☆☆☆

「ありがとうよ、若亭主」


 宿泊していたユージーンを丁寧にお辞儀してチョチョは見送った。深くしなやかに腰を曲げるその姿は、絵画に残したいほど様になっていた。


「こちらこそ、ユージーンさん。またよろしくお願いします」


 名前を込めてチョチョが言うと、ユージーンは満足したように微笑み返す。いわく、別れ際に名前を呼ぶこともまた、心理的に好感度を高くさせる心遣いだという。これも含め、カイトがこの一夜で心のメモに書き留めたことはどんどん増えていた。

 宿泊客が出て行ったことを確認したあと、カイトはユージーンが宿泊していた三〇一号室に向かい、清掃に取りかかる。


「フフ、このリネンも我が洗ってやるのだ。感謝するのだぞ」


 洗濯大好き妖精も目尻を緩ませて、仕事に励む。カイトもてきぱきと体を動かし、机の上のポットの水の交換を始めた。

 対照的に、チョチョだけはある一点を見つめて、黙然としている。不審に思ったカイトは声をかけた。


「チョチョ、どうしたんだ?」

「チョチョは座敷童子ですから、から目を離せないのです」


 どんな理屈だ、とカイトが心の中で叫んでいると、


「……うずうずしているのですっ」


 両手で枕を掴むと、勢いよく持ち上げた。


「あら、これは……」


 その直後、チョチョの体がまるでお得意の金縛りを使われたかのように動かなくなった。ただ、焦点は枕の下の〝それ〟に向けて――


「銀貨じゃないか」


 そこにあったのはフロリン銀貨であった。銀貨に描かれたヴィクトリア女王の肖像画が輝き、チョチョの呆け顔を照らす。


「忘れ物なのかっ。チョチョ、疾風のように速く届けに行かなければ……」


 慌ててセィルが進言するが、全てを察したカイトはその小さな肩に手を添えて、


「違うぜ、セィル。これは……『チップ』だ。ユージーンさんは、おれたちの『おもてなし』に満足してくれたってことだな」

「じゃじゃじゃー!」


 チョチョは今までに見せたことのない恍惚の表情を浮かべた。




 新生〈アステリズム〉が無事に処女航海を終え、しばらくしたある昼下がりのことだった。


「カイト、これを見てちょうだいっ」


 興奮した様子のシャーロットが、〈アステリズム〉に入るなりタイムズの記事をカイトたちに叩きつけて来たのだった。


「何だ? 切り裂き魔でも捕まったのか?」


 怪訝な顔でカイトは記事に目を通し始めた。


「なになに……『イーストエンドで浮浪児失踪か?』……これじゃないな。『雉肉による食中毒発生。原因はスミスフィールドマーケットの格安商品か?』」


 背中をムカデのようなものが駆け上がる感覚を味わった。あのとき、チョチョの助言がなければ、この〈アステリズム〉は再起不能になっていたかもしれない。


「ああ、見てほしいのはそこじゃないの」


 シャーロットが綺麗な人差し指を、記事の下半分に向ける。


「ロンドン宿場ランキングって記事。ここに〈アステリズム〉が載っているのよ」


 指の先に、〈アステリズム〉の名を見付け、カイトは息を呑む。


「〈アステリズム〉は☆☆☆ほしみっつの評価を得ているのよ」

「おおっ! 凄いではないかカイト亭主。主に我のお陰なのだ。〈アステリズム〉の全てをピッカピカに洗い流したこのセィル・ケネディの――」

「ちなみにこれ、五段階評価だから」

「うっ……早く言ってよう……」


 気落ちしたセィルの肩をまあまあと撫でながら、カイトは記事に目を通す。


「ええっと、昔ながらのタウンハウスの一角に聳える老舗イン〈アステリズム〉……しかし、そこで働くのは十代の少年少女たちである。彼らは若き情熱で、我々を歓迎する。料理の味こそ平凡だが、ときに驚くべき珍味に出会えること間違いなし。タップルームは清潔。客室は暖かみのある色使いをしており、贅沢ではないが心配りを持って調和を生み出しており、リネンは心と体を温かく包み込んで快適で、心地良い夢を見られた。また、可愛らしい日本人のギャルソンの愛嬌は必見だ……」

「まあ、チョチョってそんなにめんこいですか?」


 頬に手を添えて、チョチョは身を捩らせ甘い笑みを浮かべる。

 しかし、真に驚くべきことはその本文の最後に、デザートのように添えられていた。


 ――取材・ユージーン


「……って、あのときの客か?」

「覆面記者ってやつだったのよ、あの人」


 ユージーンの意外な正体に、カイトは目を瞬かせるが、それと同時に得心した。やけに〈アステリズム〉の隅々まで目を通していると思えば、それは評価点を探していたからなのだ。あの枕の下にあったチップも、取材料だったのかもしれない。


「けど、これで『最低』は返上だよな、チョチョ」

「ですね。それに、こうして取り上げられたのなら、またお客さんが増える絶好の機会です。ばりばりがんばりましょうっ」

「ところで、宿場ランキング一位はどこなのだ?」


 セィルが赤い瞳を記事に向け、シャーロットに尋ねた。


「〈〉……ストランド通りにある、超高級ホテルよ。評価は当然ながら☆☆☆☆☆……」


 カイトは肩をすくめる。和やかだった場の空気が一気に緊張してしまった。

 それだけの力がホテル〈グランド・ポラリス〉という名にはあったのだ。


「ホテル……か。そりゃ敵うわけがないな。あっちは宿場のプロのようなものだし、貴族や王族すら宿泊するし、レストランにはフランスの料理人が何人もいるし、おれたちとは何もかも次元が違う」

「へえ……イギリスにはそんな施設まであるのですか」


 旅籠に精通したチョチョも、ホテルと聞いて目を剥いていた。


「けど、気にする必要はないぜ。庶民や労働者の数から言えば、インやパブのほうが需要はあるんだからな」

「そうそう。自分に合った快適な宿屋に泊るのが、真のロンドン通なのよ」

「なるほど。インの〈アステリズム〉のほうが、お客さんをたくさん笑顔にできることには間違いがないのです。ね、カイトさん」

「ああ。爺さんの残したこの店を輝かせ続ける。それが、おれたちの使命……」


 そしてそれこそが、カイト自身の幸福へと至る道――

〈アステリズム〉の旅は、まだ始まったばかりだ。




【次回予告】

無事新装開店を果たし、軌道に乗ろうとする〈アステリズム〉――

しかし、探偵料理人シャーロットの身に異変が起きてしまう……。


第二章 この世は舞台、ひとはみな役者


次回更新日は1月28日(月)です。


【CM】

天使のくせにメガテンをプレイするとカオスルートに行ってしまう!?

天使となまはげによる輪舞!


大天使サリエルちゃんは怠けたい

https://kakuyomu.jp/works/1177354054887966009


カクヨムコン短編参加作品、こちらもよろしくお願いします。

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