その喉を突く
「カイト。頼みがあるの」
「なんだ、急に」
アーサーズ・ルームの面々が食べた料理の皿を引いている最中に、カイトは上階から来たシャーロットに声をかけられた。
「マノスさんととにかく会話してちょうだい。そこに、あの人の好きな料理を暴くヒントがあるはずだから」
そこに悄然とした面持ちは微塵もない。闘志に満ち溢れた表情は、普段のシャーロットの威勢そのものだった。
「シャーロット。今のあの人はマノスさんじゃなくてアーサー王だぞ」
「いいえ。あの人はマノス。霊媒師でもない、ただのインチキ詐欺師のマノスよ」
断定口調に、カイトは眉をひそめる。
「……ずいぶんと強気だな。根拠はあるのか?」
「眼球運動。人は過去の身に起きた体験を語るとき、眼球は左上を向くわ。だけど、あの人の場合は八割の確率で左下だった。これは聞いたことを思い出すときに向く方向よ。残りの二割は、どこも見ずにふらふらとしていた。これは空想を語るときの癖。つまり、マノスは伝聞と想像で演技をしているってこと」
ぎらつく瞳の中に、戸惑うカイトの姿が映った。
人は試練に出会ったとき、死に物狂いで本気を出す生き物だと、カイトはジョージから聞いたことがあった。シャーロットにとって、ここ数日の出来事は全て、新たに生まれ変わるための試練なのだろう。
彼女は自慢の友達だ。少し高飛車でクールを気取っているが、その中身はごく普通の女の子。そして今は――〈アステリズム〉を担うコック。
シャーロットをより高みへと成長させるために――
カイトはこの試練に相乗りすることを決めた。
「わかった。おれはおまえを信じる。だって……探偵だもんな」
「チョチョも手伝うのです」
いつから聞いていたのだろう。チョチョがカイトの傍に立っていた。
「シャーロットさん、あなたは今、幸福ですか?」
真剣な表情で、チョチョが尋ねた。シャーロットは赤毛を左右に揺らす。
「全然。まだ欲が足りないわ。あの王を倒したいという欲がね」
「では、協力するしかないのですっ。それが座敷童子であるチョチョの使命ですから」
「とにかく、頼んだわよっ。カイト、チョチョ!」
シャーロットの力強い声を浴び、カイトは肩を縮めるが、亭主としての意地を出すべくアーサー王との対話に挑んだ。
「ずいぶんとコックの娘の顔つきが変わっていたではないか」
「失礼しました、アーサー王。シャーロットはアイルランドの気候のように、ときに激しく、ときにセンチメンタルなんです」
詩人のような口調でカイトはコックの紹介を始める。
「キャルロット……ロットの名を持つ女か。ふふ、十一人の王の一人を思い出すな」
「いえ、シャーロットですよ、アーサー王。シャーロット」
「キャル……こほん、そうか、シャーロットか。もっと、精進し、私を楽しませてくれることを期待したいがな」
「アーサー王様。どうかこのチョチョにも武勇伝を聞かせてほしいのです」
目の中に星々を浮かべながら、座敷童子の少女がアーサーに迫る。
「いいだろう。君は異国の少女かね。これも歴史の勉強だ。ちゃんと聞くのだぞ――」
それからしばらくの間、チョチョはアーサーズ・ルームの面々と共に王の話をじっと大人しく聞き続けていた。
カイトの肩がちょんちょんと突っつかれる。振り返れば、真剣な顔つきのシャーロットが立っていた。
「すまん。すっかりペースに乗せられて、まともに会話なんかできなかったぜ」
「いいえ、十分よカイト。真実は見えたわ」
「え、今ので何かわかったのか」
「ええ、あたしを誰だと思っているの?」
テニス勝負のときと同じような闘志の火を瞳の中に滾らせて、シャーロットは自信満々な顔で笑窪を作った。エプロンの紐をより強く締め、キッチンへと戻っていく。
「燃える血潮と冷静な判断力が生み出す、真の『名物料理』で相手をしてみせるわ。これこそがあたしらしい『おもてなし』よ!」
「アーサー王。新たな料理ができました。これはきっと、気に入ると思いますよ」
降霊会のボルテージが最高潮に達したころ、シャーロットはついに新作料理を作り上げることに成功した。アーサーの目の前にチョチョが丁寧に給仕する。
それはシャーロットがセィルと共に入念に焼いた一枚のパイだった。
「ほう、今度こそ、この私の舌を楽しませてくれるのだろうな?」
「もちろん。あたしなりのリベンジですから。どうぞ、堪能してください」
騎士風の会釈のあと、シャーロットは一歩後退。アーサーはナイフとフォークを手に取り、パイを頬張り始める。その迷いのない動作を、コックは碧の瞳で記憶していた。
「む、なんだ。これは」
咀嚼をしていたアーサーが異物感を覚えたらしく、眉間に皺を寄せた。料理人の想定内の反応だった。シャーロットは平然と答える。
「ゆで卵ですよ」
「ほう、パイの中にゆで卵……」
口の中でゆで卵を転がし、アーサーは感嘆の声を漏らした。
「どうですか『アーサー王』……懐かしい味がしません?」
その名を強調して、シャーロットが感想を求めた。
「ああ、確かに。よく私はこれに似た料理を幼少のころに食していたよ」
ここぞとばかりに、シャーロットは気息を整えると魔性の笑みを浮かべて告げた。
「ところで、アーサー王。パイがいつ生まれたか知っていますか?」
「ん?」と、パイの大半を胃に押し込んだアーサーが首を傾げた。
シャーロットは粗暴犯の相手をする
「パイが生まれたのは十四世紀、普及したのはオーブンが登場する十六世紀からです。つまり、アーサー王、あなたの生まれた時代には存在しない食べ物ですよ。それなのに、あなたは料理名を告げるよりも早く『パイ』と答えた。サンドイッチの起源は知っていたのに、あまりにパイの味が懐かしすぎて、『設定』を忘れてしまったようですね」
淡々と探偵が語ると店内の各所でざわめきが起き始めた。アーサーズ・ルームの面々の動揺と比例するように、アーサー王と呼ばれていた男の顔色は、聖剣で体を貫かれたかのように悪化していく。
「……ガッ、ハア……!」
突然、男が身を大きく逸らし、天井と目を合わせるとぽかんと口を大きく開けた。あまりのわざとらしさに、シャーロットは溜め息と共に辟易する。
「ど、どうされたのですか、アーサー王!」
慌てて、アーチウォルトがアーサーの様子を伺うと、
「トランスガ、トケマシタ……」
片言で、アーサーもといマノスが浮ついた声でそう告げた。
「きょうハココマデデス……」
ガタッと椅子を後ろに弾き飛ばしながらマノスが立ち上がり、蜘蛛の子を散らすように〈アステリズム〉の入口へと向かう。いや――実際に逃げようとしているのだ。
混乱が巻き起こる中、シャーロットは声を張り上げて言う。
「マノスさん、あたしは探偵です。パイの中に隠したゆで卵の味が消えないのなら、然るべき行動を取ってもらいたいと思っていますよ」
一瞬身を震わせたあと、マノスはロンドンの往来の中へとその姿を消した。
「ああっ、降霊会がこのような結末を迎えるとは! ちょっと、コックさん! アーサー王に余計なことを言って、機嫌を損ねさせたのではないのですか!」
アーチウォルトが頬肉をぷるぷると震わせながら抗議の声を上げるが、シャーロットは梃子でも動かないほどずっしりとその場に立っていた。
「いいえ、あたしは真実を言ったまでです」
「真実? まさか、マノスさんが詐欺師だとでも言いたいのですか!」
シャーロットは静かに顎を引いた。そのまま頭を下げ、長い赤毛を垂らす。
「……アーチウォルトさん、そしてカイト。降霊会はここでお開きです。もし、あたしの目が曇っていたのなら、今日の費用は全額返金します」
「ちょっと、何勝手に決めているんだ!」
「おれはシャーロットの提案に賛成しますよ、アーチウォルトさん。彼女は誰よりも目聡く真実を見抜く。それはおれが保証します」
シャーロットの探偵としての矜持と正義感が起こしたおもてなし。主賓を失ったアーサーズ・ルームは苛立ちを隠さずに次々と〈アステリズム〉を出ていく。アーチウォルトの非難の一瞥を受けながらも、シャーロットは信念の火を消さなかった。それは、シャーロットを信じたカイトやチョチョたちも同じであっただろう。
その疑念が晴れたのは、三日後のことであった。
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