夢見の魔女、皇帝に恋文をしたためる
運命の再会から数日後。
リリアナはハイランダ帝国の宮殿の一室で一人ふて腐れていた。むくれているせいでピンク色の頬はぷっくりと
「ねえ、ナエラ。陛下には今日もお会い出来ないの?」
祖国から持参した紅茶を煎れようとしていたナエラはリリアナと視線を合わせると首を横にして見せた。
「何度かお会いしたいと側近の方にはお伝えはしているのですが、今日も執務が立て込んでいるとのお返事でして」
「……そう」
リリアナはがっくりと項垂れる。
魂の伴侶を追い求め続け、やっと十年越しの再会を果たしたのがつい五日程前。これぞ運命だと大盛りあがりのリリアナに対し、当のベルンハルトの反応は薄かった。
「陛下! わたくしですわ、リリーです!!」
再会した日、リリアナは必死に詰めよってベルンハルトの記憶を呼び起こそうと試みた。しかし、結果としてベルンハルトの顔は引き攣り、視線はどんどん冷たいものへと変わってゆく。
「一緒に部屋で語らい合ったじゃない!?」
「……」
「わたくし達、抱擁した仲でしょ?」
「──執務があるので失礼する。リリアナ姫は長旅での疲れから記憶に混乱をきたしているようだ。誰か部屋に案内しろ」
冷たく言い放つと今度こそ踵を返してベルンハルトは歩き出す。明らかにリリアナの様子にドン引きして逃げられてしまったのは明らかだった。
そんな訳で、リリアナはベルンハルトに避けられているのか、全く会えなくなること丸五日目なのだ。
ナエラが淹れ立ての紅茶をリリアナの前に置く。故郷ではよくある花を使った紅茶はあたりにフローラルな香りを漂わせた。
「あーあ。本当にあの日は失敗したわ。嬉しすぎて興奮しちゃったのよ」
紅茶のカップを見つめ、リリアナは小さく呟く。
本当に失敗した、とリリアナは深く後悔していた。もしあの時に戻れる時の魔法と言うものがあるならば、リリアナは迷いなく自らに喋ることを禁止する『黙秘』、もしくは動きを封じる『束縛』の魔法をかけるだろう。
「陛下はもうわたくしとお会いしたくないのかしら? 陛下と一緒にお茶が出来たら素敵なのに」
机の上にもたれ掛かり、ツンツンとカップを突っついてふて腐れるリリアナを見てナエラは苦笑した。
「まぁ、仕方ないところもあるのではないでしょうか? リリアナ様にとっては初めての夢見の時に出会った方で、それはかけがえのない記憶ですが、陛下にとっては毎日見る夢にたまたま数回出てきた女の子でしかないのです。覚えているほうが不思議なくらいですわ」
「うーん。そうよね……。ねえナエラ。世の中の男女はどうやって親しくなるのかしら? 小説だと落としたハンカチを拾ったのがきっかけだったり、暴漢に襲われたのを助けられたりしてるけど、みんなそんなふうに出会うの?」
ナエラはリリアナの質問に眉尻を下げた。ナエラはリリアナの乳母の娘でありサジャール国では一応貴族令嬢になる。年齢も十九歳でリリアナと一つしか変わらない。当然、これまでの人生で自由恋愛などしたことがあるわけもない。
「そうですわね。友人関係がふとしたときにときめきに変わることはあるそうです」
「陛下と私は友人ではなくて婚約者よ?」
「デートをしたりするのはいかがでしょう?」
「お会いすることすら出来ないのにどうやってデートするの?」
「恋文を送って気持ちを伝えて距離を縮めるとか……」
ナエラだって侍女仲間から聞き
「そうよ! わたくしと陛下はまず距離を縮めることから始めないとだわ。わたくし、恋文をしたためるわ! 陛下への熱い想いを恋文にのせて届けるの!!」
両手の指を交差するように前に握ったまま立ち上がったリリアナは、先ほどの落ち込み具合が嘘のように表情を明るくした。そして、小躍りしそうな機嫌の良さでクルリと一回転してナエラの前に立つ。キラキラとアメジストの瞳を輝かせてナエラの顔を覗き込んだ。
「ナエラ。早速だけど紙とペンを用意してきて頂戴」
ナエラはぁっとため息をつく。こうなったらリリアナに何を言っても無駄だ。ナエラが紙とペンを持って来ないと勝手に脱走して行方不明になる可能性がある。
「ところでリリアナ様。本当にベルンハルト陛下がリリアナ様が探していた相手で間違いはないのですか? 噂通り漆黒の鎧に身を包んだ恐ろしい姿でした。今もリリアナ様をほったらかしですし。とてもリリアナ様から聞いていた優しそうな少年とは結びつきませんわ」
「間違いないわ。彼の顎には印があったもの!」
リリアナは自信満々に断言する。初めて会ったあの日、陛下の顎の下には直線上に均等に三つ並ぶほくろがあった。幼い時に夢であった少年と同じだ。
「……そうでございますか。では、わたくしは紙とペンを調達して参ります」
「ええ。頼んだわよ」
「何を手紙にしたためようかしら……」
一人になると、リリアナは早速手紙の内容を考え始めた。
お会いできてうれしかったことを伝えるのは外せない。どんなにリリアナがベルンハルトに焦がれていたかも伝えるべきか。それだけで軽く本一冊分は書けそうだ。リリアナのことも陛下にもっと知って欲しい。陛下がいったい何が好きなのか、どんなことでも知りたかった。
と、そこでリリアナは自分がベルンハルトのことを殆ど何も知らないことに気付いた。愛する人のことを知らないなんて、何たる失態かとリリアナは驚愕する。すぐに調査する必要があると、いても立っても居られない。
『我が声にこたえ、現れよ。サリー』
リリアナが使い魔を呼びかけると、部屋の中に忽然とグレーのしなやかな猫が現れた。リリアナの使い魔の一匹であるサリーだ。サリーはリリアナの足にすり寄るとニャアと鳴いた。
「やっぱり心の距離を縮める為にはお互いを知ることが大切よね。サリー、陛下のところに行って様子を見てきて」
リリアナの呼びかけにサリーはもう一度ニァアと鳴き、長い尻尾を振りながら出口へと向かった。
◇◇◇
ベルンハルトは執務室で国境地帯の警備状況の報告書を読んでいる最中に、コツンと窓を叩くような音が聞こえた気がして顔を上げた。窓の外を見ると、赤と黄色のカラフルな鳥がこちらを見つめている。
「サジャール国から書簡か?」
ベルンハルトは表情を曇らせた。激務なのをいいことにあの姫君の相手をしないから、姫君が両親に泣き付いて抗議の手紙でも来たのかもしれないと思ったのだ。
サジャール国からやってきた姫君は息を呑むほどの美少女だった。『妖精と見紛うばかり』という言葉がこれほどしっくりとくる女性を見たのはベルンハルトの記憶のある限り初めてだ。
しかし、サジャール国の姫君は同時に頭が少しやられていた。あの美貌を持ちながら残念な事この上ない。会ったことがある筈のないベルンハルトに向かって『部屋で語らい合った』だとか『抱擁し合った』だとか『お嫁にくると約束した』と真顔で捲し立てていた。おそらく、これまで四回も婚約が解消になったのは頭の問題だったのだろうということは想像に難くない。
完全にお飾りの皇后であれば少しくらい頭がやられていても周囲に隠し通すことも可能だ。しかし、外交の場に出そうとすると、諸外国に頭の弱い皇后として噂が蔓延しかねず、都合が悪い。
ただ、魔法が使える皇后というのは政治の駒として捨てがたかった。ワイバーンという乗り物に乗り空を飛ぶ魔導士の姿は目をみはるものだった。あの生き物をサジャール国から何匹か借りるだけでも、周辺国への相当の牽制になるはずだ。
「どうするかな……」
あの姫君はお飾りの皇后にして、どこかから側室を娶るか。しかし、姫君の機嫌を損ねて不仲説でも流れようものなら、国内外の反逆勢力に絶好の機会を与えることにもなりかねない。サジャール国との関係を悪化させることも避けたい。
以前、隣国に送り込んだスパイから報告があった通り、リナト国はセドナ国に政略結婚の打診の書簡を送ったようだ。そろそろ書簡がセドナ国に届いても良い頃だ。
難しい舵取りを迫られているとベルンハルトは感じた。
カラフルな鳥はしきりにくちばしで足の筒をつつき、中の書簡をとれと報せている。ベルンハルトは小さく息を吐くと鳥の足についている筒から書簡を取り出した。思ったより分厚く、通常の便箋十枚分はある。ベルンハルトは何が書かれているのかと緊張の面持ちでそれを広げた。
『ハイランダ帝国 ベルンハルト皇帝陛下
何回かお会いしたいと伝えたのですが、お忙しいとのことで残念です。あまり働き詰めで陛下の体調が損なわれないかと心配しています。無理なさらないで下さいね。
先日は丁寧なお出迎えありがとうございました。
そして、突然おかしなことを申してしまい申し訳ありませんでした。と言うのも、私達サジャール国の王女は運命の相手に夢で出会うという特殊な力があるのです。夢で陛下に出会ったことを陛下も覚えているとばかり思いこんでおりました。
私が陛下に恋した日、それは今から遡ること十年前のある夜でございました。
突然夢で陛下の部屋に迷い込んだ私をまだ少年だった陛下は笑顔で迎え入れて下さいましたね。あの時の陛下の優しい笑顔は私の宝物として記憶に残ってございます。
……(中略)
ここハイランダ帝国はサジャール国と色々と違うことが多く、驚きました。
私の国では皆移動にはワイバーンと呼ばれる小型の竜に乗っておりました。ワイバーンは空を飛べるのでとても移動が早いです。馬の代わりに陛下もいかがでしょう?風を切るのが気持ちいいですよ。
建物の形も全く違います。サジャール国の宮殿は屋根が玉ねぎ型をしているのです。私共は通称『玉ねぎ宮』と呼んでおりますわ。
……(中略)
ところで、今度一緒にピクニックに行きませんか? ピクニックに行く習慣はハイランダ帝国にはないですか? 町歩きか宮殿の庭園をお散歩でもいいです。難しかったら、せめてお食事をご一緒できないでしょうか? とにかく、陛下と二人で少しお話が出来たら素敵だと思うのです。
話は戻りますが、私は陛下の妻となれることを思うと感動のあまり天にも上る心地です。ふつつか者ではありますが、陛下とハイランダ帝国のために精一杯頑張りますので末永くよろしくお願い致します。
サジャール国 第一王女 リリアナ』
書簡を読み終えたベルンハルトは眉間に皺を寄せたまま、手元の書簡をにらみ据える。
「……なんだ、これは?」
もう一度文面を最初からなぞった。表面上は頭がおかしい部分は感じられない。混乱状態からは回復したのかも知れない。
むしろ、これはまるで恋をした娘が婚約者に送る恋文のように見えた。しかし、ベルンハルトとリリアナはお互い惹かれ合っての婚姻ではなく政略結婚だ。政略結婚の相手からなぜこんなに大作の手紙が送られてきたのかがわからない。
「…っ! もしや、暗号か?」
こんなに長い手紙だ。途中で何かしらの暗号文が隠されているのかも知れない。暗号文の解読は幼いときから色々と叩き込まれているのでそれなりに自信がある。
ベルンハルトはペンを手に取ると、早速この書簡の解読に取り掛かった。
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