悩む皇帝
私室から窓の外を覗き、リリアナははぁっとため息をついた。こうも部屋の中ばかりにいては、気が滅入ってしまう。
「お散歩に行きたいわ」
「陛下の許可が下りるまでは我慢して下さい」
ナエラにピシャリと嗜められ、リリアナは再び項垂れた。
リリアナはベルンハルトの夢に入った翌日の昼間、宮殿の中で怪我をした。廊下に飾っていた花瓶が突然倒れて砕け散り、下敷きになりかけたのだ。
花瓶は両腕が回らないほどサイズの大きなもので、沢山の花が生けてあった。それが廊下の飾り台の上に等間隔に置いてあったのだが、タイミング悪くリリアナが通るちょうどその時に倒れてきた。あわや大惨事になるところだったが、幸い傍にいた近衛騎士がリリアナに覆いかぶさったので大事にはならなかった。割れて飛び散った破片で腕を数ヵ所切ったくらいだ。近衛騎士のケガもリリアナがその場で治した。
だか、ベルンハルトはその話を聞いてまたもや激怒した。近衛騎士にお咎めは無かったが、ベルンハルトの命により廊下からは全ての花瓶を撤去され、リリアナは不要不急で部屋から出ないように言われた。お陰でリリアナは丸々二日半、ベルンハルトが同伴してくれるとき以外は外に出られずにいる。これはちょっとした軟禁では無いかと思ってしまう。
「もう! 陛下って……」
陛下って心配症だわ、と続けようとしていたリリアナはそこで口を噤んだ。先日見たベルンハルトの夢は筆舌に尽くしがたい凄惨さだった。実際にあんなことをベルンハルトは体験したのだ。心に傷を負わない訳が無い。
きっと、ベルンハルトはまた自分の周りの人を失い、一人残されるのが怖いのだろう。こんなちょっとした怪我でも不安になるほど怖いのだと思うと、いたたまれない気持ちになった。
「うーん、サリーのお散歩の景色でも楽しみにしてるしかないのね」
リリアナは再び外を眺めると、テーブルに置いていたやりかけの刺繍を縫い始めた。いつか見た天に上る龍を、一針一針丁寧に縫ってゆく。ベルンハルトが気に入ってくれるといいな、と思った。
♢♢♢
ここは皇帝の執務室、到着したばかりのラング将軍将軍と向き合いながら、ベルンハルトを含む一同は頭を悩ませていた。
「本当に国境地帯にはなにも変化が無いのか?」
「ありません。もし本当に同盟を結んだとすれば、リナト国とセドナ国の国境地帯の兵をハイランダ帝国側に移動させそうなものです。しかし、今のところ一切その傾向はみられない」
ラング将軍は腕を組んだまま考えるように黙り込んだ。ベルンハルトと側近達は顔を見合わせる。
ベルンハルト達はリナト国とセドナ国が同盟関係になるような婚姻を結ぶに当たり、両国の国境地帯の兵士をハイランダ帝国側に固めてくると思っていた。その規模や場所をラング将軍に確認して防衛のための兵士の配分を決めようと思っていたのだ。しかし、普段となんら変わらないのではどこにどれ位の兵士を配置するかが決められない。
「それに、婚姻式が近いなら両国の国旗が掲げられてお祝いムードになりそうなものですが、その気配も今のところありません。この十年近く見てきたいつもの様子です」
「何故だ? 婚約解消でもしたのか??」
ベルンハルトは眉間に皺を寄せる。国家間が約束した婚約解消など早々するものではない。しかし、ベルンハルトの場合はその早々するものではない婚約解消を四回もしてきた人間が身近にいるので、絶対にないとも言い切れない。
「フリージ、招待状が来てからその後はなにも連絡はないんだな?」
ベルンハルトは外交を担うフリージに確認した。
「ありません。検問所で留まっている可能性はありますが、今のところ聞いていません」
「検問所と言うと、管理はワイル副将軍だな? レオナルド、ワイル副将軍を呼んでくれ」
諸外国からの手紙は必ず検問所で一度止められる。その管理はワイル副将軍率いる国内の治安維持の部隊が行っていた。例外は直接使い魔を飛ばしてくるサジャール国位のものだ。
ベルンハルトは軍関係を担当するレオナルドに指示を出すと、ため息を吐いてソファの背もたれに寄り掛かった。隣国の動きが予想外で全く読めない。国境で接した二つの国が何を考えているのかがさっぱりわからなかった。
「ところで陛下。リリアナ妃におかしな点は見られませんか?」
考え込んでいるところでなんの脈絡もなくラング将軍から問いかけられた質問に、ベルンハルトは眉をひそめた。
「リリアナに? 何故だ?」
「私は懸念しているのです。リリアナ妃が前皇后のような企みをしているのでは無いかと」
「企み?」
ベルンハルトの声が一段低くなる。ラング将軍はベルンハルトの機嫌が悪くなったのを承知の上で続けた。
「なぜ遠方の国交すら無かった国からあのような美姫が来たのか、おかしいとは思いませんか? サジャール国は我が国に王女を差し出しても何もメリットはありません。それが、魔導師まで派遣して良くしてくる」
ベルンハルトは何も答えなかった。リリアナは夢でベルンハルトに出会ってから恋いこがれ、ずっとベルンハルトを探していたと言っていた。
その説明をするためにはリリアナの夢見の魔法の力を説明する必要があるが、ベルンハルトはそれを周りの人間に明かすつもりはない。リリアナの身に危険が及ぶ可能性があるからだ。
ラング将軍はベルンハルトが止めないのを同意と捉えたのか、拳を握って力説しだした。
「これは陛下を懐柔しようとする作戦かもしれません。油断させ、気を許したところで陛下を暗殺すれば、子どもがいない陛下の皇位はリリアナ妃に移る。サジャール国はハイランダ帝国という属国を得るのです」
大真面目な顔で力説するラング将軍の様子をベルンハルトは無言で眺めた。
ラング将軍の説明は一応筋が通っている。リリアナが来た直後にその話を聞いていれば、恐らくベルンハルトは一も二もなくその想像に同意しただろう。しかし、短い期間とはいえリリアナと正面から向き合うことにより、ベルンハルトはリリアナがそのような事を企む人間ではないと既に確信していた。
「面白い想像だ。しかし、俺を殺したければリリアナには毎晩そのチャンスがある。それはラング将軍の
「しかし、私はワイル副将軍に頼んでリリアナ妃を監視したのです。リリアナ妃は毎日のように手紙をどこかに送っています。スパイ活動をしている可能性だってあります」
「その手紙は俺宛だ。それに、リリアナは婚姻までしてスパイ活動する必要がない」
リリアナは、実際に会えば相手の夢に入れる。使い魔も複数いる。婚姻せずとも何一つ疑われずにスパイ活動をすることが十分に可能だ。それに、サジャール国がわざわざこんな遠方の属国を欲しがっているとは到底思えなかった。以前来たサジャール国の王太子であるクリスフォードが乗ったドラゴンは、ハイランダ帝国の国境警備隊の速報より先に宮殿に辿り着いた。つまり、サジャール国はその気になればすぐにハイランダ帝国など潰せるのだ。
「外から見えることだけが真実ではありません。陛下には警戒していただきたいのです」
ラング将軍は真剣な表情でベルンハルトに進言した。
──外から見えることだけが真実ではない
その言葉はベルンハルトに強く響いた。ベルンハルトはリリアナに夢見して貰った翌朝、見慣れない黒いノートを手渡された。リリアナが偶然見つけたと言う古いノートを開いたページに書かれていたのは見覚えのある前皇后の書体。
信じられない思いだった。
あの当時、前皇后に憎しみを覚えて一人悶々としていたベルンハルトだったが、父親である皇帝陛下はもちろん、兄の皇太子殿下も機敏に周囲の状況を感知して真実に気づいていた。ベルンハルトだけが表面上をそのまま受け取り、真実に気づいていなかった。自分の
「……ラング将軍、リリアナを監視したといったな? リリアナが落馬したり花瓶の下敷きになりかけたことは知っているか?」
「知っています。不幸な事故です」
ラング将軍はベルンハルトと目を合わせたまま、眉を寄せた。
「あれは事故なのか?」
「ワイル副将軍の部下によれば、間者を見たなどの怪しい報告は特にありませんでした。事故で間違いないでしょう」
「……そうか」
リリアナはこの短期間に二回も死んでもおかしくない事故に見舞われた。ワイル副将軍の部下はその様子を見ていて、怪しいものはいないと言った。となると、やはりこれは事故だ。
しかし、どうも判然としないものがベルンハルトの中に広がった。隣国のおかしな動き。盗賊団の暗躍。リリアナの怪我。どれも一つ一つは関係の無いものに感じる。
──何か見落としていないか?
ベルンハルトは目を閉じると、再び深い思考の奥へと入り込んだ。
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