夢見の魔女、リナト国へ向かう
リナト国へ向かう日はあっという間にやって来た。前回の計略の際は二台の馬車と二十騎の近衛騎士隊だったのに対して、今回は皇帝ベルンハルトと皇后リリアナがともに本当に移動する事から更に豪華になり、馬車は五台、近衛騎士は四十騎に及んだ。
一番先頭の一際豪華な馬車にベルンハルトとリリアナ、二台目に側近で外交担当のフリージと宰相補佐のデニスと外交官達、三台目にリリアナとベルンハルトの侍女達が乗りこむ。残り二台は荷馬車だ。
「留守中を頼むぞ、カール、レオナルド副将軍」
「お任せ下さい」
「畏まりました。しかし、その『副将軍』ってどうも慣れませんね」
ベルンハルトに激励の言葉をかけられしっかりと頷いたカールに対して、レオナルドは気恥ずかしそうに苦笑いした。
ワイル副将軍の失脚後、首都トウキを始めとする国内の治安維持の責任者である副将軍を誰にするかはハイランダ帝国の最大の懸案事項の一つだった。その後任に、これまでも軍関係の取り仕切りをしていたレオナルドを推したのは他ならぬラング将軍だ。
レオナルドは元々、代々軍関係の幹部を輩出する名家の出身だ。剣の腕もかなりのもので、魔力を込めて戦う術を得た今となっては負ける相手を探す方が難しい。ベルンハルトの信頼も厚いことから、御前会議の面々もこれに賛成し、晴れてレオナルド副将軍が誕生したのだ。
「すぐに慣れるだろう。任せるぞ」
「任されました。陛下もお気を付けて」
ベルンハルトとレオナルドはニッと口の端を持ち上げ、拳を軽く合わせた。
一通りの挨拶が終わると、まず最初にリリアナが馬車に乗った。奥へつめると、ベルンハルトも続けて同じ馬車に乗り込み、リリアナのすぐ横に座った。
出立を報せる
暫くすると城下の喧騒の音が聞こえ始め、リリアナは閉じられた窓を開けてそこから外を覗こうとした。しかし、慌てて身体を引くとベルンハルトの方を向いた。
「どうした?」
「窓から外を覗いてもよろしいでしょうか?」
不安そうにベルンハルトを見上げる様子から、ベルンハルトはリリアナが前回窓から無邪気に外を覗いていてベルンハルトから注意を受けたことを気にしているのだと気付いた。
「もちろんだ。トウキの治安維持はレオナルド副将軍が目を光らせている。民に手を振ってやれ」
リリアナはぱっと表情を明るくした。しかし、すぐにそれは怪訝なものへと変わる。
「陛下は?」
「ん?」
「陛下はお顔を民に見せないのですか? 皆喜ぶと思うのです」
「俺は意図的にこの鎧を着て兜を被り、黒鋼の死神のイメージを作り出してきた。この方が都合がよいことも多いんだ」
「そうなのですか」
リリアナはベルンハルトの返事を聞いてしょんぼりと肩を落とした。しかし、すぐに気を取り直したように顔を上げて背筋を伸ばした。
「では、
馬車の窓が開き、中にいるリリアナとベルンハルトの姿が見えると道沿いに皇帝夫妻を一目見ようと集まった人々から割れんばかりの歓声が湧き起こった。リリアナはにっこりと微笑んでまわりに手を振る。ベルンハルトも鎧と兜を付けたままだが右手を上げて民の歓声に応える。前回とは違い、今回は国民にも公式行事に出席するための移動として報せてあったのだ。
小さな子どもから腰が曲がり始めた老婆まであらゆる人が沿道から手を振っていた。赤と黄色と青の丸があしらわれたハイランダ帝国の国旗を振る者も多かった。リリアナはその一人一人に対して微笑みかけ、腕が千切れんばかりに手を振り返した。
「城下に行きたいと言っていたな。リナト国から戻ったら連れて行こう」
手を振っていたリリアナは隣に居るベルンハルトの方を振り向いた。兜の隙間から見える青い双眸はリリアナと城下の様子を見比べている。ベルンハルトからかけられた言葉の意味を咀嚼して、リリアナは目をぱちくりとさせた。
「よろしいのですか? お忙しいのでは?」
「一日くらい、なんとかしよう」
リリアナの頬がみるみる紅潮し、もともと笑顔だった表情はさらに明るいものへと変わる。
「ありがとうございます! やっぱり陛下はお優しい。あぁ、陛下! お慕いしています」
リリアナは喜んで思わずベルンハルトに腕を絡めた。仲むつまじい皇帝夫妻を目にして歓声は益々大きくなる。
そのリリアナの嬉しそうな様子を見て、ベルンハルトは内心で舌打ちした。鎧が邪魔である。せっかくリリアナが絡んできて居るのにも関わらず、頑丈な黒鋼が二人の間に立ちはだかり全くリリアナの感触が味わえない。ベルンハルトは心底この鎧が邪魔だと思った。
ようやくトウキの街を抜けて沿道に人の姿がなくなった辺りでベルンハルトは兜と鎧を脱ぎ捨てた。毎日身につけているとは言え、鎧は重く動きにくい。やっと身軽になってベルンハルトはホッと息を吐いた。
大きな馬車の中で鎧を脱がせるのを手伝っていたリリアナは、兜を脱いでがしがしと重みで押し潰された髪の毛を直すベルンハルトと目が合うと、嬉しそうに微笑んだ。
「どうした?」
「ふふっ。嬉しくて。やっと大好きな陛下のお顔が全部見られました」
「っ! そうか……」
「陛下? どうかされましたか?」
「なんでもない」
リリアナはすぐ横に来ると、目をキラキラとさせて上目遣いにベルンハルトを見上げる。長い睫毛に縁取られた大きなアメジストの瞳はキラキラと輝き、少しだけ開いた唇はふるんとしている。リリアナは出会った頃から妖精のように整った容姿の可憐な少女だったが、最近は少し大人びてきて更に女としての魅力が増していた。
ベルンハルトは参ったな、と内心で舌打ちした。どうにも最近、リリアナがとても可愛らしく見えてならない。
「リナト国はどのような場所なのでしょう?」
「分からない。歴史的に見れば芸術を愛する、温和な民族のはずなのだが……。リリアナに危険が無いよう、しっかりと警護させよう」
「あら、私は大丈夫ですわ」
リリアナはクスリと笑う。
「私は魔法が使えるから見た目よりもずっと強いですわ。それに、私はその気になれば、ジークに乗ってどこにだって逃げることも出来ますわ」
「そうだったな。リリアナはその気になれば、どこにでも行ける」
そう言ったベルンハルトの瞳が少し翳ったことに、リリアナは気が付かなかった。しばらく二人でそんな他愛のない会話を楽しんでいると、コツンコツンと窓を叩く音がした。ベルンハルトは音に気づいて、閉めていた窓を開けた。
「陛下、そろそろ次の街に付きます」
「わかった」
併走していた近衛騎士の一人がベルンハルトに街が近いことを伝える。思っていたより早い到着だ。それだけ順調に進んでいるのだろう。横でそれを聞いていたリリアナは慌てた様子でいそいそとベルンハルトに鎧を着せる準備を始める。
「ここでも陛下の分まで私が笑顔を見せて民に手を振りますね。役目はしっかりと務めますので陛下は安心して黒鋼の死神でいて下さいね」
「そうだな、頼む」
「はい。お任せ下さいませ」
リリアナに微笑みかけられて、会話が中断されて少し残念に思ったベルンハルトも、またいそいそと黒鋼の鎧を身に付け始めた。
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