夢見の魔女、魂の伴侶に出会う

 サジャール国とハイランダ帝国は馬車だと三ヶ月かかる距離にある。しかし、サジャール国は魔法の国である。主従契約を結んだドラゴンに牽かせた貴賓車を使えばその距離も三日で到着する。


 リリアナの快諾を受けた国王陛下は早速ハイランダ帝国に使い魔を使って書簡を出し、リリアナは一ヶ月後にはハイランダ帝国入りすることが決まった。

 

 リリアナに同行するのはナエラを始めとする数人の侍女とサジャール国の王室付きの魔導士が三人。その侍女や魔導士達もナエラを除き、無事にリリアナが輿入れしたあかつきにはサジャール国に帰国する。


「もうっ! リリアナ様が婚約解消ばかりするからこのような辺境の地に来るはめになったのです。よりによって『黒鋼の死神』だなんて……。絶対に恐ろしい怪物のような男ですわ! そのような男にリリアナ様がお輿入れするなんて……」


 リリアナの前に座るナエラは旅立ちの日から一貫して嘆き悲しんでいる。この愚痴も何回聞いたか数え切れない。


「ねえ、ナエラ。なぜ陛下は『黒鋼の死神』と呼ばれているのかしら?」

「なんでも先のクーデターで自分が皇帝になるために皇后陛下と皇太子であった第一皇子を殺害したらしいですわ。ああ、なんて恐ろしい!」


 ナエラは両手で自分自身を抱きしめるとぶるりと身震いした。リリアナはナエラを見つめて首をかしげる。


「誰かがその現場を見たの?」

「それはわかりません。けれど、これだけ噂になるのだから間違いありませんわ」


 ナエラはそういうと口を尖らせた。リリアナは何も言わずに貴賓車から外を覗く。先ほどまで広がっていた荒野地帯は姿を消し、いつの間にかぽつりぽつりと民家が広がっている。人々が一様にリリアナ達を見上げて呆けているので、ドラゴンを使った貴賓車をあまり見かけない地域なのかも知れない。


 人の噂ほど当てにならないことはない。


 リリアナは夢見の魔法に目覚めてから、ひしひしとそれを感じていた。誰かがやったと聞いていたことが夢見で覗くと実は全く違っていたなんてことは日常茶飯事だ。だから、実際に皇帝陛下にお会いするまでは先入観を持たずにいようと決めていた。


「ナエラ、もうすぐ着くわ。わたくし、おかしくない?」


 リリアナの問いかけにナエラはほつれていた髪を摘まみ上げるとリリアナを横に向かせ、美しく結いあげ直す。プラチナブロンドの髪は窓から射し込む日の光を浴びてキラキラと輝いていた。


「とてもお綺麗です。サジャール国の誇る美姫にございます」


 ナエラに微笑まれ、リリアナは嬉しそうにはにかんだ。



 ♢♢♢

 


 リリアナが上空から見たハイランダ帝国の宮殿は、宮殿と言うよりは要塞に近いように見えた。石造りの建物は立方体を組み合わせた形をしており、たまねぎのような形の屋根が付いた円柱状の塔が建ち並ぶサジャール国の王宮とは似ても似つかない。


 同行した魔導士達が貴賓車を停める場所を確認するために使い魔のワイバーンを出現させて、次々に地上に降りてゆく。暫くすると案内された宮殿の一画に貴賓車は降り立った。


 人々が集まる喧騒の中、貴賓車の扉が外側から開けられる。リリアナは開いた扉から差し出された手を見つけ、自分の手を重ねた。


 一歩外に降り立つと、周囲からざわめきがおこる。リリアナは手を差し出してくれた男性を見上げて怪訝な顔をした。てっきり陛下だと思っていたのに、驚いたように目を瞠りリリアナを見つめる男性はアッシュブラウンの髪に青色の瞳をした若い男だった。髪の色が黒とは似ても似つかない。


「初にお目にかかります。サジャール国第一王女、リリアナにございます」


 目の前の男性はハッとしたように目をしばたたかせ、リリアナの片手を握りなおした。事前に勉強したとおり、手にキスをする習慣はこの国にないようだ。


わたしはハイランダ帝国皇帝ベルンハルト陛下の側近、カールです。以後お見知りおきを」


 カールと名乗った男性が軽く頭を下げたのでリリアナもそれに習って会釈を返す。


「カール様ですね。よろしくお願いします。ところで、陛下はどちらに?」


 リリアナが尋ねると、カールは慌てた様子で宮殿の方を向いた。その視線を追った先には人が割れて大きな道が出来ている。その向こうから全身黒尽くめで赤いマントを纏った人物が側近を引き連れて近づいて来るのが見えた。


 人々が頭を垂れるのを見てリリアナはあの黒尽くめの人物こそが五回目の婚約の相手であるハイランダ帝国皇帝ベルンハルトに違いないと思った。

 プレートアーマーが歩くたびにガシャン、ガシャンと鳴り、死神はともかくとして黒鋼と言うのは全くその通りの見た目だ。周囲に合わせて頭を垂れたリリアナの前で皇帝ベルンハルトと覚しき人物は立ち止まる。


「長旅ご苦労であった。面をあげよ」


 声は頭まですっぽりと被った鎧のせいでぐぐもって聞こえる。それでも聞こえた感じでは若そうに感じた。ゆっくりと顔を上げて見上げると、頭一つ高い位置にある皇帝と目が合った。少し冷たく見える切れ長の瞳は吸い込まれそうな青。


「サジャール国第一王女、リリアナにございます。このような歓迎を頂き、陛下のお心遣いに心から感謝致します」

「…っ。いや、感謝には及ばない。ゆっくりと休まれよ」


 なぜか焦ったようにそう言った皇帝がすぐに踵を返そうとするのを感じて、リリアナは慌てて呼び止めた。


「陛下!」

「……なんだ?」

「恐れながら、ご尊顔を拝見させては頂けないでしょうか?」


 ベルンハルトと周囲の臣下達がヒュッと息を飲んだのがわかった。


 皇帝が常に兜を被っているのはリリアナも事前に知っていた。しかし、リリアナは目の前の人物が魂の伴侶でなかった場合、正式な婚姻前になる前にさっさと婚約を解消する手立てを考える必要がある。ハイランダ帝国の婚約期間は通常五十日間。そのうち晩餐を供にすれば顔が見られるから、などと悠長に待っていられる時間はリリアナにないのだ。


 しばしの沈黙の後、皇帝ベルンハルトは「よいだろう」と言いその兜に自ら手をかけた。

 最初にすき間から見えたのは艶やかな黒髪。そして、兜が外れる直前に皇帝ベルンハルトは顎を上に上げた。その瞬間、リリアナにははっきりと見えたのだ。直線上に均等に並ぶ三つのほくろが。


「見つけたわ……」

「なに?」


 アメジストの瞳を見開くリリアナを、兜をとった皇帝ベルンハルトは訝しげに切れ長の目を細めて見下ろした。少し困惑しているようにも見えた。


「ベルンハルト陛下! わたくしは陛下に出会える今日この日をそれはそれは心待ちにしておりました。どうか、末永く可愛がって下さいませ」


 リリアナはこれまで生きてきた中で最高の笑顔をベルンハルトに向けた。

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