第四章 皇帝と夢見の魔女は共に歩む

夢見の魔女、皇帝とデートを楽しむ

 リナト国の首都からハイランダ帝国の首都までは馬車だと八日を要する。その合間合間でその地域の領主や有力者の屋敷に泊まったり、宿をとったりする。


 リナト国の王宮を出て四日目、リリアナ達はハイランダ帝国へ入国した。

 この日の滞在先はこの地域を治める領主の館だ。辺境の地で普段は皇帝を迎えることなど想定していないのだろう。造りは質素なものだったが、広さは十分あり手入れもしっかりと行き届いていた。


「この度の行程、お疲れさまでございました」

「ああ、出迎えご苦労。明日の朝まで世話になる」


 こうべを垂れるこの地域を治めるという壮年の領主に、ベルンハルトは機嫌よくねぎらいの言葉をかけた。領主は白髪交じりの口髭を蓄えた物腰の柔らかい男性だ。


「ところで、この近くには美しい湖があったと記憶しているが、違ったか?」

「スラン湖ですね。馬で一時間ほどの場所に在ります。我が領地の誇る景勝地です」


 領主は誇らしげに言った。ベルンハルトはそれを聞き、満足そうに頷いた。


「やはりそうだな。リリアナ、まだ明るいから湖へ連れて行ってやろう。婚姻後、どこにもろくに連れて行ってないからな。息抜きだ」

「まあ、本当にございますか?」


 思いがけない提案に、リリアナは両手を胸の前で組んで目を輝かせた。リリアナがベルンハルトにどこかに連れて行って貰った経験など全くないので、否が応でも気持ちが浮き立つ。


「往復二時間かかることを考えるとあまりお時間が有りませんが、大丈夫でしょうか?」


 領主は心配そうにベルンハルトとリリアナを見比べた。


「大丈夫だ。ワイバーンで行けば十分も掛からないだろう。着替えてすぐに出掛ける」

「畏まりました」


 ベルンハルトはそれだけ言うと、すぐに出掛ける準備に取り掛かった。


「リリアナ。お互いこの格好では目立つ。俺も別の格好をするから、リリアナは侍女か町娘風に纏めてきてくれ」

「はい! なんだか変装しているみたいで楽しいですわね」


 リリアナはふふっと微笑んだ。


 リリアナは侍女のティーヌの服を借りる事にした。他国の婚姻式に参加するために持っていった手持ちのドレスは全て皇后に相応しい豪華なもので、とても侍女にも町娘にも見えなかったからだ。


「ありがとう、似合うかしら?」


 ティーヌに手伝って貰ってワンピースを身に着けたリリアナは、姿見の前でクルリと一回転した。シンプルながら上品な形のワンピースはピンク色で、リリアナの動きに合わせてふわりと裾が揺れる。


「とってもお似合いですよ。きっとリリアナさまの可愛らしさに陛下も見惚れると思いますわ」

「そうかしら?」

「そうですよ」


 ティーヌに微笑まれ、リリアナは嬉しそうにはにかんだ。

 屋敷のエントランスに向かうと、ベルンハルトは近衛騎士の服を着ていた。普段は黒鋼の鎧を着ているので、近衛騎士だけに赦される白い騎士服を着たベルンハルトは前回の狩猟服以上に新鮮に見えた。


「まあ、陛下。近衛騎士服なのですね」

「ああ。近衛騎士の格好をしておけば、俺を害そうとする輩も現れないだろう。近衛騎士を襲うことは即ち皇帝への反逆罪だからな」

「その……、とても素敵ですわ。黒も似合いますが、白もお似合いなのですね」


 リリアナはベルンハルトの凛々しい近衛騎士姿に頬を染める。


「リリアナもとても可愛らしいな。ピンク色がよく似合ってる。愛らし過ぎて他の男の目にさらしたくないが、出掛けるのだから致し方ない。しっかりと俺の腕に閉じこめておこう」


 頬を染めて見上げるリリアナにベルンハルトは蕩けるように微笑んだ。そのままリリアナの手をとると、領主館の外へと向かった。


「ワイバーンに乗れる者を護衛で同行させてくれ。ただ、リリアナの息抜きだから少し距離を置けよ」


 迷うことなく自分のワイバーンにリリアナを同乗させたベルンハルトは、ワイバーンに跨がったまま側近のフリージを見下ろした。


「私と近衛騎士の二名が同行させて頂きます。ご安心下さい。砂糖爆弾を食らわされたくないので誰も不用意に近づきません」

「砂糖爆弾とはなんだ? 砂糖の爆弾なのか?? 初めて聞くぞ。俺も砂糖はかけられたくないんだが。溶けたらベトベトしそうだ」


 ベルンハルトは聞き慣れない兵器の名前に眉をひそめた。


「最近被害が頻発している破壊兵器です。くらうと甘すぎて暫く胸焼けが続く恐ろしい爆弾ですが、ご安心下さい。陛下とリリアナ妃には絶対に被害が及ぶことはございません」


 フリージは大真面目な顔で、ベルンハルトにそう断言した。


 ワイバーンで飛ぶと、上空からハイランダ帝国が見渡せる。国境地域に近いこの辺りは首都トウキに比べて建物が少なく、代わりにどこまでも畑が続いていた。最近は国境地域にワイバーンを配備しているので住民も見慣れているのか、リリアナ達を見上げて手を振る子どもの姿もちらほらと見られた。


「ねえ、ベルト。あそこで手を振ってるわ」


 リリアナはそんな子ども達を見つけるたびに腕をブンブンと大きく振った。


「落ちるなよ?」

「落ちないわ。だって、ベルトが落ちないように掴まえてくれるでしょ?」

「……そうだな。一生俺から離れないように掴まえておく」


 ベルンハルトは楽しげに笑うと、リリアナの腰に後ろからしっかりと手を回す。ベルンハルトにすっぽりと包み込まれるようにワイバーンにまたがり無邪気に喜ぶリリアナの後頭部にそっと口付けた。


 スラン湖はハイランダ帝国にある比較的大きな山脈の中腹にある大きな湖だった。湖畔には観光を生業としているホテルや飲食店、土産物屋が広がり湖を一周するように散歩道が広がっている。ベルンハルトはその湖畔近くの芝生の広場にガレンを下ろした。


「とても素敵な所ね」


 リリアナは辺りをぐるりと見渡した。空から見る景色と地上から見る景色はまた違っている。湖の水面には山脈が反射して映っており、とても美しかった。散歩道の両側に植えられた木々の葉の隙間からはベルンハルトの瞳のように澄んだ青い空が覗いていた。


「ゆっくりさせてやりたいんだが、あまり時間もない。散歩する? どこかでお茶でもいいし、ボートもあるみたいだが……」

「ボートがいいわ!」


 ベルンハルトから『ボート』という言葉を聞いてリリアナは即答した。昔、リリアナが読んだ恋愛小説の一つに騎士と若い町娘の恋物語があった。その中で、恋人同士になった二人がボートに乗って愛を深めるシーンがあったのだ。

 今、ベルンハルトは近衛騎士の格好をしている。リリアナは町娘の格好。まさに物語のシーンそのままのように思えた。


「ではボートにしよう。おいで」


 ベルンハルトはリリアナの手をとると、ボート乗り場へと向かったのだった。

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