【我が身に秘められし常闇の金銀】

 ガシャガシャと音を鳴らしながら、カイトは夜のサイクリングに集中していた。凍りついた路上を自転車で疾走するのは、もはや罰のようだ。さらに、滑って転んで自転車を痛めつけてしまえば、シャーロットに弁償しなければならないおまけ付。息を吸う度に喉を冷たい空気が突き刺すが、〈アステリズム〉の若き亭主はこの試練を乗り越え、金箔十グラムを十シリング(これが割と高い)で購入すると、我が店へと息せき切らして戻って来た。


 そこでカイトが目にしたのは妖精たちの舞う宴会場であった。


「朝のでかけに山々見れば~黄金混じりの霧が降る~」


 チョチョが故郷の民謡を、琴の音色と共に響かせていた。


「はいっ!」と妖精たちも座敷童子の芸に合の手を送る。


「聞こえてくるのは苦しい笑い声。たちまちにして変わる涙声。そして次には、音楽の調べ。柔らかな華やかなその響き。来る朝ごとに、想い出そうとするあの調べ――」


 セィルが華麗に優雅に、何より大胆にステップを踏み、アイリッシュダンスを見せて魅せた。


「なんだこれ……」


 牧歌高吟の光景に呆けていると、シャーロットがカイトの肩に乗った雪を払う。


「チョチョも上機嫌でおもてなしをしているわ。きっと、同類に会えて嬉しいのね」

「だったら、仕上げてもらうぞ、シャーロット」


 金箔の入った瓶を手渡すと、シャーロットは爽やかな顔でサムズアップ。

 そうしてしばらくすると、〈アステリズム〉の名コックは自慢のサプライズパイを作り上げ、盛り上がりが最高潮のテーブル席へと運んでいった。


「おお! これがこの店の自慢の料理か!」

「さあ、そのパイを割ってみるのだ。シャーロットは女神の如き繊細さで、夢魔のような蠱惑的な料理を創造するのだからな」


 セィルが煽り、妖精たちがサプライズパイを割る。


「金貨!」


 中に入っていたのは金箔が施されたハンバーグだった。目を黄金に染めてコンが唸る。


「こっちは真っ赤なトマト。私の大好物じゃないか」


 ファルミも血のような色のトマトと対面し、ご満悦。


「賑やかだし、料理には驚かされるし、来て良かったな!」


 エール・ジョッキを掲げながら、オルサンは目を細める。

 ようやくラストオーダーとなり、妖精たちは珍味と愉悦を胃に納めて顔をほころばせた。チョチョとセィルのもてなしと、料理を堪能し、三人は同時に席を立つ。


「予想以上に楽しめたぞ。島に帰ったら、仲間たちにもこのインを紹介しなければな」


 取り外していた頭を元に戻し、ファルミが口元を緩める。


「では、お会計……合計十五シリングとなります」


 カイトが姿勢を正し会計を請求すると、デュラハンとケット・シーの視線がレプラホーンに注がれた。どうやら金にうるさいこのコンが妖精たちの財布係らしい。

 だが、コンは小さなズボンの中に手を突っ込んではもぞもぞとさせるばかりで、ソブリン金貨一枚も出す様子がなかった。ファルミが眉を顰める。


「コン? どうした?」

「ない……」

「何が?」

「俺の財布が、ない!」


 皺だらけの眉間がさらに刻まれ、顔面が気の毒なほど青くなったコンは慌てふためく。


「おい、どうするんだコン。帰りの船代もないじゃないか!」


 ファルミとオルサンが目を尖らせてコンに詰め寄った。

 不穏な空気をなんとかしようと、カイトはチョチョに耳打ちする。


「……どうする、チョチョ――」

「ま、待って! カイト亭主、チョチョ。ここはわたしに任せて……」


 そこへ、声を震わせながら、セィルが前に歩み出た。広げた掌を胸に置き、カイトに目を合わせると、奴隷を解放する英雄のように声を張り上げた。


「この者たちは、わたしの友達だもん。わたしが……立て替えるっ。宿がないなら……ここに泊まってよ! そのお金も、わたしが出すからっ」

「本当か、セィル! すまねえ、すまねえ……」

「気にしないでよ、コン。その代わり、アイルランドに帰ったら……」そこで思い出したように、セィルが大仰なポーズをとった。「我が〈アステリズム〉の耀くその名を、島中に宣伝するのだぞ」

「ああっ! 俺が必ず、倍にして返してやるから、待っていてくれ!」

「では、【我が身に秘められし常闇の金銀】を受け取るがいい……つまり、へそくりだ……」


 セィルが懐から封筒を取り出し、そっとコンに手渡した。

 セィルに案内されて、妖精たちは〈アステリズム〉上階の客室へと連れられる。セィルが洗濯したリネンに包まれ、今晩は快眠することとなるだろう。

 張り詰めていた緊張が解け、カイトはがっくりと近くのソファに背中を預ける。徒労感が雪崩のように押し寄せ、眩暈が止まらない。普通の人々を相手にするよりも精神を摩耗してしまうが、得たものもまた大きかったと感じた。


 しかし翌日――この充実感は一気に崩れ落ちてしまうのだった。

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