計略②

 開いた扉の先から向けられたものが刃物だと気付いた時、リリアナは無意識にギュッと目を瞑りティーヌと抱き合った。ガシャンという大きな音が耳元で響いたが、不思議と痛みは全くない。自らが生きていることを感じたリリアナは恐る恐る目を開いた。

 最初に目に入ったのは剣の刃。しかし、それは一本では無く二本だった。黒い布を頭から被った男と近衛騎士を装ったベルンハルトが剣で押し合いながら睨み合っている。


『大地の精よ、我に力を貸したまえ。拘束』


 リリアナは小さく呪文を呟く。黒い布の男はうぅっと呻くとドサリとその場に崩れ落ちた。


 まわりを見渡すとまだ沢山の賊が残っていた。リリアナはその全員に順番に拘束魔法をかけていった。


「陛下! リリアナ様!」


 全員がやっと始末し終えたところで上空から叫び声が聞こえ、リリアナは顔を上げた。上空にはワイバーンに乗ったラング将軍と部下達がいた。ラング将軍はまだ地上まで高さがあったのにも関わらず、躊躇無くワイバーンから飛び降りた。地上に降りる衝撃でドシンと大地が揺れる。


「これは一体?」


 地上に降りたラング将軍は辺りを見渡して眉をひそめた。近衛騎士は魔力を込めた戦いの訓練を受けたとは言え、僅か二十騎しかいなかった。にも関わらず、その倍はいた敵のほぼ全員が生きたまま紐で拘束されていたのだ。


「リリアナが魔法で仕留めた」

「リリアナ様が?」


 ベルンハルトの言葉に、ラング将軍は目を瞠った。ラング将軍はリリアナが魔法を使える事は知っていても、実際に魔法を使うところを見たことがない。可憐な妖精のような少女がこのような武骨な男を何人も生け捕り出来るというのはラング将軍にとって驚きだった。


「陛下と皆様が護ってくれたから魔法を使う余裕がありました。皆の働きに感謝します」とリリアナははにかんだ。


 

 ♢♢♢



 一連の騒ぎが起きた当日は宮殿内は大騒ぎだったが、数日もすると元の平穏を取り戻し始めていた。リリアナは刺繍の最後の一刺しをすると、糸の始末をした。ハンカチーフには天に上る龍が見事に表現されている。リリアナはそれを丁寧に折り畳むとソファーの前にあるサイドテーブルの上に置いた。


「リリアナ、まだ起きていたのか?」


 寝所の扉が開き、顔を覗かせたベルンハルトはまだ起きていたリリアナと目が合うと表情を綻ばせた。


「はい。陛下もお疲れさまでございます」


 リリアナはにっこり微笑んでベルンハルトの元に駆け寄ると、手をひいてソファーに座らせた。自身も隣りに座ると慣れた要領でグラスを用意する。水差しから氷を作り、さらに蒸留酒を注いでそのグラスをベルンハルトに手渡した。


「関係者の事情聴取は進んでいるのですか?」

「だいたいな」

「ワイル副将軍はなんと?」

「──全て白状した」


 ベルンハルトはリリアナの作った酒を一口飲むとはぁっと息を吐いた。


 ワイル副将軍は行き過ぎた軍国主義者だった。

 六年近く前、ハイランダ帝国とリナト国の国境がきな臭くなった時にワイル副将軍は当時の皇帝にリナト国へ攻め込むことを提言した。しかし、皇帝は首を縦には振らず話し合いでの解決を望んだ。


 たったそれだけのことが、あの惨劇を起こす原因となったのだ。


 同じく軍国主義者だったビリング侯爵と結託してワイル副将軍は何とか思い通りに政治を動かす工作をしようとした。そのときにちょうど良く皇后がビリング侯爵と急接近しだしたのだ。

 ワイル副将軍は手っ取り早く皇帝と二人の息子を殺して皇后と恋仲のビリング侯爵を皇帝の座に付けさせ、自身は軍事トップの座に付くことを目論んだ。だが、作戦は失敗に終わる。

 しかし、ビリング侯爵の口を封じるまでも無く、ベルンハルトがその命を奪ったのでワイル副将軍を疑うものは誰もいなかった。


 そんな事件の後もワイル副将軍はリナト国とセドナ国の両国を武力で制圧するべきだとずっと考えていた。それに同調したのがフレディ侯爵だ。


 フレディ侯爵にはベルンハルトと歳の釣り合う娘がいた。その娘を皇后の座に付かせることでフレディ侯爵の発言力が増し、フレディ侯爵とワイル副将軍の望む方向に話を進ませることが二人の目的だった。

 そのために、フレディ侯爵とワイル副将軍は警備隊の巡回ルートを洩らした。物流を阻害してベルンハルトの基盤を揺るがせることで国内貴族の手助けを借りなければならない状況を作ろうとしたのだ。さらにリナト国とセドナ国の婚姻話も追い風となり、追い詰められたベルンハルトは今度こそ間違いなくフレディ侯爵令嬢と婚姻すると考えていた。


 ところが、またもや目論見は外れる。ベルンハルトが遥か遠方のサジャール国から皇后を娶ることを決めたのだ。突然降って湧いた婚姻話。魔法と中堅国家の後ろ盾を持つ新皇后の存在はベルンハルトの基盤を徐々に盤石にすることの後押しをした。


 だから、ワイル副将軍達は新皇后であるリリアナを殺すことにした。


 ちょうどタイミング良くリナト国から婚姻式の招待状が来た後、婚姻式の延期の案内があった。その機を利用したのだ。

 婚姻式には否が応でも誰かしらのベルンハルトの側近もしくは皇后、皇帝が参加する。そのタイミングは近衛騎士が同行するために取られてリリアナの周辺の警備が一時的に薄くなる。その隙を突こうとした。

 さらに、リナト国からの婚姻式延期の報せが行き違いで来なかったことが間接的な新皇后死亡の原因となるとすれば、ベルンハルトもリナト国へ攻めることに同意すると考えたのだ。


「陛下?」


 ベルンハルトは名を呼ばれてハッとして横を向いた。いつの間にかまた考え込んでいたようで、隣に座るリリアナは心配そうにベルンハルトを見上げていた。


「奴はくだらない願望で国家を転落させようとした。とるに足らない話だ」

「……そうなのですか?」


 リリアナは小首を傾げる。そしてふと気付いたようにソファーの前のサイドテーブルに置かれたハンカチをベルンハルトに差し出した。


「これを陛下に。気に入って下さるとよろしいのですが」


 ベルンハルトは差し出されたハンカチを広げた。全体の四分の一ほどを占める刺繍は天に上る龍。力強いその様は今にもハンカチから飛び出して天を目指しそうな勢いがあった。


「前に見たことがあったのでその紋章にしたのですが……」


「ああ」とベルンハルトは頷く。

「これは兄上がいつも使っていた紋章だ。天をおよぐ龍は国を立派に納める皇帝を表す。天に上る龍は偉大な皇帝を目指す兄上そのものだった」

「お兄さまの紋章…。では、陛下には天をおよぐ龍を刺さなければならなかったのですね。申し訳ありません」


 リリアナは眉尻を下げて謝罪した。ベルンハルトはリリアナを見て微笑み、手でそれを制する。


「よい。俺はまだまだ父上や兄上に比べたら修業が足りない。ハイランダ帝国を良くするためには精進が必要だ。このハンカチは貰っておく」


 ベルンハルトはハンカチを畳み直すと、それを大事に握りしめた。脳裏にはワイル副将軍の言葉が蘇る。


『皇后が死んだのを見たとき、私は皇太子殿下を皇帝に据えて折りをみてあなたは殺すつもりでした。皇帝が体が弱いのは操り人形として利用するのにちょうどよかった。なのに、貴方があの兄を殺めたのは想定外でしたよ』


 ワイル副将軍は聴取の時、ベルンハルトにそう言い放った。ベルンハルトはカッとして思わず縛られた無抵抗な男を何度も殴りつけ、止めに入った側近達に引き剥がされた。そして、ようやくなぜ兄がベルンハルトが殺したかのように見せかけて自害したのかの理由を悟ったのだ。


「昔、兄上と良く丘の上から城下を見渡し、ともにこの国を良くしていこうと誓い合った」

「剣の刺さった丘でございますか?」

「そうだ。あの剣は兄上から譲られたものだ。決意表明の意味であの場に残した」


 ベルンハルトは一旦言葉を止め、リリアナをまっすぐに見下ろした。


「リリアナ。俺とともにこの国を繁栄させてくれるか?」

「もちろんでごさいます。この身は陛下とハイランダ帝国に捧げます」

「ではこのハンカチに誓おう。俺は必ずこのハイランダ帝国に平和と繁栄をもたらす。ともにそれを目指し、横で見守ってくれ」


 リリアナがしっかりと頷くと、ゆっくりとベルンハルトの手がリリアナの手に重なる。顔を上げると青い双眸と視線が絡まり、ベルンハルトは目尻を下げて微笑んだ。


 リリアナは胸の高鳴りを感じて、咄嗟に自分の胸に手を当てる。まっすぐに見つめるその瞳は、これまでのどの眼差しよりも優しかった。

  

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る