夢見の魔女、魂の伴侶の妻となる
クリスフォードとの昼食会の後、リリアナはベルンハルトの執務室でベルンハルトと向き合っていた。普段は必ず近くに控える側近や近衛兵士も部屋の扉の外に出されて待機している。
「リリアナ姫、先ほどの話だか……。説明してもらえるか?」
ベルンハルトの問いかけに、リリアナはぎゅっと拳を握った。いつまでも秘密にしておくことも出来ないし、何よりベルンハルトには知っておいて欲しかった。深呼吸をしてゆっくりと息を吐き、話す覚悟を決める。
「実は、サジャール国の王族の直系に当たる王女には『夢見の魔法』と言う特別な力を授かります」
「夢見の魔法?」
「はい。意図的、まれに偶然に他人の夢に入り込むことが出来る特別な魔法の力です。意図的に入れる相手は出会ったことがある人間のみですが、偶然入り込む相手は会ったことがない人間のこともあります。この力はサジャール国の王族とごく親しい側近、また、王女が嫁いだ先の伴侶しか知りません。知られると多くの国から脅威と見なされて命を狙われたり、利用するために拉致される可能性があるからです」
他人の夢に入り込む。これが他国や敵対勢力からすればどんなに恐ろしい力であるかはベルンハルトも即座に理解した。夢とは深層心理の願望や強く印象に残った過去の記憶を映像化したものであることが殆どだ。例えば、この力を使えば敵国を攻めようとたくらむ将軍の夢に入りその作戦を盗み見る事も可能になる。
「ハイランダ帝国に来てから俺の夢には入ったのか?」
リリアナは無言で首を横に振った。
「いいえ。どなたの夢にも入っておりません。しかし、一度陛下が酷くうなされているのを見て夢を終わらせました。夢見の魔法では夢を意図的に見せることは出来ませんが、強制的に終わらせることはできますから」
ベルンハルトはそれを聞いてすぐにデニスが『リリアナがよく眠れるおまじないをかけたと言っていた』と教えてくれた日だと思い当たった。あの日はこれまでにないほどすっきりと眠れた。
「俺にそれを話してリリアナ姫は大丈夫なのか?」
その力を利用する可能性があるのは嫁ぎ先の国とて同じことだ。ベルンハルトはリリアナがこのようなことを話して、ハイランダ帝国に利用されることを恐れないのかが不思議だった。
「はい。
「リリアナ姫は初めて会った日から一貫して俺を信じているだとか、慕っていると言い続ける。俺はお前も知っている通り『死神』と呼ばれているような人間だ。恐ろしくはないのか?」
「夢見の魔法は力が安定するまでは意図せず他人の夢に入り込むことを繰り返します。私もそうでした。そこで、人の噂程当てにならないものはないということがよくわかりましたわ。実際に何が起きたのかも知らずに決めつけるのはその人の人となりを見誤ります。ですから、私は陛下のことは恐ろしくありません。それに……」
「それに?」
「夢見で最初に迷い込む夢の相手は、『魂の伴侶』と呼ばれる特別な存在なのです。魂の伴侶と結ばれた王女は末永く幸せになれると言い伝えられております。私は陛下のことを初めて夢で出会った時からずっと慕っておりました」
初めてリリアナがベルンハルトに出会った時、夢の中のベルンハルトは驚きながらもリリアナを歓迎してくれた。あの笑顔を向けられた瞬間、リリアナはベルンハルトに恋をしたのだ。
「初めてハイランダ帝国に来た時に喚き散らしていた『部屋で語らい合った』だとか『抱擁した』と言っていた件か? 先ほどクリスフォード殿も十年も慕っていたと言っていたが……」
「はい。十年ほど前、夢で陛下のお部屋を三回訪問しました。いつも陛下は私のことを『リリー』と読んで笑顔で迎えてくれましたわ。でもどこの誰なのかが分からずに、黒髪と青い瞳の四つ年上という情報に縋って奇跡が起きるのを信じていました。おかげで四回も婚約を解消する羽目になりましたわ」
リリアナは話ながら、これまでのことを思い出して目を細めた。ベルンハルトが皇帝だったから奇跡的に出会えたものの、会えない可能性の方が遥かに高かった。
「何故それが俺だとわかる?」
「陛下は私の四つ年上です。当時の私から見ると随分と背が高くて……。見上げると顎の下にほくろが見えたのです」
「ほくろ?」
「はい。三つ綺麗に直線状に並んでおります。初めてお会いしたあの日、兜を脱がれた時に陛下のほくろが見えました。それに切れ長の瞳は笑うと目尻が下がります」
ベルンハルトは自分の顎を指で触れた。ほくろなので当然なにも手には触れなかった。
「自分では見えないから気付かなかったな……。他に当時の夢で覚えていることはあるか?」
「陛下の部屋に飾られた鎧と剣に龍の紋章が入っていました。天に昇る金の龍です。こちらに来てから同じ紋章を一度だけ見ましたわ。あと、陛下は私にご自分を『ベルト』と名乗りました」
十年前と言えばベルンハルトは十二歳だ。『龍の紋章』入りの鎧と剣と聞き、ベルンハルトは即座にそれが皇太子だった兄上から譲リ受けた子供用の鎧と剣だとわかった。それに、『ベルト』はベルンハルトの愛称だ。今は誰もその呼び名で呼ぶものはいない。これだけでもリリアナの話にはかなり信ぴょう性があった。一つ腑に落ちないのは、リリアナがこちらに来て同じ龍の紋章を一度見たと言ったことだった。
「龍の紋章をどこで見た?」
「陛下の良くいかれる丘です。とても景色が美しいところですね」
「……リリアナ姫に話したか?」
怪訝な表情を浮かべるベルンハルトを見てリリアナはハッとした。サリーのことも一切話していないのだ。
「実は……、陛下のことを良く知りたくてこっそりと見ていました」
「こっそりと? どこから見ていたのだ?」
「猫を通して……」
「猫? もしかしてあのグレーの猫か!」
ベルンハルトもやっとサリーの存在に思い当たったようで目を見開いた。
「はい。あの子は私の使い魔です。私には全部で三匹の使い魔がいるのです」
リリアナは言いにくそうに視線を泳がせた。
三匹の使い魔を難なく操り、さらに時々魔法を使っても平然としている目の前のリリアナにベルンハルトを空恐ろしさを感じた。リリアナは自分が思っていた以上に他国の脅威と成り得るのだ。
「それは俺以外には黙っておけ。夢見の魔法の件もだ」
「はい」
「それと、猫を使って俺を監視するのはやめろ」
「……はい」
答えるリリアナの声は小さく沈む。拒絶されたのだと感じているのだろうと気づいたベルンハルトはハァっと一つため息を吐いた。
「これからは知りたいことがあれば俺に直接聞け。言いたいこともあれば直接言うんだ。城下町に行きたいんだったか?」
リリアナの大きな目が益々大きく見開く。信じられないものを見るようにアメジストの瞳がベルンハルトを見つめていた。ベルンハルトは口の端を持ち上げる。
「一生かけてでも俺からの信用と愛を勝ち取るんだろう? ならば、直接言うんだ」
ああ、やっぱり……とリリアナは改めて思う。ベルンハルトは決してリリアナを否定はしない。リリアナはふふっと微笑んだ。
「陛下」
「なんだ?」
「お慕いしています」
「……今の話の流れでなぜその発言になる? それに、夢で数回会っただけの男をこうも慕うなどおかしな女だ」
ベルンハルトは半ば呆れたようにリリアナを見つめた。
「おかしいですか? 私はあの日の陛下の笑顔に恋に落ちました。実際にお会いしてみて、陛下はお優しい」
「俺が優しい? ばかな。死神と呼ばれ恐れられる男だぞ?」
「いいえ、ふとしたときに私に気をかけて下さる陛下はお優しい。それに、なんだかんだ言って私のやることを受け入れて下さいます。そんな陛下が好きです」
「……」
「それに、澄んだ空色の瞳もガレンを見るときに目尻が下がる優しいお顔も好きです。あとは──」
「もうよいっ! お前と話すとどうも調子が狂う!」
怒ったように声を荒げたベルンハルトをリリアナは見上げる。ほんの僅かに耳が赤い。
「では、
リリアナはにっこりと微笑んでベルンハルトを見上げる。ベルンハルトは何とも言えない苦々しい表情で眉を寄せた。
♢♢♢
リリアナがハイランダ帝国に入国してからちょうど五十日後、ハイランダ帝国皇帝ベルンハルトとサジャール国の第一王女リリアナの婚姻式は盛大に行われた。純白のドレスに空色のサッシュを付けて若き皇帝の隣で微笑む妖精のような美女の姿に国民は皆熱狂した。
婚姻式後、宮殿のテラスからベルンハルトとリリアナはお祝いに駆け付けた国民に向かって手を振る。空にはサジャール国からの参列者がワイバーンを飛ばして、魔法で作り出したバルーンや花びらを降らせる。サジャール国の第一王子であるクリスフォードは使い魔のドラゴンを飛ばして祝福した。
「お兄様だわ!」
リリアナは空を見て思わずテラスから身を乗り出す。その瞬間、腰をグイッと引き寄せられた。
「身を乗り出すな。落ちるぞ。テラスは使い魔ではないんだぞ」
見上げるとこんな日までやっぱり不機嫌そうに眉を寄せるベルンハルトと目が合った。しかし、この不機嫌そうな表情の奥でベルンハルトが自分を心配してくれていることをリリアナはしっかりと感じ取った。
「陛下」
「なんだ?」
「好きです」
「──聞き飽きた」
ぶっきらぼうな言い方にリリアナは思わずふふっと微笑む。いつかはベルンハルトからも愛の囁きを聞きたいと思ったけれど、それは高望みしすぎかと思い直す。これでも出会った時に比べれば大進歩だ。
皇帝と会話を交わして幸せそうに微笑む新皇后の姿に、あたりは一際大きな国民の歓声に包まれた。
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