夢見の魔女、密命を受ける

 リリアナはその依頼をベルンハルトから受けた時、最初は聞き間違えだと思った。ベルンハルトから、ラング将軍とワイル副将軍の夢に入って欲しいと言われたのだ。


「ラング将軍とワイル副将軍の夢にですか?」

「ああ、そうだ」


 ベルンハルトはベッドに腰を下ろすリリアナの横に座ると、リリアナの方に向き直って頷いた。リリアナはどうにも納得出来ずに眉をひそめた。


「何故です? ラング将軍とワイル副将軍は陛下が最も信頼している臣下ではありませんか」

「そうなのだが……。どうにも解せない事がある。俺の心配が杞憂で終わればそれで良い。どんなに些細なことでも良い。教えてくれ」

「……わかりました」


 リリアナは少しの沈黙ののちに快諾した。ベルンハルトの心配事が少しでも軽くなるならお安い御用だと思ったのだ。ベルンハルトはリリアナの返事を聞くとホッとしたように表情を和らげた。リリアナの両肩に手を置きゆっくりと顔を近づけると、リリアナのおでこにひとつ口づけを落とす。リリアナは触れられたおでこと肩から身体が熱を持つのを感じた。


「真っ赤だな」


 クスッと笑われて指摘されると羞恥からますます赤くなってしまう。リリアナは熱くなった頬を膨らませてベルンハルトを見上げた。


「陛下がからかうからです!」

「俺がからかうから?」

「私が陛下が大好きなのを知っていてこのようなことを。私をからかって反応を見て面白がっているのでしょう?」


 リリアナがキッとベルンハルトを睨めつけると、ベルンハルトは眉尻を下げて無言でリリアナを見返した。


「……これはどう考えても俺が悪いな」

「そうですわ。だから、もうやめて下さいませ」


 リリアナはますます頬を膨らませた。ベルンハルトはククッと小さく肩を揺らし、「わかった、わかった」と言って笑った。



 ♢♢♢



 リリアナは城壁の前に立っていた。石造りのそれの高さは身長の倍くらいあり、幅は人が寝転んでも余裕があるくらいある。城壁には所々に兵士が立っていてみな一方を見据えていた。

 リリアナも同じようにそちらを見ると、遠方のに同じように城壁があり、白と赤の旗が風にはためいている。


「あれはリナト国の国旗かしら……」


 リリアナは目を凝らした。四角い旗に斜線を引いて赤と白に塗り分け、中央に馬が駆ける意匠はリナト国の国旗だ。城壁の上にはぽつりぽつりと兵士が立っているのが見えた。


「ここはリナト国とハイランダ帝国の国境ね」


 空を見上げると、ハイランダ帝国側の上空には何匹かのワイバーンが飛んでいる。雲ひとつない青空に悠々と飛ぶワイバーンは一枚の絵画のように壮観だった。暫く眺めていると、ワイバーンは旋回しながら地上へと下りてきた。ラング将軍だ。リリアナは少し考えてから、自分の姿を相手に見せるように魔法をかけた。


「リリアナ妃。何故ここにいる?」


 ラング将軍はリリアナに気付くとワイバーンに乗ったまま、恐ろしい形相で睨みつけてきた。リリアナが答えずに居ると、苛立だったようにワイバーンから降り立つ。近距離で見ると、ラング将軍はベルンハルトよりも更に一回りも大きかった。リリアナは顔を見るために大きく首を曲げなければならないほどだ。


「ここは国境だ。場合によっては一戦交える可能性がある。お戻り下さい」

「大丈夫よ」


 リリアナはふふっと笑った。夢なのでリリアナが実際に傷付くことは無い。しかし、ラング将軍は不愉快そうに眉間に皺を寄せた。


「あなたが傷付くと陛下が悲しむ。お戻り下さい」


 強い口調で言われ、リリアナは肩を竦めてみせた。抵抗する理由も無い。大人しくラング将軍に従って城壁の下に降りた。


「陛下の心配をして下さるのですか?」

「当然だ」

「ありがとう」


 リリアナが微笑むとラング将軍は拍子抜けした顔でリリアナを見た。だが、その表情はすぐに訝しげなものに変わる。


「あなたは何故ハイランダ帝国に来た?」

「陛下を慕っているからよ? 傍に居たいの」

「国交すら無かった国の会ったことも無い皇帝に? 到底信じられる話ではないな」

「そうね。でも、私は本当に陛下を慕っているからこの国に来たの」


 ラング将軍はリリアナを探るようにじっと見下ろした。太い腕は腰へと伸び、大きな剣を握った。


「もしあなたが陛下を傷つけたら、私はあなたを容赦なく斬る」

「ええ。それがあなたの使命なのだから当然ね。あなたのような忠臣が陛下に仕えていることに深く感謝します」


 リリアナの真意をはかりかねるようで、ラング将軍の眉間の皺は深いままだ。


「陛下がお前の美貌に陥落しようとも、俺まで懐柔かいじゅう出来ると思うなよ」


 ラング将軍は低く唸ると、再びリリアナを鋭い目で見下ろした。


 

 ♢♢♢

 


 リリアナはどこかの執務室にいた。リリアナの以前使っていた客間ほどの広さのそこには、大きな執務机と応接用の椅子やテーブルがあり、執務机の上には沢山の手紙や書類が乱雑に置かれている。


 リリアナがその手紙に手を伸ばそうとしたとき、少し開いている執務室の扉の向こうにドタバタと人が沢山入ってくる気配を感じてさっと身を隠した。そっと扉の隙間から覗くと、治安維持の兵士や騎士達がせわしなく行き来している。その手には沢山の織物の束と黒い布があった。


「皆のもの、ご苦労だったな」


 一人の貴族風の男が騎士や兵士達にねぎらいの声をかける。口髭をはやした中年のその男を見てリリアナは目を細めた。薄い茶色の髪をした中肉中背のその男をどこかで見たことがあるような気がしたのだ。しかし、どこにでもいそうな見た目なのでもしかすると勘違いかもしれない。


「ワイル副将軍、これを」


 貴族風の男は近くにいたワイル副将軍に何かの袋を手渡した。ワイル副将軍は口元に笑みを浮かべてそれを受け取る。


「事の次第は?」

「順調ですよ」

「前回の失敗は惜しかった。今度こそ上手くやってくれ」

「当然です。そちらこそ、あの男の二の足を踏まないように」

「馬鹿を言うな。あんな若造に──」


 貴族風の男は鼻で笑った。リリアナはもっとよく見ようと身体を乗り出した。弾みで扉がガタンと大きく鳴る。先ほどのラング将軍の夢と同様、姿を具体化していたのが仇となった。


「誰だ!?」


 ワイル副将軍が執務室に素早く駆け寄り、執務室の扉がバシンと開いた。ワイル副将軍は訝しげに中を見回し、執務室内をゆっくりと歩きだした。


「……気のせいか?」


 コツンコツンと言う足音が異様に大きく聞こえる。その音と自分の心臓の音が重なって、大きく耳に反響した。リリアナは両手で口を塞ぎ、ワイル副将軍が通り過ぎるのをじっと待つ。


「確かに何かの気配がしたのだが……」


 ラング将軍が立ち止まり、リリアナの方向を向く。目にも留まらぬ速さで手裏剣が飛び、キュッという悲痛な悲鳴が小さく部屋に響いた。リリアナの足元を通り過ぎていたねずみは血を流して息絶えていた。



 

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