皇帝は側室を迎える

 リナト国での婚姻式を終えて一か月ほどが過ぎたこの日、ハイランダ帝国の宮殿では慌ただしく人が行き来していた。

 本日、皇帝ベルンハルトの側室になるリナト国の第二王女であるルリエーヌがこの宮殿に到着する予定なのだ。既に国境地帯からはリナト国の一団の入国が伝えられており、そろそろ到着する頃合いだった。 


「リリアナ、そろそろルリエーヌ姫が来る。出迎えに行くぞ」

「はい。畏まりました」


 ベルンハルトに声を掛けられてリリアナは立ち上がった。

 ルリエーヌに会うのはリナト国に行ったとき以来なので一か月ぶりだ。しかし、側室入りが決まってから一か月で宮殿入りと言うのは実に素早い動きであるといえる。馬車を出迎えるために中庭に向かうと、そこには既にデニス達側近の姿があった。


「なんだ、デニス。待ちきれないのか?」


 ベルンハルトがニヤニヤとしながらデニスの顔を見た。と言っても、兜をかぶっているのでデニスから見えているのはベルンハルトの青い瞳だけだ。しかし、デニスは長年の付き合いからベルンハルトがニヤニヤしているのを敏感に察知したようでムッとしたような顔をした。


「陛下の黒鋼の鎧姿に腰を抜かしてやっぱり帰国するなどと言われては大変ですから」

「それこそ今更だろう? リナト国で何回も見ているはずだ」


 ベルンハルトは呆れたように呟いた。そんな二人のやり取りを見ながらリリアナはクスクスと笑った。



 ♢♢♢



 ──俺と偽装結婚しないか?


 あの日、ベルンハルトの言葉を聞いたリリアナ、デニス、ルリエーヌはあまりの予想外の提案に呆気に取られた。


「陛下。偽装結婚とはどういうことでしょうか?」


 まず最初にそう尋ねたのはデニスだった。言葉遣いは丁寧だが、想い人を皇帝が側室にすると聞いて心穏やかではないようで、表情からは不機嫌さがにじみ出ていた。


「そうカッカするな、デニス。リナト国王から側室入りを打診された場合、断るのは国交上難しいのはお前もわかるだろう? 幸いハイランダ帝国では皇后のほかに側室を二人取れる。この側室は皇后とは全く扱いが異なり、離縁も可能だ。つまり、俺はルリエーヌ姫を側室に取るが、デニスの宰相就任と同時に褒賞としてルリエーヌ姫を下賜する」

「下賜?」


 デニスは眉をひそめた。皇帝がお気に入りの臣下に寵妃を下賜することはハイランダ帝国の歴史の中でも何回かあったことで珍しい事ではない。ベルンハルトはデニスにその風習を利用してルリエーヌを渡すと言っているのだ。


「そうだ。お前の父でもある宰相は既に高齢だから、元々そろそろ交代することを考えていた。俺は次はお前がいいと思っている。その時に下賜すれば不自然でもない。そうだな、側室入りした一年後でどうだ?」

「三ヶ月」

「無茶を言うな。さすがに早すぎる。では六ヶ月でどうだ?」

「……いいでしょう」


 デニスは少し考えこんでから承諾した。それ以上短い期間にするのは流石に難しいと判断したのだ。


「まっさらなままデニスに渡すと約束しよう」

「当たり前です。一度でも手を出したら後々まで恨んでクーデターを企みますよ」

「それは怖いな。シャレにならない」


 相手は皇帝であるにも関わらず怖い顔で睨みつけてくるデニスに、ベルンハルトは肩を竦めた。ベルンハルトはデニスと話が付いたところで、ルリエーヌの方を向いた。


「と言うわけで、どうだろうか? ルリエーヌ姫」

「それはつまり、私は皇帝陛下の側室と言う立場になるものの身も心も清いままでデニス様の元に嫁げるということでしょうか?」

「そうだ。俺がルリエーヌ姫の側室入りを断ったところであなたとデニスが結ばれる可能性は限りなくゼロだ。それを考えれば悪くない提案の筈だ」

「確かにそうですわね」


 ルリエーヌは言葉を切って、しばしの間黙り込んだ。


「あの……婚姻式はしなくてもよろしいでしょうか?」

「婚姻式を?」

「はい。婚姻のドレスは女性の一生の憧れでしょう? 出来れば、デニス様のためにとっておきたいのです」


 ルリエーヌの声は尻すぼみに小さくなる。思わぬルリエーヌからの要望にベルンハルトは言葉を詰まらせた。他国から姫君をもらい受けて婚姻式すらしないというのは流石に聞いたことがない。それに助け舟を出したのはリリアナだった。


「ならば、私が幻術を使って代わりを努めましょう。参列するのはナエラに幻術を使って私に成り代わってもらえば済みます。私も陛下の花嫁として誰か別の方が立つのはたとえ偽装でも嫌ですわ」


 リリアナは少し拗ねたようにベルンハルトを見上げた。そういうことならば側室入り自体に反対するつもりはなかったが、やはりベルンハルトの隣に誰か別の女性が寄り添うのを見るのは嫌だった。


「よし。ではその方向で行こう。ルリエーヌ姫は側室入りするが、半年でデニスに下賜する。俺は絶対にルリエーヌ姫に手を出さない。そして婚姻式はルリエーヌ姫に成り代わってリリアナと挙げる。これでいいか?」

「いいでしょう」

「いいですわ」

「私も構いません」


 かくしてベルンハルトとルリエーヌの偽装結婚の話は纏まったのだった。



 ♢♢♢



「あ、いらっしゃいましたわ」


 リリアナは城門が開くのを見て声を上げた。遠方にリナト国の国旗を掲げた馬車の隊列がみえる。馬車の隊列はゆっくりと近づいてきて、ベルンハルトの前で停まった。


 デニスが馬車の扉を開けて手を差し出すと、中からほっそりとした白い手が重なる。中から現れたルリエーヌはリリアナ達を見てにっこりと微笑んだ。


「ご無沙汰しておりました。リナト国第二王女のルリエーヌにございます。よろしくお願いいたします」

「長旅ご苦労であった。よく休まれよ」

「有難きお言葉にございます」


 形式上のやり取りを終えたルリエーヌはデニスにエスコートされて宮殿へ進む。ルリエーヌは頬を染めてデニスを見上げ、デニスは蕩けるような笑みを浮かべていた。


 ルリエーヌの部屋となる側室の部屋はベルンハルトやリリアナの私室の一つ下の階に位置している。エリア全体が皇帝の居住区域のためごく限られた人間しか入れないが、デニスは側近という立場上そこまで入室可能だった。今日もルリエーヌに誘われて、二人は皇室専用エリアの庭園を仲むつまじくお散歩していた。


「あいつら、隠す気が全く無いな」

「ここは限られた側近しか入ってこれないから、よいではありませんか」


 窓からその様子を見て呆れたように呟くベルンハルトに、リリアナはまたもやクスクスと笑った。


「そういえば、ドレスに合わせるサッシュの色はどうしようかしら? またベルトの瞳に合わせて水色かな……」


 リリアナは自分がルリエーヌの代理で身につける花嫁衣装のサッシュの色に悩んでいた。


 ハイランダ帝国の花嫁衣装は白だ。だが、白のドレスの上から身につけるサッシュだけは好きな色を選べる。リリアナが婚姻式をしたときはベルンハルトに好きな色を聞いたらそっけなく『好きにしろ』と言われて水色にした。ベルンハルトの瞳の色だからだ。

 ベルンハルトもその時のことを覚えているようで、少し居心地悪そうにしてからおずおずと口を開いた。


「もし良かったらだが、今回は俺の希望を言っていいか?」

「もちろんよ。ベルトは好きな色があるの?」

「ああ。今回はリリアナのアメジストのような瞳の色がいい。姿が違って見えてもリリアナを感じられるから」


 リリアナは驚いてベルンハルトを見上げた。ベルンハルトはリリアナを見下ろすと、目尻を下げて微笑んだ。伸びてきた手はリリアナの頬を優しく撫でる。


「好きだよ、リリー」

「え…と、私もベルトが好きだわ」


 未だに愛の言葉を囁かれるとリリアナは照れてすぐに赤くなる。そんなリリアナを愛おしげに見つめていたベルンハルトはその顎を掬うと、ゆっくりと唇を重ねた。

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