夢見の魔女、皇帝の夢に入る①

「今日はいつもより早いのですね」


 リリアナがベルンハルトに駆け寄ると、ベルンハルトは不安そうに眉尻を下げた。


「迷惑だったか?」

「いいえ、わたくしはいつだって陛下と一緒にいたいといつもお伝えしているではありませんか」


 リリアナが笑顔で応えると、ベルンハルトはホッとしたように表情を緩めた。しかし、手元は自身の着ているナイトガウンの襟を落ち着かない様子でもてあそんでいた。その様子がいつもと違う気がして、リリアナは小首をかしげた。ベルンハルトが何かに思い悩んでいるように見えたのだ。


 ベルンハルトはしばらく口を開きかけては閉じる行為を繰り返していたが、何度目かのそれでやっとリリアナと目を合わせた。


「実は、リリアナに頼みごとがある。今夜、俺の夢に入ってくれないか?」

「陛下の夢にですか?」


 リリアナは予想外の依頼に訝し気に眉をひそめた。ベルンハルトの夢と言えば、いつも酷くうなされてるところから判断するに楽しい夢ではないだろう。その夢に入って欲しいという意図がリリアナには掴めない。


「リリアナも知っての通り、俺はなかなか人が信用できない。それは前皇后とクーデター事件のことが原因として大きい」


 そう言うと、ベルンハルトはぐっと手を握りしめた。


「──俺の夢は毎晩同じだ。この国に綻びが生じ始めた頃からクーデター事件までの記憶が何回も蘇る。リリアナにはその時のことを知っておいて欲しい」


 前皇后とクーデター事件と言う単語を聞き、リリアナはベルンハルトを見上げた。前皇后とはすなわち先ほどまでリリアナが読んでいた日記を書いた本人だ。そしてクーデター事件は恐らくあの日記の最期の日の翌日に発生している。その前皇后とクーデター事件がベルンハルトをどのように人間不信に陥らせるような状況に追い込んだのか、リリアナにはまだわかりかねた。

 しかし、いったいどんな心境の変化があったのかはわからないが、リリアナと常に一線を引いていたベルンハルトが自身の内面を見せてくれることは兎にも角にも喜ばしいことだ。


「もちろんです。それは、少しは私を信用に値すると思って下さったということですから私にとっては嬉しいことですわ。でも、陛下は大丈夫なのですか?」


 リリアナは純粋にベルンハルトが心配だった。リリアナの知る限り、ベルンハルトは夢を見るときは常に酷くうなされている。全身から汗をかき、苦悶の表情を浮かべているのだ。

 ベルンハルトはリリアナを見下ろすとぎゅっと唇を噛んだ。


「わからない。けれど、試してみたい」

「わかりました。今夜は陛下の夢にお邪魔しますわ」


 リリアナはベルンハルトに微笑みかけると自身の寝所のベットへと促した。横にして睡眠の魔法をかけようとしたところでベルンハルトに阻まれる。


「待て」


 手で制止されてリリアナは動きを止める。どうしたのかと見守っていると、ベルンハルトは上半身だけ起き上がってリリアナにゆっくりと顔を近づける。


 ──チュッ


 軽いリップ音がしてベルンハルトの顔が再び離れてゆく。リリアナは予想外のことに目を見開いた。今、唇に軟らかいものが触れた。ベルンハルトが軽く口づけをしたのだ。

 ベルンハルトはこれまでに何回もリリアナに口づけをしたことはあるが、あくまでそれは閨の中でだった。そういう行為と切り離してベルンハルトがリリアナに口づけをしたのは初めてだったのだ。


「嫌だったか?」


 驚きで固まるリリアナを見てまたしてもベルンハルトは不安そうな顔をする。リリアナは慌ててそれを否定した。


「いいえ、嫌ではありません。陛下ならば私はいつでも大歓迎ですわ!」


 言い切ってからリリアナは自分が言った言葉がいかに大胆だったかに気付き赤面した。ベルンハルトにはいつでも口づけして欲しいと本人を目の前に宣言したのだ。ベルンハルトは目を丸くしたが、次の瞬間にまなじりを下げてふわりと笑った。リリアナが大好きな優しい笑顔だ。


「そうか。覚えておこう」

「えっ、あ……、はい」

 

 リリアナはドギマギしながら返事をして、今度こそベルンハルトに睡眠の魔法をかける。すぐにベルンハルトは規則正しい寝息をたて始めた。


「陛下は一体どうしたのかしら?」


 リリアナはベルンハルトの寝顔を眺めた。今のところは穏やかに眠っている。


 思い返せば今日は昼間からベルンハルトの様子がいつもと違っていた。突然庭園で怒鳴ったり、かと思えばガゼボでは大人しくリリアナに従って無防備に眠っていた。今も何回もリリアナに嫌ではないかと聞いてきた。まるでリリアナに拒否されるのを恐れる子供のような反応だ。


 リリアナはもう一度ベルンハルトが穏やかに眠っていることを確認してベットの隣に潜り込む。少しはだけた掛け布団をベルンハルトの胸元までかけてやった。

 夢見の魔法で他人の夢に入り込むのは四回目の婚約を破棄するための裏工作した時以来で、久しぶりだ。リリアナは意識を集中させて、ベルンハルトの夢に入る準備をした。



 ♢♢♢



 リリアナは軍の訓練施設の近くに立っていた。裏には宮殿が見え、広い土の広場は直方形型、広場の端には何本か背の高い木が生えている。ベルンハルトが鍛錬しているのを何回かサリーを通して見たことがある景色だった。


 リリアナが広場を眺めると、中央で少年達が鍛錬をしていた。今打ち合いをしている二人は共に黒い髪をしており、周囲を近衛騎士や少年が取り囲んで見守っている。リリアナもその様子を静かに眺めた。


 剣の打ち合いは暫く続き、結局年上と覚しき少年が勝利した。負けた少年は悔しそうに拳を握っている。ふて腐れたように口を尖らせた少年が顔を上げた時、リリアナは既視感を覚えた。黒い髪に青く涼しげな瞳、丸みを帯びた子どもらしい顔立ちの中にも少し面影がある。


「陛下?」


 リリアナの呟きはとても小さなものだったが、少年は顔を上げたタイミングでリリアナを視界に捉えた。少年が大きく目を見開く。


「リリアナ」


 耳に心地よい低い声がしてリリアナは横を見上げる。隣にはベルンハルトがいた。リリアナを見てこれが夢だと自覚したため、今の意識が浮上したのだ。


「本当に夢に入ってくるのだな」

「はい。あれは陛下でございますね?」

「ああ、そうだ。俺と兄上と、今も一緒にいる側近達だ」


 ベルンハルトはリリアナから広場へと視線を移し、目を細めた。ふて腐れた少年のベルンハルトは藍色の髪の少年に慰められるように頭をぐしゃぐしゃと撫でられて益々むくれている。藍色の髪と表情からあれはデニスだろうとリリアナは思った。のどかな記憶の断片に、リリアナは頬を緩めた。





 景色がぐにゃりと歪み、宮殿の中庭へと変わる。赤いマントを羽織った威厳のある男性が中央に立ち、その両脇に黒髪の少年が緊張の面持ちで控えている。ベルンハルトと皇太子殿下だ。暫くして馬車に乗って現れたのは若い女性だった。

 艶やかな焦げ茶色の髪は美しく結い上げられている。少し下がり気味のまなじりと緩い稜線を描いた眉は彼女を優しげな印象にしていた。年齢はリリアナより少し上の二十歳過ぎだろうか、美しい女性だった。


「あの女性は?」

「前皇后だ」


 女性は中央に座る皇帝陛下に挨拶すると、両脇に控えた少年達に声を掛ける。挨拶しても照れ臭そうにする少年達を抱き寄せると、とても嬉しそうににっこりと微笑んだ。





 場面が再び切り替わり、今度は寝所のようだった。部屋の真ん中のベッドには多くの人が集まっている。少年のベルンハルトも心配そうにベッドにいる人物を見ている。ベッドにいる少年は黒髪と青い瞳で、ベルンハルトによく似た顔立ちをしている。ただ、顔色は悪く頬はやつれていた。


「俺が十四歳の時、兄上が病にかかり床に伏しがちになった。医者が手を尽くして命は保っていたが、いつも辛そうにしていた」

「あの横になっている方がお兄さまですね?」

「そうだ。本当なら、兄上がハイランダ帝国の皇帝になるはずだった」


 リリアナの横に立ち、ただ流れる光景を眺めるベルンハルトの目が寂しげに揺れた。リリアナはなんとなく、ベルンハルトの手をとる。ベルンハルトは何も言わずにその手を握り返した。

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