ハイランダ帝国皇帝、ベルンハルト
サジャール国から遠く離れたハイランダ帝国の宮殿の一室。
二十二歳の若き皇帝ベルンハルトと四人の側近達は国内の反逆勢力ときな臭い動きを見せる周辺国を牽制するため、今日も難しい顔をしてテーブルに向き合っていた。
五人がこんなにも難しい顔をしている原因、それは隣国に送り込んだスパイからつい最近とある情報を入手したからだった。
『リナト国がセドナ国に政略結婚を打診しようとしている。リナト国王太子の正妻にセドナ国の第一王女を据えようとしている』
リナト国とセドナ国は共にハイランダ帝国に国境を接している国家であり、数十年おきに国境線を廻って戦争を繰り返している。そのリナト国とセドナ国が政略結婚すれば、両国家が共謀してハイランダ帝国に攻め込んでくる可能性がある。
ハイランダ帝国は数年前にクーデター未遂が発生し、当時の皇帝は反逆者に暗殺された。未だ若き皇帝の政治基盤は盤石ではないのだ。そのようなことになれば最悪国家滅亡の可能性すらある。
「いっそのこと、先にこちらがセドナ国に第一王女との婚姻を打診してはいかがでしょうか」
側近の一人、宰相補佐を努めるデニスはそう提案したが、別の側近、外交を取り仕切るフリージは眉間に皺を寄せてそれを否定した。
「セドナ国が『
『
これは若き皇帝の二つ名だ。
ベルンハルトはその若さゆえに周囲から舐められないように、公に出る際は必ず黒ずくめの鋼製の鎧で全身を覆い、身体を大きく見せている。
死神の名は数年前のクーデター事件の際に、混乱する状況の中でどさくさに紛れて第一皇子と皇后を殺害したとされることから、陰でそう名づけられた。そしていつの日からか、ハイランダ帝国の若き皇帝は『黒鋼の死神』と呼ばれるようになったのだ。
この二つ名と脆弱な政治基盤のせいで若き皇帝には未だに良縁がない。クーデター事件前のまだ第二皇子だった頃は掃いて捨てるほどあった婚約話は、面白いほどに立ち消えた。
わざわざ不安定な国の死神に可愛い娘を渡して不幸にしようと考える変人の国王はどこにもいないのだ。そして、皇后がいないこと、即ち世継ぎがいないことは若き皇帝の地盤を更に脆弱にする原因になっていた。
「やはり国内の有力者から適当な娘を見繕ってさっさと結婚なさるのがよいのではないかと」と軍関係を取り仕切る側近のレオナルドは進言した。
「たしかフレディ候爵家が娘をどうかと言ってなかったか?」
デニスが言うと、国内貴族の統率と財務担当を取り仕切る側近のカールは大きく両手を振って見せた。
「あのいつもおっぱいがはみ出そうなくらいに胸の谷間を強調してる子だろ? あの肉体は魅惑的だけどフレディ候爵の令嬢ってのがよくない。父親は権力に執着している」
その時、フリージがポンと手を叩く。
「そういえば、陛下に婚姻申し込みがありました。二日ほど前に書簡が届きました」
「陛下に?」
「宛先間違いじゃないか?」
「あり得ないな」
次々に否定する三人の側近達。若き皇帝は「おい…」とつっこんでぎろりと睨みつけると、ちゃちゃを入れていた三人の側近は慌てて黙り込む。ベルンハルトは気を取り直してフリージに向き直った。
「相手はどこの国の姫だ? 姫でいいんだよな?」
「はい。サジャール国の第一王女、リリアナ姫です」
「サジャール国……。随分と遠いな」
ベルンハルトは予想外の国名に驚いたように目を瞠り、腕を組んで考え込んだ。サジャール国はここハイランダ帝国から早馬でも一ヶ月、馬車で三ヶ月はかかる距離に位置する。これまで国交すらなかった国なのだから驚くのも無理はない。
「サジャール国とリリアナ姫の評判を調べるために陛下への報告が遅れてしまいました。申し訳ありません」とフリージはベルンハルトに謝罪する。
「サジャール国ですが、別名『魔法の国』と呼ばれています」
「魔法の国? 魔法が使えるのか?」
ベルンハルトは驚いて身を乗り出した。魔法というのは噂では聞いたことがあるが、実際に見たことは一度もない。
「そのようですね。魔法と言ってもセドナ国に僅かにいる魔術師を見る限りは、少しだけ物を浮かせるとか、よそ風をおこすとか、些細なもののようですが。ちなみに書簡は使い魔と思われるカラフルな鳥が運んできました。リリアナ姫は現在十八歳。噂によりますとシルバーブロンドの髪にアメジストの瞳をもち、その姿は妖精かと見紛うばかりとのことでございます。姿絵もそのような美女が描かれておりました。ちなみに先日四回目の婚約が解消されたようです」
「四回目の婚約解消? 何故だ?」
「わかりません」
訝しむベルンハルトに対し、側近のフリージは首を傾げて見せる。
ベルンハルトは再び腕を組んで考え込んだ。王女の婚約ともなれば国と国との約束事であり、そうそう簡単に解消するものではない。それを四回も解消したとなると普通ではない。
「人ならざるもの、つまり妖精かと見紛うばかりの不細工なんじゃないか?」
黙っていた側近の一人、レオナルドがニヤニヤしながら呟く。
「それはあり得るな。令嬢の姿絵ほど信用ならないものはこの世に存在しない」
側近のカールも何か苦い記憶を思い出したかのようにうんうんと頷く。
「お前ら……」とベルンハルトは再び側近を睨み据える。
彼らが皇帝であるベルンハルトにこんな軽口を聞けるのは、この五人が幼馴染だからだ。普段、家臣たちの前では『黒鋼の死神』と呼ばれ、残虐非道なイメージを創り出している若き皇帝からはかけ離れた姿だ。
「魔法が使える王妃というのは周辺国へのよい牽制になるかもしれないな」
顎に手を当ててそう呟き考え込むベルンハルトに、カールはあきれ顔で突っ込んだ。
「本当に妖精と見紛うばかりのブスだったらどうするんだよ? 世継ぎ作れるのか??」
「……四回の婚約解消も五回の婚約解消も似たようなものだろ。その時はその時で、きっと大丈夫だ」
かくしてサジャール国からのハイランダ帝国の若き皇帝ベルンハルトへの婚姻申し込みは了承されたのだった。
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