第三章 皇帝は夢見の魔女に愛を囁く

皇帝、デートとは何かと問う

 ワイル副将軍とフレディ侯爵が捕らえられ一時的に政治が混乱したものの、ハイランダ帝国は元の平穏を取り戻しつつあった。

 そんな折り、ベルンハルトの執務室に呼び出されたリリアナは目をぱちぱちと瞬かせた。


わたくしがですか?」


 珍しくベルンハルトから執務室に呼び出されたと思ったら、ベルンハルトから申し付けられたは思いがけない要請だった。延期になっていたリナト国の第一王子とセドナ国第一王女の婚姻式が今度こそ開催されるので、その式典に行くように言われたのだ。


「リナト国とセドナ国との関係は近年膠着状態だが、依然として予断を許さない。リリアナが行けば向こうが何か良からぬことを企んでいても事前に察知出来る。頼めないか?」


 ベルンハルトの言葉にリリアナはなるほど、と頷いた。リリアナは実際に会いさえすれば、その相手の夢に入れる。つまり、この式典でリナト国とセドナ国の主要な人物に会えば、ハイランダ帝国に何か悪さしようとしていないかを夢に入って盗み見ることが出来るのだ。


「畏まりましたわ。陛下の御心のままに」


 リリアナは腰を屈めて了承の礼をした。その様子を見てベルンハルトはホッとしたように表情をやわらげた。


「感謝する。リリアナと一緒に俺も行く」

「陛下も?」

「ああ。リナト国とセドナ国が同盟を結ぶと言う情報は早くにリナト国に攻め込ませるためのワイル元副将軍の捏造ねつぞうだった。しかし、恐らく平和条約は結ぶだろうからハイランダ帝国が一番状況的に悪いのは変わらない。俺が行った方が誠意が伝わって関係改善に繋がる可能性が高いだろう?」


 リナト国とセドナ国、ハイランダ帝国は三国が国境を接している。そのため歴史的に三国の国境地帯でいざこざが絶えなかった。

 今回、リナト国とセドナ国が平和条約を結べば、国境を接して二対一の構図ができあがりかねない。ハイランダ帝国の国境の平和を維持するためにベルンハルトはなんとか二カ国との関係改善をはかりたかった。


「わかりましたわ」とリリアナが力強く拳を握る。

「陛下のことはこの私が命に代えてもお護りいたします!」


 声高々にリリアナが宣言したので、ベルンハルトは呆気にとられた。リリアナは胸に手を当てて大真面目な顔をしている。


「待て。何故そうなる? それは俺の台詞だ。リリアナの事は俺が護る」

「何を仰います。陛下のことを私がお護りいたします」

「いや、妻を護るのは夫として当然の事だ」

「私どもは普通の夫婦ではありません。陛下はハイランダ帝国で最も尊きお方、やん事無きお方なのです。陛下は私が護りますわ」

「いや、しかしだな。それでは男としての矜持きょうじが……」


 延々と同じようなやり取りを繰り返し、最終的に先に折れたのはベルンハルトだった。


「わかったわかった。では、俺のことはリリアナが護り、リリアナは俺が護る。それで良いな?」

「結構でございます」


 リリアナは頷くと、満足げに微笑んだ。ベルンハルトとしては苦笑いするしか無い。リリアナは普段は従順でベルンハルトを立て、一歩後ろに下がる理想的な皇后だ。しかし、妙なところに頑固さがあり、頑として首を縦に振らなかったりする。


「まぁ、…そこも可愛いのだがな」

「はい?」

「我がきさきの愛らしさは底知れないと言ったんだ」


 リリアナの顔が呆けたようになり、すぐさま耳や首まで真っ赤に変わる。


「陛下、からかわないで下さいませ! 最近からかってばっかり! そ、それでは失礼しますわっ」


 狼狽えて執務室から走り去ったリリアナをベルンハルトはククッと小さく笑いながら見送った。


 リリアナはベルンハルトに出会ってからあれだけ熱心にやれ好きだの、慕っているだの、素敵だだのベルンハルトに事あるたびに愛を囁いておきながら、自分が口説き文句を言われることには全く免疫が無いようだった。

 ベルンハルトがリリアナに出会って以来ずっと素っ気ない態度をとっていたせいもあり、未だにからかわれていると思い込んでいる。少しでもベルンハルトがリリアナに可愛いなどと言おうものならまるで恋をしたての娘のように顔を赤くして初心な反応を示すのだ。


 ベルンハルトは今さっきのリリアナの様子を思い出し、再びククッと思い出し笑いしながら執務机の書類を整理した。


「あー、陛下がにやけてる」


 リリアナと入れ違うように執務室に入室したカールはベルンハルトの顔を見るなりニヤニヤと意味ありげな視線を送ってきた。


「にやけてない」

「またまた。陛下がお幸せそうで私達は喜んでいるんですよ。苦労ばかりされてましたから」

「……お前達には本当に感謝している」


 ベルンハルトは小さな声でボソリと呟いた。

 カールを始めとする四人の側近達はベルンハルトが皇帝になった当初からベルンハルトを支え続けてきた。実務面はもちろん、精神面でかなり助けられたのは間違いない。恐らくこの四人の側近達の助けが無ければとっくに自分が潰れていたことも、ベルンハルトはよくわかっていた。


「では感謝の印に休みを下さい。ナエラ嬢をデートに誘おうと思っていまして。あともう一押しなんです」

「諦めろ。リナト国に行くまでは忙しい」

「やっぱりそうか……」


 カールはベルンハルトの返事を聞いて予想通りと言った様子でガックリと項垂れた。リナト国に行く三週間後までは休みなしが確定したのだ。


「ところでデートと言ったか? デートとは何をする?」

「街歩きしたり、庭園やピクニックに行ったり、食事したりして男女が二人で過ごすんですよ」

「俺とリリアナが毎日食事をともにするのはデートか?」

「いや、違うでしょ。護衛や側近達が同じ部屋で控えてるじゃないですか。そうじゃなくって二人で過ごすんですよ。リリアナ妃も陛下がデートに誘ったら喜ぶと思いますよ」

「そうか。……寝所で二人で過ごすのとは違うんだよな?」

「当たり前でしょう」


 カールは半ばあきれ顔だ。ベルンハルトは顎に手をあてて考え込んだ。ベルンハルトは十七歳で皇帝になった。皇帝になる以前も第二皇子として生きてきたので自由恋愛をしたことは無い。当然そう言ったデートなるものをしたことも無かった。


「リリアナが以前から城下に行きたがっている。リナト国から帰ってきたら連れて行ってやりたい」


 リリアナはまだベルンハルトと婚姻する前から城下に行ってみたいと洩らしていた。それに対し、ベルンハルトはそのうち連れていくと約束したまま実現せずに終わっていた。


「では、私がナエラ嬢とともに陛下とリリアナ妃に相応しい安全かつ気分の盛り上がる場所を調査して参りましょう」


 キリッとした顔でカールはそう提案した。ベルンハルトは胡散げな目でカールを見る。


「リナト国に行くまでは忙しいから駄目だぞ」

「チッ! 駄目か」

「……おい」


 カールは皇帝の側近という立場と整った容姿と女性への積極的な姿勢から、常に恋人が複数いる。ただ、こんなに長期間に亘り一人の女性に執着する事は珍しい。

 目の前で本気で悔しがる幼なじみの男カールを見て、今回は意外と本気なのかもしれないなと思ったベルンハルトなのであった。


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