運命の矢
ロンドンの街を往く人種が様々なように、クラブも坩堝のようであった。アーサーズ・ルームのような芸術家のクラブもあれば、学者たちのクラブや反捕鯨団体のクラブ、果ては革命家たちのクラブまであるのだ。そして、あらゆる路地の場末で見つかるのが賭博クラブだ。
カイトとチョチョは周辺の賭博クラブの扉を叩き続けるが、昼間から活動しているクラブそのものが少なく、空振りが続く。
そして、十件目の賭博クラブ――ラストショウダウンを訪問。
昼間から酒の匂いがきついクラブだった。〈アステリズム〉とは比べ物にならないくらい雑然としており、紳士たちが集うようなクラブとはイメージがかけ離れた「酒場」だった。丸テーブルを囲むのは浮浪者と見間違わん格好をした男たち。何人かは阿片中毒者だろうとカイトは直感する。誰もが煙草を吸い、頬を朱に染めてにやにやと微笑んでいた。丸テーブルの上には軽食や新聞紙、肝心の金貨が何枚も置かれていた。
「カイトさん、あそこですっ!」
煙草の煙を払っていると、チョチョがクラブの奥を指差した。
そこにいたのは小柄な男。椅子に座り、短い足をばたばたとさせながら、憔悴した様子でポーカーに興じていた。見忘れることのない、灰汁の強い妖精――レプラホーンのコンで間違いなかった。その傍には、コートを着込んだ二人が立っていた。神に祈るような形相をしている彼らはファルミとオルサンだ。
「ここにいたのか! コン!」
カイトが唾を飛ばしながら、ずかずかとクラブの男たちを掻き分けて進む。
「うっ、カイト亭主。やあやあ、あなたも賭博クラブに?」
「ふざけるな。おまえ、セィルから受け取った金で何をしているんだ?」
挑みかかるように身を乗り出し、グレーの瞳を細めてカイトは詰問した。
「こ、これも俺たちの観光の一環でさあ……。アイルランドにはこんな刺激的な賭博クラブはないんだ。それに、セィルにも迷惑はかけないぜ。ここで一獲千金を掴めたら、ちゃんと返すんだからな」
狡猾さと余裕を含めた表情でコンが答えると、隣のファルミとオルサンもうんうんと頷く。カイトの胸を焦がす怒りの炎へ、薪がくべられた。
「だからって、ぽんと大金を渡してセィルが喜ぶと思っているのか? おまえは、真剣に働いて、ひたむきにがんばったセィルの気持ちを踏み躙ったんだ」
「少し黙ってくれ、今いいとこなんだ。さ、カードを見せてくれ!」
「あいよ」とコンの対戦相手がカードを提示。スペードの10、ジャック、クイーン、キング、そしてエースが仲良く並んでいた。
ロイヤルストレートフラッシュ。最強の役に、コンの顔色が失せた。同時に、カイトは怪訝な顔をカードに向ける。最強の役が、そう簡単に揃うはずがない。おまけに、相手の憎たらしい笑い方は何かを隠している様子だ。それは詮索を深めるまでもなく、賭博クラブの常識――イカサマだった。
「ほうら、また俺の勝ちだ。金はもらっていくぜ」
「うっ……」
汚物の匂いがわずかに漂い、カイトは鼻を抓んだ。彼は
「助けてくれ、カイト亭主! 借金が膨らんで、このクラブから出られなくなっちまった!」
切羽詰まった声を放ち、すがるような目つきをコンはカイトに浴びせた。おそらく、よそ者のコンたちはイカサマを見抜けず、カモとして金を巻き上げられていたのだろう。
「この、馬鹿妖精があああっ!」
衝動的に喉を痛めるほど叫ぶと、
「おい、お客さん。当店でのトラブルはご法度ですぜ」
黒ひげを生やし、顎に傷を走らせた中世の海賊のような風格の男がカイトとコンの間に入った。どうやら、この男がラストショウダウンの代表のようだ。
「ここでの解決方法はただ一つ。賭けだ。ラストショウダウンに足を踏み入れたからには、お客さんも賭けに挑むしかないんだよ。がはははは!」
乱杭歯をかっかと鳴らしながら、代表が豪快と不快を混ぜて笑う。
「郷に入っては郷に従え……ということですか……」
細い眉を顰めて、チョチョが呟いた。
カイトは奥歯を噛み締め、右手の拳を堅く握りわなわなと震わせた。カイトは賭け事が嫌いだ。こつこつと築き上げた財産を失うのはみっともないし、何より心臓に悪い。
それでも、大事な仲間の想いを無駄にすることはできない。必ず、この妖精たちを賭博の泥沼から引き上げなければならない。
「わかった。賭けをしよう」
「カイトさん……本気なのですか!」
チョチョがカイトの袖を掴み、ぶんぶんと振る。その唇からは血の気が失せていた。
「賭けは嫌いだが、セィルをあのままにするのはもっと嫌だ。だから、チョチョ。『頼む』」
チョチョの手を振りほどき、続けてカイトはその手を握った。
「カイトさん……」チョチョははっとして息を呑む。「わかりました。呉越同舟一蓮托生……チョチョはカイトさんに付いていくのです」
カイトは軽く頷き、決意を固めた。
「決めた。ダーツだ」
カイトは壁際のダーツボードに刺さっていた矢を流麗な動作で抜き取り、代表に見せた。ダーツだけなら、幼少のころから趣味でやっていた得意分野だと言い切れる。
「おれが入り口から、このボードのド真ん中(ブル)に当てられるかどうかを賭ける」
堂々とした宣言に、ラストショウダウンのメンバー誰もが吹き出していた。
「当たったらこのコンたちを解放してくれ。外れたら、テムズ川を裸で泳いでもいい」
それは、カイトの死を意味していた。まさしく命懸けだ。
「はっは、面白いあんちゃんだ。気に入った。やれるものならやってみな」
代表の嘲笑を受け、カイトは口を真一文字に結ぶ。踵を返すと足音をわざとらしく大きく鳴らして入口へと向かう。
「カイト亭主……そんな覚悟で、俺たちを……」
目を瞬かせながら、コンたちはカイトを眺めていた。チョチョもまた意思を研ぎ澄ましたかのような表情をカイトに向ける。
ざわめいていたクラブが冬の夜のように静寂となり、カイトは入り口に止まると精神を集中した。暴れ馬のように跳ね回る心臓を抑えつけ、カイトは顔を上げる。瞳に凄みの光を宿らせると、
「行くぞ」
そう宣誓し、カイトはチョチョに目配せする。
気迫を込めて、ダーツボード目掛けて一投。
勢いよく投げられた矢が、無風の室内を疾走しボードの直前でふらりと落下を始めた。その瞬間、チョチョが眼光を鋭くする。
そして――運命の矢は中心を穿った。
「……おれの賭けの勝ちだ。三人を解放してもらうぞ」
ほくそ笑むと、座敷童子が安堵の息を漏らしていた。
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