バンシー傷心
「ありがとうよ、セィル。そしてカイト亭主! また来るからな!」
無一文となっていた妖精たちは大感謝の表情のまま、ロンドンの街へ消えた。
だが、それから数時間後のことだった。
「ここにセィル・ケネディはいるかッ!」
酒場の準備を始めていた〈アステリズム〉に、そんな怒号がアームストロング社製の大砲のように発射された。
「はっ……はい?」と机周りの清掃をしていたカイトは思わず身を委縮させた。
〈アステリズム〉のガラス張りの扉のところに、いかつい黒服の男が立っていた。目をぎろりと光らせて、鼻息も荒く今にも暴れ出しそうな野生動物のようだった。
「わ、わたしに何の……用……?」
威圧され、涙目のセィルが洗い場から顔を出す。
「おうよ。テメエの連れが俺のクラブで世話になってな」
「く、クラブ? そちらさんはどちらさんなので?」
あまりの恐怖にセィルの口調が混濁した。
「俺は、ブッキークラブの元締めだ」
ブッキークラブ。その不穏な響きにカイトの胸が締め付けられた。
「な、何をするクラブなのですか?」
状況がいまいち呑み込めないらしく、チョチョが上目遣いで訊いてきた。カイトはこめかみを掻きながら、声をひそめて答える。
「……賭博クラブだよ。ギャンブラーが集まっているクラブ……。なんでもかんでも、好きなことに賭け、金を巻き取る集まりだ」
「じゃじゃじゃー。チンチロリンなのです……」
金。自分でそう説明してから、カイトに着想が去来する。
「もしかして、セィルの連れってのは、こう、小さい子供のようで、顔はおっさんなやつ?」
カイトは床から三フィートほどの高さで手を左右させ、特徴を元締めに訊いた。
「そうよ、その小さい子供のようで、顔はおっさんなやつだ。クラブで散々賭けに負けたあげく、借金を踏み倒して逃げ出しやがったんだ。そいつが保証人として名を出したのが、ここにいるというセィルだ。さあ、連れの借金を返してもらうぞ」
肩をいからせて、元締めはセィルに詰め寄る。
「コン……我の財産を……賭博に使ったのか……? 嘘だ、そんなはずは……」
目に涙が浮かび上がる。信じていた仲間に裏切られた気分を味わってしまっているのだ。その苦痛がカイトにも伝わり、唇を噛む。
「つべこべ言わずに、踏み倒した五ポンドを払ってもらおうか」
「そんな……セィルさんだってお金を貸したばかりなんですよ?」
両手をぎゅっと握ってチョチョは元締めに訴える。しかし、当のセィルは上の空。目を濡らしながら震わせていた。
「嘘だ、嘘だあああああああっ……」
そして――感情が爆発。ビスクドールも白旗を上げそうな整った顔立ちは儚げに歪み、
「うわああああああああああん!」
セィルはそれこそ子供のように泣きじゃくり始めたのだ。
「あっ、皆さん耳を塞いで!」
それはバンシーの能力の一つ【
「ぐっ……頭が割れるッ……」
頭を抑え、目を血走らせながら苦悶の表情を浮かべてしまう。
「くうっ、今日のところは、出直してやるっ」
元締めは身を屈めながら、〈アステリズム〉から飛び出し、往来の中へ紛れて行った。次に来るときは耳栓を持参しているかもしれない。
「セィルさん、落ち着いてっ」
チョチョが目を光らせ、セィルを金縛りにすると強引に泣き止ませた。
「あぐっ……ぐ、すまぬ……チョチョ……。見苦しいものを晒してしまった」
大きく深呼吸を繰り返し、セィルは自分を取り戻す。しかしひどく落ち込み、顔から生気が失せていた。
「……昨日の宴会が幻のようだ」
気の毒そうにカイトが呟く。セィルを励まそうにも言葉が継げない。
「セィルに、おれたちが何かしてやれることはないのか?」
セィルは大事な〈アステリズム〉の一員だ。その身に降り注いだ問題は、何が何でも払うべきだと亭主としての矜持がカイトを衝き動かした。何より、少女の泣き顔はあまり見たくはない。それがバンシーならなおさらだ。
「放っておけないのです。あの妖精さんたちは、チョチョたちのおもてなしを踏み躙ったことになるのです。だから……」
瞳に怒りを浮かべてチョチョは着物の袖を捲った。
「なんとしてでも連れ戻しましょう。そしてセィルさんへ謝罪させるのです」
「しかし、逃げたと言っていたがどこに……」
「借金をした人が次にどんな行動を起こすか。それがしかも金にうるさい妖精だとしたら……あたしには心当たりがあるわ」
キッチンから現れたシャーロットが神妙な顔つきでカイトたちに助言する。人差し指を突き上げて、
「借金を返すために借金するのよ。つまり、別の賭博クラブで厄介になっている可能性が高いの」
「金にうるさいおまえが言うと説得力がある」
「どういう意味!」
「探偵の意見は参考になるってことだ。行こう、チョチョ。賭博クラブを捜索するんだ」
「合点なのですっ」
強く拳を握り、決意を固めると、カイトとチョチョは〈アステリズム〉を飛び出した。
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