夢見の魔女、皇帝の夢に入る②

 ベッドに横たわる少年に一際甲斐甲斐しく世話をやいている女性の姿に気付き、リリアナは視線を向けた。皇后陛下だった。


「とても心配されていますね」

外面そとづらだけは、そう見えなくもないな」


 吐き捨てるように言ったベルンハルトの口調が剣呑さを帯びる。リリアナが横に立つベルンハルトを見上げると、ベルンハルトの目は氷のように凍てついていた。


 


 再び場面が移り変わる。今度の場所はリリアナもよく知る宮殿の庭園だった。リリアナ達の居住エリアに位置する皇族専用の庭園で、リリアナも時々散歩している場所だ。昼間にベルンハルトが気分が悪くなった場所でもある。


 最初に目に入ったのは訓練用の鎧を着た黒髪の青年と少年が物陰から庭園の様子を覗っている姿。その視線の先にはガゼボがあり、男女が親しげに会話を交わしていた。一人は先ほどみた前皇后、もう一人は見たことの無い男だった。

 リリアナの目にもその二人がただの皇后と臣下の関係を越えているのは明らかだった。皇后は男の胸にしな垂れかかり、男は皇后の背に手を回して顔を寄せて囁き合っている。


 ベルンハルトのリリアナの手を握る力がぐっと強くなる。繋がれた手にこもる力は痛いほどだったが、リリアナは無言で握り返した。


 そのまま見れば、明らかに不貞の現場だ。しかし、リリアナはこの時、今日見つけたばかりの日記の内容を思い出していた。もう一度目の前の光景を眺めると、これはまさに日記に書かれていた内容では無いかと思えてきた。目の前の皇太子殿下は呆然と立ち尽くす弟を促してその場から立ち去った。チラリと見えた若きベルンハルトの表情は、傍から見ても心配になるほど真っ青だった。




 次の場面に切り替わったとき、リリアナはまわりのあまりの惨状に思わず空いていた片手で口を覆った。場所はやはり宮殿だ。ただ、あたり一面が赤かった。

 倒れている人、傷付いたまま剣を握っている人、酷い血相で走っている人……


「殿下、早くお逃げ下さい!」


 血相を変えた男性が皇太子殿下とベルンハルトを導いている。今もいるベルンハルトの四人の側近達も一緒だった。


「父上は?」

「近衛騎士達がお護りしてます。ワイル副将軍もいますしラング将軍も呼び戻す手紙を出したから大丈夫。殿下達は早く安全なところへ!」

「何を言う。父上の元へ行く」


 皇太子は逃げることを促した男性の手を振りきって謁見室へと走り出した。それに続いてベルンハルトや側近達も走り出す。移動する最中も引っ切りなしに剣のぶつかり合う音やドダドタという足音、悲鳴や怒号が聞こえてくる。

 謁見室は更に凄惨な光景だった。深く斬りつけられて既に事切れた皇帝陛下と多数の近衛騎士が倒れており、その前にはなにかを言い争う皇后と男が居た。男はガゼボで見たあの男だ。


「うわあぁぁー!!!」


 ベルンハルトの腹の底から絞り出すような慟哭が聞こえその瞬間、辺りに爆風が吹き荒れてれきが飛ぶ。魔力暴走だと悟ったリリアナは咄嗟に目をぎゅっと瞑った。目を開いた時、先ほどまで言い争っていた男女はこと切れて動かなくなっていた。


「あいつが、あいつらがっ!!」

「落ち着け、ベルト! 追っ手に見つかる前に逃げるぞ!!」

「あいつら二人が黒幕だ! あいつらが、あぁあぁぁ…!!!」

「ベルト! しっかりしろ! 立て!!」


 泣き叫ぶベルンハルトの手を兄である皇太子が必死にひいて、逃げることを促す。半ば周囲の人間に引きずられるようにベルンハルトはその場から退場した。


「殿下、こちらに! お前たちも早く!!」


 走って行った先の皇帝の私室のクローゼットの裏には隠し通路があった。隠し通路に促す男性の服もまた赤い。隠し通路は暗く、長かった。必死に走る荒い息づかいと足音だけが暗い通路に大きい反響して耳に響く。


 隠し通路は途中で二又に分かれていたが、皇太子殿下は迷わすに一方を選んだ。その先に辿り着いたのは石の壁に囲まれた部屋だった。通気口代わりの小さな小窓が一つあるだけだ。


「ここまで来れば大丈夫だ。黒幕の二人はやったから、あとは残党だけ。ラング将軍が戻ってくれば安心だ」


 はぁはぁと息を切らせたデニスが、今さっき入ってきた扉の方を険しい表情で見ている。ほかの人間もドサリとその場に座り込み、途方に暮れた様子で項垂れた。


 重苦しい空気が辺りを包む中、沈黙を破ったのは皇太子だった。


「ベルト、お前には一つやり残していることがある。ラング将軍が戻るまでに終わらせなければならないことだ」


 皇太子は寂し気に微笑んでベルンハルトを見た。リリアナはその光景に我が目を疑った。ずっとベルンハルトの手を握っていた皇太子がベルンハルトの手を離し、代わりに握ったものはベルンハルトの短剣だった。


「兄上? 何を??」


 ベルンハルトは怪訝な表情で皇太子殿下に問いかける。状況が理解できないのか、声が掠れていた。


 リリアナは隣に立つベルンハルトの手が震えていることに気付いた。繋いだ時は温かかった手は氷のように冷たい。顔面は蒼白で、瞳孔が開ききっていた。


「陛下。こちらへ」


 リリアナは咄嗟にベルンハルトを引き寄せてその頭を胸に抱きしめた。これからおこる光景を見せてはいけない気がしたのだ。ベルンハルトは大人しくリリアナの胸に頭を預けた。


「ベルト、身体の弱くいつ死ぬかわからぬ皇帝など、国の混乱をもたらすだけだ」

「何を……」

「お前とこの国の未来のためにこの命を捧げよう。今必要なのは絶対的に強い皇帝だ。お前達、ベルトを頼むぞ」


 その場に居た誰もが凍り付いたように動けずにいた。

 皇太子がゆっくりと剣を振り上げる。その表情は悔いなど無いように、満足げに笑みを浮かべて笑っていた。


「兄上! おやめください!! 兄上!!!」


 ベルンハルトの悲痛な声だけが非現実的なこの光景に響き渡る。


「兄上ーーー!!!!!」


 その後、部屋から一切の音が消えた。



 ♢♢♢



 どれ位の時間が経ったのか、夢ではあまり判別がつかない。けれど、ベルンハルトは涙すら流さず、身動き一つせずに皇太子殿下の亡骸の前でただ立ち尽くしていた。


「これは……」


 部屋に辿り着いた時にあまりの光景に息を飲んだラング将軍とワイル副将軍、そしてその部下たちに、ベルンハルトはゆっくりと視線を向けた。魂が抜けたような顔は一切の感情が見えず、端から見ているだけのリリアナですら恐怖心を感じた。ラング将軍達も呆然としてベルンハルトを見つめていた。


「ベルンハルト殿下?」

「……もう反逆者達は鎮圧出来たのか?」

「はい」

「そうか……」


 そう言うと、ベルンハルトは顔を俯かせ、次に顔を上げた時は冷酷とも言える冷ややかな表情だった。


「父上と兄上が居なくなった今、ハイランダ帝国の皇帝は俺だ。ご苦労だった。今回の反逆に関わった者は洗い出して全員処刑しろ」


 冷めた声でベルンハルトは言い放つと、ラング将軍の脇をすり抜け隠し通路へと歩み始める。

 それは心に癒えぬ傷を負った孤独な若き皇帝が生まれた瞬間だった。

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