダ帝国は少なからず助かっているはずだ。


「お願い、ナエラ。協力して。私が必ず陛下の心を開かせて見せるから」


 懇願にも近い声に、ナエラは不本意そうに口を尖らせた。


「リリアナさまがそこまで願うならわたくしは何も言えませんわ。けれど、手強そうですわ」


「わかってる。こっちも冷たい結婚になる危機でこう見えてもかなり必死なの。ふふっ、陛下には愛の囁きがいがあるでしょう?」

「……その感覚はわたくしには理解しかねます」


 ナエラはやる気をみなぎらせる主の様子を見てはぁっとため息をついた。



 ♢♢♢



 その日、いつも一人でとる夕食の場で、もう一人分の席が用意されていることに気づいたベルンハルトは怪訝な表情を浮かべた。すぐに近くにいた給仕人を呼びつける。


「おい」

「はいっ。……如何致しましたか?」

「あの席はなんだ?」


 ベルンハルトは用意されたもう一つの席を指さした。ベルンハルトのすぐ斜め前に食器類が並べられている。


「あちらはリリアナ様の席にございます」

「リリアナ姫の席だと?」


 ベルンハルトの眉間に深い皺が寄る。受け答えする給仕人はその様子を見て、明らかにびくびくとしている。


「あの…、陛下の許可はとったと伺いましたが?」


 おずおずと給仕人はベルンハルトに申し出る。緊張しているのか両手をしきりに握り直していた。ベルンハルトは後ろに控える側近のデニスとフレイクに視線を送った。しかし、二人とも何も聞いていないようで首をかしげてみせるだけだ。

 そんな若干緊迫した空気の中、場違いな鈴を転がすような可愛らしい声がしてベルンハルト達は晩餐室の入口に視線をうつした。


「お待たせ致しました、陛下!」


 上品なドレス姿で柔やかな笑顔を浮かべて現れたのはまさにリリアナその人だった。薄紫色のドレスとアメジストの瞳が相まって可憐な美しさを引き出し、まさに妖精と見紛うばかりだ。満面に笑みを浮かべるリリアナに対して後ろに控える侍女のナエラの無表情具合が一層際立っている。


「まぁ、陛下。昼間の太陽の下で見る姿も素敵ですけれど、蝋燭の下で見る陛下も一段と凛々しくて素敵ですわ」


 そう言って花が綻ぶように微笑んだリリアナはさっさと件の席に座り、食事開始の手拍子を叩く。助かったとばかりに給仕人たちがそそくさと最初の前菜をサーブし始め、ベルンハルトとリリアナの前に置かれた。


「あら、こちらは大皿料理なのですね。いつも一人で食べていたから気付きませんでしたわ。陛下には私が取って差し上げます」


 リリアナは用意された小皿に早速盛り付け始める。


「あぁ、頼む……」


 あまりに自然な流れでリリアナが一連の動作を行っているので思わず絆されてそうになっていたベルンハルトはそこでハッとした。


「おいっ、なんでここにいる!?」

「なんで? 食事ですが??」


 リリアナはキョトンとした顔でベルンハルトを見返した。器用に大皿から料理を取り分け、美しく盛られた野菜のゼリー寄せと甘露煮などの前菜がベルンハルトの前に置かれる。


「違う! なぜここで食事している?」

「ここは晩餐室ではないのですか?」


 リリアナは部屋の中をぐるりと見渡した。中くらいの大きさの部屋には八人掛けダイニングテーブルが一つだけ置いてある。壁にはどこかの風景画が描かれており、天井からは蝋燭を使ったシャンデリアがつり下がっていた。リリアナの祖国の玉ねぎ宮にあったロイヤルファミリー向けの晩餐室に似ている。


「そうではなくて、なぜ俺と食事しているんだ!?」


 やっとベルンハルトの言いたいことに気づいたようにリリアナは「あぁ!」と相槌を打つ。


「それは、昼間陛下と約束したからですわ。陛下には私が信用に値する人間であることを証明すると私は申し上げました。人の信用を得るためには長い時間を一緒に過ごしてわたくしの人となりを知って頂くことが一番近道です。それに、私は陛下には毎日愛を囁くと申し上げました。愛を囁くのは目と目が合った状態が一番伝わりますわ。陛下も私の好きにしてよいと仰っていたではありませんか」


 コテンと可愛らしく首をかしげて大きなアメジストの瞳でこちらを見つめるリリアナを見て、ベルンハルトは頭痛がしてくるのを感じた。


 リリアナはそんなベルンハルトに構うこと無く美しい所作で食事を口に運ぶ。口に入れた途端にリリアナの彫刻のように整った顔に喜色が浮かんだ。


「あらあら、まぁ! やっぱり食事は一人でとるより誰かと共にとる方が美味しく感じますわね。いつも美味しいですけれど、今日は一段と美味しく感じますわ」

「……それは何よりだ」

「陛下もお召し上がり下さい」

「……」

「もしかして、私と食事を共にして胸がいっぱいで食べられない?」

「んなわけあるかっ! 言われなくとも食べる!」

「私は大好きな陛下とお食事を共に出来て天にも上る心地です。ここに来てから一番の晩餐です。今夜はいい夢が見られそうですわ」

「……」


 後ろでは側近の二人が笑いを堪えるために肩を揺らしていた。

 


 ♢♢♢

 


 食後、ベルンハルトの執務室。二人の側近は先ほどの光景を思い出して腹を抱えていた。


「リリアナ姫ってむちゃくちゃ面白い子だな。見た目あんなに美人で清楚系なのに──」


 デニスが肩をふるわせると、レオナルドが相づちをうつ。


「ほんと。皇帝になってからの陛下に物怖じせずに話しかける女の子なんて初めて見た。みんな怖がって怯えるだけなのに、あの子最初から最後までずっと陛下に喋り掛けてたもんな」


 先ほどのリリアナとベルンハルトのやり取りを思い出したのか、少し落ち着いていたレオナルドも再びケラケラと笑い出した。


「おいっ!」


 笑いが抑えきれずに肩を揺らす側近のデニスとレオナルドをベルンハルトは睨めつける。デニスは笑い涙をこらえながらベルンハルトを見返した。


「昼間あんな突き放した言い方をされてもめげないなんて、本気で陛下の信頼と愛を一生掛けてでも勝ち取るつもりですかね? 陛下もあんな言い方するなんて人が悪い」

「知らん!」


 ベルンハルトは乱暴に書類を机の上に放り出した。


 リリアナの言動はベルンハルトにとって予想外だった。ベルンハルトは政略結婚に愛があるとは思っていない。側近に裏切られて殺された父を目にしたベルンハルトは、人一倍猜疑心さいぎしんが強くリリアナに対しても例外ではない。信じていた者に裏切られることはとても残酷だ。人の心をズタズタに引き裂く。


「まあ、いつもびくびくしてる皇后よりはいいんじゃないか? それに、極上の美人だ。あんな美人に口説かれるなんて男冥利につきるぞ」


 デニスは相変わらず笑いながらベルンハルトの肩を叩く。その時、コチンカチンと窓をつつく音がしてベルンハルト達は窓の外に視線を向けた。カラフルな鳥がこちらを見つめている。窓を開けてやると今日も鳥は足に付いた筒をつつき、書簡を取れと報せていた。


「それが例のリリアナ姫からの手紙?」


 レオナルドが横から覗き込む。


「あぁ、そうだ」


 ベルンハルトが筒から手紙を取り出すと、それは今日も一枚だけだった。中を開くと相変わらず美しい文字でメッセージが綴られていた。


『陛下と一緒にお食事が出来て、とても楽しかったです』


 その手紙を見て、ベルンハルトは自分が皇帝になってから、執務以外で誰かと食事を共にするのは初めてだった事に気が付いた。

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