サジャール国の第一王子、来たる
リリアナとベルンハルトの婚姻式が数日後に迫ったこの日、リリアナは緊張の面持ちで空を眺めていた。今日、サジャール国から婚姻式に参列するためにリリアナ兄であるのサジャール国第一王子のクリスフォードがやってくるのだ。
「そろそろかしら?」
「リリアナさま、待ち遠しいのは分かりますが、少し落ち着いて下さいませ」
朝から立ったり座ったりを繰り返して、落ちつきなく動き回るリリアナを見てナエラは苦笑した。リリアナはそれでも落ち着かない様子で空を見た。
「お兄様に会うのは久しぶりだから楽しみなの」
リリアナは屈託のない表情でふふっと笑った。
クリスフォードは結局、貴賓車に乗って少しお昼を過ぎた頃に到着した。貴賓車のドアが開いてクリスフォードが現れたとき、周囲では歓声が起きる。特に女性の黄色い声が圧倒的だった。金髪にアメジストの瞳を持つクリスフォードはリリアナと同じく非常に整った容姿をしている。物語の王子様さながらの姿なのだ。
「お兄さま! お久しぶりにございます」
「リリー! 元気にしてたかい?」
「勿論、元気ですわ」
貴賓車から降りて形だけの挨拶を交わすとクリスフォードはリリアナをぎゅっと抱きしめるて頬にキスを落とした。周りの黄色い歓声が悲鳴のようなものに変わる。
「相変わらず我が妹はとびきりの可愛らしさだ。さあ、リリーを妻に出来る世界一の果報者の顔を拝んでやろう」
「まぁ、お兄さま! お兄さまも世界一素敵な王子様ですわ。お兄さまの妻になれる女性こそ世界一の果報者です」
ふふっと笑ったリリアナにクリスフォードは腕を差し出してエスコートをする。二人は和気あいあいと会話をしながら宮殿へと向かった。
♢♢♢
「なんだ、あれは?」
宮殿の窓から様子を覗いていたベルンハルトは眉をひそめた。相変わらずサジャール国の乗り物はスピードが速過ぎて、今日に至っては到着の時間を知らせる先触れより先に本人が乗った乗り物が来た。ベルンハルトは急なことで出迎えそびれたのだ。
外交担当であるフリージが報せに来て慌てて窓の外を覗いてみると、ちょうど貴賓車が到着してリリアナが出迎えたのが見えた。
そこまではまあいい。問題はその後だ。遠目だったので会話は聞こえなかったが、まるで引き離された恋人が再会するかのような熱い抱擁を交わし、顔を寄せているように見えた。サジャール国ではあんなに近い距離で挨拶をするものなのだろうか?
「そろそろ出迎えては? 昼食の席を設けました」
「……わかった、すぐに行く」
ベルンハルトはなんとなく面白くない気持ちに蓋をして晩餐室へと向かった。
初めて会うリリアナの兄のクリスフォードは物腰の柔らかい青年だった。顔の造作はリリアナによく似て、恐ろしいほどに整っている。しかし、ただの線の細い男では無く、きちんと訓練してひき締まった体をしていることをベルンハルトは即座に悟った。
「貴殿が我が最愛の妹を手にする果報者のベルンハルト陛下か。私はサジャール国第一王子のクリスフォードだ」
にこりと微笑むとハイランダ帝国式に右手を差し出して握手を交わす。さすがはクリスフォードはサジャール国の次期国王なだけあり、『死神』と言われるベルンハルトの姿を見ても全く怯むことは無かった。
クリスフォードは昼食の席でベルンハルトや側近達と政治や経済、軍の話をしたがった。少し話しただけですぐにこちらの状況を認識したようで、何かあれば力になると言った。クリスフォードは未だにベルンハルト達が魔法の練習をしてはいるもののなかなか上手く使いこなせないこともすぐに気付いたようで、魔導師派遣を申し出た。
「魔導師はリリーの婚姻後は引き揚げる予定だったが、もし魔法の練習をしたいのなら新たに何人か派遣しよう。魔法を使いこなす適正は人によって差がある故、訓練してもうまく使いこなせないことも多い。しかし、訓練するに越したことはない」
クリスフォードの提案はハイランダ帝国としては非常にありがたい。ベルンハルトはサジャール国の未来の国王が友好的、かつ、話のわかる男であることに大いに安心した。
クリスフォードは妹であるリリアナをとても可愛がっているようで、話が一段落するとリリアナの近況についても知りたがった。
「皇后教育に婚姻式の準備でとても忙しくしてますわ。城下に行ってみたいのですが、なかなか時間が無くて。あ、でもこの前、陛下とワイバーンに乗って国内の空を周回したのです。とても美しい景色を堪能できました」
リリアナは楽しそうに答えている。城下町に行きたがってると言う話はベルンハルトにとって初耳だった。
「そうか、充実した毎日を送っているんだね。ところでリリー、なぜこの子がここにいるんだい?」
クリスフォードが自分の足に擦り寄る猫を見ながらリリアナに尋ねた。
クリスフォードの足元に居たのは最近ベルンハルトもよく見かけるグレーの野良猫だった。毎回摘まみ出してもどこからともなく現れるので、最近はほったらかしている。しかし、客人、しかも一国の王子を招いた食事の席に野良猫が侵入するなどあってはならないことだ。しかも、こともあろうかクリスフォードの高価なズボンに擦り寄っていた。
「こいつっ! どこから!!」
「申し訳ありませんっ!」
自分達の不手際だと真っ青になり慌てて壁際にいた近衛騎士が猫を捕まえようとする。それをクリスフォードは手を挙げて制した。
「よい。これはどこからでも入ってくる特別な猫だ。魔法結界の無いこの国では侵入を防ぐことはできない。そうだろう、リリー?」
リリアナはその瞬間、顔だけでなく耳までまっ赤になった。ベルンハルトはその様子を見て訝しげに眉をひそめた。
「色々と事情がございまして……」
「まあ、だいたい想像はつくけどね。この様子だと陛下には言ってないんだね。もうすぐ夫婦になるのだからよく話し合った方が良い」
俯くリリアナをクリスフォードは出来の悪い子どもに言い聞かせるように諭した。そして、状況がよく把握できずに困惑するベルンハルトに向き直った。
「ベルンハルト陛下。妹はあなたに十年も恋い焦がれ、どうしてもあなたの妻になりたいと四回も婚約を解消した。これも陛下を慕う余りの行動なのだから、あまり怒らないでやって欲しい」
戸惑うベルンハルトにクリスフォードはニヤリと笑って目を細めた。
「リリーのこれまでの婚約者は全員黒い髪に青い瞳でリリーの四つ歳上なんだ。この子なりに陛下を探していたんです。我が妹ながらいじらしいほどに一途なのですよ」
「お兄さまっ!」
まっ赤になるリリアナを見てクリスフォードは楽しそうに笑う。
「リリー、いいね? よく話すのだよ」
「はい、わかりましたわ。お兄さま……」
リリアナはクリスフォードにもう一度諭されて、しょんぼりと肩を竦めた。
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