もう一人のアーサー

「いやあ、先日は厄介になりました」


 アーチウォルトが申し訳なさそうな顔で、〈アステリズム〉を訪れた。手に持っていたのは、本日付の朝刊だ。その一面には小さく、霊媒詐欺師逮捕の文字が添えられていた。

 いわく、マノスは自ら警視庁に出頭し、己の罪を告白したのだという。


「あの悪漢に与えていた賃金も戻ってきました。クラブのメンバー全員も、あなたたちに感謝していますよ。カイト亭主に、チョチョさん。そして、シャーロットさん」

「いえ、まさかこんなことになるとは、おれたちも想像外でした。な、チョチョ」

「ええ、アーサー王が偽物とは、チョチョも少し残念でした。しかし、それを見破ったのは、さすがシャーロットさんなのです」


 賛辞の声を浴びても、シャーロットの顔は喜色に染まらない。ただ、強い口調で見えざる真実を口にした。


「あの人はギリシャ人でもなんでもなく、あたしたちと同じイギリス人よ」


 赤毛をさらさらとかき上げて、シャーロットは続ける。


「あの人、アーサー王をトランスしているときに、あたしのことを『キャルロット』と呼んでいたでしょ。ウェールズ地方の人の特徴よ。『h』の文字を発音しないという。コーンウォール出身とされているアーサーが、なぜそんな方言を口にしたのかしらね」


「あ……」とカイトはチョチョと共にマノスに話しかけていたときのことを思い出した。


「そこで、あたしはパイの中にゆで卵を仕込んだ。これは、ウェールズ地方アングルシー島の伝統料理のイミテーションなんだけど、効果はあったみたいね」

「それで、懐かしいだの言っていたのか」

「やっぱり人は、料理を食べているときこそ正直になるのよね。余計な推理も詮索も必要がなくなるくらいに……」


 しみじみと語るシャーロットに、アーチウォルトが近寄る。


「ありがとうございます、ミセス・ファルコ。これはちょっとしたお礼です。では。また次の機会は、普通に客として酒と料理を頂くとしましょう」


 シャーロットの手に銀貨を渡し、降霊会の主催者は深く礼をして退店した。

満足げにシャーロットは破顔し、チップを見つめる。

 また、〈アステリズム〉から去ったのはアーチウォルトだけではなかった。


「世話になったな、カイト亭主。僕もここから出て行こうと思う」


 荷物を纏めたイグナチウスがタップルームに現れ、カイトたちを労った。シャーロットが力強く踏み込みながら前進する。その碧の瞳に力を込めて、シャーロットは感謝した。


「イグナチウスさん。あたしもお世話になりました。あのとき激励していただいたから、あたしも真実と向き合うことができたのです。ありがとうございます」

「……あれは診断……僕の職業病のようなものだったが……」


 イグナチウスの呟きを掻き消すように、シャーロットは力強く言う。


〝――やはりあのとき、イグナチウスさんに発破をかけられていたのか?〟


 カイトは眉を顰めながら、二人の会話に注目した。


「だから……イグナチウスさんも……『続けて』ください」

「……気付いていたのか」

「あたしは……いつまでも待っていますから。名探偵の復活を……」

「……僕はもう耐えられなかった。あの紛い物の探偵は失敗だったんだ。こじつけや矛盾ばかりが目立ち、他の推理作家からはスケープゴートにされてしまった。だから、死なせるしかなかった」


 イグナチウスが首を振るが、痛切な声を絞り出す。


「でも、それでも! あたしをあたしにしてくれたことに変わりはありません。文字の力、言葉の力は確実に人を動かしていくものなんですっ」

「そうか……熱心な読者がいて……僕も幸せだ……」


 ふっと笑うと、イグナチウスは手を軽く振り、〈アステリズム〉をあとにした。

シャーロットは強い意志を宿した瞳を煌めかせて、「恩師」を見送る。


「シャーロットさんは気付いていたんですね。あのお客さんの正体」

「アーサー〝イグナチウス〟C・ドイル……シャーロック・ホームズの生みの親よ」

「え……」と愕然としたカイトに、シャーロットは説明をする。


「部屋を覗いたときに、彼のタイプライターを見たの。『H』『O』『L』『M』『E』『S』というホームズの文字だけやけに汚れていたわ。それと、『アーサー』って名前にも反応していたから……。人間って、たとえ他人だとわかっていても、自分と同じ名前には愛着を持つのよ」


 イグナチウスことドイルはホームズを葬ったあと、ロンドン中の旅籠を梯子にし、世間から隠れていたのだという。結局この十年後、紆余曲折あり名探偵は復活するのだが、それはまた別の話。


「じゃじゃじゃー、アーサー王は偽物でしたが……別のアーサーさんをおもてなししていたのですね……」


 チョチョの感嘆の息が桃色の唇の隙間から漏れ、カイトは肩をすくめる。


「さすが、シャーロットだな。おまえには、もう隠し事はできないかも」


 シャーロットが目尻を緩め、照れ臭そうに言う。


「カイトも、ありがと。あの日、励ましてくれたじゃない。そもそもあれがなければ、あたしは今こうして生きていないのだから」

「お、おれはおまえが折れたら〈アステリズム〉の経営が成り立たなくなるから、ああ言ったまでだ。まあ、なんだ。苦しいときは、成果を産み落とすための陣痛ってことだな」

「それじゃ、二人ともあたしの成果――新作料理を食べてくれない?」


 気分上々のシャーロットはそのままキッチンへ潜り込む。

 カイトとチョチョは、タップルームの清掃をしながら、コックの料理を待った。


「お待たせ」


 一時間ほど経ち、シャーロットはほかほかに焼き上がったパイを二枚運んできた。


「なんだ、またパイか? この中にゆで卵を仕込んだのが、おまえの新作料理?」

「いいから食べてみて」


 にこにこと、微笑みながらシャーロットが急かす。「いただきます」と言ったあと、カイトとチョチョはフォークを使いパイを食べ始めた。


「卵じゃなくて……なんだこれ……」


 妙な触感。しかし癖になりそうなものがパイの中に入っていたのだ。


「餅……? いえ、この焼き加減は……」


 はっとして座敷童子の少女が目と口を大きく開いた。


「『かねなり』ですか?」と尋ねられ、コックは恍惚に話を注ぐ。


「驚いた? そう、チョチョの故郷の料理よ。あたしも、チョチョがこの店に来てから、日本の料理を調べていたの。それで、遠野の郷土料理『かねなり』を知った。市場で餅を売っている店を見つけたから、それを買ってちょちょいのちょいでパイの中に仕込んだの」


 得意気に説明すると、チョチョは頬をほころばせて感動した。


「じゃじゃじゃー……」

「そういうわけで、どうかしら二人とも。これがあたしにできるおもてなし。この店の真の『名物料理』……。お客さんの好物を見抜いて、パイの中に仕込むの。名付けるなら『サプライズパイ』ってところかしら」


 腕を組んで、コック探偵は得意顔。チョチョは手を鳴らして立ち上がる。


「よごじゃます! これをこの店の料理として採用しましょう、カイトさん!」

「『サプライズパイ』か。いいじゃないか。この店だけの、この店のコックにしかできない料理……」


 カイトはパイを平らげると、シャーロットの肩をぽんと叩いた。


「これからも頼んだぞ、シャーロット」

「ええ、任せて!」


 こんなに清々しく笑ったシャーロットを見るのは、本当に久しぶりだった。

 自分らしく振る舞える居場所を見つけ、シャーロットは幸福に包まれていた。

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