うちの陛下の元に天使が来た

 時刻は少しだけ遡る。

 宮殿の一室で政務をこなしていたベルンハルトと側近のカールは窓の外が騒がしい事に気付き、顔を上げた。カツンカツンと突っつくような音がする。


「なんだ?」


 ベルンハルトは座ったまま窓の外を見た。青空に白い雲が浮いており、ゆっくりと右へと流れている。


「今日ってサジャール国の姫さんが来る日じゃありませんでしたっけ? 風が強いんですかね?」とカールも釣られて視線を移動させた。

「国境からの連絡はまだない」


 訝しげに眉をひそめたベルンハルトが立ち上がり窓を開けると、待っていたかのようにバサバサッと赤や黄色の派手な色合いの鳥が窓際に止まった。首から銀のチェーンネックレスをぶら下げ、そこにはサジャール国の王室の紋章であるダリアの花が刻印されている。


 奇妙な鳥は右足の筒をくちばしでつつき、書簡が届いていることを報せている。ベルンハルトは不思議な鳥の脚に括り付けられた筒から書簡を取り出した。


「本日の午後二時に到着すると書いてある。あと半刻もない」

「え!? 早く出迎えの準備をしないと」


 カールは慌てた様子で机の上に拡がる書類を片付けはじめる。ベルンハルトは楽な執務服姿の自分を見下ろした。


「カール。先に出迎えのために外に出てくれ。俺は鎧をつけてから行く」

「流石に温室育ちのお姫様をあの姿で出迎えたら気絶するんじゃないか?」


 てっきりベルンハルトが正装で出迎えるものだと思っていたカールは困惑した。只でさえ『黒鋼の死神』と言う恐ろしい二つ名が浸透しているのに、そこに現れた皇帝が本当に黒鋼の鎧に身を包んでいたら? 出迎えられる姫君の恐怖たるや想像に難くない。


「いや、それでいい。最初に恐怖心を与えておいた方が服従させやすい。どうせ政略結婚なんだ。そこに愛はない」

「あー、なるほどね。人間離れした醜女しこめだったら気絶したことを理由に祖国に送り返せるしね」


 カールは納得したように頷く。


 サジャール国から送られてきたリリアナ姫の姿絵には可憐な美少女が描かれていた。しかし、カールは自らの経験上、お見合いの姿絵は実物の十割増で美人に描かれるものだとして全く信用していなかった。



 ♢♢♢



「うわっ! すげーな……」


 初めて見る魔法の乗物にカールは思わず呆けて上空を見上げた。絵でしか見たことのないドラゴンという生き物に、馬車のような箱型が繋がれて空を浮いている。


 先ほどワイバーンと呼ばれるこれまた見たことも無い生き物に乗って現れたサジャール国の従者に既に度肝を抜かれていたが、目の前の光景には更に驚いた。『魔法の国』と言うのはさながら出任せでもないようだ。


 宮殿の中にある広場を急遽開放して案内すると、姫君が乗った車はゆっくりとそこに着地した。繋がれたドラゴンは軍馬の数倍も大きく、縦に割れた瞳孔は見るものに恐怖心を呼び起こす。


 カールは従者に促されてそっと姫君の乗る貴賓車のドアを開ける。中に手を差し出すと、暫くして白く滑らかな手が重なった。


 そして姿を現したのは、まさに妖精と見紛うばかりの美姫だった。美しく結いあげられたシルバーブロンドの髪は太陽の光を浴びて煌めき、白い肌は象牙のように艶やかだ。長い睫毛に縁取られた瞳は宝石を思わせる淡い紫色。弓なりの形の良い眉、通った鼻筋、ぷるんとした唇、それらが完全なる黄金比で配置されている。


 驚きの余り呆けるカールに対し、姫君はカールを見上げて少しだけ怪訝な顔をした。


「初にお目にかかります。サジャール国第一王女、リリアナにございます」


 カールはハッと意識を回復させる。確かサジャール国では女性の手にキスをするとは事前に聞いてはいたが、目の前の姫君があまりにも可憐なので恐れ多くて実行出来なかった。


「私はハイランダ帝国皇帝ベルンハルト陛下の側近、カールです。以後お見知りおきを」


 なんとか握手と自己紹介をして会釈をすると、姫君は少しだけ微笑んで会釈を返した。


「カールさまですね。よろしくお願いします。陛下はどちらに?」


 そこでカールは気付いた。自国の皇帝がとんでもない姿でこの可憐な姫君を出迎えようとしていることに。


 まずいとは思ったが宮殿の方向を見ると既にベルンハルトが漆黒の鎧に身を包みやってくるところだった。頭を抱えたい気分だがそうも言ってはいられない。慌てて頭を垂れると皇帝ベルンハルトは姫君の前に立ちどまる。


「長旅ご苦労であった。面をあげよ」


 鎧でぐぐもった声がして隣にいる姫君がゆっくりと顔を上げる。可憐な姫君が気絶するのではとカールは気が気でなかった。しかし、姫君は予想に反して真っ直ぐにベルンハルトを見上げている。


「サジャール国第一王女、リリアナにございます。このような歓迎を頂き、陛下のお心遣いに心から感謝致します」

「…っ。いや、感謝には及ばない。ゆっくりと休まれよ」


 焦ったようなベルンハルトの言い方に、これは姫君のあまりの美しさに焦っているに違いないカールは確信した。男女間の気の利いた事に疎い堅物の皇帝は思ったとおり、親交を深めるような言葉もなくすぐに踵を返そうとした。


 その時、姫君が予想外の動きを見せた。ベルンハルトを呼び止めたのだ。

 

「陛下!」


 宮殿に戻ろうとしていたベルンハルトが足をとめて姫君に向き直る。


「……なんだ?」

「恐れながら、ご尊顔を拝見させては頂けないでしょうか?」


 カールはヒュッと息を飲んだ。やはり可憐でも彼女は他国の姫君。ベルンハルトのこの格好の出迎えを不愉快に思ったに違いない。


「……よいだろう」


 そしてベルンハルトが兜をゆっくりと脱ぐ。その姿を真剣な眼差しで見つめていた姫君の顔に、周りから見ても明らかな喜色が浮かんだ。


「見つけたわ……」

「なに?」


 目をキラキラと輝かせる姫君は怪訝な表情を浮かべる皇帝、ベルンハルトを真っ直ぐに見上げる。


「ベルンハルト陛下! 私は陛下に出会える今日この日をそれはそれは心待ちにしておりました。どうか、末永く可愛がって下さいませ」


 花が綻ぶような笑顔を見せた姫君はまさに妖精そのもの。その笑顔だけで周囲が明るくなったような気すらした。


「まじか……」


 カールは独りごちる。


「天使だ。うちの皇帝のところに天使が舞い降りた」


 そんなカールの呟きに全く気付くことなく、姫君はベルンハルトだけをうっとりと見つめていた。

 

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