夢見の魔女、皇帝とデートを楽しむ②

 ベルンハルトはリリアナの手を握ってボート乗り場へと進む。普段、リリアナがエスコートされるときはベルンハルトには手を添えられるだけだ。しっかりと指を絡めて握り合ったその手は妙に気恥ずかしく感じるとともに、胸の奥にこそばゆい感覚を呼び起こした。


 ボート乗り場では麦わら帽子を被った中年男性が一人、ベンチに座って店番をしていた。日に焼けた肌は平均的なハイランダ帝国の国民よりも濃い小麦色をしており、茶色い髪を後ろに一つに纏めている。


「ボードに乗りたいんだが」


 ベルンハルトが店番に声を掛けると、店番の男性は驚いたように目を瞠った。そして、ベルンハルトのことを上から下までまじまじと眺めた。


「近々皇帝様が領地を通るとは聞いていたが、近衛騎士様がこんなところに来るとは驚きだな。皇帝様は今日はこの辺りにいるのかい?」


 どうやら店番はベルンハルトが近衛騎士の格好をしているので驚いたようだった。近衛騎士は皇帝と皇后を守るための騎士なので、普段このような片田舎で見かけることはまずない。驚くのも当然だ。興味津々の様子でベルンハルトのことを眺めている。


「皇帝は領主館に泊まる予定だ」

「へえ! 黒鋼の死神って言われてるけど、どんなお方なんだ? 死神って聞くけど、よくやってくれてるよ。別に残虐な事件も聞かないし、むしろ最近は景気が上がってる」

「それはよかった。皇帝と側近達に伝えておこう。皇帝は普段は黒鋼の鎧を着て殆ど姿を見せない」


 ベルンハルトはニヤッと笑うと、一艘分のボート代を店番に手渡した。店番は係留されているボートの紐を器用に解いてゆく。店番の男性は乗せるための準備をしながらベルンハルトが連れているリリアナのこともしげしげと眺めた。


「やっぱり近衛騎士様ともなる連れ歩く女性も飛び切りの美人なんだな。あんたみたいな美人は生まれてこのかた見たことがないよ」

「そうだろう? 俺の妻だ」


 ベルンハルトは自慢げにリリアナの肩を抱き寄せた。


「ああ。見れば見るほど美人だよ。近衛騎士様ってのは任務に奥さんを帯同できるのかい?」

「俺は特別だ」

「アンタは偉い近衛騎士様なんだな。どうりで若いのに威厳があるような気がしたんだ」


 目を細めてベルンハルトを眺めながら納得したように何回も頷く店番を見て、ベルンハルトとリリアナは顔を見合わせてクスクスと笑った。


 ボートは手漕ぎタイプで、二人乗りの小さなものだった。それもリリアナの読んだことのある恋愛小説と一緒だ。大きな湖でボートに乗ると、まるでこの世界で二人きりの様な錯覚に陥りそうになる。リリアナは急に気恥ずかしさがこみ上げて来てベルンハルトの顔を見ていられなくなり、その手元に視線を移した。


「リリアナ、どうした?」

「えっと……、昔読んだ恋愛小説のシーンを思い出していたの。騎士と町娘の恋物語で、こうやって二人がボートに乗ってデートするシーンがあって。なんだかそのシーンに似ていると思ったのよ」

「その小説の中では二人はどんな話を? 実は俺はデートと言うものをしたことがない。これが初めてなんだ。よかったら教えてくれ」

「たしか、お互いに気持ちを確認しあっていたわ。そして、将来の約束をするの。最後は二人は顔を寄せ合って……」


 そこでバラ色に頬を染めたリリアナの様子を見て、ベルンハルトは「あぁ」と呟いて微笑んだ。


「リリー、愛してるよ」


 リリアナはベルンハルトを見つめたまま、驚きで目を見開いた。ベルンハルトがリリアナのことを『リリー』と呼んだのは出会ってから初めてだ。


「今、リリーって」

「そっちの方が騎士と町娘っぽいかと思って。リリアナと呼んだ方がよかった?」

「ううん、リリーがいいわ。だって、初めて夢で会った時みたい。ベルトはわたくしのことをリリーって呼んでたわ」

「その初めて会った時の夢の記憶がないのが残念だな。きっとリリーは少女時代も可愛かっただろうに」


 残念そうに眉尻を下げるベルンハルトを見て、リリアナは微笑んだ。


「なら、これから沢山思い出を作っていきたいわ。ベルトと色々な思い出を作るの。ベルト、好きよ」


 それを聞いたベルンハルトは優しく目を細めてリリアナに微笑んだ。


「リリー、おいで。櫂があるしバランスが崩れるから俺はあまり近づけない」


 ボートは質素な造りで、櫂がしっかりと固定されていなかった。手を離すと櫂が湖に落ちてしまうのでベルンハルトは櫂から手が離せなかったのだ。

 ベルンハルトに呼ばれてリリアナがおずおずとボートの中央部に近づくと、ベルンハルトはコツンとリリアナとおでこを合わせた。


「生涯を通してリリー一人を愛すると誓おう。だからずっと傍にいてくれないか?」

「ええ。私も今もこれからもベルトだけを愛してるわ。ずっと傍にいさせて欲しいの」

「もちろんだ。あぁ、櫂のせいでリリーを抱きしめられないのが残念だな」


 恨めし気に両手の櫂を見つめるベルンハルトを見て、リリアナは愛おしさがこみ上げてくるのを感じた。両手でベルンハルトの頬を包み込んで顔を上げさせると、ゆっくりと自分の唇を重ねる。

 触れ合えば触れ合うほど幸せがこみ上げてきた。心からこの人が好きだと思った。

 二人きりの世界に入り込んだリリアナのベルンハルトへの抱擁と口づけはいつまでも続いたのだった。


 ベルンハルトとリリアナがボートを降りた時、ボード乗り場では困り顔の近衛騎士の隣で憮然とした表情のフリージが仁王立ちしていた。


「フリージ、どうした?」

「砂糖爆弾をくらいました。ボートだと思って油断していたら見事に投下されましたよ。まさかリリアナ妃から行くとは想定外でした。こっちは野郎二人でボートを漕いでてなんにも面白くないって言うのに」

「ボートに乗っていたのに砂糖をかけられたのか? その砂糖爆弾とは、砂糖を入れた袋を鳥にでも持たせるのか? 随分と悪質な悪戯だな。安心しろ、リリアナは無事だ。領主館に戻ったらお前達はまず風呂に入った方がいいぞ」


 心底気の毒そうに眉をひそめるベルンハルトを見て、フリージはがっくりと肩を落としたのだった。

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