皇帝と夢見の魔女は共に歩む

 リナト国とセドナ国との三国友好条約が正式に締結され平和な日々が続いていたこの日、ハイランダ帝国の宮殿では慌ただしく国家式典の準備が進めてられていた。


 ハイランダ帝国の代々の皇帝は死後十年間は首都トウキの霊廟に遺体が安置され、その後は他の皇族達が眠る郊外の墓地に移動させられる。ベルンハルトの父である前皇帝の遺体も、例外に漏れず霊廟に安置されていた。

 その前皇帝の死後十年の節目までは、毎年先代の皇帝に敬意をあらわし、現皇帝が祈りを捧げる式典が命日近くに行われる。さらに、その際には現皇帝であるベルンハルトが国民の前に立ち、所信表明を行う式典も同時に予定されていた。リリアナも皇后として、式典に参列する貴族の名簿などをカールと共にチェックするなど忙しく過ごしている。

 

「リリアナ。疲れただろう? 少し息抜きしに行こう」


 参列者の席次表を確認していたリリアナは、後ろから声をかけられて顔を上げた。いつの間にかベルンハルトがすぐ近くでリリアナを見下ろしていた。


「陛下。はい、ご一緒しますわ」


 リリアナが頷いて立ち上がろうとすると、ベルンハルトに右手を差し出された。


「大丈夫か? 気をつけて」

「ありがとうございます」


 リリアナはベルンハルトの手をとると、笑顔を向けた。ベルンハルトがリリアナを誘って向かったのは、宮殿の外れの丘の上だった。途中、道がぬかるんでいたのを見てベルンハルトは足を止める。リリアナに向き直ると、身体がふわりと浮いた。


「リリアナ、首に掴まって」

「へ、陛下。皆が見ていますわ」

「リリー。落としたら大変だから掴まって」


 ベルンハルトに耳元で囁かれ、リリアナは頬を染める。ベルンハルトに『リリー』と呼ばれてお願いごとをされると、どうしてもリリアナは断ることが出来ない。結局はおずおずとベルンハルトの首に手を回した。


 周囲にいる宮殿内で働く侍女や文官、騎士達はすっかりと見慣れた皇帝夫婦の仲むつまじい光景に表情を緩ませた。


 ベルンハルトはリリアナを横抱きに抱いてもびくともせずにすたすたと歩く。ただ、リリアナを宝物のようにその腕に閉じ込めていた。


「ついだぞ」

「ベルト、降ろして。甘やかし過ぎだわ。お医者さまは少し歩いた方が体力がついていいって言ってたわ」

「それはそうなんだが……。リリアナをもっと甘やかしたいんだよ」


 ベルンハルトは注意されて渋々とリリアナを腕から降ろす。まだ殆どわからないリリアナの下腹部の膨らみを服の上からそっと撫でると、嬉しそうに微笑んだ。


 城下が一望出来るこの場所は、ベルンハルトにとっては兄との思い出の場所であるのと同時に、リリアナのお気に入りの場所でもある。


「ここはいつも綺麗ね」


 リリアナは辺りを見渡して微笑んだ。地面には低い草と沢山の花が咲いており、視線を移せばハイランダ帝国の城下町が遥か遠くまで見渡せた。ほぅっとため息をつきその景色に見惚れるリリアナの隣にベルンハルトは立ち、同じ景色を眺めた。


「もうすぐ父上の命日で、霊廟が開かれる。その際に、母上を父上のお近くに戻そうと思う」

「母上?」

「前皇后だ」


 リリアナは無言でベルンハルトを見返した。前皇后は側近と通じて前皇帝を害した犯罪者として、郊外の薄暗い地に墓石の名も無くひっそりと埋葬されていた。その事が誤解であったことは既に判明している。本来なら、皇后は皇帝の隣に安置されるものだ。


「あの方に会って謝ることはもう出来ない。謝っても赦されないことをしたのはわかっている。だが、これからの俺の働きを父上や兄上とともに見ていて欲しいと思う。俺からのせめてもの償いだ」


 リリアナはベルンハルトの横顔を見上げた。ベルンハルトはじっと城下の街並みを見つめていた。リリアナは、きっとベルンハルトがあのクーデター事件を自分なりに昇華しつつあるのだと感じ取った。


「皇帝になってからは苦しいことも多かった。もしリリアナと出逢わなければ、今もハイランダ帝国はリナト国とセドナ国と小競り合いを繰り返していただろう。俺は反逆者にとっくに亡き者にされていたかも知れない。常に側近達に支えられっぱなしだ。あいつらには感謝してもしきれない」

「これからもきっと、彼らはベルトを支えてくれるわ。だって、みんなベルトの事が大好きなのがよくわかるもの。それに、私もベルトを支えるわ」


 ベルンハルトはリリアナを見下ろして口の端を上げた。


「デニスには恩を売っておいたしな。今からルリエーヌが嫁ぐ日を数えてあいつには珍しく浮かれている」

「私もカール様に恩を売っておいたわ。だって、大事なナエラを渡すのだもの。一生ベルトにしっかりと仕えてもらわないとだわ」


 ベルンハルトとリリアナは顔を見合わせてクスクスと笑った。


 ルリエーヌはもうすぐデニスに嫁ぐことが正式に決定していた。二人はそれが待ちきれないようで、最近とても浮ついていた。それに、リリアナのサジャール国時代からの侍女であるナエラは、ベルンハルトの側近のカールと結婚することが決まっていた。

 

「前にリリアナの贈ってくれた刺繍のハンカチに誓ったが、今度はこの見渡す限りのハイランダ帝国を前に改めて誓う。俺は国を豊かにし、この国の発展に生涯を捧げる。そしてリリアナ、おまえに一番近くで見ていて欲しい」


 ベルンハルトは目を細めて眼下に広がるハイランダ帝国の街並みを眺めた。


「はい。私はハイランダ帝国の皇后であると共に、ベルトの妻です。一番近くで支え続けるわ」


 リリアナはしっかりと頷いて見せた。ベルンハルトはそんなリリアナのことを愛おしげに見つめると、目尻を下げて優しく微笑んだ。


「俺の人生最大の幸運は間違いなく、リリアナに出逢えたことだ」

「偶然ね。私の人生最大の幸運はベルトに出逢えたことなの」


 ベルンハルトとリリアナはお互いを見つめ、クスッと笑った。ゆっくりと顔が近づき、二人の影が重なる。


 これから先も困難が立ちはだかる事があるかも知れない。でも二人なら何にだって立ち向かえると思えた。幼い日から憧れ続けた魂の伴侶の妻となった自分は本当に果報者だとリリアナはこの幸福に感謝する。


 顔を離したベルンハルトとリリアナは、お互いを見つめてはにかんだ。


「愛しているよ、リリアナ」

「私もベルトを愛しているわ。あの日ベルトに夢で出会ってから、今も変わらない」


 リリアナがベルンハルトの胸に頬を寄せると、ベルンハルトはそっとリリアナの背に腕を回した。眼下に広がるハイランダ帝国の街並みは夕焼けに染まり、二人を祝福するかのように美しく色付いていた。



『夢見の魔女と黒鋼の死神』─完─

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